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カール・ダールハウス『古典的・ロマン的音楽美学』

シラ−の音楽美学における形式概念と表出原理

 音楽の美学は人気がない。音楽愛好家は、通常、理論の数学的な含意(彼らはそこから大げさなイメ−ジをでっちあげる)と感情作用(彼らはそれに圧倒されて形式構造の知覚を妨げられる)を媒介することができないからである。シラ−は音楽経験に乏しくはなかったが、美学体系を草案して、音楽にも配慮せねばならないと悟るまで、音楽の理論に関心がなかった。シラ−はクリスティアン・ゴットフリ−ト・ケルナ−へ(彼はケルナ−の音楽知識を完全に信頼したわけではない)一七九三年一月一一日に書いている。「私は音楽への洞察力に自身がありません。私の耳はもはや古いからです。しかし、私は自分の美の理論が音芸術で挫折するなどという不安を微塵も抱いていません。」また同じ年の六月二〇のケルナ−への手紙に次の記述がある。「私に音楽のことも知らせてください。この芸術を放っておくことはできませんし、そのつもりもありませんから。」シラ−は、自分の考えを「音楽でも試した」と述べているし、「ズルツァ−とキリンベルガ−に取り組むことができた」とも述べている。ヨハン・ゲオルク・ズルツァ−の『美しい諸芸術の一般理論』は、カ−ルス学校の教科書であった。だが、シラ−がヨハン・フィリップ・キリンベルガ−の『純粋書法の芸術』をわかったとは思えない。これは、愛好家の手におえないペダンティックで秘教的な作曲学である。おそらくこれは、ズルツァ−の音楽をめぐる項目がキリンベルガ−に由来したことを知っていただけのことだろう。

 シラ−の著作に散見されるわずかばかりの音楽美学的な反省は、独立したものではなく、音楽と程遠い目標をもつ議論のなかにまぎれこんでいる。マテゾンの詩についての批評は、本質的に風景画と風景詩をめぐる論文であり、音楽美学的な補足のほうは、むしろ通俗的であり、そうであってよかった。この部分は、風景画を自然の単純な模倣だという批判から保護することに役立てばそれでよかったからである。シラ−は、感情の動きと「鳴り響き運動する形式」(これは音楽理論の数百年伝承されたトポスである)の類似が風景画にも再確認できると考えた。風景画という外面の背後に、同じように人間のアフェクトの反映が記されているというわけである。文脈からこの箇所を抜き出して、これをシラ−の音楽美学の証言として提示するのは問題だろう。それは、小説やドラマの人物の語りを作者の確信と同一視するようなものである。

 『人間の美的教育をめぐる書簡』第二二書簡は、シラ−の著作のなかでは音楽をめぐる最も重要な発言だが、これも文脈を踏まえて解釈するのがやっかいである。シラ−は諸芸術が互いに接近することを求める。彼の出発点は、芸術の理想が−ちょうど個別と人間一般の関係を規定するのと同じように−個々の芸術の特殊性を放棄することでのみ達成される、という先行判断である。特殊性は一面的で、止揚されるべきだとみなされる。「その理由はこういうことです。どんなに霊感豊かな音楽であっても、真の美的自由が許容する以上に、その素材ゆえに感覚と親和しています。どんなに成功した詩であっても、真の美の内的必然性が許す以上に、想像力の媒体として想像力の恣意的で偶然的な戯れを受け入ています。そしてどんなに素晴らしい彫刻であっても、−ちなみにこの彫刻の例が一番多いのですが−、概念の規定性ゆえに真面目な学問と境を接しているのです。」音楽によって「束縛され」、内面の自由を脅かされると感じたシラ−は、ユ−トピアを草案した。そこでは、音楽がただ鳴り響きつつ運動し、魂の動きを表現して喚起するのでなく、「形態」(シラ−が『人間の美的教育をめぐる書簡』で言語化したような強調的な意味で)として現れる。「最高に高貴な音楽は形態になり、古代の静かな力で我々に作用しなければなりません。」ただし、シラ−の形式概念は、カントの『判断力批判』−シラ−の美学文献の基礎−を参照することがなければ、理解できないし、明晰な解釈(曖昧に納得した気になるのではなく)が大いに阻まれる。

 『判断力批判』第五三節で、音楽は「感覚の戯れ」と書かれ、それが「調律された気分」の基礎だとされている。だが、「感覚」という言い回しが両義的であり、一方で感情ないしアフェクト、他方で感覚印象と結びつくので、カントの議論は混乱する。音芸術は、まずは「アフェクトの言語」と呼ばれる。だが次に「感覚」の「数学的形式」が話題になり、明白に音程−音響的な感覚印象−の背後の数比が想定される。数学的モメントはカントによると形式であり、それによって、音楽が美しい(ただの快適ではない)芸術を構成する。「このような数学的形式は、規定された概念によって表象されず、そこには快だけが付着している。快は、こうした互いに随伴したり継起したりする数多くの感覚についての反省、および感覚のこのような戯れについての反省と結びつき、誰にでも通用する美の条件となっている。」ところが数学的構造はそれ自体としては知覚されず、もっぱら協和と不協和の度合いに表明されるわけで、音楽の発する美的印象では、数学的構造が消失する。「しかし音楽が生み出す刺激と心の動きには、数学がいささかなりとも関与していないし、数学は、印象の結合と交替においてそれらを比率にまとめるための、避けようのない条件でしかない。」数学的形式は音楽の美しい芸術としての地位を基礎づけるが、アフェクト作用という美的現実の犠牲になる。アフェクト作用は素材的モメントであり、シラ−の要請によると形式によって根絶されるべきだが、カントによると、まさに逆のこと、つまり素材による形式の根絶が起きている。

 「数学的形式」の概念をカントは伝統から受け継いだわけだが、この概念を音楽のアフェクト作用への対立審級に仕立てたとしても、シラ−が取り組んだ問題を解決することはできない。そしてシラ−の音楽教育係であったケルナ−は、一七九五年に『ホ−レン』に書いた『音楽における性格提示について』という論文で、カントが書いたジレンマ−音楽の美を基礎づける本質特徴が美的作用へ堕落していること−からの抜け道を見いだそうとした。アフェクトは一八世紀を通じて(カントにおいても)音楽の内容とみなされたわけだが、アフェクトという表現に、ケルナ−は性格の提示を対置した。「魂と呼ばれるものについて、我々は固執するものと流転するもの、心と心の運動、性格−エ−トス −と情念の状態−パトス−を区別する。音楽家がどちらを提示しようとするのか、これがどうでもいいだろうか?」ケルナ−が、シラ−の『人間の美的教育をめぐる書簡』第一一書簡へ依存しているのは明らかである。彼はこの書簡を手紙で示され、既に知っていた。ケルナ−が「性格」と呼ぶのは、シラ−の言う「人格」である。「抽象力を徐々にできるかぎり高めると、二つの安定して境界が明確な概念へ到達します。抽象力は、人間において、静止するものと絶えず変化するものを区別します。そして静止するものが人間の人格と呼ばれ、変化するものが状態と呼ばれます。」

 アフェクトと性格を対比することは、両概念を同義語として使うマテゾンやマ−ルプルクのような従来の音楽美学者の慣習と矛盾した。しかもケルナ−は、性格概念で音楽美学を精密にしようとするとき、解消できない矛盾に陥った。一方で、彼は伝統にぴったり寄り添って、音楽が提示できるのは感情ないしアフェクトだけだと主張する。性格は感覚の多様性に潜む内的統一であり、描写されたアフェクトの布置から間接的に開示されねばならない。「特定の状態を感覚化する明晰な記号が音楽に欠けているとき、そのことで音楽には、性格提示の可能性が与えられる。我々が性格と呼ぶものは、現実世界でも、芸術作品においても、直接知覚されるわけではなく、個々の状態のメルクマ−ルに含まれるものから導きだされるのである。」

 他方で、ケルナ−は性格を音楽的につかめるようにするために、性格と曲を支配する基本リズムを同一視する。「音の長さの交替における規則性−リズム−が運動の自立性を特徴づける。我々がこのような規則に知覚するのは、生きた存在における固執であり、それはあらゆる別の変化から独立して主張される。」リズムが固執するものであるエ−トスを提示するのに対して、ケルナ−によると旋律ではパトス、情念の状況が外化される。「旋律によってじかに提示されるのは、固執とは反対に流転するもの、生命の個々の瞬間における段階である。」ケルナ−が生きたものと固執するものを一体化するとき、彼は、シラ−が『人間の美的教育をめぐる書簡』第一五書簡で「生きた形態」という逆説的な概念でつかんだのとほとんど同じ理念をパラフレ−ズしている。シラ−によると、「生きた形態」は「感覚的衝動の対象」である「生命」と、「形式衝動の対象」である「形態」を両方含んでいる。音楽における「形態」がケルナ−では話題にならないが、当時まだケルナ−が知らなかったシラ−の第二二書簡では、それが話題になっている。

 ケルナ−が音楽作品に統一を与えるとしたリズムとは何なのか、誤解の余地がないほど明確ではない。「音の長さの交替における規則性」は、タクトなのかもしれないし、メトルム(ヨハン・マテゾンは一七三九年にメトルムを「響きの足跡 Klangfus」と名付けた )なのかもしれない。いずれにしても、長短の布置が、変形されたりされなかったりしながら、楽章を支配する基本モデルとして偏在する。のちにヘ−ゲルは、タクトを音楽における内的統一のモメント、人格の表現(まるでケルナ−のように)と考えた。「このような単形性において、自己意識は自己自身を統一として再認する。己れの同一性を恣意的な多様性における秩序として認識するし、同じまとまりの再登場することで、それが前にあったことを想起し、もう一度現れるのだから支配的な規則なのだろうと考える。だが、自我がタクトによるこのような自己の再認で獲得する満足は極めて自立的であり、統一ある単形性として、時間にも音そのものにも依存しておらず、それは自我にのみ帰属するもの、自我の自己満足へ向かう自我を時間へ据えるものである。」

 タクトではなく「響きの足跡」だという解釈は、ケルナ−が「ギリシァの音楽、文学、舞踏芸術におけるリズム」に言及しているので一層信憑性が高いが、E・T・A・ホフマンには、さらに明白なその刻印がみられる。彼の一八一〇年のベ−ト−ヴェン第五交響曲論によると、第一楽章の統一(彼はそれを、「全体の性格」とケルナ−を思わせる言い回しで言っている)は、リズムがさまざまな旋律形態で全部分を貫くことに基礎づけられている。「巨匠がアレグロ全体の基礎とした楽想ほど簡潔なものはない。そして驚嘆すべきなのは、あらゆる副次的な楽想、あらゆる中間楽想が、リズムという固定点によって例の簡潔な主題へ依存していることである。それらは、例の主題がただ暗示することしかできなかった全体の性格を、徐々に開花させることにのみ奉仕している。」

 シラ−は、『人間の美的教育をめぐる書簡』第二二書簡で「最高に高貴な音楽は形態に」ならねばならないと要求したが、このユ−トピア的要請を性格概念へ解消して、ある程度具体的な音楽の現実へ引き戻そうとするケルナ−の試みに、シラ−は完全には納得しなかった。一七九五年五月一〇日に、彼はケルナ−に書いた。「明らかに、音楽の力はその身体的で素材的な部分にもとづいています。しかし、美の王国ではあらゆる力が、盲目であるかぎり止揚されるべきですから、音楽は形式を通じてのみ美的になります。ただし形式は音楽として作用せず、その音楽的な力において美的に作用します。」シラ−が考える形式は、もはやカントが話題にしたような「数学的形式」ではなく、ケルナ−が「性格」と呼んだような内的統一である。ところがシラ−は、おそらく自分の音楽経験にもとづいてなのだろうが、カントの主張−音楽では(素材が「形式で根絶」されねばならない、という格言に反して)形式はアフェクト作用へ消失するモメントである−から逃れられなかった。ケルナ−への手紙は次のように続く。「音楽からあらゆる形式を取り去ったとしても、音楽はその美的な力を失うだけで、その音楽的な力を失いません。また音楽からあらゆる素材を取り去り、その純粋な部分だけを抜き出したとすると、音楽は美的な力と音楽的な力を同時に失い、ただの悟性の客体になります。」シラ−は、形式を−それがケルナ−によって内的統一の意味での性格だと規定されたにもかからわず−ただの「悟性の対象」だと言う。これではまるで、まだ「数学的形式」が話題になっているかのようである。『判断力批判』におけるように、「数学的形式」が「感覚の戯れ」における「調律された気分」とみなされており、「数学的形式」のおかげて、音楽は辛うじて美しい諸芸術へ数え入れられている。

 「鳴り響く形態」というイメ−ジは、近年の音楽美学では自明だが、シラ−にとっては逆説であった。音楽は時間のなかで過ぎ去り、存続するものである形態概念から排除されているように思えたからである。『純粋理性批判』には次のように書かれている。「時間は内感の形式、すなわち我々自身と我々の内面の状態の直観形式に他ならない。時間は外的現象の規定ではあり得ないからである。時間は、形態や位置などに属さない。反対に、時間は我々の内面の状態における表象の関係を規定する。そして、このような内的直観は形態を与えないので、我々は形態の欠如を比喩で置き換えて、時間の連続を無限に前進する線によってイメ−ジする。」音楽は造形芸術と違って「存続する印象」ではなく「ただ移ろいゆく印象」であり、心を「ただ通り過ぎてゆくだけ」である、このような理由からカントは、音楽が−文学よりも「一層親密に」動くにしても−「あきらかに文化というより娯楽」だと判断する、そしてシラ−が『人間の美的教育をめぐる書簡』第一二書簡において、人間が感覚に占領されて、「時間のモメント」だけにいわば閉じこめられ、自己の意識から疎外されている状態の例として音楽を持ち出したのも偶然ではない。楽器の音は、自己の外側の存在を導き入れる。

 個々の瞬間へとらわれたかのように、音楽の個々の瞬間は次へ結びつくのでなく、次の瞬間によって消されてしまう。これがカントとシラ−の美的反省の基礎になる音楽知覚である。鳴り響く断片は、形態へまとまり、記憶へ保たれるのではなく(「最高に高貴な音楽は形態にならねばなりません」、というのは『人間の美的教育をめぐる書簡』第二二書簡においてユ−トピア的要請であり、現在の美的現実の記述ではない)、感覚が束の間の印象であるように、生成した瞬間に過ぎ去る。

 音楽−正確には古典的器楽−は「鳴り響き運動する形式」であり、音楽における形式は精神と把握され、精神は形式において現前する、このような命題は、ようやくハンスリックによって(彼の論文『音楽美について』は、一八五四年に出版されたときには非難轟々であった)断定的に定式化され、歴史へ作用した。そして、ハンスリックが一方で音楽の「直観」を語り、他方で彼の言う「悪しき感情美学」を批判したのは偶然ではない。ウィ−ン古典派時代の美学(ハンスリックはそれが古典音楽を誤解していると信じ、それに反対した)では、形式知覚の希薄さ、「親密」だが「ただ通り過ぎるだけ」の感情への没入、「直観」として固定することのない時間の流れ、これらのモメントが連動し、相互に支えあっていた。シラ−の美学は古典以前の段階へとどまり、「最高に高貴な音楽は形態にならねばなりません」と主張したかぎりでのみ、古典的音楽美学の部分モメントを含んでいるわけだが、音楽が古典的な交響曲と弦楽四重奏曲において既に彼の主張どおりになっていたのに、そのことを予感していなかった。

 ケルナ−のリズムの理論には、シラ−の知らないところで、一八世紀の最後の数十年の音楽現象を正当に評価できる形式理論の端緒が潜んでいた。古典的音楽美学が発展させ得たはずの思考モティ−フを実際に発展させて、その根本的な意義を抽出したのは、シェリングの『芸術の哲学』であった。この著作は一八〇二/〇三年と一八〇四/〇五年に講義計画として草案されたが、ようやく一八五九年に遺稿として出版された。シェリングによると、リズムは「音楽における音楽」である。だがリズム、すなわち交替する均質は、多様性における統一を基礎づけ、そのことを通じて形式を基礎づける。「一般的に考えると、リズムとは無意味な継続を有意味な継続へ変換することである。継続の偶然性が必然性=リズムへ変換され、そのことを通じて、全体は、もはや時間へ支配されるのでなく、時間を自らのなかにもつ。」シラ−は自分の経験とカントの影響によって狭量なイメ−ジへとらわれ、音楽は時間の流れへ身を委ねており、ひとつの瞬間が次の瞬間へ消される、と考えたわけだが、シェリングの認識によると、音楽はそこに含まれるリズムによっていわば時間の主人になり、時間を固定して時間から構造を鋳造することができる。

 シェリングの考える「リズム」は拍、半小節、小節の相互補完だけでなく、小節グル−プ、半楽節、ペリオ−デを包む関連でもある。つまりそれは、エドゥアルト・ハンスリックが「大きなリズム」と呼んだものである。音楽事象の記述がズルツァ−の『美しい諸芸術の一般理論』に由来することは(シラ−も彼の音楽認識をここから汲み取った)、シェリングの独自性を損なうものではない。なぜなら、「大きなリズム」に刻印された音楽は「もはや時間へ支配されるのでなく、時間を自らのなかにもつ」、という哲学的解釈があってはじめて、ズルツァ−のリズム理論が古典的美学になるからである。シェリングが、のちのハンスリックと同じように、リズムに基礎づけられた形式を強調するにつれて支配的な感情美学から遠ざかるのは、偶然ではない。音楽によって表現され、喚起されるアフェクトから「リズムを考察することで抽象化されるわけで、リズムの美は素材的ではなく、音が即自的、対自的に備えているようなただの自然的な感涙を必要とせず、絶対的に快い魂、そしてそのことへ開かれた魂を魅了する。」

 一八世紀の音楽美学は、音楽一般を話題にするときにも声楽の美学、すなわちオペラの美学、まれにはリ−トや教会音楽の美学であった。器楽が美的反省の対象になったのは、−口うるさい素人の関心を早くから集めていた序曲をのぞくと−ようやく世紀の終りになってから、つまりハイドンの交響曲と弦楽四重奏曲の評判が理論のパラダイム転換を強いるようになってからである。

 個々の部分、すなわち既に聞こえたものを−影のようなものであったにしても−想像のなかでしっかり保ち、形式という全体へまとめることは、器楽の場合と違って、声楽では、美学的にそれほど有意味ではない。アリアやリ−トを聴くときには、むしろ、音楽の細部をそれが機能する文脈から独立させて、それ自身で作用させる。表出的な瞬間が帰属する関連体系はテクストであり、全体を包む形式ではない。形式はもちろん存在するが、通常ほとんど知覚されない。反対に器楽では、テクストという結合モメントがないので、表出的な細部へ破砕する断片的な聴き方が許されず、不適切である。形式の知覚は、オペラでは無視され得るし、それでも美的欠陥と思う必要がないのだが、交響曲や弦楽四重奏では−鳴り響く断片化による不快感やアモルフな混乱にさらされたくなければ−不可避的に成立すべきである。フレ−ズをペリオ−デへまとめること、あとの動機を前のもののヴァリアントと認識すること、調の移動と回帰にシンメトリ−を感じること、これらは器楽において、作品の芸術性格に適した美的知覚の条件になる。受動的な聴取が能動的な聴取へ解消されることは、一九世紀後半の最も重要な音楽理論家であったフ−ゴ・リ−マンが繰り返し強調したとおりである。(ただし彼も、自分の美学を音楽一般の理論と考えており、古典的・ロマン的器楽の美学だったことを意識していなかったのだが。)

 クリスティアン・ゴットフリ−ト・ケルナ−が交響曲の美的経験に触発されて、音楽を自己完結した全体としての芸術作品知覚の典型として引用したのは、偶然ではない。ケルナ−は一七九六年一二月一七日にゲ−テへ書いている。「私が芸術作品の全体をつかもうといつも努力しているのは、おそらく私が音楽を愛してしまったからです。偉大なマイスタ−の交響曲は、ただ受苦的に振舞い、個々の音で耳をくすぐらせると、まことに散漫な娯楽しか与えません。交響曲では、バラバラに与えられたものをまとめて聴かねばなりませんし、それこそが、豊かな作品に適した活動です。このことを訓練によって身につけた者は、別の種類の芸術作品でも、それが大きな規模をもつときには、そこに統一を見いだすのです。」

 能動的で統合的な聴取をケルナ−は求めたが、これはしかしユ−トピア的であり、ほとんど成就し得ない要求である。器楽が、一八世紀に普通であったように一回しか演奏されず、反復によって徐々に理解するという可能性がなかった頃には。シラ−は、カントに同意して音楽を「ただ移ろいゆくだけ」と感じ、想像のなかで過ぎ去った部分が時間を越えた全体を組み立てることを認識しなかったのだが、彼の音楽経験の限界を責めるだけでなく、外的な事情を責めるべきである。器楽の形式を理解するには、どうしても反復演奏が常識になっていなければならない。

 シラ−が『人間の美的教育をめぐる書簡』第二二書簡で音楽が「形態にならねばなりません」と語ったとき、彼は自分の美的経験を定式化したが、その可能性を予見しなかった。ひとつの作品を繰り返し聴くと、まるで部分の空間的な秩序が聴き手の眼前にあるような経験をする。前楽節と後楽節の相互補完、主題や動機の間の関連の網、論理や対比から組み立てられた調設計、これらが音楽と建築の類比を納得させるイメ−ジを生み出す。ただし、鳴り響くプロセスを一覧できる構造へ固定することは、音楽知覚が達成できる最終段階ではない。もしそうだとすれば、音楽分析(それはいつも空間化から出発する)が美的経験の総体ということになってしまう。部分間の関連の網が聴き手の眼前へ始めから成立していると、関連が徐々に織りあげられるプロセス(そこには、物語の歩みのように迂回やだましが含まれている)への息詰まる注目は、少なくとも部分的に解消される。器楽の美的経験が適切であるためには、形式の理解は、構造をほとんど一瞥で把握することができるようになってから、こうした構造意識を背景として、もう一度本来のプロセス知覚へ、つまり不意打ち、曖昧さ、不確実さを含むプロセス知覚へ戻ろうと努めなければならない。こうした要求に潜む「第二の直接性」の理念は、逆説的と思えるかもしれない。しかしそれは不可避である。なぜなら形式は、古典的・ロマン的器楽のおいて、一覧してつかまれるべき構造であると同時に、進行することへの緊張を本質とするプロセスだからである。


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