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カール・ダールハウス『古典的・ロマン的音楽美学』

「主観的一般性」と公論

 音楽美学の歴史では、エポックが輪郭のはっきりした原理(思考の基礎になり、そこからつぎつぎ帰結が引き出されるような)で区切られるのではなく、むしろ開かれて解決できない(ことが最後になってわかる)諸問題に特徴づけられる。諸問題の理論と発展は、あとから振り返ると弁証法的プロセスにみえるが、「生前」には、薮のように雑然としている。啓蒙の音楽美学と呼べるのはどのようなイメ−ジかということは、さしあたり不明瞭である。だが美的判断を不安に駆り立てる基本的ジレンマは明確に素描できるし、それを無理なく単純な定式にまとめることができる。すなわち一八世紀には、公論(それは精神的な力になったが揺れ動いている)と芸術規則(それは事象の自然に基礎づけられているので、変化しないと信じられた)の関係がいつも不安定であった。

 一七世紀の宮廷文化では委嘱者と芸術家が社会的役割において対立したが、両者の関係に本質的には問題がなかった。作品が果たすべき目的は委嘱者に決められ、芸術家が異義を唱えたり、単なるきっかけとみなすことはできなかったが、他方で目的を達成するための音楽の手段は作曲家の問題であり、委嘱者の出る幕はなかった。愛好家であった皇帝レオポルト一世が音楽の遂行や作曲技術の判断から追い出されているたと思ったのは偶然ではない。

 「厳格書法」の規則(それは「自由書法」へ解消されるのではなく、それを認可するチェックポイントであった)は、ヨハン・ヨゼフ・フックスによると(彼の一七二五年の『グラドゥス・アド・パルナッスム』は、ヨ−ロッパの音楽史において最も成功した教科書であったといっても過言ではない)、事象の自然、つまり神がこしらえた自然に基礎づけられる。「近年で作曲家のなかに次のような者たちが出現するようになった。彼らは、新しい快い趣味だと思うもので、協和と不協和の普通の用法から逸脱し、作曲のあらゆる規則、法則を覆して捨て去り、新しいものを神が授けた自然へ取り入れる。だが、新しいもものや行使された悟性も、実は理性に基礎づけられる同じ協和や不協和の異なる組み合せに他ならないのである。」フックスは不当に頑固な伝統主義者とみなされたが、新しいものを邪魔しようとしたのではない。ただしフックスによれば、新しいものが自然法則による限界(それは決して狭くない)の内部へ保たれるべきであった。「私は新しいものを発明する努力を罵倒するつもりはなく、むしろそれを称賛する。五〇年も六〇年も着古した服を着ていれば、間違いなく笑われるだろう。同じように、音楽でも時代に合わせるべきである。」歴史的発展を、フックスは流行の単なる交替と考える。歴史は自然と対立する審級ではなく、基盤に触れることのなく表面の変化の総概念である。「だが私が知るかぎり顔を隠す仕立てが流行になったことはないし、足や膝を隠すズボンの話など聞いたことがない。」

 フックスが許容したような流行は芸術規則の妥当性をいささかも限定するものではないわけだが、こうした流行こそ、市民社会の形成過程で美学でも政治でも主役を演じることになった、公論 offentliche Meinung に他ならない。ジョン・ロックの『人間の理解力 をめぐる考察』(一六九〇)において「流行の法則」と「主張や評判の法則」は、匿名の交換可能な表現である。封建的な委嘱者と並んで次第に影響力をもつようになる公論を形成するのは市民社会であり、そこでは個人が美的な適、不適を問うように教えられ、それまで私的な問題であったことを公的な議論できるようにした。ロックが公論の「法則」を語ったことは、美学でも、ロックが直接的な対象とした政治におけるのと同じように字義どおりに受けとめられねばならない。公論(フックスが言う流行)は社会的現実で法則として作用するが、それはその内容に基礎づけられるのではなく、単にそれはそういうものだからであり、そこに市民の確信が集約されている。公論はいわば肯定されるべき権利であり、それが自然権に適合するかどうかと無関係である。ロックは、流行の法則が一般に自然の法則と一致すると確信したが、公論の妥当性にとって本質的なのは、それがまさに現存することであり、その内容の合理性ではない。

 「理性化された私人公衆」としての市民社会が担う公論には、一八世紀に次第に浸透する美的正当性があるわけで、啓蒙の美学を一面的に法則詩学として記述して、それが多感主義に苛まれ、疾風怒涛で崩壊したと考えるのは不十分である。芸術規則は自然所与と考えられたが、こうした芸術規則と流行の法則ないし公論は、むしろ一八世紀には競合する審級であり、両者の不安定な関係こそがエポックの根本問題であった。そして一般に妥当する原則にではなく、共有された諸問題にこそ、既に述べたように、ひとつのエポックの対立する諸傾向の内的まとまりが基礎づけられる。

 公論は一八世紀に自明の力になったわけだが、こうした公論の特徴はそこで無教養な者、ディレッタントが支配的なことであった。(ただし一八世紀や一九世紀前半にはディレッタントが社会的カテゴリ−であって、音楽を実践するが職業とはしない者を意味し、彼がメチエを良く身につけているかどうかは関係なかった。)音楽批評が一九世紀の終わりまで基本的に音楽の素人である法律家、神学者、文学者などの仕事だったことは、技術的判断と美的判断が別だと思われていた証拠である。技術的判断は専門家の問題だが、美的判断に依拠するのが公論だと思われていたわけで、音楽の素人は公論の語り手として批評家の役目を果たしていた。(シュ−マン、ベルリオ−ズ、フ−ゴ・ヴォルフなどの作曲家が批評を書くときには、彼らは様式的にも、判断のやり方や根拠づけでも専門を隠す傾向にあった。)

 素人の判断が一八世紀に影響力を獲得し、素人は委嘱者の権威を次第に押し退けたわけだが、こうした素人を、ヨハン・ゲオルク・ズルツァ−は『美しい諸芸術の一般理論』で−ちょうどカ−ル・フィリップ・エマニエル・バッハがソナタ集でそうしたのと同じように−「通」と「愛好家」に分類した。ズルツァ−が出発点とした「基本法」は、「芸術の固有の価値は、芸術の外にある」というものであった。この逆説的、ないし逆説めいた主張は、芸術の技術的モメントより美的モメントが決定的だということを意味した。ただし、「芸術」の語をズルツァ−はまだ伝統的語用法と近代的確信(「ポエジ−的部分」こそが芸術の本質だという確信)の間で混乱させている。「芸術家は、彼が同時に通ではないときには(芸術家は常に通だとはかぎらない)、機械的なものを判断する。それは、本来の芸術だけに属している。」つまり、芸術家の判断は「芸術の規則」を基礎にする。一方、「通は芸術の外のものを判断する。それは芸術家が事象を選択する趣味の判断である。通の判断力はものの価値を見極める。創造の意図における十全な天才を見極めるのである。」ズルツァ−が通−そして通であるかぎりでの芸術家−にのみ質(芸術家が芸術家であるためには自在に用いなければならない質)の判断を許したことは、素人判断へ党派的に加担していることの兆候と思えるかもしれない。だがズルツァ−の観察、つまり芸術家が美的基準より技術的基準から出発するきらいがある、という観察はまったく適切である。

 技術的判断をズルツァ−は背後へ押しやる。そして芸術判断を美的判断へ転換するとき、芸術概念の読み換えが、専門家(「芸術家」)から素人(「通」)への判断能力の移転と連動する。「芸術の技術的欠陥を[通は]不完全だと認識するが、こうした欠陥は作品の力のより高度な完成ほど重要ではない。」ズルツァ−が「作品の力」と考えたのは、「諸芸術」への形容詞が示すように「感覚的形式」の強調であり、それを通じて、芸術的な弁論や建築が芸術を欠いたそれと区別される。ズルツァ−の芸術概念は、−カントの『判断力批判』が到達した美的反省の発展段階からみると−俗物的である。「人間に必要なあらゆるものを美しくすること」が「美しい諸芸術の本質」とみなされている。つまりズルツァ−がその独自のイメ−ジを築いたような「通」は、芸術作品が「必要なもの」であるかぎり、常に、それが果たすべき目的から出発する。芸術判断は、言い換えると、「そのものがそうであるべき」概念から始まる。ところがズルツァ−が芸術判断の実体と考えた「目的の規定性」とは、まさしくカントが美的判断から排除したモメントであった。「趣味判断は、完全の概念と無関係である。」

 ズルツァ−が通の仕事と書いたものは、カントにしてみれば美的判断に属さない。「彼[ズルツァ−的な通]はあるがままの作品を、それがその本性にしたがってあるべきものと比較して、それがどの程度完全に近いか規定する。」カントはこれと正反対の傾向にあるように思われ、美的判断を−「そのものがそうであるべき」概念なしに−もっぱら快、不快に基礎づける。それはズルツァ−の理論では、単なる愛好家(通より低級な発展段階にある素人)の反応形式である。愛好家は「芸術の作用だけを感じる。彼は作品に快を覚えるだけであり、作品を楽しむことにしか興味がない。」

 フックスが神に由来する自然法則の地位を主張した「機械的な部分」を、ズルツァ−は「ポエジ−的部分」の下へ格下げした。そして芸術判断のかかわる対象が変化するとともに芸術概念が変容し、一義的な判断審級が芸術家から素人(正確に言えば、通を主たる発言者とする公論)へ移転した。通(ズルツァ−の理論におけるような)の判断は、公論が流行にさらされて動揺するのに抵抗して、芸術作品が果たすべき目的を後ろ盾にする。(音楽の意義は、ズルツァ−によると「情念を動かすこと」である。)しかしカントのように、愛好家の立場から美的判断をもっぱら快、不快で基礎づけると、芸術家にとっての芸術規則や通にとっての「ものがそうであるべき」概念のような客観的審級がなくなる。

 カントは美学理論を愛好家の立場から草案して、美と醜に関する判断の一般妥当性を求めたが、一方でものの概念に支えられた論理的一般性を排し、同様に、終わりのないアンケ−トで示される経験的一般性を排した。「それ[美的判断の必然性]は、経験の一般性(対象の美についての判断があまねく明晰であること)から結論される。経験は見通し難いほど多くの証拠を産出するだろうから、というだけではなく、経験的判断は美的判断の必然性の概念を基礎づけないからでもある。」

 つまりカントは、美的判断を主観性へ帰するのだが、一方で美についての判断に(快適についての判断と違って)一般性の要求を掲げ続ける。彼は、解釈学哲学の信奉者と同じように、言語の実体性を信じる。つまり彼が頼りにするのは、それが「私にとって快適だ」と語るのは普通だが、「この対象が私にとって美しい」と語るのは「滑稽だ」ということである。主観的一般性は、カントが見抜いたと信じたように、「押しつけ Ansinnen」 の性格をもつ。「趣味判断そのものは、万人の同意を求めるわけではない(同意を求めるのは、理由を引き合いにだせる論理的判断だけである)。趣味判断は万人に同意を押しつけるだけである。」「他者の参与を期待する」ことの証明は、カントによると、美を直観するときの快の「無私無欲 Interesselosigkeit」である。美は「私利私欲を廃してinteresselos」直観される。カントが啓蒙の精神で確信したところによると、人間の一般性(そこに「主観的一般性」の実体がある)は、部分的な目的と関心を撤回するにつれて姿を現す。美についての判断が掲げる一般性の要求は、主観的であるにもかかわらず、個々人の感覚の偶然性を捨象しても消失しない。「こうしたことが起こるのは、自分の判断を他者の判断とともに現実的だとみなすのではなく可能的判断とみなしており、我々自身の判断に偶然的に付着する限定を捨象して他の誰かの判断と置き換えることによる。」カントが「他者の現実的判断」を無視して「可能的判断」だけと戯れるのは奇妙だし、啓蒙の伝統と矛盾する。啓蒙に期待されるのは、「一般的で平等な理性」を−しばしば非常に忍耐強い−批判の対話プロセスから発見すること、つまり市民社会の公衆へ参集した「理性化された私人」の間で格闘することなのだから。カントは、個々人の偶然性から人間の一般性へたどりつこうとする際、公的な対話より主観の自己反省を信頼し、自分の判断に逃げ込むために他者の可能的判断を遠ざける。

 主観的一般性は、カントによれば統整的理念である。「美的判断で考えられる必然性」は「例示的でしかない」。それは、「万人をひとつの判断へ同意させる必然性と考えられるわけで、さしずめ、そのものを明示できないような一般規則の例だと考えればいいだろう」。「一般の声は理念でしかない」。だがカントの考える理念には、定式化できないが規則があり、個々の美的判断が例としてこの規則と結びつけられるわけで、それは「共同体的な感官の理念」、「共通感官 sensus communis」の理念である。その場合、「感官」の語は「真理の感覚、正義と正当の感覚」だと考えればいいだろう。

 「主観的一般性」の可能性を基礎づけようとする議論は、デイヴィッド・ヒュ−ムの随想『趣味の基準について』(一七五七)の基本特徴を想起させる。ヒュ−ムは、のちのカントと同じように(言葉はより単純だが)、次のイメ−ジから出発する。すなわち、美的判断の主観性はいわば「うわべの構造」であり、自然感情を表出する過程に横たわる「私利私欲」その他の障害を捨象すると、人間の一般性という「深層の構造」へ達することができる。私は、「できるだけ自分の個性と自分特有の状況を忘れて、人間として一般的に直観」せねばならない。「芸術の一般規則は人間の本性の一般的感情を経験し、観察することだけに基礎づけられているのだが、我々は、人間の感覚がいつもこの規則と一致していると考えてはならない。精神のこのように微妙な高ぶりは極めて繊細かつ過敏な性質をもつので、無数の好条件がそろう必要がある。そうすれば、阻害されない戯れが成り立ち、その戯れは一般的に妥当する原則と正確に合致する。」換言すると、人間の本性が「主観的一般性」の可能性の根拠だが、それはほとんどの場合に先入観に覆われているので、なかなか日の目をみない。

 カントの思考の歩みが根本的に新しいのは、『判断力批判』で「共通感官」が基礎づけられた、もしくは必要とされたことである。この議論の論理的出発点は、事象の存在が前提の存在を含み、それなしには事象が成り立たないということである。「だが認識が伝達されるのだとすると、心の状態ないし認識へ向かうような認識力の調律、さらには表象(それを通じて我々に対象が与えられるような)にふさわしい認識力の比率が、認識を成り立たせるために伝達されるはずである。認識の主観的条件となるこうした調律や比率を欠くと、認識が作用できないだろうからである。」「比率を保った調律」ないし「認識力の戯れ」(それは認識の「形式的合目的性」を含むが、内容的目的である認識には到達しない)にこそ美的判断の実体がある。そして「認識が真摯に」一般妥当性を要求してよいとすれば、同じことは、認識に不可欠の前提である「認識力の戯れ」にも通用する。ただし美的判断では、それが目的に到達する手前、「目的を欠いた合目的性」へ立ち止まる。

 つまり「主観的一般性」は『判断力批判』の中心であり、その周囲に美をめぐる美的判断のその他の規定、「目的を欠いた合目的性」と「快感情の無私無欲」が取り巻く。美的判断は公論に揺るがされるが、確実さに達するべきである。かつて芸術規則が事象の自然に基礎づけられているという確信が確実であったように。


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