仕事の記録と日記

白石知雄

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2004年09月30日

京都新聞トマト倶楽部の「京響コンサート」(京都コンサートホール)。京響とユベール・スダーン、待望の初共演。チャイコフスキー「ピアノ協奏曲」(独奏:三船優子)、ベートーヴェン「交響曲第7番」という、弾き慣れた曲とはいえ、画期的に充実した演奏だったと思います。

ひとつひとつのリズムや和声の輪郭がくっきりしていて、それが受け渡されたり、別のものと付き合わされたりすることが、すべて、出来事・事件として経験できる、清潔な演奏。ああ、これが音楽だな、と本当に久しぶりに、そう思いました。

ベートーヴェンの第2楽章などは、まだ未整理なところも残っていました。スダーン氏に、今度は定期演奏会で、じっくり作り込んだ演奏を聞かせて欲しいです。

2004年09月28日

川久保陽紀ヴァイオリン・リサイタル(京都府立文化芸術会館)。なんとなく、影のない五嶋みどりという印象を受けました。茶目っ気のあるドビュッシーのソナタ(ピアノ:江口玲)は、見事な演奏だったと思います。ただ、表情豊かではあるものの、甘いヴィブラートや表情豊かなルバートなど、往年のヴィルトゥオーソの演奏を、現代の緻密な演奏技術で精巧にシミュレートしているように聞こえました。(最初は面白いのだけれど、手の内が読めてしまう。)また、前半の締めがクライスラーの小品で、そのあと、休憩後にグリーグのソナタというのは、デザートの後にもう一皿続くような、ちょっとシンドイな曲順でした。

2004年09月26日

午後、吉田恭子「オードリー・ヘップバーンの思い出」(神戸新聞松方ホール)。前半は、スライドをバックに、中井美穂の語りが入り、いわば、その「間」に演奏する構成(ピアノ、白石光隆)。後半は、出演者三人のトーク・コーナーに続いて、「リサイタル形式」と言いつつ、曲の解説をしてから演奏するというスタイル(ベートーヴェン「ヴァイオリンソナタ」第7番は第1楽章のみ、他に、ロッシーニ=テデスコ「フィガロ・パラフレーズ」、シマノフスキー「夜想曲とタランテラ」)。アンコールも、中井美穂の司会があってから演奏に入る形。徹底して、「堅苦しい音楽鑑賞」を避けて、お客さんを構えさせまいとする進行になっていました。でも、演奏は、質が高く、選曲も、G線のメロディ(フォスター「金髪のジョニー」)、ショウピース(ヴィニアフスキー)、コン・ソルディーノの歌(ショパン「ノクターン嬰ハ短調」遺作)など、ヴァイオリンの様々な効果を聞かせることができるように工夫されていて、完成度の高いパッケージだと思いました。全国各地のホールにお薦めできる、良い商品なのではないでしょうか。

ただ、「営業」を越えて取り組んでおられるのがわかるだけに、こういう「おしゃれで気軽にクラシック」路線が、今後も、市場として存続していくのか、ここまで真剣に肩入れして大丈夫なのか、他人事ながら、心配な気もしました。どこかで、伝統的なスタイルに比重を移す時がくるのでしょうか。それでも、やっていけるだけの力のある人だとは思いますが……。(やや派手めの音で、メロディを歌わせるのがとても巧みだけれど、クライスラー「愛の喜び」など、タイミングの取り方が微妙で難しいところは、安全志向で、本気の勝負はしていない感じ。)

2004年09月25日

午後、山口博明ピアノ・リサイタル(京都府立府民ホール・アルティ)。オール・ブラームス。ぎりぎりまで自宅で原稿を書いていたので、前半のソナタ第1番と2つのバラードは、聞くことができませんでした。後半の小品集op.117、118は、もやのようにぼかした響きの中から、メロディが浮かび上がるスタイル。ベーゼンドルファーの深い音を上手に活かしていると思いました。とはいえ、ぼかしているのか、楽器が鳴りきっていないのか、境目は微妙。ブラームスのMeditationは、無我の境地のようなものではなく、パトスを欠いてはいるにしても、覚醒した意識で、思索の糸をたぐり続けている(=ポリフォニーをつむぎつづけている)状態なのではないか、という気がします。

夜、中村美生子ピアノリサイタル(イシハラホール)。こちらは、ヤマハのピアノを使って、ベートーヴェン「告別」、リスト「ペトラルカのソネット」、ショパン「ソナタ第3番」など。

2004年09月24日

古川展生チェロ・リサイタル(京都府立府民ホール・アルティ)。今年で18回目になるという京都芸術祭の一環。古川由美のピアノで、一種の「里帰り公演」ということだと思います。軽く、深入りせず、フットワーク良く(バッハ「無伴奏チェロ組曲第3番」、シューベルト「アルペジオーネ・ソナタ」)というスタンスは、かえって、一種の足かせになっているような気もしますが、ひとつのスタイルではあるのでしょう。後半は、トークをまじえて、ドヴォルザーク、フォーレから、ビリー・ジョエル、ピアソラを経てカサド「親愛なる言葉」。アンコールを「鳥の歌」で締めるところまで、「色男」を演じ切るステージ。

2004年09月23日

午後、オーケストラアンサンブル金沢大阪定期(ザ・シンフォニーホール)。体調がすぐれないので、諏訪内晶子が出演した前半だけ聞きました。無菌の真空にあるようなニュートラルな音を、オーケストラになじんで自然に聞かせることができているのは、ひいき目でなく、大変な達成ではないかと思います。曲目は、サン=サーンス「ハバネラ」、アウエルバッハ「ヴァイオリン協奏曲」(委嘱作品)、同「ヴァイオリン、ピアノ、弦楽オーケストラの組曲」。

2004年09月22日

堀正文(ヴァイオリン)、上村昇(チェロ)、江口玲(ピアノ)ジョイントコンサート(イシハラホール)。男三人のピアノトリオは、絵になるものだと思いました(ラヴェル「三重奏曲」)。大公トリオ以後のピアノ三重奏というのは、単なる編成ではなく、一種のステイタス、ソリストが一同に会する晴れ舞台ということなのでしょう。上村さんの飄々として、それなのに決してツボを外さない演奏も、堪能させていただきました(ヘンデル=ハルヴォルセン「ヴァイオリンとチェロのパッサカリア」、黛敏郎「文楽」、コダーイ「ヴァイオリンとチェロの二重奏曲」)。大久保賢氏の(私には絶対に書けない)マッチョで気配りの解説文も、この演奏会にぴったり。およそ2004年の出来事とは思われない、実にイシハラホールらしい企画。

2004年09月21日

ネクスト・マッシュルーム・プロモーション第6回公演「ヴィンコ・グロボカール」(大阪音楽大学ミレニアムホール)。後半の管楽五重奏「ディスコースVIII」が圧倒的に面白かったです。グロボカール=ちょっとダサい特殊奏法の人、という認識を改めねばと思わせる、開放的な音の演劇。一方、前半のソロ(フルート、ホルン、ファゴット、クラリネット、ヴァイオリン)は、案の定、どれも、いまひとつ冴えない感じの曲だったのですが、クラリネット(上田希、「Voix Instrumentalisee」)が、正視に耐えないくらい変態的で、グロテスクでユーモラスな演奏を聞かせてくれました。

2004年09月20日

ディオティマ弦楽四重奏団(栗東芸術文化会館さきら小ホール)。細川俊夫「沈黙の花」(ジャポニズムを散りばめた作者の自作解説は、ちょっと、あざと過ぎる)、バルトーク「弦楽四重奏曲第6番」を読み解いて、生きたアンサンブルに仕上げる手並みは実に鮮やか。一方、ベートーヴェン(弦楽四重奏曲第10番「ハープ」)は、遊びがなく、でずっぱりの印象で、ちょっと、聞いているのが辛かったです。

2004年09月18日

京響定期演奏会(京都コンサートホール)。伊藤恵のモーツァルト(協奏曲第20番)は、極めてマナーの良い演奏。デリク・イノウエの指揮は、決して無策ではないのだけれど、核心を突くことなく、空回りしている印象でした。曲目は、ブルックナー「交響曲第9番」。

2004年09月17日

大阪シンフォニカー定期演奏会(ザ・シンフォニーホール)。寺岡満高の正式者就任披露。マーラー「交響曲第1番」は、やや響きを刈り込んで、「管理」しすぎのようにも思いましたが、よくまとまって、新生シンフォニカーを印象づける演奏ということになるかと思います。豊嶋泰嗣の独奏(R・シュトラウス「ヴァイオリン協奏曲」)は、押し出しの良いコンマスぶりとは違って、かなり不安定な出来映えでした。

2004年09月12日

22世紀クラブの900円コンサート・シリーズ、今回は「渡辺玲子と仲間たち」(京都府立府民ホール・アルティ)。鈴木大介(ギター)、中川愛(フルート)、バッハ「シャコンヌ」、パガニーニのギター伴奏の小品、ソーヴァンディ「夢」、久留智之「地上にひとつの場所を」(委嘱作品)、ピアソラ「タンゴの歴史」など、プログラムは、とても凝った内容。いずれも、非常に真面目に取り組まれていたのですが、そのせいで、かえって、不自由で、伝わりにくい演奏になっているように思いました。

2004年09月11日

午後、ニューヨーク・ハーレムシアターのガーシュイン「ポーギーとベス」(びわ湖ホール)。2幕に再編集した版。演出や編成はオペラ級だけれど、ロングランの巡回公演というスタイルは、ミュージカルのキャラバン風。「真のガーシュイン」といった売り方をしない方が、むしろ、自然に受け入れられたのではないか、という気がしました。ヤマっ気のあるキワモノでもないし、原典主義的な野心があるわけでもない、良い意味で「普通の」興行なのに……。

2004年09月10日

稲垣聡(ピアノ)と宮本妥子(パーカッション)が主催する「びわ湖の夏 現代音楽祭」の第4回、アテネ・オリンピックにちなんだクセナキス特集(しがぎんホール)。ルポン(パーカッション)、ヘルマ(ピアノ)、特殊奏法のサンプル集のような「チェロとクラリネットのカリスマ」、カロゲラスのオペラ「カッサンドラ」抜粋(シンプルながら喚起的な所作つき)など。かなり特殊な曲が、会場では、ごく自然に受け止められていて、良いお客さんがついているのだなと、感心しました。

2004年09月09日

韓カヤ・ピアノリサイタル(いずみホール)。ブラームスの晩年小品(op.119-1,116-4、できれば、まとめて聞きたかった)とシューベルトのハ短調ソナタD958は、ゆったり間を取って、楽器が最良に響く状態で作る陰影の深い音楽でした。シューマン「謝肉祭」は、見栄や甘い抒情を入り込ませない、気っ風のよい演奏。崔明薫「ジャタカ」は、多くの作曲家が試みるように「内部」奏法で内側に籠もるのではなく、ピアニストが打つ鐘や、ペダルを踏む足音で、ピアノ音楽を「外」に開こうとするところが、新鮮でした。ただ、今回の演奏は、鐘を持ち替えたりする動作が、やや、せわしなく見えました。音楽に同調して、所作が安定したら、さらに面白く聴ける曲だったのではないかと思いました。

2004年09月07日

午後、大阪文化祭の打ち合わせ(ドーンセンター)。

夜、台風の中、西岡まり子パーカッション(デビュー)リサイタルへ(京都府立府民ホール・アルティ)。やや力みが残る感じで、強い音が抜けきらない印象はありましたが、ポリリズムでも頑として崩れないリズム・テンポ感のしっかりした演奏(高橋悠治「襞」、クセナキス「プサッファ」など)。ゲストで、山口恭範、吉原すみれが出演。西岡とのデュオ(シュークル「ワク・ワク」)で、一瞬でしたが、吉原すみれの、往年のヒョウのように敏捷な動きを見ることができました。

2004年09月05日

午後、フルートの大嶋義実が案内役になって、ボヘミアの室内楽をたどるシリーズの第2回(栗東芸術文化会館さきら小ホール)。ヤロスラフ・トゥーマ(フォルテピアノ)との共演で、アントニン・レイハ(ベートーヴェンの友人でベルリオーズ、リストの師)がプログラムの中心でしたが、冒頭のトマシェク「エクローグ」が、特に素晴らしい演奏でした。ピアニストが自分自身のために弾くというスタイルは、まさに「抒情小品」。即興的なヴァリアントも自然で、オルガンのストップを切り替えるように(トゥーマは教会のオルガン奏者)、ここという時にソフトペダルやウナ・コルダを使うセンスも絶妙でした。

2004年09月03日

江黒真弓フォルテピアノ・リサイタル(バロックザール)。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンをシュタインで弾き、反復の際に即興を加える等々、真面目で律儀な演奏でしたが、時代様式を「守る」意識が強すぎて、袋小路に入り込んでいる気がしました。

たとえば、楽譜を置いて弾く、というのも、確かに、当時の習慣にかなったことですが、この人の場合、ページをめくるタイミングまで、「練習しただろう」と思わせる、ねらい澄ました鮮やかな手さばき(まるで、競技百人一首みたい!)。それは違うだろう、と思ってしまいました。

演奏会評の記録を更新。『京都新聞』8/6夕刊に、びわ湖ホールのオペラ「ジプシー男爵」の批評を書きました。

2004年09月02日

京都コンサートホール小ホールのモーツァルト・ツィクルス・シリーズ第3回。迫昭嘉(指揮、ピアノ)と京響。モーツァルトのピアノ協奏曲(第17番)は、ピアノの弾き振りというスタイルがしっくり来ると改めて思いました。(ピアノは、独立したパートというより、アンサンブルの一部である箇所が多いので。)

ただし、オーケストラの編成は、もっと小さくても良い気がします。また、迫の指揮は、神経質なまでに、音の立ち上がり(を揃えること)にこだわって、結果的に、オーケストラの音が、極端に硬く強いなってしまっていました。ピアノを弾くときの打鍵の瞬間にこだわる発想そのままで、指揮しているような印象。オーケストラの音作りは、アインザッツだけで決まるものではないと思いますし、実は、ピアノ演奏も、彼が考えるほど、打鍵の瞬間がすべてではない、と思うのですが……。

曲目は、他に、セレナードK239、「プラハ」交響曲など。


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by 白石知雄 (Tomoo Shiraishi: tsiraisi@osk3.3web.ne.jp)