仕事の記録と日記

白石知雄

■日記 > 過去の日記

2004年5月29日(土)

午後、テノール、サルヴァトーレ・コルテッラのイタリア歌曲(京都府立府民ホール・アルティ)。歌い出しの第一声で詩の世界へ引き入れてしまう歌唱力、船橋美穂の極上のソファのようにそれをふんわりと受け止めるピアノ。努力でコツコツとポイントを積み重ねる偏差値的な優秀さとは無縁の、音楽的聡明さだと思いました。本当に幸福なひとときでした。


2004年5月28日(金)

大阪フィル定期(ザ・シンフォニーホール)。秋山和慶の指揮で、アイヴズ「ニュー・イングランドの3つの場所」、ストラヴィンスキー「ヴァイオリン協奏曲」(独奏:諏訪内晶子)、R・シュトラウス「ツァラツストラはかく語りき」。よく整った演奏とは思いましたが、今の大フィル、諏訪内晶子だったら、これくらいできて当然、という気がしてしまったのも事実。


2004年5月27日(木)

モザイク・カルテットによるモーツァルトの弦楽四重奏曲「ハイドン・セット」第1、2、6番(京都コンサートホール小ホール)。ピリオド楽器を使って、18世紀の奏法に、ジプシー音楽風の弓さばきや、19世紀風のアゴーギグを重ね合わせるスタイル。過去のスタイルの現在との落差を強調して、過去の「再現」という仮説(フィクション)を目指す、従来の古楽・ピリオド演奏とは、随分、印象が違いました。過去が、それを眺める現在(の私)と切り離し得ないという意識が強いのかな、という気がします。


2004年5月26日(水)

館野泉ピアノリサイタル(いずみホール)。脳梗塞からの復帰リサイタル。バッハ=ブラームス「シャコンヌ」、スクリャービンの作品9など、左手のための作品集になりました。片手だけで弾くことは、あくまで例外的な状態なのか、それとも、ひとつの日常なのか。私は、そういうジャンルがあって良いと思いますが、最終的には、他人がとやかく言えない、ご本人の問題ということになるのでしょうか。


2004年5月25日(火)

大西孝恵チェンバロ・リサイタル(イシハラホール)。ルイ・クープラン、デュフリ、バッハ、武満徹(夢見る雨)など。よく弾いておられるとは思いましたが、速いパッセージなど、楽音というより、チェンバロ特有の音響・音色の塊という風に聞こえてしまうところがあり、特に、古典曲には、不満が残りました。


2004年5月22日(土)

17時からゲルギエフ指揮ロッテルダム・フィルのマーラー第九交響曲(京都コンサートホール)。あとの予定があり、泣く泣く、第1楽章だけで退席。(音盤狂日録などを見ると、後半、さらに凄いことになっていたようですね。)

19時から、サントリー音楽財団コンサートTransmusic、権代敦彦(作曲)+兼古昭彦(ビデオアート)の「死を学び、生を考える音楽」(ザ・シンフォニーホール)。西洋(グレゴリオ聖歌)と東洋(声明)の交点(クロス)に、自作を位置づけるというコンセプトで、演奏会全体が、一種の「作品=典礼」を形成していました。

権代さんは、音楽に先立つトークで、しばしば「迷い」ということを言っておられました。「朝日新聞」(大阪本社、5/27夕刊)の演奏会評で、小味淵彦之さんが「揺れる思い」と形容したのも、その点だろうと思います。

でも、たぶん、例えば、遠藤周作+松村禎三「沈黙」のように、「私」が「あれか、これか」で揺れているわけではないような気がしました。日本人カトリック教徒として生きる覚悟は決っている、という印象。そうでなければ、最後に「夕焼け小焼け」(「山のお寺の鐘が鳴る……」)を、ステンドグラスのように透明なア・カペラ合唱で肯定することは、できないだろうと思います。

もし、迷いや躊躇があるとしたら、それは、こうした「私」の問題を、多くの人を巻き込む形で、相当の経費と労力をかけて、提示することの是非に関するものではないでしょうか。実存の問題というより、社会性や公共性の問題。

時間と手間をかけなければ、展開できないテーマというのは、間違いなく存在するわけで、私は、どんどん、「図々しく」やるべきだと思いました。それは、要点を短時間に集約して示す、という近代演奏会のエートスを離れて、多様な持続の「場」へと、音楽を拡散させることでもあると思います。(だから、小味淵さんの「表現が散漫」という指摘も、私は、ちょっと違う気がしました。)

出演者は、ほとんどが東京の音楽家。権代さんに「図々しく」なってもらうためには、旧知の人たちを揃える必要があった、ということなのでしょうか。兼古氏の、控え目だけれどポイントを突いた照明・映像は、「音楽の典礼」を見守る、庇護者の視線のようでした。


2004年5月20日(木)

阪哲朗指揮、関西フィル定期演奏会(ザ・シンフォニーホール)。ベートーヴェン「皇帝」協奏曲(ピアノ:フランソワ=フレデリック・ギイ)とR. シュトラウス「英雄の生涯」。阪さんは、司令塔。サッカーで言う「創造的なパス」を常に狙っているような気がします。味方が裏へ必死に走りこんで、パスを受けたら、シュートにつながるけれど、チームメートにそれだけの力がないと、結果的に、誰もいないところに蹴り込むミスパスに見えてしまう、リスキーなプレイ。バブアゼ以下の弦楽器は、良い響きを作り、立体的なポリフォニーを組みあげていたと思いますし、木管楽器も健闘。でも、金管は、ここでサイドから一気に駆け上がって欲しい、という時に、味方ゴール前で棒立ち。舞台裏のトランペット以下「闘いの英雄」には、ゴールを狙う覇気や誇りが感じられず、相手守備(評論家筋)を崩すには至らなかったようです。(私は、それなりに楽しく観戦しましたが……。)

ただ、こうした国内のチーム事情はよくわかっているはずなのに、阪さんが、なぜ、海外へ留まらないのか。国内の仕事を増やしているのか。そこは、よくわかりません。


2004年5月19日(水)

コントラルトのナタリー・シュトゥッツマンによる「冬の旅」(いずみホール、ピアノ:インゲル・ゼーデルグレン)。男装して、女性にしては深く、男声よりも柔らかい声で歌うロマン主義歌曲は、カウンターテナーによるバロックオペラと、正確に対角線上にあるような気がしました。モンテヴェルディをドミニク・ヴィスなどが歌うと、密室の実験的な小劇場のような感じになりますが、逆に、どこにも救いのない「冬の旅」の「私」の、ほとんど正視に耐えない苦悶を、フィクションと受け止めることができたのは、シュトゥッツマンの声と男装のおかげのような気がしました。


2004年5月18日(火)

幸田浩子ソプラノ・リサイタル(イシハラホール)。ピアノ(三ツ石潤二)で間奏をつなぎながら、芝居仕立てで「清教徒」、「ホフマン物語」、「ナクソス島のアリアドネ」。オペラが、歌と演技で一夜の夢を見せる芸能だというのを、よくわかっている人という印象でした。(演出には、ゲストのダリオ・ボニッスィ=NHK「イタリア語講座」の人が関わっていた模様)。オペレッタが合っているのかなと思いました。


2004年5月16日(日)

演奏会評の記録を更新。『音楽現代』に、フェニックスホールのレクチャーコンサートのレポートなどを書きました。


2004年5月15日(土)

びわ湖ホール声楽アンサンブル定期(びわ湖ホール小ホール)。本山秀毅の指揮で、シューベルトの独唱歌曲、合唱、メロドラマの組み合わせ。5/9に書いたメッテルニヒ時代の音楽生活の広がりを感じさせる、興味深いプログラムでした。


2004年5月14日(金)

京響定期(京都コンサートホール)。オッコ・カムという指揮者は、80年代にヘルシンキ・フィルと何度か来日した懐しい名前。シベリウス(カレリア序曲と交響曲第2番)は、清潔な演奏でしたが、今の京響を本気にさせるには、やや役不足だったかも。他に、清水和音独奏で、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。

楽曲解説の記録を更新。東京都交響楽団の『月刊都響』に、5月のプロムナードコンサート(音楽監督ベルティーニの事実上のさよなら公演)の解説を書きました。昨秋、ウェーバーの「コンツェルトシュトゥック」について書き、今回は、シューベルトの「未完成」交響曲。この二人の作曲家について、久しぶりに、まとまった文章を書くことになりました。


2004年5月13日(木)

四方恭子と、ケルン放送交響楽団メンバーによる室内楽(イシハラホール)。ボンやケルンで身近な人から音楽を学び、そのまま地元の楽団に入り、合奏を楽しむ幸福な人たち。シューベルトとベートーヴェンの弦楽三重奏曲、ドヴォルザークの最後の弦楽四重奏曲という選曲も通好み。アンコールのハイドン「皇帝」四重奏曲も、素晴しい演奏でした。


2004年5月12日(水)

大谷玲子によるイザイ無伴奏ソナタ全曲演奏会(大阪倶楽部)。力の入った演奏会だったのは、よくわかるのですが、ひとりでどこまでできるか、限界への挑戦、腕試しという雰囲気。ここまでせっぱつまった感じでなく、好きなことをマイペースでやる権利のある人だと思うのですが……。


2004年5月9日(日)

午後、久合田緑(ヴァイオリン)と阿部裕之(ピアノ)によるシューベルト(イシハラホール)。初期の4つのソナタ(ソナチネ)と遺作のロ短調ロンドまでを続けて聴いて、シューベルトが、「私」の独白(リートとピアノ曲)と、公共性(交響曲)の中間にいた人なのだという思いを強くしました。ウェーバーにも、そういうところがあるような気がします。これは、古典(帰属の時代)からロマン主義(ブルジョワの時代)への過渡期と言われる1820年代の音楽に、固有のことなのかもしれません。

シューベルトの周りに、次第に人が集まるようになり(シューベルティアーデ)、ウェーバーも、Harmonische Vereinという音楽家の地域横断的なグループを構想したり、ベルリンやウィーンで、教養市民のサークルにアクセスしていたわけですが、王政復古は、公的生活が空洞化して、一方で、近代的「内面」が未成熟だった時代。そうした、半公開的な領域でのコミュニケーションが、かなり活性化していたのではないか、という気がします。


2004年4月30日(金)その2

ジャン・ギュー・オルガンリサイタル(京都コンサートホール)。前半は、ヘンデル、スカルラッティ、ヴィドール、後半は、謡曲(関根勝)とオルガン即興演奏のコラボレーション。作品の様式や解釈という視点は希薄で、楽譜(や謡曲のテクストと謡)はあくまで素材。ひたすら、唖然とするような多彩な音色を合成しつづけて、耳の快楽に忠実な人でした。

楽曲解説の記録を更新。池田寿美子・永井礼子デュオリサイタルの解説を書きました。



all these contents are written in Japanese
by 白石知雄 (Tomoo Shiraishi: tsiraisi@osk3.3web.ne.jp)