今回の法案は、戦争を放棄した憲法第九条をじゅうりんすることを、大前提にしています。戦争することが最優先だという立場にたって、人権や自由、議会制民主主義、国民主権、地方自治など憲法の民主的な諸原則を踏みにじることを、当然のこととしています。まさに「戦争国家法案」とでもよぶべきものです。
◆戦争のために国民の権利を無視して強制動員する国へ
広範な国民を意思に反して戦争に強制動員することが、法案の基本的な中身です。
法案では、すべての国民に戦争協力の義務のあることが、はっきりと明記されています。とりわけ、保有している土地、家屋等を差し出すこと、自衛隊が使う物資を保管し、提出すること、医療・輸送・建築・土木などの従事者が協力すべきことは、欠かすことのできない義務とされています。
それだけではありません。政府が指定する民間企業も戦争協力が義務づけられます。道路公団や空港公団、JR各社など運輸関係、電力十社やガス会社などのエネルギー関係はもちろん、NHK、NTTなど言論や通信にかかわる企業、日本銀行や日本赤十字社も対象となる予定です。まさに生活の全分野で国民を動員するのです。
しかも法案は、戦争に際しては「自由と権利」に「制限が加えられる」ことを、平然と宣言しています。国民の権利を無視して強制動員しようというのです。
権利の制限は戦争に対処するため「必要最小限」にするといいますが、戦争の必要が大きくなれば、権利の制限も大きくなるということです。どういう人権をどれくらい制限するのか、何の歯止めもありません。
重大なことは、自衛隊が必要とする物資の保管命令に民間人が従わない場合、さらに自衛隊による立ち入り検査を民間人が拒んだ場合、罰則をあたえると明記されたことです。
これは、戦争への非協力、反戦平和の立場にたつことを国家が犯罪だとみなすということです。戦争協力が国民の義務であり、非協力は犯罪だ、これが法案の精神なのです。
◆戦争のためには国会を無視して首相が全権限を行使する
今回の法案は、戦争を効果的に遂行することを最優先に、国の仕組みまで変えようとしています。
法案によれば、戦争に際して有事法制の発動を決定するのが首相ならば、自治体や民間をどのように動員するのかという「対処基本方針」を決定するのも首相です。
この「基本方針」は安全保障会議に諮られますが、その議長は首相であり、「基本方針」にもとづき自治体や民間を統制する「対策本部」の本部長も首相です。文字通り首相に全権を集中する体制がつくられるのです。
動員される側の自治体や民間は、これらの決定と異なる独自の判断をすることは認められず、意見をのべることさえ許されません。国民一人ひとりの生命、権利にかかわることなのに、政府が有無をいわさず強行する仕組みがつくられるのです。
さらに、今回の法案は、それぞれ独立の性格をもっていた国と自治体の関係をも、大きく変えるものです。自治体や公益事業にかかわる民間企業などにたいし、首相の「指示権」なるものを明記し、強制的に従わせようとしています。従わない場合、政府が代わって強制執行し、あくまで戦争遂行を優先させるのです。
今回の法案の以上の条項は、いずれも憲法の平和的、民主的な原則と密接にかかわるものです。しかも、憲法が明示的に否定した戦争遂行のための法案です。政府が独断ですすめてよいようなものではありません。
ところが、法案によれば、首相が「基本方針」を決定するだけで、有事法制は発動されるのです。国権の最高機関であるはずの国会は、事後に、その承認を求められるだけです。国の仕組みが、国会を脇に置いて政府が独断専行する方向へと、大きく変わるのです。
国民を強制動員する問題でも、国の仕組みを変える問題でも、その口実となっているのは、戦争がいちばん大事だという考えです。国民の人権も国会の機能も、戦争を遂行するためには軽くあつかっていいのだというのが、政府・与党の基本思想なのです。戦争放棄の憲法をもつわが国で、戦争することが何よりも優先される、まさに「戦争国家法案」だといわざるをえません。
ひとたびこのような法律がつくられれば、有事にしっかりと発動できるようにすることを目的に、平時から戦争国家体制づくりが開始されることは明白です。
戦時に協力できるか否かで思想チェックがおこなわれる職場づくり、避難訓練のたびに軍事力の大切さが教えられる学校づくり、隣近所で戦時の備えを確かめあう地域づくり――こんな日本をつくらせてよいのでしょうか。