大規模なリストラに反対し、雇用を守る
国民的たたかいをよびかけます
日本共産党中央委員会

2001年9月11日(火)「しんぶん赤旗」

空前のリストラに反対する声をいまこそあげよう

完全失業率がついに史上最悪の5%、330万人にもなりました。“仕事につきたいがとても無理”と求職活動をあきらめているため、統計上は「完全失業者」とはされない人も420万人(総務省調査)います。あわせれば、政府がいう「潜在失業率」は10%を超えており、10人に1人以上が失業者という深刻さです。

最悪の失業率のうえに、空前の“人減らし・リストラの嵐(あらし)”が、いま日本列島を吹き荒れています。

日産自動車、マツダ、いすゞ、三菱自工などで、大量の人減らしがすでに実施されたうえに、東芝18,800人、ソニー17,000人、富士通16,400人など、人減らし計画は、自動車、電機・情報産業の大手30社だけでも16万人というみぞうの規模となっています。

NTTは、50歳以上の労働者11万人を子会社、孫会社に転籍させ、賃金の大幅カットを強行しようとしています。大企業によるリストラは、下請け中小企業など、膨大な中小企業を倒産に追いやり、ここでも大量の失業者をうみだします。

職をなくすということは、たんなる「痛み」などというものではありません。その家族もふくめて生きる糧(かて)を奪われるということです。その結果、みずからいのちをたつ人も、この間、毎年3万人を超え、ホームレスも急増しています。

ところが、最悪の失業率があきらかになったとき、小泉首相は「やむをえない」と冷たくいい放ちました。さらに小泉内閣は、「産業再生法」「会社分割法」によってリストラを応援してきたことにくわえて、中小企業の大量倒産と失業を激増させる「不良債権の早期最終処理」につきすすもうとしています。

これまでも日本は、ヨーロッパなどとくらべて「ルールなき資本主義の国」とよばれてきましたが、このままでは“大企業のもうけのためには、何をやっても許される”という驚くべき国にされてしまいます。

今年は、21世紀最初の年です。この新しい世紀の始まりの年を、大量の失業と大企業による無法なリストラ攻撃が国民、労働者に押しつけられた年として、歴史にきざみつけさせてはなりません。いまこそ、「リストラ反対」「雇用を守れ」「失業者の生活保障を」の声を、日本列島のすみずみからあげていこうではありませんか。

いまリストラ計画を発表している電機各社は、企業が破たんに直面しているわけではなく、将来性のない不況産業でもありません。「IT(情報技術)革命」とうたわれた先端産業であり、日本を代表する優良企業です。

実際、「IT産業は、中長期的には最も成長が期待される分野」(富士通の説明)といわれ、「新たな成長戦略」(同)としてリストラが推進されています。大企業の「成長」のために労働者に犠牲を押しつけるのは企業の身勝手そのものです。

各社は携帯電話、パソコンなどが不振という「半導体不況」を人減らしの理由にしています。しかしこれは、アメリカの「ITバブル」の崩壊や国内の消費落ち込みの中で過剰な設備投資をしてきたことなどに原因があり、責任は経営者にあります。

リストラ攻撃には、何の道理も、根拠もない

いま強行されようとしている大企業のリストラは、「やむにやまれず」などというものではありません。日本の大企業が、この間、内部にため込んだ利益(内部留保)は、大企業427社で102兆円にものぼっています(2000年3月期決算)。

人員整理をしなければ、つぶれてしまうなどといっている大企業は、一つもありません。これまでも、労働者をしぼりあげて巨額の利益をため込んできたうえに、いっそうもうけをあげる体制をつくることにこそ、最大のねらいがあります。

いま「IT不況」などといわれていますが、大リストラ計画をうちだしている企業は、ついこの前まで、「ITバブル」をおう歌し、過去最高水準のもうけをあげ、“これからはITこそ成長分野”と豪語してきた大企業ばかりです。

それが、見込み違いになったからといって、みずからの経営責任はないがしろにして、そのツケを労働者と下請け中小企業に押しつけ、リストラ・人減らしをおこなうなどというのは、大企業の雇用責任と経営陣の経営責任を放棄した無責任のきわみといわなければなりません。

雇用を守るために、経営者としても最大限の努力をする、経営上の都合による解雇は最後の手段――これは近代社会のなかで確立してきたルールです。

ヨーロッパでは、解雇制限法など法的なルールを確立してきました。日本は、「ルールなき資本主義」といわれてきましたが、それでも裁判の判例で、経営上の都合による解雇は、企業が維持できず、解雇回避の努力がつくされた時などに限定されてきました。

また、「終身雇用制」という暗黙の了解があったことも事実です。
ところが、いまの日本では、ヨーロッパ並みのルールがないうえに、「終身雇用制」「年功序列賃金」などの日本型の雇用慣行さえ投げ捨てられ、まったくのノン・ルール状態になっています。

「解雇は最後の手段」どころか、「まずリストラ・人減らし」というほどに経営の道義も崩壊しています。

日本で過剰なのは、雇用ではなく、労働時間

「雇用が過剰だから、リストラも仕方がない」という議論がありますが、これもまったく通用しないいい分です。過剰なのは、「サービス残業」まではびこる労働時間です。

電機産業を例にとると、ドイツの電機産業における労働時間は、年間1,600時間です。ところが、日本の場合には、2,100時間と500時間も多くなっています。そのうえ、サービス残業がはびこっています。

「サービス残業」をなくし、労働時間の短縮に踏み込むなら、雇用は「過剰」どころか「不足」することにさえなるのです。

今年8月31日、国連の経済・社会委員会が、「委員会は、締約国(日本)が、公共・民間部門双方において過剰な労働時間を許していることにたいし、深い懸念を表明する」と指摘したうえで、「労働時間を短縮するよう勧告する」という、勧告書を提出しました。

日本の労働時間の長さは、国連でも問題になり、その是正がもとめられているのです。さらに、同委員会は、45歳以上の労働者が減給や一時解雇の危険にさらされていることへも「懸念」を表明し、その是正をもとめています。

日本ほど横暴勝手な首切り・リストラがまかり通っている国はない

首切り・リストラが、日本ほど横暴・勝手におこなわれている国は、世界の主要国にはありません。

ヨーロッパの多くの国々には、解雇制限法があります。さらに、今年6月には、EU(ヨーロッパ連合)が、雇用にたいする大企業の社会的責任をきびしく問うための、「一般労使協議指令」について、閣僚理事会で合意しました。

この合意は、大企業が従業員の再配置や工場閉鎖にともなう大量解雇をおこなおうとする際、事前に労働者・労働組合に情報を提供し、労働者・労働組合との合意を目的とした事前協議を義務づけたものです。

ヨーロッパでは、大企業によるリストラにたいして、各国で大きな反対の運動がおこり、雇用を守るルールをつくりあげてきたのです。

よくリストラを強行する理由づけに、「国際競争力の強化」ということがいわれますが、労働時間や雇用を守るルールなど、日本の労働条件をまず国際水準に引き上げることこそ急務となっています。

日本社会と経済のまともな発展にとっても国民的意義をもったたたかい

はげしいリストラで打撃を受けるのは、労働者だけではありません。下請け中小企業や関連企業はいうまでもなく、地域経済や自治体にも重大な影響をあたえます。

“懸命に働いても容赦なく解雇される”、こんな社会がどうして健全だといえるでしょうか。高校、大学を卒業しても、働く場所がない青年の多くが、「自分は日本社会で必要とされていないのか」と思わざるをえないような状態におかれています。

こんな現状を放置して、子どもたちが将来にあかるい希望を見いだすことができるでしょうか。高い失業率や無法なリストラは、社会不安を拡大させています。

日本経済のまともな発展にとっても、リストラ競争は大きな被害をあたえています。リストラをした大企業は、ごく一時的には人件費を削減することにより、利益をあげることができるかもしれません。しかし、多くの大企業がリストラ競争をすればどうなるでしょう。

リストラは、失業者を増やし、国民の所得を減らします。その結果、日本経済の六割を占めている家計の消費は落ち込みます。結局、大企業の製品も売れなくなり、不況に拍車をかけるだけです。

この誤りは、失業の増大と所得の落ち込み、個人消費の冷え込みによって、出口が見えなくなっている、いまの大不況がなによりも雄弁に物語っているではありませんか。

もともと資源のとぼしい日本にとって、まじめに働く国民こそが最大の宝であったはずです。これを粗末にして、どうして将来の安定的な発展があるでしょうか。

小泉内閣は、経済の「非効率な部門」をなくすとして、「構造改革」をすすめようとしていますが、中小企業を無理やり倒産させ、大量の労働者を解雇し、失業を放置することこそ、日本経済にとって、最大の非効率、最大の損失といわなければなりません。

いま無法で、無謀なリストラ攻撃に反対し、これを打ち破ることは、暮らしを守るだけではありません。日本社会と日本経済の健全な発展にとっても不可欠なのです。

政府と大企業が、その責任をはたすよう、全国の職場から、自治体から、声をあげ、たたかいの輪をひろげよう

世界でも、日本でも、労働者の権利は、たたかいのなかで勝ち取られてきました。EUにおけるリストラ・解雇制限法や労働時間の短縮法制など雇用を守るルールは、労働者・国民のたたかいによって実現したのです。

いま日本でやられようとしているリストラが、もしヨーロッパでおこなわれようとしたなら、間違いなく国民的な大闘争になるでしょう。それほど、異常で、悪らつなものなのです。これを黙って見過ごすことはできません。

リストラ計画のある全国の職場で、雇用と労働者の権利を守るたたかいを、あらゆる手だてをつくしてすすめましょう。

「サービス残業」をやらせながら「余剰人員がある」などと平然と言い放つ経営者、内部留保をがっぽりため込んでいながら、すこし経営が悪化すると、労働者に経営の失敗まで押しつけて恥じない――こんなことは許せません。

いまこそ、「経営者としての責任をまっとうせよ」の声を職場からあげていくときです。

リストラとたたかう労働者に、地域から、全国から連帯と支援の輪を広げていこうではありませんか。そして、全国のすべての職場で、サービス残業の根絶、有給休暇の完全取得をはじめ労働時間の短縮と労働基準法を厳守させる運動をつよめましょう。

地域経済に大打撃をあたえるリストラをやめさせることは、自治体にとっても重要です。さんざん「協力」させ、無理難題も押しつけてきた下請け・関連企業を一方的に切り捨てることは許されません。

自治体の関係者も、まわりにどんな被害を及ぼすかなどかまわずリストラを勝手にすすめる企業にたいして、「地域経済への社会的責任はたせ」の声を広くあげようではありませんか。

経営者と経営者団体にも、よびかけます。雇用を守ることは、経済の道義と経営者としての社会的責任にかかわります。日本の経済と社会にあたえる影響が大きい大企業であるからこそ、その社会的責任をはたすことがもとめられています。

サービス残業の根絶、長時間労働の解消など、雇用を守る手だてを打ち尽くしたのか、雇用への経営者の責任をどのようにはたしたのか、労働者や地域社会に、最低限の説明義務をはたすべきです。政府の責任もきびしく問われています。

第1これまでのリストラ奨励の政策をただちにやめるべきです。

第2に、経済と雇用にたいする責任をはたす立場にたって、企業のリストラ競争に思い切った規制の手を加えるべきです。

私たちは、解雇制限法などの立法を要求していますが、その実現以前にもやれることはたくさんあります。たとえば、今年四月に厚生労働省は、サービス残業をなくすようにという通達を出しました。

リストラを計画している企業でサービス残業が根絶されているかどうかを点検することは、政府の最小限の義務ではありませんか。長時間労働と中高年へのリストラに懸念を表明し、是正をもとめた国連の勧告に、政府は正面から対応すべきです。

日本共産党は、失業者に仕事と生活を保障し、リストラに反対するたたかいを、労働者・国民の暮らしと営業を守るたたかいであると同時に、わが国の社会と経済をたてなおすたたかい、社会進歩のたたかいとして位置づけています。

いまこそ、職場から、地域から、自治体から、学園から、それぞれの分野から、切実で、あたりまえの要求を声にし、共同の輪をひろげ、その実現へ国民的な運動をおこしていこうではありませんか。21世紀を、だれもが人間らしく生き、働ける世紀にしていこうではありませんか。

日本共産党は、このことを心からよびかけるとともに、その先頭にたって全力をあげる決意です。


Home Pageへ戻る || 目次のページに戻る