いもうと
巴里前夜・ニャンニャン編




 眠くなってきたニャン……

 いつも昼間に感じる眠気とはちょっと違う。
 もっとずっと長く長く感じられる、
 もっとずっと長く長く感じている、

 それが何かは大体わかってる。

 最後にネズミを捕まえたのはどれくらい前だったっけ。
 お日様が一巡り、二巡り、…………忘れたニャン。

 ボクたちはそんなにこまかくものを数えない。
 とにかくずいぶん前だ。

 昔はすばやく走れたこの足も、最近では歩くのがやっと。
 これじゃあよっぽど運がよくないとエサにはありつけない。

 昔はこうじゃなかったニャン。
 すばやく走れてエサをたっぷり捕まえて……いや、もっと前。

 ごろごろしていたらエサをもらえたころがあった。
 ヒトから。

 あれは、なんだったっけ。
 することもないし、眠るまで思い出してみるニャン。




 ずっとずっと前。
 いちばん前におぼえているのは、……ボクを抱き上げるヒトの手。

「迷子かい?」

 いろんなヒトと会ってきたけど、その中ではよく覚えてるヒトのオス。
 ヒトだとオトコっていうんだっけ。
 ニャン、と呼ばれていた。
 ヒトの名前にしては雑音が少なくていい名前だったニャン。
 ヒトの名前はだいたい雑音が多くてボクらはしゃべれない。

 そう呼んだのは、だれだっけ。
 ヒトのメス……オンナっていうんだっけ。
 ニャンがヤシの枯れ葉でつくってくれた日陰がどけられて、そこにいた。
 あのコが、そのうちボクに名前をつけた。

「あなたの名はね、ニャンニャンよ」

 つけた名前はよかったのに、そのあと呼ぶたびに違う呼び方をされたっけ。
 ヒトにボクらのしゃべり方はむずかしいからしょうがないか。


 そのころのボクは、エサの心配がいらなかった。
 日陰でごろごろして、ときどきナワバリに入ってくるネズミをこらしめるだけ。


 それが、ちょっと変わった。
 ニャンとあのコが何か言い合って、
 なんだか長いことゴトゴト揺られていたかと思うと、エサの少ないところについてた。

 周りにいたヒトは、ニャンとあのコの他はみんな変わった。
 そしてそのころから、あのコは笑わなくなった。
 ふるさとに帰りたいというように鳴い……じゃない、泣いてたニャン。

 そこであのコは子どもを生んだ。
 その子の名は……発音しにくいけど、これだけはしっかりと覚えてる。


 コクリコ。


 ヒトでも子どもはやっぱりかわいいけど、その子はどこか違った。
 ヒトがいるときに感じる、ヒゲのむずむずがぜんぜん無い。
 まるで、森の中で会ったボクらの仲間の子どもみたいだった。

 だからボクは、年上としてその子をまもってあげることにした。
 その子に近づこうとするクモやハチをおっぱらうのが生活にくわわったんだ。

 でもボクだけでコクリコを育てるのは無理だニャン。
 ボクはオスなんだし、子どもはお乳を飲むんだから。
 ……ボクも飲んでたんだっけ?

 あのコが、いなくなった。

 わけがわかんないけど、周りにいるヒトからヤな気配が増えた。
 でもきっとナワバリ争いに負けたんじゃなく、あのコを探すために、
 ニャンはボクとコクリコをつれてナワバリを動いた。

 着いた先は、サカナの匂いのするとこ。
 サカナはいいんだけど、でっかい水の見えるところに連れてくのはやめてほしかったニャン。

 そこに来てから、ニャンは毎日くたくたになるまで動き回っていた。
 見かねてボクが止めようとしても、ニャンは聞かなかった。

 そんなある日だった。
 珍しくニャンが昼間出かけなかった。
 そのころずっとニャンはコワイ顔をしていたけど、その日は違った。

 初めてボクを抱き上げたあの日に似た、でもすっごく悲しそうな顔で笑いながら、
 ボクを抱き上げて言った。

「済まないけど、私が帰ってくるまで、コクリコを頼んだよ」

 ヒゲがニャンのほっぺに触れたとき、わかってしまった。
 行かせたらボクはもう、ニャンと会うことはない。
 思いっきり反対したニャン。
 ボクとコクリコが、黒いヒトに預けられる最後の最後まで。


 黒いヒトは親切だった。
 ヒゲで触っても敵と思うことが一度もなかった。
 エサと寝るところをコクリコだけでなくボクにもくれた。
 もっともボクは、ヒトのエサどころをねらってくるネズミを待ちかまえるだけでお腹いっぱいだったニャン。


 どれくらいそこにいたかな。
 その間に、コクリコはどんどん大きくなった。
 ヒトはなかなか大きくならないけど、それでもコクリコはボクと一緒に、ボクよりも大きくなった。
 その後もいろんなメスと一緒に暮らしたけど、あのころが一番楽しかった気がする。
 よく覚えてる。

 そんなとき、黒いヒトが死んだ。
 死んだ、とはっきりわかったのは、そのときがはじめてかニャン。

 そしてボクは……コクリコと別れることになった。

 コクリコは泣いた。
 ボクが覚えている中で一番泣いた。
 黒いヒトが死んだときよりも、もっともっと。

 泣いたコクリコをどこかで見たようなヒトのオスがぶった。
 怒ってボクはそいつの顔と手と足と肩とをひっかいてやった。
 ニャンにコクリコを頼まれたということは、そのとき思い出さなかったと思う。

 許せなかったんだニャン。
 コクリコをぶったことが。

 けっきょくコクリコはそいつに引っ張られていった。
 ボクは、弱かった。



 それからボクはコクリコを探しながら、ボクだけで生きてきた。
 何匹かのメスと一緒にいたことはあるけど、長くは続かなかった。
 それがボクらの生き方だから。


 思い出そうとしても、覚えてるのはそこまで。
 あとの時間をどうやって生きていたのか、考えてもしょうがない。
 とにかくあんまり楽しくなかったニャン。





 気がついたら、すぐそこで小鳥が鳴いていた。
 昔だったらまばたきするあいだに捕まえれたのに。
 わざわざ動く気になれない。
 動いても、何かあるわけじゃない。

 このまま眠っちゃおうか。
 最後にもう一度だけ、コクリコに会いたいと思った。
 ニャンとの約束を思い出したからかニャン。
 ボクがいなくても、ちゃんと大きくなったかな。
 もう、ボクよりずっと大きくなってるだろう。


 おいで……


 呼ばれたような気がした。
 とじそうになったまぶたを開けるのにちょっと苦労する。

 そこに小さなヒトがいた。
 顔の真ん中で色が変わってる変なヒトだ。

 あれ……ヒゲがむずむずしない。
 ヒトの形をしているけど、ヒトじゃない。
 コクリコに似ている。
 でもコクリコはボクらに似ていたけど、
 このヒトはずっとずっと大きい、まるで、今まで見たことがないくらいの大きな樹だニャン。

 なんでヒトの姿なんかしてるんだろう。


 おいで……


 樹が動き出した。
 歩くんじゃなくて、鳥みたいに宙をすべってく。

 よくわからないけど、わかったニャン。
 あの樹は、コクリコを知ってる。

 てくてく。てくてく。

 歩くとお腹が空いてることを思い出した。
 さっきの小鳥、捕まえとけばよかった。

 とりあえず、お日さまが一周するくらい歩いた。
 その間にいろんなヒトとすれ違ったけど、誰もあの樹に気付かなかったみたい。
 ボクだけに見えてるんだ。


 サカナの匂いがしてきた。
 ここは、たぶん、ニャンと別れたところ。
 思い出したばかりだからわかった。

 懐かしくなってきょろきょろしていたら、樹がいなくなってた。
 ちょっと困る。
 でもボクをここまで連れてきたってことは、水いっぱいの方に行けばいいのかニャン。
 恐いけど、今さら恐がってもしょうがないか。

 歩いていく先からぽおーっと大きな音が聞こえた。
 たぶん、こっちでいい。
 寝ちゃいそうになるけど、もう少しだけ歩く。

 ヒトの群れをくぐり抜けたところに、あの樹がいた。
 樹はボクの方を見て、ちょっとだけ笑うと、煙みたいに消えちゃった。
 その向こうに、

「ニャンニャン!」

 ああ、大きくなった。
 ボクのことをしっかりと抱き上げられるくらいに。

「どうしたのだコクリコ、いきなり船を飛び出したりして」
「サリュがどうとかって、寝ぼけたんじゃねーのか」
「あら……その猫さんは」
「わ、コクリコの光武から飛び出るぶちネコさんにそっくりですね」

 あたふたと四人ほどのヒトがコクリコの後からやってきたけど、
 そのうちの赤いヒトが失礼なことを言ったのでしっぽを向ける。
 昔からこれだけは許せないニャン。

「あら……、一本だけ黒い毛がありますね」
「そうなんだ、ニャンニャンはオスの三毛猫なんだ……」

 大きくなったと思ったのに、あの日とおんなじ泣き顔だニャン。
 でも、大丈夫だろう。
 このヒトたちはみんな、ヒゲがむずむずしない。
 コクリコと、一緒のヒト。

「ニャンニャン!?
 エリカ!ニャンニャンを助けてあげて!」

 きっともう……ボクがいなくても大丈夫。

「えーっと、はい……でも、このネコさんは……」

 おやすみ、コクリコ。

「ニャンニャン!やだよ!やっと、やっと会えたのに……!」




 ボクの、いもうと。








初出 平成十四年五月二十四日 SEGAサクラ大戦BBS


 本作はまいどぉさんのSS「はるのうたげ」をきっかけとし、とりなべさんにいくつかのご指導を頂きました。
 両氏に改めて感謝申し上げます。


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