横浜開港記念館


大帝国劇場のモデル

 サクラ大戦に登場する大帝国劇場は、名前こそ帝国劇場が元になっていますが場所がやや違っています。
 そして元になった建物も実は帝国劇場ではなく、まったく別の建物でした。
 現在はサーバから削除されて見ることが出来ませんが、レッドエンタテインメントのサイトで連載されていた太正浪漫街道新章の挿し絵に使用された写真のコメントにおいて、大正六年に竣工した横浜開港記念館(現、開港記念横浜会館)がモデルだと公開されました。
 もしかしたらもっと別に公開されていたかもしれませんが。
 この建物の設計図面が「建築世界」という当時の雑誌に掲載されており、それが近年になって「都市建築に見る明治・大正・昭和」という本で紹介されました。
 以下に示すのはその図面です。

おそらく、非常によく見慣れた姿だと思われます。
1当時の帝劇の概観はほぼこの形を受け継ぐものといっていいでしょう。
時計塔が劇場内マップにあれば面白かったのにと思うと少し残念です。



一階の見取り図です。
 大帝国劇場では舞台と楽屋を繋ぐあたりがこちらでは繋がっていません。
 階段の位置も違っていたりしますね。
 何より、右上部が客席じゃないんですよね。



二階の見取り図です。
 左下に貴賓室があるのが興味深いところです。
 花組隊員の部屋があるところは一つの大部屋になっていますね。



正面玄関の詳細図です。
 わかりにくいですが、図の左三分の一は側面図みたいです。
 二階テラスの窓はステンドグラスっぽくなっているんですね。



中央部分の詳細図です。
 画面右部分は建物の内装を、左部分は断面図を表しているようです。
 正面から見るとテラスがあるように見えますが、飾りのようですね。





 設計された方は戦中に亡くなっておりますので原図の著作権は切れていると判断して掲載させていただきました。
 遺族の方その他からの差し止めを求められた場合は速やかに対処させていただきます。


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