人物記録 | |
本名 | 山崎 真之介(やまざき しんのすけ) →名前の由来 追加 |
生年月日 | 1897年(明冶三十年)六月六日 |
年齢 | 二十六歳(サクラ大戦1開幕当時) 二十八歳(サクラ大戦2開幕当時、肉体年齢は二十七) 二十一歳(降魔戦争終了当時) |
身長 | 一八八センチ(黒之巣会時代) |
体重 | 七二キロ(黒之巣会時代) |
髪の色 | 銀 |
瞳の色 | 青 |
最終階級 | 少佐(太正七年当時)。ただし中尉との記録あり。 戦死扱いによる二階級特進との説もある。 |
享年 | 二十七歳 |
所持武器 | 光刀無形(二剣二刀が一つ) |
搭乗甲冑 | 神威、闇神威 |
家族構成 | 妹がいるという噂もあるが、公式には一切不明。 |
C.V. | 家中宏氏 |
設定文 (黒き叉丹) | 虚無的な雰囲気を身に纏った美形で、古今東西のあらゆる魔術に精通している。 また一方では、優秀で独創的な技術者でもあり、黒之巣会の魔操機兵は全て叉丹が設計している。 |
設定年表 | |
明冶三十(1897)年 | 六月六日生まれる。 (翌年誕生との記録もあるがおそらく間違いであろう) |
太正元(1912)年 | 米田一基、真宮寺一馬の両名により陸軍対降魔部隊設立。 |
太正二(1913)年 | 対降魔部隊に入隊。 |
太正三(1914)年 | 藤枝あやめ、対降魔部隊に入隊。 |
太正四(1915)年 | 降魔戦争勃発。 |
太正六(1917)年 | 轟雷号、翔鯨丸を設計。 同時期に光武の設計(推測)。 |
太正七(1918)年 | 二剣二刀の儀、失敗(推測) 真宮寺一馬、魔神器を使用。 降魔戦争終結。戦いの最中に行方不明となる。 三ヶ月後、真宮寺一馬死去。 |
太正八(1919)年 | 反魂の術により天海復活(説の一) |
太正十(1921)年 | 黒之巣会結成。死天王の一人として影役に回る。 反魂の術により天海復活(説の二) |
太正十一(1922)年 | 魔操機兵の生産開始。 神崎重工、轟雷号を製造。 李紅蘭、光武を製造。 |
太正十二(1923)年 | 黒之巣会本格活動開始。 四月、上野公園にて帝国華撃団花組と交戦。戦術的撤退。 八月頃、天海とミロクと共に、一時有楽町帝撃通信局占拠。 九月、六破星降魔陣発動。黒之巣会瓦解。 |
太正十三(1924)年 | 一月、降魔の解放。 三月、藤枝あやめを最強降魔殺女に変化。 帝劇より魔神器を奪取。 聖魔城復活。 聖魔城にて帝国華撃団花組と最終決戦。 殺女ともに死去。享年二十七歳。 |
太正十四(1925)年 | 四月、陸軍中将京極慶吾の反魂の術により復活。 帝国華撃団花組と交戦。敗北(とされている)。 米田一基と再会。 鬼王となった真宮寺一馬の手により死去。 |
太正十五(1926)年 | 二剣二刀の儀発動。 フランス、巴里華撃団に霊子甲冑光武F他配備。 |
所持技能 | |
霊子物理学 | 霊子水晶の挙動に関する知識は確実に所持している。 ミカサの霊子核機関の研究に携わったかどうかは定かではない。 |
霊子工学 | 霊子甲冑の概念は彼が発祥とされている。 そのため霊子甲冑に使用されている蒸気併用技術、霊子伝達による操縦技術などは全て修めていると考えられる。 設計作品:光武、神威、蒼角、銀角、孔雀、天照 |
機械工学 | 轟雷号は帝都の地下鉄設計の基本になった。 また、蒸気併用霊子機関に応用可能なまでの蒸気機関技術も有している。 翔鯨丸の設計から、航空力学に類する知識も有していると考えられる。 設計作品:轟雷号、翔鯨丸 |
魔術 | 六芒星を使った反魂の術を使用することから上位の死霊魔術は修めている(サクラ大戦第十話)。 また関東ローム層を割って八重洲に温泉を吹き出させたこともあり(有楽町帝撃通信局)、大地系の魔術も使用可能。 魔神器を発動することが出来たので、日本古来の呪術も使用可能(サクラ大戦第九話)。 その他、神威を地中から出現させたり、自己の瞬間移動も確認(サクラ大戦第一話)。 必殺技「獣の数字」は暗黒魔術に類する呪文と考えられる(サクラ大戦第十話)。 |
剣術 | 流派は不明。日本刀の一刀流に類する剣術を修めているのか、完全な自己流かのかもわかっていない。 |