私の主張

 原告住民勝訴が確定しました!
         −高槻JTバイオ施設情報公開訴訟

             
(日本消費者連盟関西グループ「草の根だより」2005年5月号NO338掲載)


<ご支援ありがとうございました!>

3月1日、最高裁判所は、JTの上告受理の申立を認めないという決定を下しました。これにより、2002年12月に大阪高等裁判所がだした、建築確認図面等を公開すべきという原告住民勝訴の判決がようやく確定しました。JT医薬研究所建設反対運動を始めてから15年、高槻市を相手取り情報公開を求める裁判を起こしてから10年がたっています。長い闘いでしたが、弁護士の先生方、多くのアドバイスを下さった専門家の方々、そして傍聴をはじめ物心両面で裁判を支えて下さった皆さんに心より御礼を申し上げます。ほんとうにありがとうございました。

<なぜ裁判を起こしたのか>

 
この裁判の原告は私の夫です。裁判を起こすきっかけは阪神淡路大震災でした。
 1989年末のことでした。自宅近くのJTの工場跡地に医薬研究所建設するという地元説明会が開かれました。最初は医薬研究がそれほど危険だとは思っていなかったのですが、当日のJTのあいまいな説明と質問への不誠実な対応に、疑問をもちました。そして、調べるにつれ、バイオハザードの危険性を確信し、「病原体は持ち込まないでほしい」「遺伝子組み換えレベルP3施設はつくらないでほしい」という反対運動をしましたが、住民要望は入れられず、住民合意がないまま、1993年に高槻市とJTは安全協定を結び、研究所は開所され今日に至っています。
この間、住民の求める情報の公開をJTも高槻市もことごとく拒否し続けてきました。
 その上、安全協定により設置された「専門者会議」が年に1回開かれていますが、公文書として残る議事整理はA4版わずか1枚で、毎年同じことが書かれており、これが専門家の会議かと疑問に思うもので、不安が募っていました。
 おりしも95年1月阪神淡路大震災が起こりました。自宅も研究所も有馬高槻構造線の真上活断層近くにあるため、自宅も揺れに揺れ、研究所がどうなっているのか、すぐに見に行きました。研究所は非常電源も入らず、真っ暗でしたが、何か漏れ出してはいないかという不安があり、すぐに戻ってきました。ご近所の方々も窓を開けて研究所の存在を確認したものの、何か漏れ出ていないか不安になり、窓を閉め、じっとしていたということでした。
 当時のNHKは、兵庫県下のバイオ施設で亀裂が入るなどの被害が出たが、幸い実験中でなくてよかったというニュースを報じました。いざというときに研究所のどこに何があるかを知らないことや耐震設計への不安から、やむにやまれず、高槻市情報公開条例に基づき、市が保有する建築確認時の図面の公開を求めたのです。しかし、市は非公開にしたため、公開を求める裁判を起こすことになりました。

<JTは2件の重大な事故を起こす>

 
一審の大阪地裁は敗訴でした。二審の大阪高裁では、逆転住民勝訴になりました。  実は一審と二審の間に、JTは2件の大きな事件を起こしています。1件は職員がJR 高槻駅で放射性物質をばら撒いたこと、またもう1件は法律に違反して発ガン性物質を下水道に垂れ流しながら市に報告していなかったことです。
 大阪高裁判決は、バイオ施設の潜在的危険性を認め、住民の不安解消のためには図面等は公開すべきと予防的措置を認めた点で、画期的なものでした。  

<バイオハザード防止に向けて>

 バイオ施設の周辺環境を保全については、海外では予防原則を踏まえた法的規制がなされていますが、日本では法規制がありません。生物テロ防止対策として、病原性微生物保有施設の届け出制も含めた感染症予防法の改正が今検討されていますが、テロ防止のためとのことで、どの施設がどのようなものを保有しているかは一切非公開になる可能性があります。
 
過去の公害の反省や国際的な流れを踏まえるなら、バイオハザード防止のためには予防原則を取り入れ、情報公開を徹底し、市民監視を制度化する法的規制が必要です。これからも、バイオ施設の法的規制を求めるとともに、公開された図面等を分析し、JTでバイオハザードが起こらないようしっかり監視を続けていきます。