私の主張

 煙草(JT)との長い闘いの果てに
                  (
日本消費者連盟関西グループ「草の根だより」2004年
7月号掲載)


<大掃除の思い出>

小学生の頃は、盆と暮の年二回の大掃除が定番であった。私は拭き掃除係りで、柱や天井を拭くと、瞬く間に白い雑巾が濃いこげ茶色に染まった。たった半年間でこうまで汚れるのかと不思議に思っていた。
 家を離れ一人暮らしを始めて、あの汚れはヘビースモーカーだった父の紫煙のやにであることに気がついた。あの雑巾の汚れから、私の肺もこげ茶色ではと恐ろしくなった。その当時は、「受動喫煙」の言葉すらなかったが、紫煙はできるだけ避けてきた

<治外法権だった議会> 

1991年、私は自宅近くのJT医薬研究所の建設反対運動がきっかけで議員になった。国内の煙草製造の独占企業JTとの闘いに加え、日々の煙草との闘いも始まった。

市役所は一応分煙なのだが、市議会は治外法権だった。さすが本会議場は禁煙だったが、委員会も議員控室も煙もくもくであった。会議中、紫煙を吸い込み、頭はフラフラになった。
 やがて、委員会も禁煙になったが、分煙は徹底されず、苦しんだ。本会議場に入るところにロビーがあるが、休憩時はそこが愛煙家の溜まり場で、紫煙が立ち込め、目には涙、舌はしびれた。ここを通る時はつくり笑顔をしながら、息は止めて足早に立ち去るようにしていた。
 控室も愛煙家の議員と一緒になるとつらかった。3期目ごろからようやく煙草は苦手と言えるようになり、同室の議員は気を使って、他の部屋で煙草を吸って下さっていた。

<ようやく公共施設が全面禁煙に>

昨年施行された健康増進法の中で受動喫煙防止がうたわれ、不特定多数の人が集まるところでは受動喫煙防止策をとらなければならなくなった。分煙基準は厳しく、館内全面禁煙を打ち出す施設もたくさんでてきた。
 そこで、昨年六月議会で、市役所を始め公共施設全面禁煙を訴えた。市の各種審議会の傍聴をしているのだが、あちこちの審議会で、医師会の方々が、医療費抑制のためにはまず、煙草をやめることと訴えておられたし、バス停での煙草の煙をなんとかしてほしいという声もあった。
 おりしも高槻市は中核市に移行し、保健所業務が府から高槻市に移管された。保健所は受像喫煙防止を指導する立場である。環境問題でも市役所は率先垂範あるのみで、市役所が全面禁煙にせずして、民間事業者の指導などできるはずがない。また、職員の労働安全衛生委員会でも話し合われ、前向きな結論がだされた。
 こうして多くの方々のご協力で、この6月から高槻市ではすべての公共施設が全面禁煙になった。当然議会も含まれる。学校は敷地内全面禁煙である。

先日、市役所1階フロア−で思い切り深呼吸してみたが、やはり空気は違う。

 市民の方々には愛煙家の方もおられるが、市役所では、旧庁舎と新庁舎の間にある中庭に空気清浄機をおいて、ゆっくり庭の緑を楽しみながら座って吸ってもらうようになった。職員の皆さんも屋上にいっておられるようだが、これを機に禁煙した人、減らした人も相当あると聞いている。
 ところが、最近路上喫煙が増えている。またマンションのような集合住宅などでは、蛍族の方がベランダで煙草を吸うため、その紫煙が周辺に流れ込み、苦情が出るケースもある。分煙化がすすむ中で取り組まなければならない新たな課題も生まれてきている。

煙草(JT)との闘いはまだまだ続く