私の主張

政治倫理の確立をめざして!
―浄財で、お金をかけない透明な政治活動を−

(日本消費者連盟関西グループ「草の根だより」20
02年4月号掲載)

「政治家とカネ」の問題が続出している。
   過去にも数多くの事件があり、そのたびに「政治改革」が行われてきた。それでも政治腐敗が続くのは、「改革」がいかに名ばかりのものであったかということだ。

<何のための議員か>
  政治腐敗の原因は、政治にお金がかかるためだと言われてきた。選挙で当選し、政治活動を行い、次の選挙でまた当選するには莫大なお金がかかるという。いわゆる「地盤」「看板」「かばん」がなければ選挙に勝てないと、当選するや、たちまち多くの議員は、次の選挙をめざし、この3つの「バン」の強化、政治資金の調達に追われることになる。その最も手っ取り早い方法が利益誘導によるもので、口利き、汚職、談合などが横行し、はては秘書給与流用などの公金流用まで惹起している。
 議員になるのは、自分たちの政策実現のためであったはずだ。だが、議員になると、政治資金を提供してくれる特定の人のためにのみ活動し、政治資金調達に明け暮れ、私腹を肥やすのは、議員として本末転倒だ。

<政治資金の規正>
 政治腐敗をただすため、1948年、「政治資金規正法」が制定された。「規制」ではなく、「規正」という用語が使われている。 
 この法律の目的は、第1条に、「議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与すること」とされている。つまり、政治資金の公開性、透明性を確保することにより政治腐敗を防止しようとする法律だった。
 だが、目的は立派なのだが、実際は抜け穴だらけの法律のため、昭和電工事件、造船疑獄事件、「黒い霧」汚職事件、ロッキード事件など政治腐敗を象徴する事件があとを絶たず、そのたびに法改正や制度改革が行われてきた。
 現在では、政治家個人は寄付をもらえず、自分が代表の資金管理団体に寄付をもらうことになっている。国会議員等の場合、資金管理団体以外にも多くの後援会等をもっているが、政党をはじめ政治活動を行うこれらの団体は、規正法に基づき、自治大臣や所定の選挙管理委員会に毎年の収支報告書を届け出なければならない。私たち地方議員も資金管理団体をもち、いただいたカンパの額やその使途などについて、年に一度、都道府県の選挙管理委員会に政治資金収支報告書として届け出ていて、各団体の収支の要旨は官報や、都道府県公報に掲載され公開されている。

<抜け穴のある規正法>
 ところが、実際、報告書を届け出てみるとわかるが、窓口では、報告に虚偽があるかどうかのチェックはなく、報告書上で計算があってさえすればOKなのだ。これではごまかす人も出てくるだろうと思っていたら、案の定、献金の無届け事件が起こっている。大阪府歯科医師会関係の団体から献金がありながら、国会議員が報告書に記載していなかった例など、政治団体が会計処理をきちんとし、かつ政治資金の透明性確保の重要性をふまえていたら、いただいた献金の報告書への記載洩れなどありうるわけがない。意識的に届け出なかったのだろうし、秘書給与流用だけでなく、報告書に記載されてない裏金が存在することが容易に推測される。
 国会は立法府である。法律をつくった国会議員が、議会制民主主義の根幹にかかわる政治資金のあり方についての法律を平然と破って違法行為を行うのなら、そんな人に議員としての資格はない。

<政治倫理綱領とは>
 1976年7月、前首相田中角栄逮捕という事態になったロッキード事件では、企業の政治献金や政治家の政治姿勢が大きく問われた。そこで1985年、国会法が改正され、「政治倫理」条項が設けられ、衆・参両院は5項目からなる「政治倫理綱領」「行為規範」を制定した。
 この「政治倫理綱領」には「政治倫理の確立は、議会政治の根幹である」として、「われわれは、国民の信頼に値するより高い倫理的義務に徹し、政治不信を招く公私混淆を絶ち、清廉を持し、かりそめにも国民の非難を受けないよう政治腐敗の根絶と政治倫理の向上に努めなければならない」とうたい、その後、議員の資産公開がなされるようになった。

<選挙制度改革にすりかえる!>
 しかし、この「政治倫理綱領」を設け、資産公開をしても政治腐敗は続いた。1990年代には、リクルート事件、佐川急便事件、金丸巨額脱税事件等が相次いだ。これらの政治腐敗に対する国会の対応は、問題の本質をすりかえたものであった。
 つまり、「政治腐敗が起こるのは政治にお金がかかるからで、政治にお金がかかるのは、選挙にお金がかかるからだ」と、選挙制度を中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に変更し、政治活動も公的側面があると、政党に税金を投入するための「政党助成法」を制定したのだった。また、選挙時のポスター代、選挙カーのレンタル料や運転手の費用なども公費でもつことになった。
 しかし、選挙制度を変えても、政治活動や選挙活動に公的資金を投入しても、政治腐敗はなくならないことが今回はっきりした。

<きれいなお金で透明な政治活動を!>
 政治腐敗をただし、金権政治と決別するには、お金をかけない政治に徹することだと思う。政治にお金がかかることを前提にしている限り、いくら制度改革をしてもあの手この手で政治資金調達がなされ、政治腐敗は続く。
 女性の参政権獲得のために先頭にたち、参議院議員として政治腐敗防止にも取り組まれた故市川房枝さんは、選挙は政治への入り口だといわれた。出たい人より出したい人をと、それぞれが浄財を提供し、手弁当で応援する理想選挙に取り組んでこられた。お金をかけない選挙を、議員になれば活動報告とともに、いただいた歳費の使途を公開して透明性を高めることが重要だと主張され続けた。
 私も「清潔」を信条に、手作り選挙、議会リポートの発行、いただいた報酬の使途や活動費用を公開し、ガラス張りにしている。
 政治は清潔でなければならないし、清潔な政治への入口は清潔な選挙である。政治腐敗をただすためには、まずはそれぞれの議員が高い政治倫理観をもち、選挙も日々の政治活動もきれいなお金で透明性を高めることこそ重要だ。それをせずして、いくら制度改革をしたところで、政治腐敗は繰り返されるだけだろう。