私の主張
食事がのどを通らないほど緊張した一期目 3期目10年…さらにいっそう自己に厳しく
      (都市政治研究所「ニュース・レター」2001年8月号掲載)


<心構えなく、突然飛び込んだ政治の世界>
 1991年4月の初当選以来、はや10年が過ぎた。
 議員としての充分な心構えもないまま、準備期間1ヶ月で飛び込んだ政治の世界だった。1期目は、議会ごとに食事が喉を通らなくなるなど緊張の連続だった。
 最初の悩みは、会派を組むかどうかということであった。私は一人の道を選んだ。野党で無所属、おまけに女性で一人というと苦労は目に見えていたが、厳しい状況に自分を追いやる方がかえって事の本質が見えるものだ。と、覚悟はしていたものの、ほんとにすさまじい日々だった。

<"先人"に、活動のあり方を学ぶ>
 次の悩みは、議員活動のあり方についてだったが、3人の先人に学んだ。
 まず、故市川房枝参議院議員の政治腐敗防止のための4原則を実行することにした。議員の仕事は、議会で質問をすること、有権者にその報告をすること、報酬の使途を公開すること、議会を休まぬことである。休まぬことは、どんな会議にも遅刻をしないことに読み替えた。
 もう一人は、革新非所属の草分けだった山本健治さん(元高槻市議、元府議)。山本さんには手書き印刷の議会リポートをすべてお借りし、高槻市議会で過去にどのようなことが問題になり、どう切り込んでおられたか徹底的に学んだ。
 そして、当時堺市議の長谷川俊英さんには、本会議での質問のテープを送っていただき、議事録では伝わらない質問の仕方を教えていただいた。ただ、悲しいかな私には演技力が乏しく、今も質問のたびに自己嫌悪に陥り、後悔ばかりしている。長谷川さんには、「行政資料をいかに入手するかによって質問は決まる」とのアドバイスも受けた。振り返れば、この10年、私の闘いは、行政側との資料の争奪戦だったともいえよう。
 
<三重合宿で学んだ収穫と"怖さ">
 8月3日、4日と三重県庁で、北川知事や職員の皆さんから多くの示唆に富んだお話を伺った。そして、生活部の個別デスクの廃止、1人1台のパソコン、ゴミの8割削減など、IT時代、環境時代の自治体の現場を見せていただいた。
 三重県の情報公開は全国一と評価されているが、3日の午前中に一人で訪れた県情報公開コーナーには、事業評価書とともに事業ごとに予算見積書までもが公開されていた。まっさきにこれを手にし、うらやましいと思いながら読んでいるうちに、今度は怖くなってきた。行政の情報公開が進めば、その公開された情報をどう読み取り、政策提言するか、今度は議員や市民の情報を読み取る力、政策形成能力が試されるのだ。

<政策提言ができる議員をめざす>
 3期目10年目となると、何かわかったような気になり、心が緩む。また職員の方とも顔見知りになり、馴れ合いが生じやすくなる。こんなときこそより一層自分に厳しくあらねばならない。しかも行政の情報公開やIT化がすさまじいスピードで進む以上、それらに対応した政策形成能力を磨くことこそ、これからの私の最大の課題だ。50歳を過ぎた私にはかなり厳しいハードルだが、初心を忘れることなく、草の根市民派としての政策提言ができるよう、日々是努力の毎日である。