私の主張

市民のための科学の確立をめざして−行政の責任を問う−
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現代医療を考える会・結成10周年記念資料集掲載 2001年5月)

 20世紀は戦争の世紀といわれるが、科学技術が戦争兵器の開発とも深く結びつき、巨大化、高度化した世紀でもある。科学技術は、戦争という場だけでなく、日常生活の場でも公害により多くの人間の健康や生命を奪い、自然環境を破壊し、いまや地球の危機という事態にまで至っている。
公害や環境破壊を繰り返さず、人間の健康や生命を守るために科学技術はどうあるべきかを考えるとき、国や都道府県、市町村という行政にも重大な責任がある。憲法にうたわれている基本的人権の尊重のためには、国や地方自治体こそ、地域住民の生命や安全を守るための具体的な行動を起こさなければならない。しかし、これまでの行政は加害企業に加担しこそすれ、地域住民の側に立った行政であったとはとてもいいがたい。
 この点を、私が係わってきた化学の「水俣」、原子力の「伊方」、そしてバイオの「JT」から、それぞれ行政の責任を検証し、巨大化、高度化した科学技術、それを利用する企業活動等に対して人権を守るためには何が必要か、住民の立場から論じたい。

 4月27日、大阪高等裁判所は、チッソ水俣病関西訴訟控訴審判決で国・熊本県の行政責任を認めた。ただ、58名の原告中51名についてはメチル水銀中毒症として賠償を命じたが、7名は棄却であり、19億円の損害賠償請求に対してわずか3億2千万円しか認めなかった。行政責任が認められたとはいえ、原告の方々には納得のいくものではなかった。
 チッソ水俣病が公に確認されてすでに45年経つ。海にたれ流されたアセトアルデヒト廃液中の有機水銀が魚介類に蓄積し、それを食べた動物や人が水俣病を発症した。原因物質が判明するまでに長い年月を要しているが、国も県も原因判明まで対策を取ろうとせず、判明後も十分な被害拡大防止策をとらなかったし、認定制度など患者に対する救済策もないに等しいものであった。水俣病訴訟のうち関西訴訟以外の5つは、行政責任を認めないまま被告チッソと和解をしたが、関西訴訟の原告団あくまでも行政の責任を追及し、ようやく大阪高裁が行政責任を認めたのである。すでに亡くなられた方も多く、発生が確認されてから約50年、長期の裁判闘争を経てようやく行政責任が認めらたこの事実は、地方自治体が地域住民の命を守ることを責務としていながらも、それを果たしていないことを如実に物語っている。
 水俣病をはじめ公害に苦しむ人たちが提訴した四大公害訴訟のあと、「公害対策基本法」ができ、大気、水質汚濁など典型7公害については法的な規制が始まった。また、環境保全のためには、事前の環境影響評価を必要とする環境アセスメント制度もできた。しかし、法律にない新しい物質については何ら規制を受けなかった。今ごろになって、ダイオキシン、PCB、環境ホルモン等の規制がいわれているが、良心的な科学者の警鐘に行政がもっと早く耳を傾け、対策を講じていたならば、今日のような事態にはならなかった。日本の行政はまず経済成長ありきで、現場の労働者、住民、消費者の安全は二の次になってきた。被害者が出てから対策を講じるという「後追い行政」は今もって変わっていない。

 「伊方」は松山から西へ伸びる佐田岬半島の真中にあり、半農半漁の過疎の町であったが、四国電力が原発計画し、60年代後半から反対運動が起こった。原子力政策は国の直轄下にあり、地方自治体には何も権限がない。そこで、住民は伊方原発の安全認可の取り消しを求める訴訟を内閣総理大臣に対して起こした。日本で初めての原発訴訟である。安全論争は共通のデータがあってこそ成り立つものであり、原告が求めていた文書提出命令を松山地裁が出し、「四国電力伊方原子力発電所設置認可申請書」が初めて公開された。この分厚い申請書から、専門家の行う安全審査がいかにずさんなものかが明らかになった。残念ながら裁判は最高裁でも敗訴であったが、以後この原発設置認可申請書は東京の科学技術庁と立地県で公開されるようになり、その後の反原発運動に大きな影響を与えた。

 21世紀はバイオテクノロジーの時代と称し、太田大阪府政はバイオサイエンス推進の中核になる研究開発ゾーンを北摂地域に計画をしている。ところが、バイオ施設については、国の「組換えDNA実験指針」や「国立感染症研究所病原体等安全管理規定」などの内部規定があるだけで、法的な規制はなにひとつなく、バイオ企業はやりたい放題といっても過言ではない。
 高槻にあるJT医薬総合研究所(93年開所)も、立地計画段階から現在に至るまで、研究所の配置図、取り扱い病原体、飼育実験動物の種類や飼育数,遺伝子組換え実験概要などは、企業秘密として一切明らかにしていない。安全協定を結んでいる高槻市ですら、法的権限がないため安全に係わる基本的な情報を全く把握できていない状況である。

 巨大化、高度化した科学技術を利用する企業等の活動から地域住民の生命や健康を守るには行政が大きな役割を担っている。地方分権が進むなかで、行政自らがこのことをまず認識すべきである。そして、企業と行政は、計画段階から情報を積極的に公開し、説明責任(アカウンタビリティ)を十分に果たし、住民、市民とともに議論をして、合意を図る努力をすべきである。ヨーロッパやアメリカのように本来のアセスメント制度が機能していかなければならない。
特に、バイオハザード(生物災害)の場合、化学物質や放射能と違い、汚染は目に見えないし測定もできない。それだけに安全に係わる情報についての事前の情報公開と説明責任を果たすことがより一層重要となる。過去の公害に学び、バイオ時代の人権を確立するための制度をいかに整備していくかが大きな課題である。