私の主張
山田勇大阪府知事の辞職を勝ちとって
  
(「女性・戦争・人権」学会ニューズレター第6号・2000年2月18日 掲載)

 12月21日、大阪地方検察庁の強制捜査を受けた山田勇大阪府知事は、ようやく知事を辞職した。運動員だった女性が、選挙運動中の強制わいせつ容疑で知事に対し刑事告訴しており、慰藉料等を求める民事訴訟では、大阪地裁が知事の敗訴判決を出したばかりであった。この間、辞職を求める府民の声を無視し、山田被告は知事の席に居座り続けていたが、それは被告及び府議会にセクシュアル・ハラスメントは人権問題だという認識が欠落していたからである。辞職を求めていた原告女性、府民の勝利であった。
 私が原告女性の刑事告訴を知ったのは、4月10日の朝日新聞の小さな記事であった。4月17日付け朝日新聞には山田被告が虚偽告訴容疑で逆告訴を行ったという記事が載っていたが、これも小さな記事であった。同新聞では、この件よりも、私の属する高槻市議会議員の不正出張事件の高裁での勝訴判決の方が大きな取り扱いであった。私もその裁判で証人として証言しており、大阪高裁の「不正出張した議員は費用を返還せよ」という原告市民の勝訴判決は心の底からうれしかった。翌18日からは私の3期目の選挙が始まったこともあり、真相を確かめないままにしていた。
 その後8月になり、原告女性が損害賠償請求訴訟を起こされたことを知った。あの事件は政治的謀略だといううわさも流されていた。根拠もないのに最高権力者の知事を相手に民事裁判を起こすはずがないだろうにと気にはなっていたが、いずれ事実は裁判で明かにされるだろうと思っていたのだった。
 9月30日、東海村のJCOで臨界事故が起きた。普段余りテレビを見ないのだが、刻々と変わる深刻な事態に、その後数日間はテレビのニュースに釘付けになっていた。その最中の10月4日、知事の民事訴訟第1回口頭弁論での裁判回避を知った。豪華な金屏風の前で両横に弁護士を並べ、ライトをあびながら、山田被告は裁判回避の理由をどなっていた。「でっち上げ」「真っ赤なうそ」「1円たりとも払いたくないが、これ以上裁判に時間をとられたくない」「公務を優先する」。各放送局のニュースで、繰り返し繰り返し臨界事故のニュースとともにこの映像を見ていて、私は怒りがこみ上げてきた。
 私は、20代、5年間法律事務所に勤めていた。私の経験からして、無実というのならなぜそんなに準備に時間がとられるのか納得がいかない。また公務優先と言うが、政治家にとって何にも増して重要なのは政治倫理であり、公人として訴えられれば説明する責任がある。しかも公費助成を受けた選挙運動中というのだから、府民への説明責任を果たすべきではないか。その上、知事は大阪府の女性政策推進の最高責任者であり、府庁の職場におけるセクシュアルハラスメントの防止指針の作成責任者でもある。その立場の人が女性への人権侵害であるセクシュアルハラスメント疑惑に対し黙り込むことは、大阪府の女性政策の中身が問われていることになるのではないか。
 さっそく友人の阪南市議の沢ナオミさんに連絡をとってみたところ、彼女も同じ思いであった。「裁判で沈黙せず,事実を説明せよ」という申入れをすることにし、友人達にも呼びかけたところ、1夜で17名(11市2町)もの無所属女性議員の合意が得られ、10月7日申し入れを行った。知事の裁判回避問題で始めての行動だったため、大きな反響だった。その後様々な団体やグループから同趣旨の申入れが知事に出された。しかし、ちょうど開会されていた大阪府議会の対応は、裁判回避の知事に対して「信頼回復を求める決議」をあげたのみで、私たちの期待を裏切った。
 そして、11月1日第2回口頭弁論が開かれたが、府議会の後押しもあったのか、山田被告はまたしても何ら答弁せず、裁判回避を続けた。その日から知事の辞職を求める声が次々府庁に届けられ始めた。私たち無所属女性議員18名(12市2町)も11月2日「辞職要求書」をつきつけたのである。
 しかし、正直なところ、府民の怒りは今一つ盛り上がりがなかった。大阪の芸の世界では「女遊びは芸の肥やし」という風潮があり、お笑い出身の「横山ノック」であれば仕方がないという声もあった。知事が「ノック」であったがゆえに、事の本質をあいまいにさせていた。セクシュアル・ハラスメントという言葉の響きがちょっとさわったというふうにしかとられないこともあった。しかも、上坂冬子(女性セブン11月4日号)や曽野綾子(毎日新聞11月7日付け)のように、セクシャルハラスメントにはその時騒ぐのが一番で、原告女性や私たちの取り組みは筋違いと、被害者が悪いような報道もあった。府議会も含め、総じてセクシュアル・ハラスメントごときでめくじらたてなさんなという雰囲気だった。また、沢さんのところには、「あの人はいい人なのに」など嫌がらせや脅迫めいた電話もあった。
 昨年4月、改正男女雇用機会均等法で、企業は職場におけるセクシュアル・ハラスメント防止に取り組むことが義務付けられた。にもかかわらず、セクシュアル・ハラスメントは人権侵害だという認識を持っていない人がいかに多いか、あらためて驚かざるをえなかった。と同時に、マスコミが被害の概要を正確に報道していないことも大きな問題だった。事実がきちんとつたわらなければ,府民は判断できない。性暴力被害を報道する困難さもあるかもしれないが、「府民が注目する選挙カーではなく,目立たぬ伴走車での事件」「彼女は逃げようとしたが,逃げきれなかった」「被害を訴えた彼女に、知事の側近はだまっておくようにいった」「知事も認めているが、毛布はたくさんあるのにわざわざ1枚だけをもってきた」「毛布1枚でも一緒にかければセクシュアル・ハラスメントになること」などもっと書いてほしかった。
 どうすれば、公職から追放できるのか調べてみたが、公職選挙法では、リコールは選挙後1年間は行えない。しかもリコールは有権者の3分の1の署名を1ヶ月以内に集めるが必要であり、200万以上の署名が必要なのだった。私たちの足下を見透かしたかのような知事と府議会、ほんとうに悔しかった。
 しかし、辞職を要求した私たちのもとには、「よく声をあげてくれた。自分もなにかしたい」という声がよせられた。そこで、私たち無所属女性議員は、世論に訴えるにはまず自分たちの支持者,足元からと、辞職を求める署名運動及び12月議会で辞職を求める決議,意見書をあげることに取り組むことにした。12月議会の最中であり,ほんとうにきつい作業であった。
 そのような中、12月13日、大阪地裁は原告女性の全面勝訴判決をだした。損害賠償額1100万円は日本のセクシュアル・ハラスメント裁判史上最高額であった。翌14日、11月29日からわずか2週間でいただいた2685名もの府民の署名を携え、私たちは再度辞職を求めた。15日には大阪府議会が始まり,今度こそはと期待したが、又しても問責決議のみであった。しかも、15日の代表質問の最中,居眠りをいている議員もいたのだ。満席の傍聴席,マスコミが注視の中、あまりに堂々と居眠りする議員たちの姿は、府議会のセクシュアルハラスメント観を露呈したものだった。
 これが私たちの府議会の姿かと悔しく腹立たしく情けなかった。あきらめるわけにはいかない。とにかく自分たちの足元で辞職を求める決議をあげようと、それぞれ必死に取り組んでいる矢先、地検の強制捜査で知事は辞職したのである。茨木市,高槻市,枚方市などでは決議,意見書をあげることができたが、準備していたものの知事の辞職がさきになった議会もあった。しかし、10月4日裁判回避を知ってから77日間の闘いは一区切りがついた。
 それにしても原告女性の勇気には敬服する。今後在宅起訴された山田被告人に対する刑事裁判が始まり、事実はその中で明らかにされる。原告女性にとってはこれからも苦しい日々が続くが、彼女への謝罪を勝ち取るまで、裁判の傍聴をはじめ彼女,弁護団を支えていきたい。
 そして,地方議員の私には大きな課題が残った。セクシュアル・ハラスメント防止をはじめ女性への暴力根絶をめざし、大阪府や高槻市の女性政策推進にもっと力を入れなければならない。府内の自治体は女性の人権確立のために「女性プラン」を持っている。その中には,女性への暴力の根絶が入っているはずである。プランを絵に描いた餅にせず、実効あるものにしてこそ、女性の人権が確立されるのだ。勇気ある女性とともに闘わずしては、人権は勝ち取れない現実である。