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2002年10月28日(月)

PUGO定例会には行けなかったので、その代わり、というわけでもないですが、『シンプリー・パーム』購入しました(日曜日に大阪・堂島のジュンク堂書店にて)。

実物を手にとってから知ったのですが、

縦書き

だったんですね。まさに「読み物」。

今、100ページくらい読み進みましたが、すーっと読めています。

原書の力ということもあると思いますが、アルファベットやカタカナが必要最小限に抑えてあったり、言葉の選び方にかなり気を遣っておられるのでは、と想像したりしています。

せっかく丁寧に作られた本だから、敢えて少しずつ読み進めるのも良さそうです。お気に入りの「しおり」を挟んで。

実際は、話が面白いので、どんどん読み進んでしまうんですけどね。


2002年10月26日(土)

今日は、『シンプリー・パーム』の発売日、

……と同時に、関西のユーザー・グループPUGOの定例会の日。久々の京都開催です。

私は、今回、出席できそうにないのですが(本当に残念!)、都合の合う方は是非。

会場は、新幹線が止まるJR京都駅から市営地下鉄で2駅「四条烏丸」駅下車すぐ。遠方からのアクセスも良いですよ。(笑)


2002年10月24日(木)

 『シンプリー・パーム』のバナーをオフィシャルなものに貼り替えてみました。リリースメールをもらってすぐに作った、文字だけのバナーも、「シンプル」でこの本のイメージかな、と思いましたが……、せっかくなので、正規のものを。

 面白い本みたいで、楽しみですね。


2002年10月21日(月)

先日、店頭でNX70に触ってみました。既にあちこちで言われているように、ざらっとして表面の質感は、手になじむ感じ。実物を見ると、スペック表で想像するほどグロテスクで巨大な感じはしないですね。

ちょっと欲しくなりましたし……、音楽系ソフトのOS 5.0での動作確認のために、という自分への言い訳も思いつきましたが……、実際は、今、全然、時間がなくて、とてもソフトの動作確認をやっている余裕はないんですよね。だから、ぐっと我慢して購入は見送り。危ないところでした。(^^;;)


2002年10月19日(土)

「段落の最初行は1文字下げる。」

原稿用紙の使い方の基本として、こんな風に教えられた記憶があります。実際、日本語の新聞や多くの出版物は、現在もこうなっていると思います。デジタル入稿する場合も、現状では、段落の最初に「スペース」を入れるのが習慣化しているようです。(少なくとも私の周りでは。)

でも、先ほど

スタイルシート導入指南(Simple Boxes: Easy Talk)

を読んでいて、なるほどと思ったのですが、HTML文書で、段落の最初に「全角スペース」を入れると、物理的なレイアウト(見た目の制御)情報を直接、書き込んだことになってしまうんですね。たとえて言えば、仕切線を引くために、「hr」タグを使わないで、

------------------

と書くようなものだ、ということでしょうか。

もちろん、それは書き手の自由ですけど、もし、レイアウト情報はスタイルシートで一括管理する、という方針で臨むのであれば(例えば、HTML 4.01 Strictというのはそういうものだとか)、別の方法を考えたほうが、首尾一貫していることになりそうです。

……ということで、「p」タグに「text-indent: 1em」を指定してみました。

やってみてわかったのですが、これだと、多くのブラウザが、正確に全角1文字分を字下げしてくれるようです。(「全角スペース」だと、半角スペースと同じ長さの空白しかができないみたい。)

とはいえ、考えてみたら、

「段落最初は1文字下げ」

というのは、どの程度、伝統のある習慣なのでしょう。

漢籍は、文字をびっしり詰めて書くような気がしますし、日本の古文書にも段落の観念はなかったような……。ひょっとすると、「1文字下げ」は活字印刷以後=明治以後の書式でしょうか。(そういえば、そもそも、「原稿用紙」が明治以後ですよね、たぶん。)

新聞社サイトの本文は、たいてい「1文字下げ」(紙の新聞と原稿が共通なのでしょうか)。ニュースサイトの記事もそうみたいです。

一方、掲示板やメールでは、「1文字下げ」はあまり見かけないですね。私も、メールは字下げなしで書きます。

パーム関係のサイトも、結構、「字下げなし」のところが多いようですね。(あ、でも、機長は「字下げ」派みたい。)


2002年10月18日(金)

『シンプリー・パーム』(ソフトバンク)

私のような者のところまで、リリースメールを頂きました。「Piloting Palm」の翻訳ですね。2,400円、10/26出版予定。


2002年10月17日(木)

先日、購入した「とあるもの」というのは、シグマリオンです。今さらですが……。キーボードが付いて、ノートPCよりも手軽に使えるものが欲しいなあと思ったもので。

ユーザーがたくさんいるだけのことはありますね。使いやすい印象。必要なツール類も、シグマ郎!のおかげで、すぐに揃いました。あと、テキスト読みに特化した(青空文庫のルビにも対応)RubyReaderなんていうのまであるんですね。


2002年10月16日(水)

スタイルシート導入指南(Simple Boxes: Easy Talk)

ここで紹介されていた、html-lintで、HTMLのチェックをやってみました。結果は悲惨なことに(ある程度、予想はしていましたが……)。

「厳格すぎるのでは?」と思うアドヴァイスもありましたが、それなりに納得もできたので、トープページと、このページのソースを書き直してみました。文法ミスは、かなり直ったはず……と思います。

HTML 4.01 Strictだと、コメントの中に「--」を書くのは、推奨されないと言われてしまいましたが、まあ、当面、支障はないでしょう。「共通切り出し文字」は残しています。

ついでに、リンクの下線を消してみました。なんとなく気分で。そのせいで、色遣いなどがおかしくなっていたら、ご連絡いただけると助かります。(デフォルト値のままなので、色遣いに大きな問題はないと思うのですが。)


2002年10月15日(火)

さらに少しフォント設定を調整してみました。支障がなければ、これで決まりにしようかと思っています。多少、読みやすくなっていると良いのですが。

風邪も治ってきました。

あと、今日は「とあるもの」(といっても、新製品ではなく、勿体ぶる必要なんてないものです)を購入。そのことは、また折を見て……。


2002年10月14日(月)

トップページと、このページのフォントの設定の微調整を続けております。

直メールボトルメール(どちらも感謝です!)を参考にして、直してみましたが、いかがでしょうか?

ちなみに、前のレイアウトでは、段組みたいなことをしていたわけですが、Palmscape(Xiinoも同じでしょうか)で、なかなかページの描画がはじまらないのが、気になっていました。

<table>タグでページ全体を囲んでいると、ブラウザは、ページ終端の</table>を読み込んでから一挙に描画する、とか、そういうことなのでしょうか。

現在のレイアウトは、目次にたどりつくまでに何度もスクロールが必要で……、大量のバナーがチカチカする「ある種のサイト」のようなデザインになってしまいましたが……。


2002年10月13日(日)

突然ですが、

興世王

ってご存じでしょうか。平安時代の実在の人物で、平将門のブレインだった人です。「おきよ・おう」と読みます。

大河ドラマ『風と雲と虹と』では、米倉斎加年さんが演じておられました。

平将門(加藤剛)は、一族から「けびいしのじょう(検非遣使尉)になれ」と適当におだてられて、京の都へやってきて、

そこで彼と出会うのですが、興世王、初登場の時、「名前は?」と将門に聞かれると、米倉さんは、

「おきよぉお〜♪」

と、歌ってるみたいな不思議なイントネーションで名乗っていました。

私の記憶が確かなら、最終回の1回前は、平将門が、従兄の平貞盛(山口崇)に、弓でこめかみを射抜かれたでシーンで終わり。

最終回は、平将門が亡くなった後の事後処理の話で、米倉さん扮する興世王が、夜、松明に照らされた陣屋みたいなところで、舌を噛み切って自殺する、かなりショッキングな場面があったのを覚えています。

登場から最期まで、あくの強い、インパクトのある役でした。

そういえば、藤原純友=緒方拳、くぐつの女「武蔵」=太地喜和子、田原藤太=露口茂とか、ほかにも、かなり「濃い」方々が出てました。

さらに、今調べてみたら、源護(どこだったかの「国司」の役ですね)は西村晃さん(かなり痩せていた記憶がある)、藤原忠平(京都で将門が仕えた大臣の役)は中谷昇さんだったようです。平国香=佐野浅夫、平良兼=長門勇とかも懐かしい。将門の土地を横取りした叔父さん役ですね。将門の奥さん(良子)は……、真野響子さん(『弁護士高林鮎子』!)。吉永小百合(貴子)、多岐川裕美(小督)のお二人は、子供心にきれいなお姉さんと思って見ていました。それから、草刈正雄さん、森昌子さんが「若手アイドル」(笑)として出演しています。

……が、えっと、そういう話ではなくて、問題は、

米倉斎加年

この名前の読み方。

我が家では、「よねくら・さかとし」だろうという説が有力だったのですが、どうやら、違うみたいです。

『花神』で桂小五郎を演じたりして、割と印象の強い方だったのですが、先ほど、googleで調べるまで、公式の読み方(「よねくら・まさかね」←絶対、読めない!)は、知りませんでした。

でも、あの人の顔を見ると、頭の中に、ちゃんと

米倉斎加年

という文字が浮かぶんですよね。読めないのに……。

「Zire」のことを考えていて、ふと思いだしてしまいました。似ているような似ていないような話ということで。


2002年10月12日(土)

風邪が流行っているようですね。私も先週末から調子が悪いです。

レイアウトを少し変更してみました。もし表示におかしなところがあれば、ご一報ください。(フォント指定のやり方、Macの方などもこれで大丈夫なのか、自信がない……。)


2002年10月11日(金)

「ザイア(Zire)」か、それとも、「ザイヤ(Zire)」か。

ま、どっちでも良いと思うのですけど……、

よく似た発音とされる「fire」を、googleで検索してみました。

「Wired」も、「ワイヤード」、「ワイアード」が混在していますね。

「gear」は、単独では「ギア」と書くことが多いけれど、「gearbox」「gear -change」は、「ギヤボックス」「ギヤチェンジ」という書き方が結構あるみたい。

英語のカナ読み下しとしては、どっちとも決めかねる、お好みで、ということになるのでしょうか。

ちなみに、「ガイア」は? ……と思ったら、これは「gaia」という綴りでした。


2002年10月9日(水)

99ドルのザイア(Zire)、面白い展開ですね。

ライバルは紙の手帳、これまでパームに興味がなかった人への普及、というコンセプトも良い感じ。

「電子手帳」という原点に戻ったようにも見えます。

ただ、日本だとどうなんでしょうね。

私の義弟(妹の夫、公務員)は、数年前にノートパソコンを購入したのですが、

書類書きとか「インターネット」とか、決まったことしかせず、操作や設定がわからない時は、「詳しい友人」を呼んで、教えてもらっているようです。

その後、(妹に「本当に使いこなせるの?」と言われながら)デジカメを購入。

家族写真をたくさん撮っているようですが……、

半年くらい、パソコンにつなぐことなく、画像をメモり(スマートメディア)に貯めたままにしていました。^^;;

(ちなみに、現在は、画像をパソコンに転送して、CD-Rに焼くやり方もわかっているようです。)

日本には、まだまだ、こういう非パソコン層というか、パソコンが日常的でない人たちが結構いるような気がします。

で、「電子手帳」を家電並みに普及させようとしたら、こういう現状を考えないといけなくなるのではないか、と思ったりします。

そういう

「非パソコン・ユーザーのための電子手帳」

いわば、「非パソなPDA」は、せめて、データが単体で(できれば自動で)バックアップできてほしいし、ひらがな入力とか、手書き認識を標準で使えたほうがよさそうな気がします。

本気でそういうことを考え始めると、現行のパームとは、かなり違ったものになるでしょうけどね。むしろ、Zaurusでしょうか。

(でも、HotSync技術=パソコンとの連携が簡単、というのは、「非パソ」な人にとっても、緊急時の保険として、メリットだと思います。)

そこまでやるか、というのが、いずれ、日本のPDAの分岐点になるような気がします。(ザイアがそこまで見据えた機種とは思いませんが……。)

そして、

VaioのSONYが、「非パソ」の急先鋒になるとは考えにくいですけど、逆に、「非パソ」家電の段階になったら電子手帳(PDA)に参入してもいい、という会社もあるんじゃないか、と思ったりして……。

P. S.
 英単語のカタカナ表記の一般慣習がどうか、というのはさておき、文字の並びとしては、「ザイヤ」より「ザイア」の方が、格好いいと、私は思うのですが……。


2002年10月8日(火)

はじめて飼う人が鳥を選ぶポイント [2002/10/06]
(WithPalmNet)

初心者は、できるだけ元気で健康な小鳥を選びましょう。――そういうことになるんでしょうね。

こういう言い方を見ると、つい、選ばれなかった「不健康な」鳥たちは、どうなるんだろう……、と考えてしまいますが、それは、お店で責任を持っていただくしかない、ということでしょうか。

私のところにも、昨年の2月からインコが一羽います(白ボタンインコ、たぶんオス)。

ちょうど、全国規模のオフ会mak21の2日くらい前に、ウチに「飛び込んで」来ました。

寒い日でしたが、ふと気がつくと、家の窓(集合住宅の4階)を外からコツコツ叩いていました。

人が近づいても逃げる気配がなくて、窓を開けてやると、犬が飼い主にじゃれるように、すごい勢いで飛びついて、まとわりついて離れなかったです。

アワを買い与えると、相当、お腹が空いていたらしく、一心に食べていました。

我が家にペットがやってくるのは、私が子供のころ以来ですから、本当にひさびさ。

とりあえず、飼い主が見つかるまでと数日飼って、

そのうち、母は、情がわいたようで(赤ちゃん時代にかわいがっていた孫=私の妹の子供が、その頃、幼稚園に入り、なつかなくなって淋しかった様子)、このまま飼ってやろうと、鳥かごを購入。

……「彼」は、こうして我が家に居候することになりました。

改めて、えりえりさん基準でチェックしてみると、

どうやら、初心者にもお薦めの健康優良児のようです。

逆に言えば、それだけバイタリティがあったから、寒空の中を生き延びて、我が家にたどりつけたのでしょうね。(カラスの声でビビったり、結構、小心者ですが。)

ものすごく人なつこいので、おそらく、かなり大切に飼われていたような気がします。

それに、なついた飼い主から逃げ出すような性格ではなさそう。(ふとしたはずみでカゴの外に出ても、人にまとわりついて、じゃれるだけで、一向に飛び回らないんですよね。完全に「飼い鳥」です。)

前の飼い主さんは、何かの事情があって、捨てなければならなかったのかなあ、と想像しています。

こういう縁もあるんですね。


2002年10月6日(日)その2

「花神」の音楽は、林光。

社会派のイメージが、「生涯一技術者」のアンチ・ヒーロー村田蔵六に合っているような気がしないでもないような……。

「新・八犬伝」も懐かしい〜。坂本九さんが懇談調のナレーションをやってたんですよね。「ジン・ギ・レイ・チ・チュウ・シン・コウ・テイ(仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌)」とか、「カントウカンレイ・オオギガヤツ・サダマサ(関東管領、扇谷定正)」とか、語呂が良くて妙に耳に残っています。


2002年10月6日(日)

「一発勝負」の功罪ということを、最近よく考えます。

音楽やお芝居は「一発勝負」、本番にはやり直しがきかない、という言い方とか、

人間関係には「第一印象が大切」とか、

「つかみが大事」とか……。

この考え方の極限が、「人生は一発勝負」という言い方でしょうか。

実際には、逆の一面も同然あるわけですよね。多少のミスがあっても、そんなことは、音楽や演劇の致命的な欠陥ではない、とか、「見かけより内容が大事」とか、「人生に勝ち負けはない」とか。

でも、どういうわけか、「一発勝負」的発想のほうが「本音」や「成功の秘訣」とみられていて、アンチ「一発勝負」の発想は、「タテマエ」とか敗者への「フォロー」みたいなニュアンスで語られることが多いようです。

スピードとか即効性が求められる場面では、確かに「一発勝負」に賭けた方が有利、「第一印象」重視に傾くのだろうと思います。

でも、そんなに急いで(焦って)どうする、っていう状況もありますよね。

例えばクラシック音楽というのは、今さら焦っても仕方のないジャンルだと思います。

芸術には「センス」とか「才能」が重要という通念がありますけど、クラシック音楽は、何百年も前、今とは全然別の時代・環境で生まれたものなわけで、初めて聞いて瞬時に理解できるなんていうことは、ありえないです。

オペラや交響曲は、ヨーロッパ人やアメリカ人だって、時間をかけて勉強して、やっとわかってくるわけで、外国人が、ネイティヴでないことを引け目に感じる必要は、ほとんどなくなっていると言ってよいと思います。

むしろ、日本のクラシック音楽の世界は、「センス」や「才能」を言い過ぎて、英才教育とかに夢中になって、長い間、腰を据えた勉強(情報収集)を怠ってきたところが問題だったように思います。ヨーロッパの音楽家は、すごく勉強してます。

で、おそらくこれは、外国とのつきあい、大げさにいえば異文化交流一般に言えることなんじゃないか、と思ったりします。

別の風土で別の言葉でずっと暮らしてきた者どうしが、「一発勝負」で話が通じる、というのは、ちょっと信じがたい。同じ地球上の生物、同じ人類ですから、共通点は色々とあるでしょうし、接点は見つかると思いますけどね。

時間がたって、やっとわかる、ということがあるし、あって当然。

問題は、それだけの時間と労力をかけるかどうか。

北朝鮮とどうつきあうか、ということもそうだし、

外国のジョークが面白いか、というのも、やっぱりそうなんじゃないでしょうか。

「瞬時に」笑うことはできないかもしれないけれど、情報収集して、あとで「ああ、そういうことか」とわかるのであれば、それで、全然かまわないし、そういうものだという気が私はします。

衛星中継で、音声が遅れるのをみると、中継先との距離がリアルに感じられますよね。

ワンクッションおいてからわかる、というのは、自分と相手との距離がはっきりしたわけだから、「わかったふり」をしてしまったり、「わからん」とそっぽを向いてしまうより、一歩前進なのではないでしょうか。

私は、生まれながらに色覚がなくて、モノクロの世界に生きています。

だから、「真っ赤な夕日」も「澄み切った青空」も「ショッキングピンク」も知りません。

でも、色彩に対する人々のリアクションとか、色彩にまつわる話や言葉を聞いていると、こういうことかな、とイメージはできますし、

情報を増やしていくことで、漸近線のように、色彩に近づくことはできるだろうというつもりで日々を過ごしています。どこまで行っても、色そのものを「見る」ことはできないわけですけどね。

異文化とのつきあいっていうのも、そういうことなんじゃないかと思っています。

お互いの文化が完全に同化・統合されることを目指しているのではなくて(それはファシズム!)、他人同士のままでの、気長なおつきあい。

そして、世の中が多様化しているのだとしたら、ますます、気長なおつきあいが重要になるはず、と思ったりしています。

「世界一のおもしろジョーク」は、ジョークそのものがどうかというより、これをニュースにする時の切り口を工夫してくれてもよかったのではないか、という気がしています。

 「音楽はすべての人にとって外国語なのではないだろうか」
カール・ダールハウス


2002年10月5日(土)

日本人には笑えないと評判の「世界一のおもしろジョーク」

「落ち着いて。大丈夫。まず死んでるのか確かめなさい("Just take it easy. I can help. First, let's make sure he's dead.” )」

という電話オペレーターの台詞を、ハンターが直訳的に理解して、

"Just take it easy." →「もっと簡単に考えなさい。」

"I can help." →「わたしはあなたを助けることができます」

"let's make sure ..." → 「彼の死(he's dead)を確実(sure)にしなさい(let's make)。」

と言われたと思ってしまった。電話窓口での慣用的な(たぶんマニュアル化された)言い回しが、

「(どうればいいかとおたずねですが)それは簡単なことです。教えてあげましょう。まず、彼を確実に殺しなさい。」

という正反対の意味にも取れてしまう、という言葉のシャレのような気がします。

ブラックジョークなのは変わりないし、英語特有のネタでしょうから、そのままで「世界に通じる」とは思えませんが……。

でも、窓口のマニュアル化された応対をパロディ化するギャグというのは、よくありますよね。そういうところは、世界共通なのでしょうか?


2002年10月4日(金)

新しいクリエNXは、CFスロットでAirH"が使えるんですね。一瞬、心が動きました。初のOS 5ですし。人気が出そう。

ところで、まったく関係ありませんが、朝日新聞の三谷幸喜のコラム(「ありふれた生活」)を見ていたら、この一文。

僕にとっても幸四郎さんといえば、なんと言っても大河ドラマの「黄金の日々」。高校一年から二年にかけて、彼が演じた……「助左」に、完全に自分を投影させていた。

ああ、やっぱりそうか、と納得でした。

『王様のレストラン』を初めて観たときに、「あ、『黄金の日々』の人」とワクワクしたのを覚えています。「伝説のギャルソン」というのは、「助左」=昭和50年代の市川染五郎さん(当時)が、松本幸四郎になって、平成のテレビ・ドラマに戻ってきたというお話に違いないと。

そういえば、オープニング曲(服部隆之)は、たぶん西部劇のイメージだったのでしょうが、フル・オーケストラで、大河ドラマ風に聞こえないこともなかったですね。

ちなみに、これもどうでも良いことですが、『黄金の日々』のテーマ曲は池辺晋一郎(『元禄繚乱』も面白い音楽でした)、『草燃える』は湯浅譲二(変拍子が格好良かった)、『風と雲と虹と』は山本直純。『花神』は……誰でしたっけ?



all these contents are written in Japanese
by 白石 (Tomoo Shiraishi: tsiraisi@osk3.3web.ne.jp)