京フィル第149回定期公演
「ショスタコービッチ生誕100年記念」

白石知雄

ドミトリィ・ショスタコーヴィチ(1906-1975)というと、真っ先にソヴィエト共産党の文化政策との確執が話題になります。奇しくも、今回の演目、「ハムレット」組曲とピアノ協奏曲第1番は、彼の舞台作品が社会主義リアリズムに反し、「音楽というより荒唐無稽」と批判された事件(1936年)の直前の作品、弦楽四重奏曲第3番(「管楽器と弦楽器の交響曲」の原曲)は、当時の教育人民委員ジターノフにより、彼の音楽がプロコフィエフらとともに民衆から遊離した「形式主義」と糾弾された事件(1948年)の二年前の作品です。

ただし、ショスタコーヴィチは、亡命したストラヴィンスキーやラフマニノフと違って、ロシア革命そのものには共感していたと思われます。彼の父は大学在学中から革命運動を支援した左翼のインテリでした。ショスタコーヴィチ本人もレーニンを尊敬していたと伝えられ、彼の芸術観の基盤は、海外との交流が奨励されていたソヴィエト初期、「ロシア・アヴァンギャルド」時代に形成されました。のちのスターリン体制との確執は、反ソ・反体制というより、左翼内部の苛烈な路線対立に由来すると解釈すべきでしょう。

作曲者の死後、アメリカで公表された暴露本的な『ショスタコーヴィチの証言』(1976年)は、現在では、亡命評論家ヴォルコフが恣意的に編集した偽書と検証されています。本人は、ソヴィエトの外に出れば救われるとは考えていなかったはずです。後半生の虚無感は、むしろ、西側にも東側にも、地上のどこにも心を許せる場所を見いだすことができず、いわば、虚空にメッセージを発する心境だったように思われます。

弦楽器と木管楽器のための交響曲 ヘ長調 作品73a(バルシャイ編曲)

これは弦楽四重奏曲第3番を、作曲者の許可を得て指揮者ルドルフ・バルシャイが室内オーケストラに編曲した作品です。原曲は、第二次大戦後1946年の完成ですが、大戦末期の交響曲第8番(1943年)との関連が指摘されています。暴力を示唆するスケルツォ、哀悼的な短調のパッサカリア、虚無的な終楽章が両作品に共通します。1945年の交響曲第9番で終戦の解放感をパロディ風の議古典主義でやり過ごしたショスタコーヴィチの心の中には、戦後も戦時中と同じ悲観が持続していたのでしょうか。彼は、交響曲第8番を「ファシズムというより、あらゆる形態の全体主義的体制について」の作品とコメントしています。そしてボロディン弦楽四重奏団のチェロ奏者ベルリンスキイは、弦楽四重奏曲第3番に、次のような標題があると主張しているそうです。

第1楽章「嵐の前の静けさ」(ソナタ形式、のどかなポルカと短調の主題の組み合わせ。)

第2楽章「不穏な物音と予感」(三部分形式、融通の効かない反復と中間部の弱音の対比。)

第3楽章「解き放たれた戦争の力」(変拍子の激烈なスケルツォ。)

第4楽章「死者へのオマージュ」(葬送風の主題を繰り返すパッサカリアの合間に、嘆きの歌が挿入されます。)

第5楽章「永遠の問い――なぜ? そしてなんのため?」(ロンド形式、虚ろな八分の六拍子と、奇妙に陽気な四分の二拍子の組み合わせ、後半で忌まわしい記憶が蘇るように第4楽章が再現します。)

ピアノ協奏曲 第1番ハ短調 作品35

ショスタコーヴィチは、十五歳で「ハンマークラヴィア・ソナタ」を弾きこなし、1927年には第一回ショパン・コンクールにソ連代表として出場した第一級のピアニストでした。ピアノ協奏曲第1番は、オペラ第二作「ムツェンスク郡のマクベス夫人」完成の翌年1933年に、演奏活動を再開するべく、新たなレパートリーとして書き上げられました。

メカニックなピアノ独奏、とぼけた味わいのトランペット独奏、それをバックで支える弦楽合奏という三つの音響体が衝突するモダンな作品で、曲のあちこちに引用やパロディが散りばめられています。この頃ショスタコーヴィチは、「クラシック音楽に笑いを回復したい」と語っていたそうです。前衛と大衆性の両立を信じることのできた、彼の青春の最後の日々を象徴する作品と言えそうです。

第1楽章は、深刻ぶった主要主題(「熱情ソナタ」のパロディ)と、脳天気なマーチ風の副次主題によるソナタ形式。第2楽章(三部分形式)は、抒情的な弦楽合奏と、ピアノの人工的な「前衛言語」による歌が対比されます。間奏風の第3楽章に続き、第4楽章は、冒頭がハイドンや自作の引用、中間のトランペットはおそらくロシア民謡、ピアノのカデンツァはベートーヴェンのピアノ曲のパロディとされていますが、そんな詮索の余裕を与えない猛スピードの展開です。

ハムレット組曲 作品32a

1926年に交響曲第1番でデビューしたショスタコーヴィチは、二十年代ロシア・アヴァンギャルドの饗宴にやや遅れて参加した若手の一人でした。演出家メイエルホリドの劇場を手伝い、前衛映画作家たちと協同作業した経験がゴーゴリの不条理劇にもとづくオペラ「鼻」(1930年)に結実し、この作品により、さらに劇場関係者の注目を集めたようです。

「ハムレット」組曲には、ニコライ・アキーモフによる奇想天外な新演出(1932年5月、ヴァフタンゴフ記念モスクワ劇場)のために書かれた劇中音楽がまとめられています。第1曲「ハムレットと夜警」は、主人公が喜劇的に演じられたことをうかがわせます。第9曲「オフィリアの歌」でオペレッタ風に描かれるヒロインは、やけになり、飲み過ぎて死ぬ設定だったそうです。第11曲「レクイエム」はグレゴリオ聖歌(怒りの日)を引用する身も蓋もない紋切り型。第3曲「ファンファーレとダンス・ミュージック」や第8曲「宴会」では、気取ったクラシック音楽と見せ物小屋のレビューの要素が混淆し、第7曲「音楽のパントマイム」には、楽器を使ったギャグが用意されています。

(京都フィルハーモニー室内合奏団第149回定期公演、2006年11月26日、京都コンサートホール小ホール)

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by 白石知雄 (Tomoo Shiraishi: tsiraisi@osk3.3web.ne.jp)