京フィル第148回定期公演「大地の歌」

白石知雄

ワーグナー/ジークフリート牧歌

1870年末、リヒァルト・ワーグナー(1813-1883)が、この年正式に結婚した妻コジマの誕生日に捧げた作品です。彼女の誕生日の翌日12月25日の朝、スイス、トリープシェンの自宅で、チューリヒ・トーン・ハレ管弦楽団のメンバーにより演奏されました。

この頃、二十年越しの大作「ニーベルンクの指輪」の創作が佳境に入っており、この小品には、同第二日「ジークフリート」第三幕の動機が用いられています。英雄ジークフリートが、のちに我が身を犠牲にして世界を救済するブリュンヒルデと出会う重要な場面です。

しかし注目すべきなのは、この曲が単なるオペラの抜粋や要約ではないことでしょう。冒頭でヴァイオリンが演奏するのは、「純潔の動機」と通称され、ブリュンヒルデがジークフリートの清らかな心を讃える旋律。ドイツ民謡「眠れ、幼児」の引用や、森のざわめきを思わせる場面を経て、クラリネットが英雄を賛美する「世の宝の動機」、ホルンが確信に満ちた「愛の決心の動機」を演奏します。夫の作品を熟知していたコジマには、この曲が、二人の間に生まれた長男(オペラにちなんでジークフリートと名付けられた)を祝福する音楽だとすぐにわかったことでしょう。

マーラー[シェーンベルク編]「大地の歌」

グスタフ・マーラー(1860-1911)は、通俗性を排除する孤高の人ではなく、むしろ、進んで通俗を引き受けることで可能性を切り開く音楽家だったように思われます。彼は「第九交響曲を書くと死ぬ」と信じていたと言われています。これは、どう考えても迷信であり、たまたまベートーヴェンやドヴォルザーク、ブルックナーがそうだったに過ぎません。しかし、妻アルマの回想録によると、マーラーは、「縁起をかついで」、実質的に九番目の交響曲である「大地の歌」のスコアに「ひとつの交響曲eine Symphonie」と表記するに留めたとされています。しかも、この「ひとつの交響曲」の内実は、ハンス・ベートゲによるドイツ語訳の唐詩に作曲した全六楽章の管弦楽伴奏歌曲集。ベートゲのテクスト(「中国の笛」)は、中国語を忠実に訳したものではなく、既存のフランス語訳やドイツ語訳をもとにまとめた自由な意訳であり、「東洋」のイメージをヨーロッパ人の思い入れで誇張した、ややキワモノ的なエキゾチズムの産物です。

ところが、東洋幻想の歌曲集を「ひとつの交響曲」と呼ぶ、半ば真剣で、半ば自暴自棄の悪ふざけにも思える屈折した迂回が、結果的には、本当の「第九」=交響曲第9番から、未完に終わった交響曲第10番へ至る最晩年への道を開くことになります。「悠久の大地に比べれば、人生はいかにも短く儚い」という唐詩の無常観は、マーラーが若い頃から親しんでいたヨーロッパの厭世哲学に通じるところがあったのでしょう。哲学的な洞察と酒宴のたわごと、大地(自然)の摂理と逃避的な耽美趣味が渾然一体となる東洋の粋人の世界を異国趣味として楽しみながら、彼は、自分自身の姿をそこに重ね合わせていたようです。

ベートゲの詩集と出会い、「大地の歌」に着手した1907年(作品の完成は1908年)、マーラーは人生の転機を迎えていました。十年間務めたウィーン宮廷歌劇場音楽監督の退任が決まり、私生活では、五歳の長女がジフテリアで死去し、彼自身も当時不治とされた心臓病を宣告されるなど深刻な不幸が相次ぎます。ところが、表面的には、メトロポリタン歌劇場やニューヨーク・フィルと契約して新天地アメリカでの指揮活動が始動し、1910年9月には、ミュンヘンで大作「千人の交響曲」の初演が実現するなど、その後も多忙な日々が続きます。当時のマーラーは、ちょうど甘美な酒宴で無常を嘆く極東の詩人たちのように、内面の空虚と外面的な成功に引き裂かれる極端な乖離状況に置かれていたのです。

各楽章のタイトルと原詩は次の通りです。

第1楽章「大地の苦悩をうたう酒の歌」(李白「悲歌行」による)。詩の各段落を締めくくるリフレイン「人生は闇、世界は闇」はマーラーが書き足した言葉です。

第2楽章「秋に孤独な者」(銭起の詩によるが原詩不詳)。草花が色あせ、霧が立つ秋の湖面のわびしさは、日本人にも共感しやすい風景でしょう。マーラーのオーケストラ原曲も、本日演奏される小編成版と同じように室内楽的な薄い楽器編成で書かれています。

第3楽章「青春について」(李白の詩によるが原詩不詳)。陶器の家や翡翠の橋が小さな池に上下逆に映るという人工的で絵画的な情景です。

第4楽章「美について」(李白「採蓮曲」による)。岸辺で蓮の花を摘む少女たちの輪へ美少年が馬で乱入。全曲中で最も動きのある楽章です。

第5楽章「春に酔う者」(李白「春日醉起言志」による)。李白が豪放な酒豪だったことは、ヨーロッパでも知られていたようです。マーラーは大胆な和声で酩酊状態を音にしています。

第6楽章「告別」(孟浩然「宿業師山房待丁大不至」と王維「送別」による)。惜別する友を待つ孟浩然の詩と、日本でも愛唱されている王維の詩(「馬より下りて君に酒を飲ましめ/君に問う、何くにか之く所ぞと……」)が巧みにつなぎ合わされています。

中間の第3楽章から第5楽章で艶やかな東洋幻想が繰り広げられ、その前後の第2楽章、第6楽章の寂寥感とは際立ったコントラストを作っています。酒宴の喧噪の中で「人生は闇」と詠嘆する第1楽章は、甘美な幻想と醒めた厭世の混淆する作品世界を端的に示す一種の「巻頭言」と言えるでしょう。交響曲として見ると、第1楽章が全体のテーマを設定するアレグロの冒頭楽章。第2楽章は瞑想的な緩徐楽章。明るく躍動的なスケルツォを思わせる三つの楽章を経て、第6楽章はその前の五つの楽章を合わせたのとほぼ同じ長さで、大規模なフィナーレと解釈することができます。終曲で、「私は山へ行く、孤独な心に憩いを求めて」という一節がドイツ・ロマン派の「さすらい人の歌」を思わせる調子で語られ、人生の旅人は、最後に俗世に別れを告げて、平安の境地にたどり着きます(「愛する大地は……あたり一面に青き光、はるか彼方から、永遠に、永遠に」)。

「大地の歌」はマーラーの死後、1911年11月に弟子ブルーノ・ワルターの指揮で初演されました。今回演奏されるのは、初演の約十年後にアーノルト・シェーンベルクが草案した小編成の編曲版です。シェーンベルクは、保守的なウィーンの聴衆に絶望して自ら運営していた完全会員制の「私的演奏会」(1919-1921)で、この室内管弦楽版「大地の歌」の上演を計画していたようです。実際には「私的演奏会」が経済的な理由で中断して演奏は実現せず、編曲作業も中途で放棄されました。今回は、シェーンベルクが残した未完稿を1983年にドイツの音楽編集者ライナー・リーンが補作したものが演奏されます。

(京都フィルハーモニー室内合奏団第148回定期公演、2006年10月21日、京都コンサートホール小ホール)

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by 白石知雄 (Tomoo Shiraishi: tsiraisi@osk3.3web.ne.jp)