京フィル第146回定期公演
武満徹没後10年記念「武満徹の世界」

白石知雄

戦後、ほぼ独学で作曲を学んで、「弦楽のためのレクイエム」(1957年)を来日中のストラヴィンスキーに高く評価され、ニューヨーク・フィルの委嘱による「ノヴェンバー・ステップス」(1967年)で国際的に認知された等々、武満徹(1930-1996)の前半生の逸話は、多くの方がご存じでしょう。当時の武満は、実験的な手法を独自に咀嚼するストイックな音楽家と見られていました。しかし70年代半ばから、作風が変化しはじめます。今回取り上げられるのは、そうした武満徹の後半生の5作品です。

カトレーンII

70年代の代表作「カトレーン」は、アメリカの四重奏グループ「タッシ」(ピアノのP. ゼルキン、クラリネットのR. ストルツマン他)を想定した作品です。1975年に四重奏と管弦楽の「カトレーンI」が作曲され、2年後に四重奏版が作成されました。タイトルは「4行詩」を意味し、4つの独奏楽器、4の倍数の小節構造など、「4」を強く意識した作品ですが、これはただの数字遊びではなく、4小節や8小節の旋律、四声体書法など、伝統的な西洋音楽の発想を現代に蘇らせる試みと考えられます。「60年代=前衛」への決別は、メシアンの記憶とも結びついていました。曲中には、全楽器の艶めかしいユニゾンや、クラリネットの力強いクレッシェンドなど、メシアン「世の終わりのための四重奏曲」を思わせる箇所があらわれます。

雨ぞふる

80年代の武満徹の音楽は、独特の官能的な音に満たされ、いくつかの作品には、「雨の樹」や「海へ」など、水にまつわる題名が与えられています。「雨ぞふる」(1982年)の楽譜序文では、作曲者自身がこれらの作品を「水の風景」と呼び、「主題が様々な変奏を経て、調性の海を目指して進むような作品シリーズを書くことが作曲家の意図である」と書いています。曲名は、アメリカの詩人E. E. カミングズ(「雨ぞふる/すべての葉が轟き/音の中で落ちる」)に由来しますが、雨そのものというよりも、雨風に揺れる木や葉の動き、そして、流れ落ちる水の動きの音楽と見るべきかもしれません。緩やかな音のうねりは、不気味に速度を早め、最後に穏やかな呼吸を取り戻します。

トゥリー・ライン

「ノヴェンバー・ステップス」などを書いた60年代半ばから、武満徹は、長野県御代田の山荘を仕事場にしていたそうです。「トゥリー・ライン」(1988年)は、山荘近くのアカシアの並木へのオマージュ。「雨ぞふる」が、絶えず流動しつづける自然を捉える音楽だったのに対して、ここでは、観察者自らが自然の中を歩き、様々な風景に遭遇します。見慣れた並木道から、いつしか、夢の世界へ誘い込まれるような幻想的な作品です。

そして、それが風であることを知った

「カトレーン」がメシアンの影響下で書かれたのに対して、「そして、それが……」(1992年)は、ドビュッシーの晩年のソナタと同じ編成を用いた室内楽曲です。タイトルはディキンソンの詩の一節に基づいています。人の「いき」(呼吸)もまた「風」であり、「いき」を楽器に吹き込むことで「うた」が生まれる。ハープとヴィオラをともなって、柔らかく歌うフルートを聴いていると、そうした音楽の原点を考えさせられます。

群島S.

 武満徹は、オーケストラを、様々な楽器を配した「庭」に喩えるなど、音の空間性に、生涯、強いこだわりを持っていました。死の三年前に書かれた「群島S.」(1993年)はその到達点です。21人の奏者が、舞台上の3つのグループと、客席(左右2つのクラリネット)に分かれて、各々の「島」が、さざ波のように「うた」を交わします。「機械的にぶつかる音がまったくない」と初演時に評された響きは、晴れ間と曇り空、朝と昼間と夕暮れといった海の色と光の変化を連想させます。なお、「S.」という不思議な表記は、複数形の「S」であると同時に、彼が目にした各地の群島(ストックホルム、シアトル、瀬戸内海)の頭文字を指すそうです。

(京都フィルハーモニー室内合奏団第146回定期公演、2006年4月30日、京都コンサートホール小ホール)

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by 白石知雄 (Tomoo Shiraishi: tsiraisi@osk3.3web.ne.jp)