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2つの様式

カール・ダールハウス

Carl DAHLHAUS “Stildualismus",
in: Die Musik des 19. Jahrhunderts, Laaber 1980, S.7-13.


 ラファエル・ゲオルク・キーゼヴェッターは古い音楽に詳しかったのだが、彼が1834年に『ヨーロッパ西欧あるいは我々の時代の音楽の歴史』のなかで、自分の時代を「ベートーヴェンとロッシーニのエポック」と呼んだのは、ただ「ロッシーニ旋風」にあられもなく感染したからではないかもしれない。この取り合せは珍妙に思える。だがキーゼヴェッターの描写はまっとうなものであり、過去をそれ自身の前提に照らして再構成した歴史記述の基準になる。

 19世紀のイタリアのオペラが独自の音楽文化であって、ベートーヴェンの交響曲やワーグナーの楽劇からとりだした音楽概念で計測されてはならない、これは当然のことである。しかし、この当然を徹底するとどんな結論にたどりつくのか、つきつめて考えられたことは、これまでほとんどなかったかもしれない。ロッシーニの音楽が「それなりに」天才的だと認めることは、むしろ−−イタリア以外では−−留保を意味している。あくまで「それなり」であって、この種の天才は音楽のヒエラルキーのなかでランクが低い。人は、ぎりぎりのところで−−細部ではなく、全体について−−別の尺度をもちだす。「ベートーヴェンとロッシーニのエポック」というのは、文化史の描写であって、音楽史上の意味を特定していないというわけである。

 「2つの音楽文化」があって、それぞれの代表は、キーゼヴェッターが言うようにベートーヴェンとロッシーニである、これは、音楽概念に深く亀裂が走っていたという19世紀の音楽史の根幹にかかわることがらである。ここから生まれた様式の二元性は、オペラと器楽の違いを考えるうえで−−唯一決定的だとはいえないにしても−−きわめて重要である(ちなみにヴェルディは、イタリアのオペラとドイツの器楽の違いというように、それぞれに特徴的な形容詞をつけて考えている)。パガニーニとリストのヴィルトゥオーゾ音楽は音楽をロッシーニとおなじように考えており、ワーグナーの楽劇はベートーヴェンとおなじ美学を前提しているので、美的二分法の歴史的な有効範囲をはっきりさせるために、前者をオペラのヴィルトゥオーゾ性の器楽版、後者をベートーヴェンの交響曲のオペラ版と呼ぶこともできるだろう(これは、ワーグナーやヴェルディの歴史理解と一致する)。

 ベートーヴェンはいわゆる≪芸術≫の概念を音楽のために強奪し、そうすることでようやく、音楽は文学や造形芸術と肩をならべることができるようになったのだが、ロッシーニは19世紀に18世紀の精神をもちこしたので、≪芸術≫の概念と無縁であった。ベートーヴェンの交響曲は手をふれてはならない「テクスト」であって、解釈(読解)されるべきものである。反対に、ロッシーニの総譜は演奏(=上演)の計画図であり、音楽の善し悪しは、計画がどう実現されたかということで決まる。ロッシーニにとって、音楽は演奏という行為であって、作品−−テクストを鳴り響かせることで「解読」し、伝承する営み−−ではない。だから、総譜は劇場の条件にあわせて書き替えてもかわない(厳密に考えると、ロッシーニのオペラには「真正稿」−−「第1稿あるいは最終稿」−−がない。ひとつの稿から別のヴァージョンが諸般の事情でずれているのではなく、まるで主題のない変奏チクルスのように、ひとつの可変的な構想を実現した、おたがいに等価な一連の総譜があるだけである。)ロッシーニは歌手の要望を柔軟にうけいれるが、これは彼が美学的に無節操で、演奏が「成功」すれば、「テクスト」の「真正さ」などどうなってもいいと思っていたのではなく、そもそも演奏という行為以外に音楽の現場はないと考えていたのである。

 現代のコミュニケーション理論のように、音楽は楽譜、解釈、受容がたがいにささえあってなりたつと考えれば、ロッシーニの音楽概念のほうが「現実的」である。(作曲家、歌手、公衆のあいだに権力争いや足のひっぱりあいがあったとしても前提は変わらない。現場の具体的な状況はいつも変化しているので、いさかいは絶えないが、原理的なヘゲモニーをめぐる抽象的な議論は起きない。)反対に、19世紀のベートーヴェン受容に浸透していったカテゴリーは、挑発的で異常なことを要求している。音楽史全体がそうしたカテゴリーにもとづいて書かれているので目立たないが、ベートーヴェン受容は音楽の歴史のいわば「異常事態」である。演奏はテクストに従属すべきだし、作曲家は、ベートーヴェンがイグナツ・シュパンツィヒを形容した「哀れなヴァリオリン弾き」のわがままを許さない、美学に通じた者は、それを当然だと思うかもしれないが、歴史家からみると、これは驚くべき事態であり、19世紀前半の人々もおなじ思いだったはずである。音楽のテクストに、まるで文学や哲学のそれとおなじように意味が込められており、それが演奏されても、意味が演奏に解消されるわけではない。つまり音楽は「理念的な芸術作品」になることができて、テクストとして、解読の彼岸に理念的な実体をもっている−−これはもともと画期的な考え方であり、ベートーヴェンが時代の美学意識に強引におしつけた考え方であった。

 変なことを言うようだが、ベートーヴェンがはじめからうまく受容されたのではないということは、そのこと自体が音楽史上の事件である。作品59よりあとの弦楽四重奏曲について、ロッシーニのオペラのように初演が「不評だった」という言い方をするのは適切でなく、ベートーヴェンの新しさをわからなくする。公衆は驚いて、悪い冗談ではないかと思ったのだが、いずれにしても、ベートーヴェンの作品で起きたことを、わかるべきなのにわからなかったような気がした。ベートーヴェンの作品に失望した者も、自分がわからなかった現象の背後に、努力すればわかるはずの意味があると思っていた。ベートーヴェンの音楽が当時の人たちにどれくらいわかったかということを調べるのも大切だが、それとおなじくらい本質的なのは、人々がベートーヴェンの音楽を−−文学や哲学のテクストのような−−「理解」の対象だと信じたことである。音楽が「理解」されるべきだという考え方の起源は1800年から数十年さかのぼるが、この考え方は、人々がベートーヴェンと出会ってから、ようやく音楽の歴史でとりあげなければならないほどの意味と影響力をもつようになる。ロッシーニの音楽の魔力は、「わかるべきなのにわからない」ものを含まない。しかしベートーヴェンの音楽は、音楽で起きたことにじっくり取り組んで、謎を解くべきだと思い込ませることで人を呪縛する。

「形式主義者」と「内容美学者」の論争の発端も、本質的には、ベートーヴェンをどう解釈するかということたったのではないだろうか。ベートーヴェンの音楽は、構造を分析して、作品それぞれで形式について考えられたこと(=形式理念)をたぐりよせると、その先に見えてくるのか、それとも、「秘められたプログラム」を見つけると、その先に見えてくるのか、これが論争の焦点であった。ところが、この論争は、たいていの論争と違って共通のことを前提している。ベートーヴェンの音楽の背後には「理念」があって、作品を美学的に評価するためには、それをつかまなければならない、これは両方の立場に共通の前提である。(ロッシーニの音楽の場合には、形式について考えられたことをたぐりよせようと構造を分析することも、ドラマの状況とアフェクトの一般的な輪郭の背後に繋留点を求めようとして内容を分析することも、どちらも必要ない。)ベートーヴェンの楽章全体を構造に還元して、そこに2、3の音の布置を読み取ったり、主体や「詩的理念」を描写して、器楽に意味と文脈をあたえようと学者たちが躍起になるのは、音楽の「第2の層」へ進み、ベートーヴェンの作品と美学的に同化しようと思っているからである。分析と解釈学、正確に言うと、「分析原理」と「解釈学原理」は、おなじ時代に、ベートーヴェン受容の困難から抜け出す正反対の出口として成立した。ベートーヴェンの作品が、19世紀と20世紀のほとんどすべての分析方法で−−アドルフ・ベルンハルト・マルクスからフーゴ・リーマンまで、そしてハインリヒ・シェンカーからルドルフ・レティまで−−実例になったのも偶然ではない。そして音楽解釈学、つまり音楽から聞き取れるアフェクト、性格、題材などをひとつの文脈に閉じこめようとする試み −−極端な場合には、物語にすること−−の対象は、シューマンとワーグナーからヘルマン・クレチマーとアーノルト・シェリングまで、いつもベートーヴェンであった。

 ベートーヴェンの作品からとりだされた音楽概念に洗脳された秘教的な公衆は、形式分析や内容解釈を誘発しないロッシーニのような音楽を、つかのまの気晴らしだと思っていた。19世紀後半になっても、たとえばヴェルディ論は、ほめるにしてもけなすにしても、どちらにしてもヴェルディを蔑んでいるところがあり、作品それぞれへの判断がどうであれ、基本的にヴェルディを「辻音楽師」と見下していた。そして今世紀の20年代までヴェルディはこのような不当な評価を受けていたのだから、ワーグナーへの不当な嫌悪など、物の数ではなかったといえるかもしれない。(音楽批評−−ただの引用やその場かぎりの判断におわらない「高級な」批評−−も、分析や解釈学とおなじように、ロッシーニとヴェルディではなく、ベートーヴェンとワーグナーが適切な対象だと思えるような形で音楽ととりくんできた。)

 「上位の形式理念」、主題と主題・動機加工といったカテゴリーと、「状況に結びついたアフェクト」、旋律とそのひきのばしといったカテゴリーは、2つの「音楽文化」のちがいをおおまかに整理して、美学と作曲技術の水準でとらえるための最初の手がかりになるだろう。それぞれのカテゴリーは、「派閥」の特徴をはっきりさせるために、せまく定義しておかねばならない。シューマンのように旋律が「ディレッタントの叫び声」だと言ってしまうと、旋律概念を公衆が日ごろ口にしている荒っぽいイメージから救いだして、音楽理論のための精巧な概念にしあげることができなくなる。

 マイヤーベアの《ユグノー教徒》(1836)第4幕の変ト長調のカヴァティーナこそ、19世紀のイタリアとフランスのオペラファンにとっての、「旋律」という白昼夢にほかならない。

(譜例)

マイヤーベアの楽想も、後述するベートーヴェンの楽想とおなじくらい短いが、これを主題と呼ぶのはしっくりしない。旋律としての内実が詰めこまれて4小節は自足しており、なにかがつづいたり、どこかへ発展する余地がないからである。この楽想に期待されるのは、もういちど聴きたい!ということだけである。

 旋律が閉じたものとして二重唱から迫りだし、もういちど聴きたい!と思わせるのは、ドラマの状況を考えると納得できる。ラウールとヴァランティンは、「歯車の回転」のように仮借なく進行する悲劇的な事件の渦中で、ひとときの愛を語らう。変ト長調のカヴァティーナの旋律の身振りは、この瞬間を音でとらえて、美しいカンタービレ、あるいはカンタービレな美という理想をぎりぎりのところて達成し、切実に訴える。旋律楽想が瞬間の表現として迫りだしているとすると、急き込むようなくりかえしと模倣から感じとれるのは、とどめようのない時間をそれでもとどめたいという思いである。(マイヤーベアの旋律技法はロックのテクニックとおなじで、たったひとつの楽想をサビにして、それをくりかえすだけなのだが、この技法は、ドラマに裏打ちされているので、美的ランクを保っている。)

 楽想を組み入れる形式は、いわば主要楽想の編曲である。全体がダ・カーポ原理で分節され(A1BA2)、A1はa1a2ba1に分節されるが、中間楽節は、中断や準備として主要楽想をひきたてる役目をはたしている。旋律楽想は、表出するカンタービレないしカンタービレな表出であって、これぞベルカントとでも言うべきものだが、フレーズbの6小節は、脇役として語りに撤しつつ、主要楽想へもどるべく急き立てる推移である。そしてB部分の18小節は、主要楽想をそれほどカンタービレでも表出的でもなく変奏し、錯乱してどもりがちに語りながら、再現を準備する。再現が停滞を破る爆発として輝くのは、このB部分のおかげである。つまり、形式は主題をどこかへ発展させるのではなく、旋律をひたすら顕揚している。旋律楽想が、主題楽想のように帰結を導き、そのことでようやく隠れていたものを示すのではない。中間楽節は道具でしかなく、本来の旋律を中断することで、それに新しい光を当てる。そしてカヴァティーナのドラマ上の役割についても、まさに音楽の「瞬間形式」を話題にできるかもしれない。迫りだした瞬間は、文脈のなかにおさまることでその真の意味を獲得するのではない。ここで事件と呼ぶべきなのは、瞬間がいわば自分のなかに経過を折りたたんで孤立していることである。文脈がどうでもよく、ポプリにおけるようなただの場だというのではない。しかし文脈は部品を組み立てた全体ではなく、個を輝かせる背景なのである。

 しかしそうはいっても、変ト長調のカヴァティーナは、二重唱全体の経過のなかに縫いつけられている。カヴァティーナは、イタリアの術語で言うとカバレッタに対するカンタービレであり、カバレッタという速いテンポの終結部には、バーテルミーの夜に鐘が打ち鳴らされるというドラマ上のきっかけがあたえられている。また、カヴァティーナにはアレグレット・マエストーソとアレグレット・モデラートが先行して、結局、二重唱の4つの部分は、リズムがおたがいに対照的で、ソナタ・チクルスの楽章をまとめているのとよく似た感性の論理を感じさせる。そして二重唱全体には、直前にくすんだグランディオーソの重唱で描かれた惨劇が影を落としている。

 イタリアとフランスのオペラを音楽の総概念とする音楽文化と、ヨーロッパ全体からみると−−モーツァルトがいたにもかかわらず−−器楽の伝統を意味したドイツ音楽の伝統は、19世紀になると、ジャンルや国の様式の対立を越えて、音楽概念の対立として定着した。そしてマイヤーベアの変ト長調のカヴァティーナをベートーヴェンのソナタ楽章を比較することはほとんど無理だとすると、「2つの音楽文化」のあいだの断層の深さをはっきりさせるためには、なぜ比較が無理なのか、不可能性の基盤をさぐっておかねばならない。

 ニ短調ソナタ(作品31の2、1801/02)がシェークスピアの『テンペスト』と関係する というアントン・シントラーが伝えたベートーヴェンのコメントは不可解だが、この作品については、ほかにも、この作品で「新しい道」を切り開いた、という1802年ごろのベートーヴェン自身の言葉が伝えられている。そしてこのソナタの第1楽章は、しばしば分析の対象になり、ベートーヴェンの形式思考の典型とみなされてきました。この形象は不規則であり、不規則を通じて、中心課題をはっきりさせている。この芸術の本質は、「問題になる」ことなのである。

(譜例)

この楽章は、プレリュードのようにはじまる。ゆるやかなテンポの分散和音も、「鱗のような」(フーゴ・リーマン)アレグロ音型も、とても話の本題(主題)だとは思えない。こうした身振りは、まだ話の枕(導入)であるかのようである。ところが、分散和音が含蓄のある姿に固まった第21から41小節は、音楽形式学のイロハに照らすと、主題の提示に分類できない。この部分は、調を閉じることなく、副次主題へ向かって転調しており、進化の部分、つまり第21から24小節をモデルとする発展的変奏と考えられるからである。

(譜例)

ベートーヴェンの「新しい道」を告げるソナタの技法と、イタリアやフランスのオペラの基本カテゴリーの対立を描写するためには、形式分析が解決すべき問題を素描するだけで十分だろう。イタリアやフランスの音楽文化の基準に照らして楽想と呼べるようなものは、ベートーヴェンのニ短調ソナタには見あたらない。この作品は、主題や旋律を「閃く」ことから出発するのではなく、形式について考えている。分散和音は特徴を欠き、ぱっとしないが、楽章冒頭と第21小節での凝固を、ソナタ形式の伝統的なカテゴリーと矛盾するやり方で結びつける。楽章冒頭は、一見すると導入のようだが、あとから見なおすと提示だったように思える。調を閉じ、萌芽的であるにしても主題を最初に刻印しているからである。また反対に、分散和音を含蓄のある姿に固めるのは、まさしく提示の身振りだが、調をみると、おなじ部分が転調している。しかし、最初の解釈をいわばスライドさせた2番目の解釈が「本来の」適切な解釈だというわけではない。聴き手は、形式をめぐる考えをトリックとして見抜こうとするのではなく、両義性としてありのままに−−美的原理として−−受けとめなければならない。主題提示の身振りと調が矛盾することは、形式の欠陥ではなく、形式の意味である。それゆえ、ベートーヴェンが作品31の2で実現した音楽形式は反省されねばならない。形式をわかるためには、図式を前提しなければならない。図式からずれることで、器楽の中心的なカテゴリーである主題概念について、構想が変わったことが告げられるからである。一方の導入のような冒頭と、他方の推移のモデルが「主題」だと思えるわけで、「主題」はこう言ってよければ、規則どおりに提示されるのでなく、「まだ〜ない」と「もはや〜ない」に解消されている。第1小節はまだ「本来の」提示ではなく、第21小節はもはや「本来の」提示ではない。「本来の」提示は作品31の2のどこにもない。主題は、基本形として具体化することがなく、まるで主題を隠した変奏であるかのように、形式プロセスの諸状況に即して、いろいろな姿であたりに散らばっている。

 ニ短調ソナタは形式について「重層的」に考えている。「表層構造」では導入のような冒頭と、主題モデルを転調する進化部分が対立するが、「深層構造」(無邪気な聴き手にはわからないような)では、第1小節と第21から22小節の分散和音が結びついている。どうしてもそう解釈しなければならない。この結びつきがなければ、伝統的な主題概念を調と身振りへ分解したことがわからないからである。そしてこのような分解を想定しなければ、この楽章をソナタ形式のヴァリアントと解釈することができない。

 他方で、このような音楽形式はいわゆる《プロセス》である。主題は、音楽という論文の対象というより、むしろプロセスのただの材料であり、プロセスは、材料に形式上の役目を授け、そうすることで音楽の意味を支える。反対に、マイヤーベアの変ト長調のカヴァティーナのような形式では、音楽の経過が手段であり、それ自身で意味をもつ楽想を顕揚する。旋律の実体(「閃き」)が音楽の総概念であるような音楽文化は、機能的な思考に支配された音楽文化と対立する。後者は、作曲家の出発点になる材料ではなく、そこから引き出された発展が美的に決定的だと考る。これは、旋律の実体が形式という目的のための手段になるべきであって、いつでもベートーヴェンの作品31の2におけるように質素でなければいけないということではない。しかし、旋律がみすぼらしく、特徴を欠いていたとしても、形式について考えたり、それを具体化したプロセスの推進する力がなくなったりすることはないだろう。旋律の「閃き」が数小節に凝縮されて、形式がただの編曲である状態が音楽のひとつの極限だとすると、ほとんどゼロの状態から出発する実体なき形式プロセスは、もうひとつの極限なのではないだろう。


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