仕事の記録と日記

白石知雄

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2003年7月30日(木)

演奏会評の記録を更新。『朝日新聞』夕刊(関西版)に、9日の関西フィル定期演奏会の批評を書きました。


2003年7月26日(土)

午後、宮本妥子パーカッション&マリンバ・ライブ(京都府立府民ホール・アルティ)。舞台一杯に打楽器を並べて、太鼓が打ち鳴らされますし、各種音響を合成したテープとの共演その他、20世紀の音楽家が開拓した実験的な手法も遠慮なく使われているのですが、全体の印象はすっきりまとまっていました。それが、彼女のキャラクターなのかな、と思いました。宮本さんは、同志社女子大からフライブルク音大へ進んで、現在もヨーロッパと日本を行き来しながら活動を続けておられます。

夜は安田華子さんのヴァイオリン・リサイタル(バロック・ザール)。前半のモーツァルトとブラームスのソナタを聴かせていただきましたが、会場の規模などから考えても、弾き方に、もう少しきめ細かな工夫があった方が聴きやすいように思いました。ピアノは岡部佐慶子さん。


2003年7月23日(水)

異色のソプラノ歌手、ナタリー・ショケット公演(京都コンサートホール)。イタリア(椿姫)、ドイツ(魔笛の夜の女王)、アメリカ(ポーギーとベス)、フランス(カルメン)、ラテン・アメリカ(ブラジル風バッハなど)、日本(蝶々夫人)、ソ連(カリンカなど)、ミラノ(オ・ソレ・ミオ)、中国(トゥーランドット)のオペラ・アリアをそれぞれの国にちなんだ設定で演じてゆくショート・コント集。クラシック音楽を気軽に楽しんで欲しい、というのは、最近、多くの人が言うことですが、この人は、とことんやってくれます。力づくで笑わされて、脱力しきったところに、トゥーランドットなどが聞こえてくると、ほろりとさせられてしまいます。でも、目の前で進行しているのは、本当にお下劣なギャグ……。極めてダイナミックな笑いでした。ピアノのスコット・ブラッドフォードも芸達者。合唱(京響市民合唱団)も頑張っていました。


2003年7月22日(火)

演奏会評の記録を更新。『朝日新聞』夕刊(関西版)の「最近のステージ・シネマから」という欄に、12日のいずみシンフォニエッタ大阪定期演奏会の寸評を書きました。


2003年7月21日(月)

午後、金聖響・大阪センチュリー交響楽団によるロマン派名曲演奏会シリーズ「新世紀浪漫派」の第2回(ザ・シンフォニーホール)。メンデルスゾーンの交響曲「イタリア」、「スコットランド」とヴァイオリン協奏曲(独奏:アナスタシア・チョボタリョーワ)。このシリーズのセールス・ポイントは「ピリオド・アプローチ」。具体的には、(1) 2管編成、(2) 対向配置、(3) ビブラートの自粛、(4) 現場の慣習よりも楽譜の指定を優先、といったところでしょうか。でも、ヴァイオリンのアナスタシアは、そんな指揮者・オーケストラ側の「自主規制」などおかまいなく、自由に弾いていましたし、金のクライバーのように優雅に両手をはためかせる指揮ぶりは、文献が「古典的=非ロマン的」だったと伝えるメンデルスゾーンの指揮法(ピリオド楽器という言い方にならって言えば、「ピリオド指揮法」でしょうか)とは随分違うような気がします。むしろ、「歴史」のしがらみを脱ぎ捨てた、「新世紀」の軽やかな音楽。そして、そこが金聖響の人気の秘訣なのかな、と思います。「ピリオド・アプローチ」というスローガンは、ヨーロッパで、歴史意識の徹底として出てきたものだと思いますが、この人の場合には、過去の因習・しがらみを抜け出すための口実なのかもしれませんね。(一方、先日聴いたスダーンの痙攣的な手の動きは、古典音楽という死者の心臓を、高圧電流のショックで、なんとか、もう一度動かそうとする救命医の−−むなしいと言えばむなしいけれど、当人にとっては切実な−−蘇生術だったのかも。一口に「ピリオド・アプローチ」と言っても、人それぞれのようです。)


2003年7月18日(金)

菊池洋子さんのピアノを聴きに、東京まで行ってきました(東京交響楽団・東京芸術劇場シリーズ第69回)。ユベール・スダーンの指揮で、モーツァルトのニ短調協奏曲。モーツァルトの楽譜に、限界ぎりぎりの工夫と表情(と自己アピール)を盛り込んで、とても充実した演奏でした。準備と条件が整えば、次の機会には、他の作曲家も弾いてくれるに違いないと期待しています。(3月以来、これで菊池さんの演奏を4回聴いたわけですが、とりあえず現時点で総括するとしたら、最も完成度が高いのは、ザルツブルクでも演奏するというモーツァルトのハ長調協奏曲、演奏家としての可能性を感じさせてくれたのは、ショパンの作品25の練習曲ということになるでしょうか。)

往復の移動中は、坂井栄八郎『ドイツ史10講』(岩波新書)を読んでいました。「ドイツのヨーロッパではなく、ヨーロッパのドイツ」(トーマスマン)という視点で、ドイツの歴史を読み直す試み。確かに、ドイツは、民主主義が根付くことで変わってきいるし、フランスの中央集権に対して、地方分権は、ドイツの大きな特徴のひとつだと思います。


2003年7月17日(木)

大阪センチュリー交響楽団のいずみホール定期演奏会。沼尻竜典の指揮で、ベルリオーズのオーケストラ歌曲集「夏の夜」(メゾ・ソプラノ:栗林朋子)とシューマンの「ライン」交響曲という選曲は興味津々でした。が、ベルリオーズは、朦朧として輝きも繊細さもなく、シューマンは、響きがブヨブヨと水ぶくれ(そういえば、以前に、沼尻さんが京響を指揮したベートーヴェンも、こういう音だったような記憶があります)。演奏会冒頭は、武満徹「ハウ・スロー・ザ・ウインド」。


2003年7月16日(水)

いずみホールのピアノ・ソナタ全曲演奏会第3回。「田園」ソナタ、「ワルトシュタイン」ソナタなどを弾いた相沢吏江子さんは、どこまでも「自分流」なピアニストでした。


2003年7月15日(火)

大阪シンフォニカー交響楽団のいずみホール定期演奏会。「古典派の現在」というシリーズで、ハイドンの交響曲第97番ハ長調、モーツァルトの4つの管楽器の協奏交響曲K.297b、オーボエ協奏曲K.293(Robert D. Levinの補作)。18世紀の習慣を踏まえて、ハイドンを最初と最後に分けて演奏する、というのは、まあ、やりたければやってもかまわないこと。合奏が整っていれば、楽しめたのだろうと思います。


2003年7月14日(月)

演奏会評の記録を更新しました。


2003年7月13日(日)

午後、加古川で長岡教室内アンサンブルの演奏会(加古川ウェルネスパーク・アラベスクホール)。ナントの音楽祭で好評だったというヴィヴァルディ「四季」は、アンサンブルの質の高さも、自由な発想も、世界でどこに出しても通用するものだと思いました。11日には京都(京都府立府民ホール・アルティ)で演奏したそうですが、聴かなかった人は、本当にもったいないことをしたと言うほかないです。前半は、バッハ「管弦楽組曲第1番」と、武満徹「ア・ウェイ・ア・ローン」(弦楽四重奏)、「3つの映画音楽」。


2003年7月12日(土)

いずみシンフォニエッタ大阪定期演奏会(いずみホール)。ソリストとして活躍中の人たちをあつめた聞き映えのする演奏。「音楽の未来への旅シリーズ」の一環ですが、むしろ、これ以上ないほど今が充実しているという印象でした。ペルト「フラトレス」、リゲティ「メロディーエン」と、既に評価が確定した作品を並べたことも、安全で、冒険心に乏しいと思えてしまいました。他には、武満徹「トゥリー・ライン」(ドビュッシーのように瞬間の響きが美しい演奏)と、シュニトケ「合奏協奏曲第3番」(大谷玲子、鈴木玲子の独奏に比べて、オーケストラ・パートが大づかみ)。


2003年7月11日(金)

広島交響楽団定期演奏会(広島・厚生年金会館)。音楽監督の秋山和慶さんの指揮でロシアもの(R=コルサコフ「ロシアの復活祭」序曲、ボロディン「交響曲第2番」、キムラ・パーカーとの共演でチャイコフスキー「ピアノ協奏曲」)ですが、前回のスダーンの時の方が意欲的で楽しめました。今回は、あまり余裕がなかったのでしょうか。

往復の新幹線で、イヴァシキン『シュニトケとの対話』(春秋社)を途中まで読みました。シュニトケは、ユダヤ人の父とドイツ人の母の間の子供。ソ連に暮らす非ロシア人だったのですね。過去と現在の間の無数の時間、まじめと遊びの間の無限のニュアンスが混濁する「多様式」というのは、20世紀後半の音楽のイメージとして、とてもしっくり来るように思います。


2003年7月9日(水)

関西フィル定期演奏会(ザ・シンフォニーホール)。楽しげに指揮をする飯守泰次郎、マイペースなヴァイオリンの神尾真由子で、貴志康一「花見」「道頓堀」、メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」、チャイコフスキー「交響曲第1番」。


2003年7月7日(月)

大阪フィル定期演奏会(ザ・シンフォニーホール)。ガリ・ベルティーニ指揮で、私は、武満徹「弦楽のレクイエム」とシューマン「ピアノ協奏曲」(独奏:ゲルハルト・オピッツ)だけ聴きました。シューマンの第2楽章の歌を粘り気のあるやり方でくねらせ続けたところが、他から突出して面白かったです。


2003年7月6日(日)

午後、第8回国際モーツァルトコンクール優勝者コンサート(神戸新聞松方ホール)。ヴァイオリン部門優勝のエスター・ホッペ(渋めの音で、ピアノとの対話を大切にする演奏、独奏より室内楽向きかも)と、ピアノ部門優勝の菊池洋子を聴きました。菊池さんは、モーツァルトのピアノソナタ第3番と、ショパンのドン・ジョヴァンニ変奏曲。アンコールのモーツァルト「小さなジグ」、ロッシーニ「小さなカプリッチョ」を含めて、すべて、3月に栗東で聴いたのと同じ曲ですが、相変わらず覇気のある演奏でした。


2003年7月5日(土)

山下一史指揮、岩田達宗演出でモーツァルト「フィガロの結婚」(ザ・カレッジ・オペラハウス)。最後まで足早に駆け抜けてしまおう、という演出。オーケストラが、速さについていくために、細部を時々端折ってしまったのが残念。レチタティーヴォがひたすら早口でまくしたてたのも、微妙に違和感がありました。舞台(装置はシンプル)と客席が近い会場の室内劇風の雰囲気は、モーツァルトにぴったり。体調がすぐれず、前半で失礼しました。


2003年7月4日(金)

京都市交響楽団定期演奏会(京都コンサートホール)。岩城宏之さんの指揮で、一曲目:望月京「メテオリット」(隕石群の意味だそうです。地球上の生命の起源は隕石からという説に触発されたとか。作曲家だからといって、「ゼロからの創造」という観念にとらわれる必要はないのでは、と私は思います。「ヒュッ!」という擬音など、性格が際立った音色を、油絵風・高級芸術風に他と混ぜるのではなく、マンガ風・効果音風に、生のままで並べるのは面白いと思いました)、二曲目:武満徹「リヴァランRiverrun」(木村かおりのピアノと管弦楽の協奏曲。望月作品のあとで聞くと、中間色の響きを、いかにも「現代音楽」の音、と思ってしまいます)、三曲目:ラヴェル「ダフニスとクロエ」(合唱が加わったバレエ全曲版。羊飼いたちが、要請のようにふわっと浮かび上がるようなグリサンド、大理石の巨像がそびえたつような金管など、もしラヴェルが今生きていたら、オーケストレーションが抜群に冴えた作曲界の逸材と話題沸騰だったでしょうね。)


2003年7月3日(木)

大阪シンフォニカー定期演奏会(ザ・シンフォニーホール)。指揮者ウラディミル・ヴァーレクの調教により、画期的にまとまった演奏だったのではないでしょうか。ドヴォルザークの序曲「謝肉祭」、ヴァイオリン協奏曲(独奏:天満敦子)、交響曲第8番。



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by 白石知雄 (Tomoo Shiraishi: tsiraisi@osk3.3web.ne.jp)