仕事の記録と日記

白石知雄

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2003年6月29日(日)

古楽アンサンブルのアントネッロ(びわ湖ホール小ホール)。ライブハウスでカクテル片手に演奏してもおかしくない(その方が似合っているかもしれない)スマートなステージでした。


2003年6月28日(土)

いずみホールのベートーヴェンのピアノソナタ全曲シリーズ第2回、野平一郎さんで、作品10の3曲、作品13(「悲愴」)、作品31の3。ドイツ風に動機の論理を追って行くのではなく、響きの様相(テクスチュア)の変化に敏感に反応してゆくというスタイル。わかってしまうと、先が読めてしまいますが、やり遂げたのは、「立派」「優秀」。ブーレーズがドイツ音楽(ブルックナーやブラームス)を指揮した時の印象と、よく似ているように思います。


2003年6月27日(金)

大阪センチュリー交響楽団定期(ザ・シンフォニーホール)。ユベール・スダーンの指揮でウェーバー「オイリアンテ」序曲、モーツァルトの交響曲第39番。児玉桃の独奏でベートーヴェンピアノ協奏曲第5番。基本的には20日の広島と同じアプローチ。オケがひたむきだった分、広島のほうがスリリングでした。ウェーバーは、もしも「歴史的な」(=19世紀の)演奏スタイルを踏まえるとすれば、冒頭の騎士のリズムと、第2主題のアリアとで、テンポを意識的に切り替えるべきだったと思います。全体を「同じテンポ」で通したので、結果的に、歌は速すぎるし、騎士のリズムは遅すぎる、という風に聞こえてしまいました。最近は、初期ロマン派の音楽を、こういう風に「均して」演奏してしまう人が多いですね。


2003年6月26日(木)

ドミトリエフ指揮、サンクトペテルブルク交響楽団(ザ・シンフォニーホール)。ラフマニノフの第2交響曲と、チャイコフスキーの「悲愴」。飽きるほど繰り返し演奏したと思われるチャイコフスキーは、ちょうど、一頃の日本の楽団の年末「第九」公演のようでした。細かいニュアンスは摩滅して、大づかみなフレージングやリズム感だけが残った状態。その分、濃厚にロシア風ではあったと思います。


2003年6月24日(火)

ヨゼフ・ラスカのバレエとパントマイムのための作品「父の愛」初演(神戸女学院大学音楽学部第10回サマーコンサート、伊丹アイフォニックホール)。ラスカ(1886-1964)は、オーストリア生まれで、第一次大戦後に来日、宝塚交響楽団を指揮していた人。後期ロマン派(音楽のユーゲントシュティール?)風のところ、ウィーンのワルツ・オペレッタを思わせるところ、典雅なメヌエットなどを上品にまぜあわせた音楽でした。コルンゴルト(1896-1757)とほぼ同世代。世紀転換期の濃密な記憶を背負って20世紀を生きた人と考えればよいのでしょうか。

演奏会評の記録を更新。『朝日新聞』夕刊(関西版)の「最近のステージ・シネマから」という欄に、16日の小坂圭太ピアノリサイタルの寸評を書きました。


2003年6月22日(日)

午後、京都の堀川高校などで教えておられたという島崎清さんの傘寿のお祝いに、教え子7人のピアニストの演奏会(京都府立府民ホール・アルティ)。ラヴェル「ラ・ヴァルス」(岡部佐恵子)、ベートーヴェンのハ長調ソナタop.2-3(河野美砂子)、リスト「詩的で宗教的な調べ」(小島一江)など、典型的にアクロバティックではないけれど「音の数の多い」作品が続きました。


2003年6月21日(土)

午後、シチリアのカターニャ劇場によるベッリーニ「ノルマ」(びわ湖ホール)。タイトルロールはディミドラ・テオドゥッシュウ。柔らかい音でどこまでも歌手について行くオーケストラ(ジュリアーノ・カレッラ指揮)に感動しました。

夜は、ひょうたんで作った楽器による合奏「しぜんのかたち」(京都芸術センター講堂)。ひょうたんで楽器を作るのは面白そうですが、ひょうたんヴァイオリンでジプシー音楽、ひょうたんの胡弓で「序・破・急」、……というように、彼ら(代表:三木俊治)がやるのは、あくまで既存の楽器の「代替」。ひょうたん楽器の合奏を「ザ・ひょうたんフィルハーモニック」と呼ぶのは、まじめな遊びということでしょうか。楽器製作と演奏の技術はなかなかのものでした。そして、ひょうたんを使うことで低予算かつ自然に優しい、というのは売り文句。でも、合奏メンバー等々の人的資源を壮大に浪費しているような気もします。


2003年6月20日(金)

広島交響楽団定期演奏会(広島・厚生年金会館ホール)。前半は遅刻。親子室として開放されていた調整室から、スピーカーの音を聞くことしかできなかったのですが、菊池洋子さんのピアノ(モーツァルトの協奏曲第21番、聴けたのは終楽章だけ)は、素晴らしかったです。無理して広島まで行った甲斐がありました。後半のベートーヴェンの第3交響曲も、モダンな奏法と古楽器奏法を組み合わせる面白い演奏でした(指揮はユベール・スダーン)。


2003年6月19日(木)

小栗まち絵・小島一江によるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会最終回(神戸新聞松方ホール)。濁った響きや発音につきまといがちなノイズを、徹底的に排除した「美しい」演奏。指紋ひとつなく磨かれ、ホコリひとつなく掃き清められた高級家具のようでした。


2003年6月16日(月)

小坂圭太さんによるバッハ「パルティータ」全曲の圧倒的な演奏(イシハラホール)。客席には、『ピアノを弾く身体』の執筆者の皆さんが顔を揃えていらっしゃいました。


2003年6月15日(日)

午後、神戸市室内合奏団定期演奏会(神戸文化ホール・中ホール)。ハイドンの第10、11交響曲とバイオリン、チェロの協奏曲。指揮はゲルハルト・ボッセ。なるほどと思う場面は確かにいくつかありましたが、ちょっとボッセに依存しすぎなのではないか、という気もします。


2003年6月12日(木)

アンサンブル・神戸定期演奏会(神戸新聞松方ホール)。気持ちが先走っているような、かなり慌ただしい合奏。響きを刈り込んで、モーツァルト(交響曲第25番)やシューベルト(交響曲第4番)のリズムの面白さを浮かび上がらせるのは悪くないと思うのですが……。指揮はカルロス・シュピーラー、ピアノ(シューマンのイ短調協奏曲)は村越友子。


2003年6月11日(水)

エンリコ・ディンドによるバッハ無伴奏チェロ組曲第1、2、4番(京都府立府民ホール・アルティ)。スピードを緩めることなく、言うべきことを確実に語り、スケールが大きいのに口当たりは軽い。かっこ良すぎるくらい聡明な演奏でした。


2003年6月10日(火)

フルートの高木綾子、オーボエの広田智之、チェンバロの曽根麻矢子によるバロック音楽演奏会(京都文化芸術会館「室内楽の会」)。高木さんを聴くのは3度目、曽根さんを聴くのは2度目。今回も流暢な演奏ではありました。


2003年6月9日(月)

アレクサンドル・ドミトリエフ指揮、関西フィル演奏会(ザ・シンフォニーホール)。ショスタコービチのヴァイオリン協奏曲第1番を弾いた渡辺玲子さん、凄すぎます。


2003年6月8日(日)

午後、大谷玲子ヴァイオリン・リサイタル(神戸新聞松方ホール)。昨年、あれよあれよという間に(本人は責任の取りようがない形で)数々の栄誉を受けた人ですが、これが国内初のリサイタル。今やっと本格的なスタートを切ったところ、ということです。ルトスワフスキー(「パルティータ」)を、情の通ったわかりやすい音楽にまとめたのは、才能だと思います。7月に、いずみシンフォニエッタの演奏会で、シュニトケを聴くのが楽しみです。


2003年6月7日(土)

午後、岡田敦子ピアノ・リサイタル(バロックザール)。ロシア1910年代(「ソヴィエトによって無かったことにされた」栄華の日々」)のピアノ音楽が、過剰なまでにゴージャスに会場を満たしました。ラフマニノフ「音の絵」、クライスラー=ラフマニノフ「愛の悲しみ」、メトネル「おとぎ話」、スクリャービン第10ソナタなど。

夜、レクチャーコンサート・シリーズ「ピアノはいつピアノになったか?」の第2回「ハイドンの奇想」(ザ・フェニックスホール)。ハイドンのピアノソナタを、宮廷楽長による色とりどりの献上品として聞き直そうという、今回の講師・伊東信宏氏の提案。よく調整されたフォルテピアノ(J. A. シュタインの複製、演奏:小倉貴久子)で聴くと、エステルハージ・ソナタ第2番が、様々な「手」を組み合わせて、趣向を凝らした曲なのが、はっきりわかりました。


2003年6月6日(金)

アルバン・ベルク弦楽四重奏団の演奏会(いずみホール)。ベートーヴェンの嬰ハ短調四重奏曲の変奏曲楽章では、糸が切れたように拍子の感覚が消失するし、モーツァルトの変ホ長調四重奏曲(「ハイドン・セット」より)の冒頭のユニゾンは、調が曖昧な無重力状態。ベルクの作品3は、凶暴で獰猛で、恐ろしい音楽でした。


2003年6月5日(木)

私が、大学で音楽学を専攻することになって、研究室の先輩として、岡田暁生さんに初めてお会いした頃、岡田さんは、ドイツ留学の直前でした。まさに、

ようやくピアノのレッスンを再開する気になったのは、大学院も博士課程に入ってからのことである。(『ピアノを弾く身体』288頁。)

の時期です。そういえば、ピアノの「重力奏法」とはこういうものだ、と、コルトーの教則本などをテキストにして、ご自宅で、私相手に、ピアノのレッスンのようなことをなさったこともありました(すぐに「破門」されましたが)。また、当時は希少だったホロビッツのチャイコフスキーの海賊版LP(=「最大のお気に入り」、190頁)も、実際に聞かせていただきました。

確かに、当時の岡田さんは、「ピアノを弾く身体」を日々、鍛えておられました。

一方で、これは岡田さんがドイツへ留学された後のことですが、私がゼミでリストのヴィルトゥオーソ曲は面白い、というような発言をしたことがありました。そしてその後で、「心ある人たち」から、あれはいかがなものか、品性を疑う、という趣旨の忠告を承りました。1980年代の話です。

重要なのは「楽譜を読む」ことであって、身体から学ぶものなど何もないと考えていた[……](29頁)

という発想は、確かに、かなり最近まで、日本のクラシック音楽論の中には生き延びていたようです。

岡田暁生(編)『ピアノを弾く身体』(春秋社)は、身体に刻まれた諸々の記憶を呼び覚ます書物ですね……。

ところで、この本では、主に、舞台で極上の「芸」を披露する、鍛え上げられたプロの「身体」が扱われています。それは、勝ち上がった者がスターとしての栄誉を獲得し、そうでない者が、雇い主のためにこきつかわれる「楽士」生活に甘んることになる、いわば「体育会系」の世界。「構造分析」の呪縛を脱し、岡田さんは、見事に、「演奏する身体」の人へと転身を果たされたわけですが、やはり今も「体育会系」の人、全編にあふれる勢いと緊張感の点からも、そのように思いました。

でも、「演奏する身体」という提案自体は、おそらく、もっと「軟派」な領域にも通用する気がします。(本書にも、部分的にそういう方向への配慮はなされています。)

例えば、私(や岡田さん)が学生だった時代の音楽学研究室の主任教授、谷村晃先生は、まるで本を読むように、ピアノを弾く人でした。たどたどしくて、指使いも我流で、音も決して美しくない不器用なピアノです。でも、不思議と、その姿を見ていると、それがどういう音楽なのか、よくわかる気がしました。ヴィルトゥオーゾは、いわば、身体で考えているのだと思いますが、先生のピアノの音は、むしろ、楽譜を読み進める思考の足跡のようなものだったのかもしれません。

かつて、ソナタのような独奏曲は、自室で一人で弾いて楽しむ音楽だったという説があるようです。社交の場の「見られること」を意識した会話におけるのと、書斎で読書に耽るのとでは、自ずと身体の構えが変わってきます。自室で楽譜をつまびく身体にも、おそらく、ヴィルトゥオーゾの「聞かせる」身体とは、違った面があるはず。

例えば、シューベルトのピアノのぐずぐず感は、そういう書斎の身体性なのかもしれませんね。

P. S. 小岩信治さんの1830年頃のピアノ協奏曲論(241頁以下)も、興味深かったです。ここで、小岩さんが指摘しておられる協奏曲の「緩から急へ」の原理は、おそらく、ダールハウスが「情念のアチェルランド」と呼ぶ当時のオペラ・アリア=二重テンポ・アリアの原理に対応しているのだと思います。そして1810〜20年代のウェーバーやシュポアのようなオペラ作曲家の単一楽章協奏曲には、まさに、アリアそっくりのものがあります。そういうオペラ(長い伝統のあるショウビジネス)と密着した先例を踏まえて、1830年頃の様式化された協奏曲ができあがった、ということなのかもしれない、と思いました。


2003年6月2日(月)

7時からフェスティバルホールで、ビシュコフ指揮、ケルン放送交響楽団演奏会。1曲目は、ワーグナー「マイスタージンガー」前奏曲。ドイツの楽団のワーグナーということで身構えていると、弦楽器こそ、ざっくり弾いているものの、拍の足取りは軽く、メロディが流麗で、意外に爽やかな印象。2曲目は、庄司紗矢香さんの独奏でブルッフのヴァイオリン協奏曲。きまじめな演奏でした。(終楽章までくると、やや退屈。)

休憩中に移動して、そのあと、フェニックスホールで斉藤健寛さんのチェロリサイタルを後半だけ聴きました。コダーイとピアソラ。小坂圭太さん(岡田暁生さんの『ピアノを弾く身体』あとがきに名前が出てくる人)のピアノがすごかったです。

演奏会評の記録を更新しました。


2003年6月1日(日)

5/28のインマゼールのベートーヴェン演奏について、付け足し。



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by 白石知雄 (Tomoo Shiraishi: tsiraisi@osk3.3web.ne.jp)