仕事の記録と日記

白石知雄

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2003年5月30日(金)

演奏会評の記録を更新しました。「朝日新聞」(大阪版)に、関西の演奏会評を書くことになりました。


2003年5月29日(木)

大阪シンフォニカー交響楽団定期演奏会(ザ・シンフォニーホール)。ジョージ・ハンソンの指揮で、20世紀アメリカ音楽特集(コープランド「アパラチアの春」13楽器版、クレストン「サクソフォン協奏曲」、アイヴス「交響曲第3番」、バーンスタイン「エレミア」交響曲)。鳴りの良い健康的なバーンスタインが、一番、頑張った演奏だったでしょうか。ヘブライ語旧約聖書のテクストに作曲した終楽章の歌(メゾ・ソプラノ)は、びわ湖声楽アンサンブルにも参加している渡辺玲美さん。


2003年5月28日(水)

いずみホールの「8人のピアニストによるベートーヴェン、ピアノソナタ全曲演奏会」というシリーズの初回。インマゼールによる第1〜4番のソナタの演奏。楽器のコンディションは今ひとつだったようですが、華奢な音に見合った、いわば「華奢」で飄々とした弾きぶりを楽しませてもらいました。


2003年5月27日(火)

カウンター・テナーのドミニク・ヴィスのリサイタル(ザ・フェニックスホール)。少年のような声で歌われるシューベルト「アヴェ・マリア」(マリアへの思慕)や「丘の上の若者」(死との遭遇)はスキャンダラス。ふと、近親相姦とか、死体を見つめる子供を連想しました。ラヴェル「五つのギリシア民謡」やシャブリエのスペイン風の「お前の青い目」の異国趣味も面白かったです。

後半は武満徹の「うた」。フランス人のカウンター・テナーが、日本人の作曲した20年代キャバレー・ソング風のワルツを、ドイツ語で歌う等々……。「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」のようなインティメートな曲が、本格的なゴスペルとして歌われてしまったり、まさに、横断する音楽、「トランスミュージック」な一夜でした。


2003年5月25日(日)、26(月)

阪哲朗の指揮による関西二期会のシュトラウス「こうもり」公演を、尼崎アルカイックホール(25日)と京都会館第一ホール(26日)で観ました。昨秋のブゾーニ「トゥーランドット」同様に、ゆるみのない(=座を白けさせない)テンポで、スマートにまとまった喜劇。京都は、歌手のアンサンブルも抜群。日本語だから、お客さんにも、何がおきているか、はっきり聞き取れたのではないでしょうか。

楽曲解説の記録を更新しました。


2003年5月24日(土)

志賀雅子ピアノリサイタル(イシハラホール)。幻想曲を集めたプログラム(モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、シューマン)で、演奏は、むしろ、極めてかっちりしたものでした。


2003年5月23日(金)

サントリー音楽財団主催で「トランスミュージック」という演奏会のシリーズがはじまりました。初回は作曲家の猿谷紀郎氏が担当(いずみホール)。笙の宮田まゆみさん、「ウゴウゴルーガ」の岩井俊雄さんがゲスト。とりあえず、異分野の人との顔合わせという感じでしょうか。


2003年5月20日(火)

大阪フィルのいずみホール定期演奏会。若杉弘の指揮ですが、大フィルの小編成は、今のところ、フル・オーケストラの単なる縮小版。ベートーヴェンの第4交響曲の対向配置は、それなりに効果的ではありました。他に、サティ=ドビュッシー「ジムノペディ」、マルタン「7つの管楽器、ティンパニ、打楽器の協奏曲」。


2003年5月18日(日)

ハンブルク北ドイツ放送交響楽団(京都コンサートホール)。透明な響きのオーケストラ。シューベルト「未完成」の第二楽章冒頭など、弦楽四重奏みたいでした。指揮のエッシェンバッハは、器用に隅々まで制御できるタイプではなく、特定のメロディなどに、偏愛的なこだわりを示す人。オーケストラ(たぶん誰が来ても良い音楽を弾いてみせると思っているはず)は、万事わかった上で、そういう「変な人」で音楽にアクセントをつけようとしているのかな、と思いました。面白いマーラー(第5番)でした。大伽藍のようなクライマックスを築いてから、最後は、フレンチ・カンカンみたいに全部蹴散らしておしまい。


2003年5月17日(土)

午前11時から京都コンサートホールのオルガン演奏会。ヘルムート・ドイチェが怪我でキャンセルのため、ライナー・オスターが出演。バッハ、フランクの他に、リスト「コンソレーション」やワーグナー「ニュールンベルクのマイスタージンガー」前奏曲の編曲など。

町の中心の広場(=買い物客が集まる市場の隣)の教会で、昼間にオルガンの演奏会を開くというのは、ヨーロッパでよく行われている形。気軽に音楽を聴ける良い制度だと思います。日本のオルガン(があるホール)は、必ずしも街の中心、何かのついでに立ち寄れる場所にないのが、惜しいですね。


2003年5月16日(金)

大阪センチュリー交響楽団のいずみホール定期演奏会。ヴォルフ(イタリアのセレナーデ)、ベルク(室内協奏曲)、バルトーク(弦、打楽器、チェレスタの音楽)は、中央ヨーロッパ(オーストリア=ハンガリー二重帝国)の文化の多様性を感じさせる選曲。演奏も充実していました。


2003年5月15日(木)

大阪フィルのメンバーによる室内楽(大フィル会館)。オーボエ、ホルン、2つのヴィオラとコントラバスという珍しい編成のシュターミツの五重奏曲は、独特の深い音色で面白かったです。マンハイム楽派の音楽は、もっと注目されていい音楽のような気がします。前古典派的なフォルムと斬新な音色との組み合わせは、歴史的な遠近感を動揺させてくれるはず。(資料が十分に整理されていないのが、マンハイム楽派再評価の障害でしょうか。)

楽曲解説の記録を更新しました。


2003年5月12日(月)

演奏会評の記録を更新しました。


2003年5月11日(日)

午後、内田奈織ハープ・リサイタル(京都府立府民ホール・アルティ)。パリっとした大きな音で、大きな音楽を作っていました。オーケストラと共演しても映えそう。曲は、ヘンデルの変奏曲、タイユレールのソナタ、フォーレの即興曲と、長生淳の委嘱作「こだまうた」(試し弾きのような断片の積み重ねが、じっくり時間をかけて、tonalな歌をまとめてゆくという構成。それなりに説得的でした。ただ、ちょっとくどかったかも。)


2003年5月10日(土)

京響定期演奏会(京都コンサートホール)。ジャック・メルシエの指揮で、ラヴェル「マ・メール・ロワ」は淡いタッチを基調に、適度にメリハリが利いた好演。「左手のためのピアノ協奏曲」の一転したシャープな音も、横山幸雄のよく響くピアノとの組み合わせは悪くないと思いました。ドビュッシー「海」は、イケイケの演奏になってしまいました。(こういうのは、常任の大友直人だけにして欲しいです。)他に、シベリウス「大洋の女神」。


2003年5月9日(金)

大フィル定期演奏会(ザ・シンフォニーホール)。新音楽監督の大植英次のお披露目公演。合唱ありオルガンあり、バンダありの大仕掛けなマーラー「復活」交響曲。演奏会直前に、大植氏の2005年バイロイト出演が発表されるし、大植氏は、故・朝比奈隆の写真を指揮台上に置いて演奏(終演後に客席に写真を見せていました)、お客さんは、晩年の朝比奈さんの演奏会の時みたいに、最後は総立ちで拍手しているし……。大騒ぎの一夜でした。

若返りをアピールする前宣伝がなされていたせいか、なんとなく、器用でスマートな演奏を予想していたのですが、随分、力の入った棒で、オーケストラからは、(いつもの大フィル流の)タメのある音が出ていました。第1楽章など、腰を落として、一場面ずつ、じっくり進展、その後も、かなり重苦しい調子でした。終楽章の長調のエピソードで突如、指揮台上で(佐渡裕みたいに大きなジェスチュアで)踊り出した時は、何事か、と思いましたが、合唱を導入する前に、オーケストラを開放しておきたい、ということであったようです。各部分の方針・イメージをこうと決めるて、頑固に実現しようとするタイプの指揮者なのかもしれません。だとしたら、−−指揮の技術や音楽の好みはずいぶん違いますが−−前任の朝比奈隆と一脈通じるパーソナリティかも。


2003年5月8日(木)

加藤理彩子ピアノリサイタル(ザ・フェニックスホール)。「子供の戯れ〜ピアノで綴る音の絵本〜」と題して、シューマン「子供の情景」とドビュッシ「子供の領分」という定番中の定番と、珍しいチック・コリア(チルドレン・ソングズ)、ヴィラ=ロボス(「赤ちゃんの家族」)の組み合わせ。選曲はとても面白いと思います。でも、この4曲を説得的に演奏するのは、かなり大変。


2003年5月6日(火)

中野慶理ピアノ・リサイタル(いずみホール)。ブラームス晩年の小品と、シマノフスキ、スクリャービン、リスト「オーベルマンの谷」。19世紀のピアノ文献から、いわば「思索系」を集めたリサイタル。最後のリスト「メフィスト・ワルツ」やアンコールのファリャ「火祭りの踊り」での狂い咲きを含めて、筋金入りの真面目な演奏会でした。


2003年5月5日(月)

コー・ガブリエル・カメダ(Vn)とミゲル・プロエンツァ(Pf)のデュオリサイタル(京都府立府民ホール・アルティ)。カメダは、格好良くくずして弾く人で、弓が弦でこすれたりするノイズの使い方が上手。ただ、ピッチが(絶対音感的な意味で)正確で、音色の切り替えにも、ぶれがほとんどないので、パガニーニやサラサーテも、野趣あふれる演奏というのではなくて、ヴィルトゥオーゾの音楽を、精密にシュミレーションしているように聞こえました。ご本人のご意向はよくわかりませんが、アイドル並みのルックスで、これだけ弾ければ、確実にファンが付くでしょうね。


2003年5月1日(木)

New Musicologyを紹介する文章などが掲載された日本音楽学会の学会誌『音楽学』(48/2)が届きました。最近、同誌の編集後記には、毎号のように、査読の弁明が書き連ねられています。査読は辛いが雑誌の質的向上のために必要、ご理解ください、ということのようです。でも、査読の徹底などの運用努力だけで、雑誌の評価がどれくらい高まるものなのか、見通しは不明ですし、現状での査読は、人事査定(公募など)での格付け(査読のある雑誌に出た論文は、紀要論文などより評点が高い)が主たる存在理由のように思います。

はたして、日本にも「新しい音楽学者」はいるのでしょうか。そして彼らは、自らの論文が査読に通ることを目指しているのでしょうか?



all these contents are written in Japanese
by 白石知雄 (Tomoo Shiraishi: tsiraisi@osk3.3web.ne.jp)