仕事の記録と日記

白石知雄

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2003年4月29日(火)

大フィル・スプリングコンサート(フェスティバルホール)。旭堂小南陵さんの語り(どすが聴いて迫力のある語り)によるプロコフィエフ「ピーターと狼」、大谷玲子さんの独奏でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴きました(指揮、西本智実)。大谷さんは、第1楽章コーダで、断末魔のような弾き方をして、ああ、これは悲劇なのだ、と気づかせてくれました。役作りがしっかりした演奏。


2003年4月27日(日)

井上道義プロデュースで、モーツァルト・フェスティバル・オブ・オーケストラ・スターズの名前でメンバーを集めた演奏会(大阪国際フェスティバル最終日)。高橋知己(Cl)、川本嘉子(Va)、三輪郁(Pf)のトリオがしっとりした好演でした。クラシック音楽の現状で、盛大なお祭りなど、経済的にも人材的にも不可能。小さな編成でどんな音楽を、どんな人でやるか、そこに、音楽祭のセンス・見識が問われる気がします。


2003年4月25日(金)

宇宿真紀子(Pf)・宇宿直彰(Vc)ジョイントリサイタル(ザ・フェニックスホール)。姉弟のジョイント。弟さんは、デリケートで良いチェロでした。


2003年4月22日(火)

大阪国際フェスティバル第4夜は、珍妙な演奏会でした。

ウィーン・フィルのベテラン・フルート奏者ウォルフガンク・シュルツと、ハープの吉野直子に、指揮は秋山和慶、オーケストラは京都市交響楽団。どういう縁でこうなったのか、よくわからないようなキャストで、曲目も、武満徹(「スター・アイル」)、モーツァルト(フルートとハープの協奏曲)、エマヌエル・バッハ(鍵盤楽器のためのfis-moll幻想曲を、ヘンツェが1980年代にフルートとハープの協奏曲に編曲したもの)、R. シュトラウス(「ツァラツストラはかく語りき」)という、どこに焦点があるのかよくわからない内容。

エマヌエル・バッハの、だらだら続く繰り言のような私的なファンタジアが、フェスティバル・ホールの広大な空間で、何十人もの合奏で上演される、いたたまれないほどシュールな光景が、この演奏会の白眉だったのではないかと思います。

美しいわけでもなく、新しいわけでもなく、Extreme(サイード)なわけでもない、手間暇かけた末のルーズさに、惹きつけられました。


2003年4月21日(月)

増田さんが推奨しておられたのを見て、正高信男『子どもはことばをからだで覚える:メロディから意味の世界へ』(中公新書)を読んでみました。

音楽心理学の研究状況は、一時期、かなり集中的に調べたことがあって、(特に日本の研究者の)音楽の扱いがナイーヴすぎるのが残念なことだと思った記憶があります。(正高さんの本の35頁以下に紹介されている例もそうですが、西欧の研究者は、実験の目的に沿った音のオリジナル・サンプルを考案することが多く、一方、日本の研究者は、既存の楽曲をそのまま使って、なんとか、やりくりしようとする傾向があるようです。実験結果に対する日本の研究者の統計的な処理は、とんでもなく精密なのですが……。)

ともあれ、幼児の音楽能力を確かめる実験は、とても興味深いと思いました。

ただし、このお話に限らず、発生論を存在論に転用することには、慎重であるべきでしょうね。つまり、ある現象が、A -> B -> C という順序で発生したということは、その現象において、AがB、BがCより本質的だ、重要だということを必ずしも意味しない。例えば、おたまじゃくしは、後ろ足が前足より先にできるようですが、だからといって、それだけでは、かえるの後ろ足は、前足より本質的だとか、より重要だ、とはいえないですよね。同様に、幼児が最初にどんな能力を獲得するか(備えているか)という発生論は、音楽にとってどんな能力が重要かという議論(いわば音楽の存在論?)とは別の問題。ある現象において何が重要か、何がその現象を成り立たせている関与的なモメントか、というのは、発生論とは別の視点からの論証が必要なはずです。文学などの昔ながらの人文科学における、成立史研究と作品解釈は、ちょうど、この区別に対応しているのだと思います。(アリストテレスが、genesisとenergeiaとして両者を区別している、という記述をどこかで聞きかじった記憶があります。)

もちろん、成立史研究に触発されて、解釈の新しい切り口を思いつく、ということはあると思いますが。

以上、自分用の覚え書きということで。


2003年4月19日(土)

午後、びわ湖ホール声楽アンサンブル定期演奏会。ラモーからプーランクまでのフランス・オペラのアリア、アンサンブルの名場面集で、日頃は合唱の中に埋もれがちなメンバーの個人技(粒ぞろいでレヴェルが高い!)を知る機会になりました。コンサートの舞台で、フラメンコやフレンチ・カンカンを踊るのは、はっきりいって、かなり「寒い」パフォーマンスですが、指揮の佐藤正浩は、どんどん音楽を先に進めて、とまどう隙間を作らないようにしているようでした。合唱もめいっぱい声を張り上げて、スタインウェイをガンガン鳴らす(ピアノ:藤田雅、田部井剛)、攻めの演奏。王党派のスタンダールが毛嫌いしていたパリ19世紀の成金趣味を音にするとしたら、こんな感じで良いのかもしれません。面白かったです。


2003年4月18日(金)

ザ・カレッジオペラハウスでレオンカヴァッロ「道化師」(演奏会形式)。オーケストラ(山下一史指揮、オペラハウス管弦楽団)の熱演。舞台を引っ張ったのは、トニオ役の田中勉さんでした。


2003年4月17日(木)

大阪センチュリー交響楽団定期演奏会(ザ・シンフォニーホール)。常任指揮者を退任した高関健さんの指揮で、ウェーベルン「6つの管弦楽曲」、シューマン「チェロ協奏曲」(独奏、趙静)、バルトーク「管弦楽のための協奏曲」。バルトークの凶暴さは、ハンガリー出身のコンサートマスター、セデルケニさんの存在も大きいかったのでしょうか。


2003年4月14日(月)

大阪フィルの定期演奏会が、今月からザ・シンフォニーホールに移動。初回は、オルガンを活用したプログラムでした。プーランクのオルガン協奏曲とサン=サーンスの「オルガン」交響曲。サン=サーンスというのは、一般に思われているほど素直な音楽ではないような気がしました。


2003年4月11日(金)

長岡京室内アンサンブルが、昨年に続いて、大阪国際フェスティバルに出演(フェスティバルホール)。フセイン・セルメットと共演したモーツァルトのピアノ協奏曲が素晴らしかったです。会場(や打ち上げパーティ)には、「社主」村山美智子氏や、「長官」河合隼雄氏の姿も……。


2003年4月8日(火)

4/2の話に簡単に補足。

  1. 前にも書きましたが、ハンスリックの命題で、私は、「形式」という概念というか観点を明確にしたところに意味があったと思っています。後半の断定(「〜こそが唯一の対象であり内容である」)は、論争ゆえ勇み足とか、時代の限界(cf.『絶対音楽の理念』)くらいに考えておけばよいのではないでしょうか。のちに、この命題が形式主義の典拠のようになってしまったのは確かですけど、その点は、既にさんざん批判されている、今更な話ですし……。

  2. 「形式」は、形式主義が想定するような、全体に隙間なく作用する原理と考えると、面白くなくなる気がします。全体の「形式」が混沌としていたり、判然としなかったり、破れている場合だってあるし、部分の「形式」を問題にすることもできるわけですから。形式化という観点は、必要なときに、必要な範囲で利用すれば、それで十分だと思います。

  3. 形式主義に限らず、西欧の19世紀の音楽論の行き過ぎは、ここ数十年でかなり批判されているように思います。この期に及んで、まだ西欧の音楽観が抑圧的に作用していると感じられるとしたら、それは、西欧の幻影の影で、別の何かが作動しているのではないでしょうか。(特に日本の場合。)

4/2の文章は、「形式」について、柔軟に考えるためのヒントになればと思って書いたのですが、伝わりにくかったのでしょうか。ま、別にいいですけど……。


2003年4月6日(日)

大阪シンフォニカー合唱団第2回定期演奏会(NHK大阪ホール)。フォーレのピアノと管弦楽のためのバラード(ピアノ、奈良田朋子)、レクイエム、合唱曲「ラシーヌの雅歌」の他に、パヴァーヌの合唱版を聴くことができました(いかにもサロンの座興らしい思わせぶりな歌詞が面白かったです)。


2003年4月5日(土)

佐野成宏オペラ・アリア・コンサート(大阪国際フェスティバル)。良い声だと思いますが、アリアを数曲歌うだけの、なんとも愛想のない演奏会になってしまいました。広上淳一指揮、京都市交響楽団は、ヴェルディ、ポンキエルリなど、艶のある良い演奏でした。


2003年4月3日(木)

延原武春さんのオーボエ演奏会(ザ・フェニックホール)。シューマン、フォーレ、ドビュッシーの歌曲をオーボエで歌うという、還暦記念の企画。高田泰治の、半径数メートルの小さな空間だけを相手にしているような弾き方は、リート向きだと思いました。


2003年4月2日(水)その2

夜、マゼール指揮、バイエルン放送交響楽団(大阪国際フェスティバル)。ブラームスの交響曲第1番は、3年前にびわ湖ホールで聴いた時と基本的に同じ解釈。かなりマニアックです。オーケストラは、3年前の方が隙がなかったように思います。


2003年4月2日(水)

Toenend bewegte Formen sind einzig und allein Inhalt und Gegenstand der Musik.

ハンスリック『音楽美について』の有名な一節です。「音が動いた諸形式こそが、音楽の唯一の内容であり対象である」と訳せばよいのでしょうか。

西欧の音楽美学を講義したりする時に避けて通れない命題であるわけで、厳密に議論するのは、後の版でこの部分が書き直されていたりして面倒らしいのですが、とりあえず、私は、最初の「toenend bewegte Formen」という言い回しに焦点を当てて、ざっと説明してしまうことにしています。

toenend はsounding(鳴り響きながら)、bewegteはmoved(動いた)、Form(en) は形式(複数)ですから、ざっくり訳せば、「音が動いた形」。

「音が動いた(その結果としてできる)形」という微妙な言い方をしていて、他の箇所を合わせ読むと、「三部分形式」等々の定型(フォーマット)ではなくて、野球のバットの振り方を「フォーム」ととらえたりするのに近い、「ものの見方」が話題になっているらしいのですが……、

カール・ダールハウスなど、戦後ドイツの音楽学者たちは(おそらく中世のムシカ論や20世紀のセリエリズムを射程に入れて)、ハンスリックの言う「形式」が、「関係」概念なのだ、ということを強調する傾向があったようです。あれこれといくつもの音が鳴り響く状態を、一連の「動き」ととらえているところに、音と音を「関係づける」思考(志向?)がうかがえる、ということでしょうか。

(十二音技法で言う音列=セリーも「関係」概念。セリーは、移動や反転や逆行が可能な音程関係の抽象化された規定であって、セリーを楽曲内でリアライズする具体的な音高は、可変的です。だからこそ、その後、十二の半音以外の音素材を使った「セリー的な」作曲が可能になったのだと思います。また、ハンスリックは、「音楽美について」の中で、なるほど「和音」にも言及しますが、概して、「シンメトリー」といった、「非楽理的な」語彙で「形式」の具体例−−ベートーヴェンの管弦楽曲におけるフレーズの反復や類似−−を解説したりしています。ですからこれは、場合によっては、特定の時代や文化−−特定の音高・音価の座標軸−−に限定することなく、応用可能な「ものの見方」ということになるのかも。そのあたりが、現象学派の人に注目されたのでしょうね。)

この観点で言うと、ブレーズは、平均律十二音以外の素材を使っている場合でも、依然として「ハンスリック的」な作曲(形式化)を続けているし、ケージは、五線譜に記譜できる曲を書いている時も「非ハンスリック的」(離散的なハプニング指向)、ということになりそうです。また、「アンチ・ハンスリック」のロックとか、四天王寺舞楽の「ハンスリック的」側面、のような話題も、ありうるのかもしれません。(もしかしたら……。)

日本の音楽の現場が、「絶対音感」談義とか、音階・旋法論とか、西欧の音組織の枠組みを無邪気に前提して迷路にはまっている、というのは、なんとなくわかります。でも、その黒幕がハンスリックの音楽論であるかのように言うのは、私には、ちょっと違和感があります。「ハンスリックは悪くない、間違っていない」という風には思いません。でも、「その程度ではハンスリック(の可能性の中心?)に届かない、攻め方が違う」という気がします。

  1. 西欧伝統音楽の音組織(十二の半音の組み合わせ)を標準とみなす音楽の現場の慣習

  2. 音高と音価という(自然科学的に計測可能な)パラメータを特権視する傾向(これはこれで、根深い問題だと思いますし、ヘルムホルツやマックス・ウェーバーの批判なら、これが重要かも)

  3. 音響現象を「形式化」する主体の構え(これがはたして西欧文化に固有なのか、私には、よくわかりません)

せめて3つくらいに分けて考えないと、事態が混乱するような気がします。

……と、誰に言うともなく、つぶやいてみました。(笑)



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by 白石知雄 (Tomoo Shiraishi: tsiraisi@osk3.3web.ne.jp)