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ウェ−バ−と「ソナタ形式」

−《ピアノソナタ》作品二四冒頭楽章−

白石知雄

大阪大学文学部美学科『フィロカリア』12(1995)、131-142頁。


目次

序 問題設定

 カ−ル・マリア・フォン・ウェ−バ−(一七八六−一八二六)はオペラ、劇音楽の他に数多くのピアノ音楽も創作している。そして本論は、こうしたウェ−バ−のピアノ音楽、そのなかでも一八一二年から一八二二年に断続的に作曲された四つのピアノソナタの歴史的な位置づけを再検討しようとする研究の一環、その準備作業的な分析報告である。

 ウェ−バ−のピアノソナタは、今では演奏会やCDでレパ−トリ−に組み込まれることのない忘れられた存在であり、ピアノソナタの通史においても、傍流的にしか扱われることがない。そしてピアノソナタの通史では、同時代のヴィルトゥオ−ゾと呼ばれるピアニストたちの音楽との関係が強調されることが多い(1)しかしその 独特の楽曲構成法はウェ−バ−の器楽全般に通じるウェ−バ−の作曲史上の微妙な位置を踏まえておかないかぎり、十分に論じることができないように思われる。ウェ−バ−は、マンハイム楽派の流れを汲む作曲家ゲオルク・ヨゼフ・フォ−グラ−(一七四九−一八一四)に断続的に作曲を学び、その強い影響下で器楽創作をはじめた(2)そのため彼の器楽では、フォ−グラ−の独特な作曲理論の影 響がウェ−バ−独自の手法と複雑に絡みあっている。またウェ−バ−は、ほぼ同時代を生きたフランツ・シュ−ベルト(一七九七−一八二八)のように年長の同時代人ベ−ト−ヴェン(一七七〇−一八二七)の存在を意識し、その存在を前提として新しい器楽創作の可能性を模索したわけでもなかった。そしてそのことがウェ−バ−の器楽の特徴であり、ベ−ト−ヴェンの作品を器楽の「古典」として安易に前提しがちな我々にとって、ウェ−バ−の器楽を論じる場合の難点にもなっている。

 そこで本論では、ウェ−バ−の楽曲構成法とフォ−グラ−の作曲理論の関係およびベ−ト−ヴェン的な楽曲構成法との違いを、《ピアノソナタ》作品二四(ハ長調、一八一二年)冒頭楽章に即して整理することにした。具体的にはベ−ト−ヴェンの楽曲構成法との対比を基本的な枠組みとして、フォ−グラ−の作曲理論を必要に応じて参照しながら、ウェ−バ−のハ長調ソナタ冒頭楽章の分析を進める。

 その際、ベ−ト−ヴェンとの比較の焦点は、ベ−ト−ヴェンの音楽思考の基本原則、具体的には彼の初期器楽から抽出された、いわゆる「ソナタ楽章形式」という構造モデルと、ウェ−バ−の楽曲構成法の間の原理的な相違の理論化にある。ベ−ト−ヴェンとウェ−バ−には、楽曲構成法の出発点に基本的な違いがある。そして両者のすれ違いは、細部の比較を積み重ねるよりも、一見抽象論に思える原理的な考察によるほうが、むしろ鮮明に浮かびあがると考えたからである。(フォ−グラ−の理論への参照を部分的なものにととめたのも同じ理由からである。本論の目的は、フォ−グラ−の理論の影響を正確に測定してウェ−バ−の伝記研究の傍証を得ることではなく、ウェ−バ−の楽曲構成法の基本特徴を理論化することである。)

 またここでは「ソナタ楽章形式」とウェ−バ−の楽曲構成法のズレを問題にするわけだが、これはソナタの「規範」(そのようなものが存在したとして)からの逸脱を告発しようとするものではない。たしかに一九世紀半ば以後、ベ−ト−ヴェンの作品がソナタの「古典」とみなされ、ベ−ト−ヴェンの主に初期作品から抽出された形式モデルが規範的な拘束力を獲得するようになる。ベ−ト−ヴェンの作品から抽出された形式モデルが、あたかもソナタ全体の基本モデルであるかのように「ソナタ楽章形式」と呼ばれるのはそのためである。しかしベ−ト−ヴェンやウェ−バ−の時代には、ソナタというジャンルについて、各楽章のテンポ、性格、形式の輪郭などに関する漠然とした共通認識があったにすぎない。以下詳述するウェ−バ−の手法にある種の独自性が認められるのと同じように、ベ−ト−ヴェン的「ソナタ楽章形式」も、本来ベ−ト−ヴェンの個性的手法と呼ばれるべきものである。ソナタというジャンルは、ある手法を規範、他の手法を逸脱と決めつけることなく、複数の楽曲構成法上の可能性を内包する場であった。本論の分析を背後で支えているのは、このような認識である。

一 背景としての和声プラン

 ベ−ト−ヴェン的なソナタ楽章形式において、提示、展開、再現、あるいはその下位区分である主要主題、推移、副次主題といった概念は、各部分が全体のなかで果たすべき機能を指し示している。すなわちベ−ト−ヴェン的なソナタ楽章形式とは、和声、シンタクス、主題法といった楽曲構造上の諸パラメ−タが形式機能にそって組織され、また逆に各部分の形式機能が諸バラメ−タの布置としてのみ規定できるような楽曲構成法である。それゆえ、こうした「機能的」な楽曲構造において、たとえば推移で先行する主要楽節が変形されたり、展開部で主題が匿名のパッセ−ジへ分解されることは、楽想の機能転換ではない。ベ−ト−ヴェンの器楽作品における楽想の変形は、そのこと自体がその部分の形式機能を規定するメルクマ−ルのひとつだからである。そして、たしかにウェ−バ−の器楽の冒頭楽章も提示、展開、再現と呼び得る経過をたどっているようにみえる。 主調と属調の拮抗、 遠隔調への移行、 主調への復帰、このように呼ぶことのできる和声プランが認められるからである。たとえばハ長調ソナタ冒頭楽章の和声プランの概略は次のとおりである。

主調と属調の拮抗第一から六八小節
主調(ハ長調)第一から二四小節
(ハ長調からト長調への転調: 第二五から四一小節)
属調(ト長調)第四二から六八小節
遠隔調への移行第六九から一一三小節
(ト長調からニ短調への転調: 第六九から七二小節)
下属調の平行短調(ニ短調)第七三から九二小節
(ニ短調から変ホ長調への転調: 第九三から九七小節)
三度近親調(変ホ長調)第九八から一〇三小節
(主調への回帰転調: 第一〇四から一一三小節)
主調への復帰第一一四から一六一小節

 しかし、ウェ−バ−の和声プランは各部分の形式機能の弁別に直接役立っているわけではない。ベ−ト−ヴェン的なソナタ楽章形式の和声法との違いが最も際立つのは、中間部分である。ベ−ト−ヴェン的なソナタ楽章形式において、中間に位置する展開部はめまぐるしく転調を繰り返し、前後の部分から質的に区別された和声状況をつくりだす。一方、ウェ−バ−の中間部分は、たしかに遠隔調へ遠出しているが、そのつど特定の和声平面(この楽章の場合にはニ短調と変ホ長調)に、かなり長い間停留してしまう。そのため中間部分の内部に、特定の和声平面「での」停留と、ある和声平面から別の和声平面「への」推移的な転調という奇妙な下位区別が生じている。結局、ウェ−バ−のソナタ冒頭楽章の中間部分において重要なのは、遠隔調での停留による和声的色彩の変化であり、遠隔調間の移動は形式構成にとって副次的である(先の和声プランで括弧内に記載した部分がそれに相当する)。

 しかもこのような和声プランは、この楽章の経過において全体を支える土台もしくは背景でしかない。前景では、互いに性格のことなる無数の楽想がポトプリ風にめまぐるしく交替する。たとえばハ長調ソナタは(以下、譜例2参照)、減七和音の一撃に緞帳を切って落とすような一六分音符の下降がつづく、大胆なカデンツ(第一から四小節)ではじまり、一転してトリル風の内声が絡みつくカンタ−ビレ(第五から二〇小節)、そしてオ−ケストラのトゥッティを思わせる、ぶ厚い響きに支えられたファンファ−レ(第二〇から二五小節)と推移する。またソナタ楽章形式の用語法によれば副次主題に相当するト長調部分(第四二から六八小節)をみると、まず第四二から五七小節に軽快で技巧的なパッセ−ジワ−クがあらわれ、次に第五八小節からソプラノとテノ−ルの二重唱がはじまる。そしてこの二重唱は、次第に熱を帯びてカデンツァ風の減七の分散和音に解消され(第六四から六五小節)、最後にようやく開幕カデンツのヴァリアントという既知の素材が再登場して(第六六から六七小節)、提示部に相当する部分が締め括られる。

 このようなポトプリ風の楽想の交替と、先に述べた和声プランの関係は間接的である。和声プランは、ちょうど油絵の下塗りのように、前景の各楽想の表現や性格に背後から影響を及ぼし、いくつかの楽想をそのつど「同系色」のグル−プに染め上げる。そして各楽想の形式機能を規定するのは、同系色グル−プ内での楽想の相互関係である。たとえば先の例でいえば、ハ長調平面上にある楽章冒頭の第一の同系色グル−プ内において、カンタ−ビレ楽想が一六小節という息の長いペリオ−デを形成して中心的な要素として振舞い、導入カデンツとファンファ−レ楽想は、それを前後から取り巻く付加的な要素である。一方ト長調平面上にある第二の同系色グル−プでは、最初にあらわれる技巧的なパッセ−ジワ−クが一六小節つづく最も目立つ要素であり、ソプラノとテノ−ルの二重唱は先行するパッセ−ジワ−クと後続のカデンツァをつなぐ途中経過、「開幕」カデンツのヴァリアントは、カデンツァを受けとめる「締め括り」の役割を果たしている。

 和声が特定の平面に停留することと、楽想がめまぐるしく交替することは相互補完的な知覚のエコノミ−として説明できるだろう。和声がかなり長い間同じ平面で停留することは、和声の知覚を背後に退かせ、楽想の交替だけを際立たせる。和声を背景、楽想の交替を前景と呼んだのはそのためである。そしてウェ−バ−のソナタ冒頭楽章の最大の特徴は、楽想がめまぐるしく交替する前景の最前部、いわば表層とでも呼ぶしかない領域にあるのだが、そのことを論じるためには、ウェ−バ−の器楽観とフォ−グラ−の作曲理論の関係を整理しておかねばならない。

二 音の身振りのネットワ−ク

 ウェ−バ−の楽曲構成法は彼が師事したフォ−グラ−の形式理論を前提として、それを発展させたものと考えられている。そしてフォ−グラ−の影響を最も端的に示すのが、以下分析を進めようとしているウェ−バ−の初期器楽の独特の楽曲統一法である。

 フォ−グラ−は一八世紀の多くの理論家たちと同じように「主題一元論者」であり、コントラストやエピソ−ドも、「ひとつの素材ないし主題」と関係づけられねばならないと考えていた(3)そし てウェ−バ−がハンス・G・ネ−ゲリに宛てた一八一〇年五月二一日の手紙で展開する次のような器楽論も、一八〇三年九月から一八〇四年春のウィ−ン滞在中(および一八一〇年春から一八一一年二月のダルムシュタット時代)にフォ−グラ−の影響下で形成されたものと考えられている(4)

「芸術を仕上げる際の目標は、個々の楽想から調和のとれた全体を作り上げて、最大限の多様性のなかに常に統一−最初の原理ないし主題から生み出された統一−が浮かび上がるようにすることです。(5)

また、ここで詳述する余裕はないが、フォ−グラ−から高く評価されたと伝えられる彼のハ長調のピアノ協奏曲(一八一〇年)の冒頭楽章には、典型的な一元論的主題プロセスが認められる(6)

 ただし、フォ−グラ−は後にA・B・マルクスなどが考えたのとは別のタイプの主題二元論、すなわち「男性的な」主調の主要主題と「女性的な」属調の副次主題から出発する二元論ではなく、対照的な性格をもつ二つの主要楽節を冒頭に主調で提示して、その後の経過をこの二つの楽想に関係づけるような二元論的主題法の可能性を示唆している。

「交響曲には多くの場合、二つの主要楽節が存在する。ひとつは力強く、展開の素材となる。もうひとつは柔軟であり、熱を帯びた轟きを中和して耳に快い気晴らしをあたえる。(7)

そして先の一元論的な主題法同様、こうした独特の二元論的な主題法もウェ−バ−に受け継がれている。たとえばウェ−バ−が一八〇七年に作曲した第一交響曲の冒頭楽章では、この記述と符合するかのように、冒頭に「力強く」、「熱を帯びた轟き」と呼び得るトゥッティの開幕ファンファ−レ(第一から四小節)と「柔軟な」弦楽器のカンタ−ビレ(第五小節以下)が、いずれもユニゾンで提示され(譜例1)、この楽章のその後の経過が、絶えずこの「二つの主要楽節」に関係づけられている(8)

 そしてハ長調ソナタ冒頭楽章では、フォ−グラ−理論をフォ−グラ−自身が考えていた以上に発展させようとするかのように、「三つの主要楽節」、先に示したハ長調部分の三つの楽想にその後のほとんどすべての経過が関係づけられている(9)たとえばト長調部 分の冒頭、第四二から五七小節のパッセ−ジワ−クは、ファンファ−レ楽想(第二〇から二五小節)の右手の特徴的な運動細胞をパラフレ−ズしている(しかも二小節目の音進行は、ファンファ−レ楽想の二小節目を完全五度高い位置で模倣している)。一方、第五八小節以下のソプラノとテノ−ルの二重唱は、上行アウフタクトと四分音符で下降する歌いおさめ(ソプラノ)、トリル風の一六分音符の旋回(テノ−ル)といった特徴的な身振りでカンタ−ビレ楽想(第五から二〇小節)を暗示する。そして最後に開幕カデンツ(第一から四小節)のヴァリアントがあらわれることは、既に述べたとおりである(第六六から六七小節)。

 しかしここで注目したいのはこうしたフォ−グラ−の理論との符合それ自体ではなく、そこで問題になる楽章冒頭との関連を実際に担っているのがどのようなモメントか、という点にある。たとえばハ長調ソナタ冒頭楽章の場合、冒頭の楽想群との関連は、演奏の身振りや息づかいと密接に結びついた「音の身振り」とでも呼ぶべきレヴェルで形成されている。楽章開幕のカデンツとト長調部分を締め括るカデンツに共通するのは音塊の叩きつけと分散和音の急降下であり、ト長調部分の二重唱がハ長調部分のペリオ−デを連想させるのは、二重唱風の両手のやりとり、ソプラノ旋律のアウフタクトで急上昇してアプタクトで緩やかに下降する息づかい、テノ−ル声部のトリル風の旋回という三つのしぐさが共通だからである。そしてハ長調部分のファンファ−レとト長調部分のパッセ−ジワ−クの接点は、先に運動細胞と呼んだ、最高音だけが装飾的に鍵盤ひとつ分スライドする三和音の掴みにある。しかも、音塊と分散和音の急降下という部分形象の引用から、特徴的な運動細胞を抽出したパラフレ−ズを経て、複数の身振りの布置による漠然とした暗示まで、関連の密度は何段階にも差異化されており、そのことが、冒頭の楽想群との関連を保ったうえでの「最大限の多様性」を可能にしている。

 楽想間の関連というと、深層構造や根本イデ−といった、重要だが隠されたものの存在がイメ−ジされがちである。たしかにベ−ト−ヴェンの後期作品はラプソディ−風の分裂した表層の背後に「潜在的な主題法」(カ−ル・ダ−ルハウス)を想定させるし、「イデ−の変転」と呼ばれるリストの交響詩の手法では、鳴り響く出来事のなかでの楽想の変形が背後の「詩的イデ−」を指し示している。しかし一般にウェ−バ−の器楽の場合、楽想間の関連は鳴り響きの表層、ピアノ音楽であれば、ハ長調ソナタにみられるような演奏の身振りと結びついた領域、管弦楽であれば、楽器の音色や特殊な奏法と結びついた領域で成立している。ウェ−バ−の器楽における楽想のめまぐるしい交替は、一方で色彩的な和声プランを背景にもち、他方でその表層の演奏の身振りや楽器の音色が関連のネットワ−クに組み込まれているのである。

三 終結の論理

 ベ−ト−ヴェン的なソナタ楽章形式において、「再現」は、三段階で進むドラマの締め括りの場と位置づけることができる。提示部では主要主題と副次主題が主調と属調という調的対立を際立たせ、一方展開部では各主題が複雑な転調過程に翻弄され、同時に匿名のパッセ−ジに解体される。一方、再現部では各楽想が原型に復帰して、主調という同じ和声平面を共有することで、コントラストを著しく緩和する。

 ところがウェ−バ−のソナタ冒頭楽章では、主調への復帰にあたって、調停を必要とする対立や葛藤が存在しない。和声プランは第一義的に色彩の変化であり、前景では、表層の身振りや音色が関連の網を張り巡らすとはいえ、楽想がめまぐるしく交替するにすぎないからである(関連のネットワ−クは楽章冒頭を参照点とするため回想的な性格を帯びてしまい、未来へ向けた帰結がそこから導きだされることはない)。そして楽章の終結法も、ベ−ト−ヴェン的なソナタ楽章形式における再現とは別の性格を帯びている。

 楽章の終結は和声主導で進行する。主調から出発してつぎつぎ新しい和声平面を彷徨していた和声は、楽章の最後に至ってはじめて主調という既知のものへ回帰する。主調への回帰によって、和声は、色彩の変化から形式機能へ質的な変貌を遂げるのである。

 そしてウェ−バ−のソナタ冒頭楽章では、主調回帰の前後で、しばしば楽想の配列に変更が加えられる。たとえばハ長調ソナタ冒頭楽章の場合には、カンタ−ビレ楽想が変ホ長調から主調ハ長調への回帰転調の位置に押しやられ(第九八から一一三小節)、ファンファ−レ楽想が主調への復帰を壮麗に飾る(第一一四小節以下)。解決すべき問題を原理的にもち得ないウェ−バ−のソナタ冒頭楽章は、それまでの経過にない圧倒的な演奏効果を演出することによってのみ締め括ることができる。予想もしなかったやりかたで楽想の配列が変更されることによる不意打ちと、聴き手を圧倒する演奏効果(ハ長調ソナタの場合には壮麗なファンファ−レ)は、ウェ−バ−のソナタ冒頭楽章において、楽章終結に不可欠な構成要素になっている。終わりよければ全てよし、そこにあるのは「機械仕掛けの神」を思わせるドラマトゥルギ−である。

四 ウェ−バ−と「ソナタ時代の終焉」

 最後にハ長調ソナタ以後のウェ−バ−のピアノソナタの特徴、およびウェ−バ−のピアノソナタと後世のピアノ音楽の関係を素描して、今後の研究の方向を示唆しておく。

 ウェ−バ−のソナタ冒頭楽章は、ベ−ト−ヴェンのソナタ楽章と比較すると、既に一九世紀の器楽、すなわち一八三〇年以後の器楽を先取りする特性を備えているかのようにみえる。和声の機能連関ではなく色彩効果を基礎にしていること、そして楽想間の関連が論理的であるよりも遊戯的であること、こうした特徴は、ロマン派の性格小品や幻想曲を連想させる。また演奏の身振りや音色が楽想を関連づける構成的モメントになっていることは、従来のウェ−バ−論で指摘されてきたヴィルトゥオ−ゾの音楽との関係を見なおす手がかりになりそうである。

 ただしロマン派音楽との関係には、若干の注釈が必要ではある。ウェ−バ−と同じ時期にマンハイムでフォ−グラ−に師事した同門の友人ゴットフリ−ト・ヴェ−バ−は、一八一三年の『ライプチヒ一般音楽新聞』に掲載されたハ長調ソナタの作品評のなかで、冒頭楽章を次のように評している。

「それ[カ−タ−ビレのペリオ−デ]は、その帰結である先に引用した第二の音型[ト長調部分冒頭のパッセ−ジワ−ク]と結びつき、偶発的なエピソ−ドによるデコボコを排して、楽章全体に展開されている。しかし非常に機知に富み、多彩に秩序づけられているので、単調さではなく統一が感じられる。(10)

この文章は、前掲のネ−ゲリ宛ての手紙におけるウェ−バ−の器楽論を連想させる。「機知に富み」、「多彩さ」を保証する「統一」という言い方で、G・ウェ−バ−は、「最大限の多様性」のなかの「統一」をこの楽章に見ているように思われるからである。そしてこの文章から判断するかぎり、ウェ−バ−のハ長調ソナタは、フォ−グラ−を中心とする音楽家たちのサ−クルにおいて、あくまで彼らが共有する器楽理論の枠組みにそって理解されていたことがわかる(11)

 しかしウェ−バ−はハ長調ソナタ以後、あきらかにフォ−グラ−の理論をはみだすような作品を試みている。たとえば変イ長調ソナタ(作品三九、一八一六年)とニ短調ソナタ(作品四九、一八一七年)の冒頭楽章では、副次楽想に相当する属調部分に楽章冒頭の主調部分と関連づけられない新しい楽想が相次いで登場する。しかもこの二つのソナタは、単にフォ−グラ−の影響からの脱却を感じさせるだけでなく、ソナタをめぐる当時の通念にも抵触しはじめる。たとえば一八世紀末から『ライプチヒ一般音楽新聞』の批評をリ−ドしてきたフリ−ドリヒ・ロホリッツも、一八一八年にウェ−バ−の新作の二つのピアノソナタを論じるにあたって、次のような認識から出発せざるを得なかった。

「ピアノソナタの形式は、近年あらゆる面で拡大している。またすくなくとも「大ソナタ」という形容がその名に恥じない実質をもつような領域では、あまりにも変化が著しいため、旧来の規則の適用が期待されていないのである。批評は、これまで厳格に規則に固執してきたわけだが、これでは理論と世間一般の実践の間に対立をもたらすであろう。(12)

ウェ−バ−の新しい「大ソナタ」は、それまで自明と思われていたソナタ批評の基準に反省を迫るものと受けとめられたのである。

 そしておそらく、ここにウェ−バ−のピアノソナタとその後の一九世紀のピアノ音楽の直接的な接点がある。ロホリッツがウェ−バ−の新しいソナタへの当惑を語ってから二〇年を経て、ソナタというジャンルはシュ−マンによって終焉を宣告される。彼は一八三八年の文章のなかで「ソナタ全盛期(13)が過ぎ去り、ソナタには「 形式の練習(14)以上の意味がなくなっていると断言する。そして 彼は最後に、次のように呼びかける。

「ソナタを書くにせよ幻想曲を書くにせよ(名前が何だというのか!)、音楽のことだけを考えたまえ。他のことは、君の良き才能のおもむくままに。(15)

 ウェ−バ−自身にはソナタ時代の終焉が近いという認識はなかったかもしれない。ソナタは、まだウェ−バ−に不自由を感じさせるほど厳格なジャンルではなかったからである。そしてロホリッツも、ウェ−バ−のソナタに従来の批評の規則が通用しないと考えているが、それはこの作品が「大ソナタ」だからである。ロホリッツは、シュ−マンが示唆するソナタと幻想曲という対比をもちだす必要があるとは認識していない。しかし批評にみるソナタ概念の動揺と、ウェ−バ−の個人様式の発展の込み入った関係の延長上にシュ−マンの宣言を見据えることで、ウェ−バ−のピアノソナタ研究は、ソナタというジャンルが一九世紀に解体ないし変質してゆくプロセスを解明することに役立つはずである。そして本論で素描したウェ−バ−の楽曲構造の特質は、こうした構図のなかで今後さらに精密に論じられねばならない。


(1) William S. Newman, The Sonata since Beethoven, New York, Norton, 19722, pp.253-254; Dietrich Kämper, Die Klaviersonate nach Beethoven: von Schubert bis Skrjabin, Darmstadt, Wissenschaftliche Buchgesellschaft, 1987, S.58-61.

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(2) Joachim Veit, Der junge Carl Maria von Weber: Untersuchungen zum Einfluß Franz Danzis und Abbe Georg Joseph Voglers, Mainz u. a., Schott, 1990.

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(3) Joachim Veit, "Zum Formproblem in den Kopfsätzen der Sinfonien Carl Maria von Webers", in: Gerhard Allroggen, Detlef Altenburg (hrsg.), Festschrift Arno Forchert zum 60. Geburtstag am 29. Dezember 1985, Kassel u. a., Bärenreiter, 1986, S.189.

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(4) Veit, 1986, S.186.

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(5) Carl Maria von Weber, Briefe, Hans C. Worbs (hrsg.), Frankfurt am Main, Fischer, 1982, S.27.

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(6) Veit, 1990, S.316-318.

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(7) Veit, 1986, S.191.

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(8) Wolfram Steinbeck, "Mehr Ouvertüren- als ächter Symphonie-Styl", in: Friedlich Krummacher, Heinrich W.Schwab (hrsg.), Weber-Jenseits des "Freischütz": Referate des Eutiner Symposions 1986 anläßlich des 200. Geburtstages von Carl Maria von Weber, Kassel u. a., Bärenreiter, 1989, S.100-103.

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(9) ウェ−バ−は、このピアノソナタを創作する前年、一八一一年二月にフォ−グラ−のもとから独立している(ハ長調ピアノソナタは一八一二年夏、ベルリン滞在中に完成)。またすでに交響曲やピアノ協奏曲を創作していたウェ−バ−にとって、この作品は最初のピアノ独奏のためのソナタである。この楽章の複雑な主題プロセスは、新しい環境で新しいジャンルへの挑戦しようとする意欲のあらわれと解釈できるかも   しれない。

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(10) Allgemeine Musikalische Zeitung 15 (1813), Sp.596.

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(11) G・ウェ−バ−がト長調であらわれるパッセ−ジワ−クをファンファ−レ楽想ではなく、カンタ−ビレのペリオ−デの「帰結」と呼んでいることは、一見奇異な印象をあたえるかもしれない。おそらくここでG・ウェ−バ−が強調しようとしたのは、全体が楽章冒頭のハ長調部分に関連づけられていることである。そして、このような視点から出発すれば、冒頭の三つの楽想全体をひとつの楽想複合体とみなし、ト長調部分の楽想がその「帰結」であると呼ぶことは十分可能であり、本論での分析と矛盾するわけでもない。

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(12) Allgemeine Musikalische Zeitung 20 (1818), Sp.681.

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(13) Robert Schumann, Gesammelte Schriften über Musik und Musiker Bd.1, Martin Kreisig (hrsg.), Leipzig, Breitkopf und Härtel, 19145, S.394.

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(14) Schumann, S.395.

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(15) Schumann, S.395.

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