社長略歴/茂木正朗(モギマサオ)
            1954年6月生、兵庫県立長田高校卒業、1978年金沢大学工学部卒業.
           同年、稲畑産業入社. シンガポール及びインドネシアに6年間駐在. 
           インドネシアでは食品加工会社と輸出専門商社の2つの現地法人を設立.
           2社の社長及びジャカルタ事務所長との3役兼務を経験し営業だけでなく
           経営管理全般を学ぶ.  帰国後関西で遭遇した阪神大震災で悟ることあり
           1995年4月退社、18年間のサラリーマン生活に終止符を打つ.
           その後コンサルティング会社をベトナム・ホーチミン市に設立しベトナムへ
           進出する日系企業のコンサルティング業務を遂行するとともにベトナムで
           初めてのゲームセンターを開業し現地マスコミにも大きく取り上げらる.
           1996年 海外ビジネス研究会 を発足、1998年 有限会社スラマット設立、
            現在に至る.  
                                                 
       〜と書けばかっこいいけど実は今まで失敗の連続で今までボロボロの人生を歩んできました。
       以下はその失敗の数々です。

       1.インドネシアで
アヒルの養卵事業を立ち上げる♪♪
        顛末:アヒルが病気で全滅、投下資金300万円全て没。生き物は怖いな〜。

       2.ベトナムで初めてのゲ−ムセンタ−を開業しマスコミの寵児になる。
        金庫に入りきらないほどベトナムドンの紙幣を稼いだ♪♪♪
        顛末:この売上金はベトナム人から我々日本人に渡ることは二度となかった。
        出資した1,000万円は130万円に大きく元本割れし出資者に大損をさせてしまいました。

          さらに輸出したゲ−ム機代金約400万円も回収できず、ベトナム人に寄付をしただけの事業となった。
       3.ベトナムで蚊取線香工場を設立した。
        顛末:製造販売事業とも全て順調になりかけた最高のタイミングでベトナム人に
        会社を乗っ取られた。出資者に多大なる迷惑をかけこの頃真剣に自殺を考えた。

       4.日経新聞トップを飾るほどの有名ベンチャ−企業にヘッドハンテイングされ取締役に♪♪
        顛末:ストック・オプションの他に300万円分の超有望株が買えて喜んでいたら半年後倒産
        300万円の株券は紙くずになって全てパ−。

       5.外貨取引が自由化されドル高ヘッジのためレバレッジをきかせせ大量のドルを保有。
        顛末:あの忌まわしいニュ−ヨ−クテロ9.11事件でドルが暴落、3円幅のストップロスが
        ヒットし5分間で300万円の損。あの瞬間は北海道の阿寒湖の旅館でのんびりテレビを見て
        いたのだけど いや〜 まいった、まいった。


   
まだまだ書ききれないほどの失敗を重ねてきたけど今まで生きてこれたのは暖かい家族があったからこそ、
   いごごちのいい会社を家族と相談もせずに勝手に辞めてしまい家族には苦労ばかりかけてきました。
   でもいつの間にかもう50歳、もう失敗は許されない年齢だし今までの失敗から学ばないとね。   





                            メ−ル