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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 青磁社通信 Vol.26◆

〜巻頭七首〜
北向地蔵

小池 光
 

古き友と飲みてひさしぶりのカラオケに「上海帰りのリル」われは歌へり

正月の夜のテレビにひとり見てわづかばかりも『鉄道員(ぽつぽや)』に泣く

正月三日に煙草を買へばお年始に水色のライターひとつくれたり

病室の母のもとに来ていつものやうにふたりの娘(むすめ)にメールをしたり

機械浴終へたる母のすべすべの毛のなき眉をふと撫づるかな

わが財布にいま入りゐる六枚の一円玉をつよく意識す

バス停の「北向地蔵(きたむきぢざう)」は乗る人も降りる人もなくバス過ぎてゆく


〜エッセイ〜
「文語・口語」


片山 由美子
 

 二十一世紀のいま、読むことはともかく、曲がりなりにも文語を使うことができるのは歌人・俳人くらいのものだろう。短歌の世界では「主に口語派」がかなりの割合を占めているようで、その点俳句のほうが保守的である。私はその理由として常々、季語の有無を理由に挙げている。「春立つ」「蛇穴を出づ」「鳥雲に入る」「涼し」などと、季語自体が文語なので、それを詠み込めばおのずと一句は文語にならざるを得ない。季語は俳句に文語をうながすのである。「下萌ゆる」「秋深む」などという怪しげな表現もまかり通っているが、いずれにしても文語調で表現しているつもりの俳人が圧倒的に多い。
 短歌の世界では、ベテランの歌人も一首の中に文語・口語を交えることをレトリックとして容認し、そういう作品を称揚されたりしているように見受けられる。しかし、俳句では一句の中では文語・口語のどちらかに統一すべしという考えが主流である。すなわち、一句が口語で統一されている場合はそれでよい。

街の雨鶯餅がもう出たか  富安風生
仰山に猫ゐやはるわ春灯  久保田万太郎

といった句が何十年も前から作られている。
 昨年、こんな歌が発表されているのを目にした。

夜の葡萄よるに洗えばこの街の深みに水道管は冷えるも  服部真里子

 全体として文語調に感じられるが、「冷えるも」で正直驚いた。文脈上「冷ゆるも」と言いたくなるところ、「冷える」だけを口語にするほうが効果的とは思えないのであるが、作者には何らかの意図があるのだろうか。俳句でも水原秋櫻子の〈飼屋の灯釣橋来れば木隠りぬ〉〈鮠釣る子障子洗ふは姉ならめ〉や、山口誓子の〈住吉に凧揚げゐたる処女はも〉〈郭公や韃靼の日の没るなべに〉など、和歌のしらべを取り入れる試みがなされたこともあるが、古語の使い方は難しい。

青空ゆ辛夷の傷みたる匂ひ  大野林火

という句がある。「田子の浦ゆ」の「ゆ」らしいが、何となく落ち着きが悪い。しかし、短歌でも発見。

かへり来ば吾子に食はする白き米手握る指ゆこぼしては見つ  柳原白蓮

 こんな「ゆ」を現代の歌人も使うのか、訊いてみたいと思っている。
 短歌・俳句にとって文語が絶対であると言うつもりはない。口語には口語ならではの弾みや明るさがある。

4階の廊下を風が吹き抜ける君が鉛筆派だって知って  松田梨子

 このような軽快さを文語で表現することは百パーセント無理だろう。俳句でも若い人たちの溌剌とした口語作品が知られている。特に人気があるのはつぎの句。

コンビニのおでんが好きで星きれい  神野紗希

 俳句甲子園でデビューした神野の初期の代表句は〈起立礼着席青葉風過ぎた〉〈カンバスの余白八月十五日〉。少女キャラと言われる所以だが、いま三十一歳の彼女が五十歳になっても「おでんが好きで星きれい」などとやっているわけにはいかないだろう。どこかで舵をきることになるのかどうか興味深い。
 一般的には若い人たちには口語が自然だと言われる。等身大の俳句という言い方で、高校生が無理に文語を使う必要はないとする意見も少なくない。だが、つぎのような俳句はどうだろう。

宿ごとに違ふ浴衣や橋に会ひ  永山智郎
口笛の掠れて枯野人となる  山本卓登
色褪せし品書ばかり夏の海  赤熊夕鬼
水澄むや牧牛見えねども匂ふ  渡辺有晴
ちちははに二人の写真秋に入る  中川柊太郎
待春の幹より太き幹の影  日下部太亮
雛の首細しと思ふ雛納め  上川拓真

 いずれも、開成高校俳句部の生徒たちの作品である。幼さなど微塵も感じさせない。さらにもう一人──。

初夢を空の青さのほか忘れ  網倉朔太郎
峰雲や生まれくるものみな濡れて  同
全身で生きてゐるなり天瓜粉  同

 すでに、高校二年生のときに石田波郷新人賞を受賞している網倉は、発想からして高校生の域を超えている。目先の新しさなどには関心がなく、五・七・五のリズムを完全に自分のものにしていることに驚く。もちろん、文語・歴史的仮名遣いである。この春高校を卒業するが、これからも俳句を手放すことはないだろう。
 彼らを見ていると、これからの俳句が一挙に口語化し、現代仮名遣いになってしまうとも思えない。現代の感覚を文語で表現しようとする姿勢は頼もしく、こうした若い人たちを見守りたいと思っている。


踊り場のふたり

永田和宏歌集
『夏・二〇一〇』
書評  小島 なお


 

 「二〇一〇年の夏は、私には生涯決して忘れることのできない夏になってしまった。妻の河野裕子が亡くなったのは、八月十二日。本歌集の大部分を占める、その前後の歌の多くを、私はまだ客観的に読むことができない」。あとがきの言葉である。本書は、二〇〇七年から二〇一一年までの五六八首が収められた永田和宏の第十二歌集。

きみが時間をわがものとして疑はず領しゐしころの晩夏の光
歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る
想像などとてもできないゐなくなるそのさびしさはそのかなしさは

 河野の病気に寄り添うようにある永田の歌は、ときに遠い昔の時間を呼び戻し、あるいは迫りくる死をまざまざと見つめる。まるで一本の弦が河野の存在を中心に振幅するように、過去と未来をせわしく行き来する。一首目の「領しゐしころ」とはいつのことだろう。乳癌を患う前の頃か、もしくはもっとずっと若い頃か。晩夏光のなかにこれまでの数かぎりない河野の姿が浮かんでは消えてゆくようである。二首目では、「歌」と「いつか」をそれぞれ重ね、留まらない時間の巡りが韻律にも伝わってくる。三首とも、初句の字余りに堰き止めることのできない感情の湧出が感じられる。そして一冊を通じて定型をあまり意識させない直情的な表現で綴られ、「その日」に向かって張りつめる言葉と心が生々しく息づいている。夫婦ともに歌人であること、すなわち極めて個人的な生死の問題を、その死の瞬間まで歌い続けること。その覚悟には凄みさえある。

きみに届きし最後の声となりしことこののち長くわれを救はむ
あほやなあと笑ひのけぞりまた笑ふあなたの椅子にあなたがゐない
「一緒よ」と静かにきみは撫でくれき死ぬなと泣きしあの夜の髪

 誰でもない河野だけのために歌われた歌だろう。河野の存在は、死後四年経ったいまでも、歌のなかに生き生きと姿を留めている。それはもちろん河野が偉大な歌人であったことに違いはないが、永田のこうした歌が河野を生かしているように感じられるのだ。『夏・二〇一〇』という歌集は、河野の遺歌集『蝉声』と呼び合い、さらにははるかな時間を飛び越え永田の、河野のこれまでの多くの歌と遠く繋がるような一冊である。

青葉木莵(あをばづく)の声が聞こえると呼ばはれば二人階段の踊り場に聞く
あなた・海・くちづけ・海ね うつくしきことばに逢えり夜の踊り場   (永田和宏『メビウスの地平』)


存在感を把握する力

志垣澄幸歌集
『東籬』
書評 山田 富士郎


 

 歌集『東籬』からまず以下のような歌を選んでみたい。

一軒の農家まるごと水洗ひしてゐるやうに雨しげく降る
木の幹の一つ一つがたそがれて杜はひとかたまりの闇となりたり
たたみゐし折り目の残る日の丸がはためきてをり軒すれすれに
飛んでくるヘッド・ライトの光芒に一瞬浮かびあがる石橋

 一首目の雨と農家、二首目の木の幹と闇、三首目の「折り目の残る日の丸」、四首目のヘッドライトの光芒と石橋、いずれも存在感が鮮やかに捉えられている。漢詩や欧米の詩と比較すると、和歌においては物質の手触りや存在感は希薄であり、俳句と比べても同じようなことが言える。こうなると、存在感の希薄さは欠点というより特長なのかもしれないのだが、短歌の近代化とは、一面では手触りや存在感の獲得を意味すると言ってよいだろう。物質の存在感の把握力において、志垣澄幸は、現代短歌においても最有力の一人である。

ならがへし齢の先に厄年はもうあらざりき雲あふぎみる
見るほどのこともなき世と川の面を鯔が幾度もはねて溯上す
寒き夜の澄みたる空を移りゆく灯のあり晩年のその先おもふ
ほそぼそと生きながらへて伏し待ちの月夜こきこきと桃の缶切る

 歌集の題の「東籬」は断るまでもなく陶淵明の詩に由来する。良い題だが、この題によって著者が、余生の意識を抱いていることや俗世への離脱を表明していることは疑いがない。右に引用した歌は、そのような心境を形象化している。決して暗くはなく、むしろ余裕やほのかなユーモアが感じられる。一首目の歌などは、老年に達した者にとって護符のようなものだ。三首目の「移りゆく灯」はもちろん航空灯だが、この省略は巧みであり、効果的だ。四首目は、秋元不死男の「鳥渡るこきこきこきと罐切れば」を踏まえていそうだ。
 『東籬』で驚かされるのは、戦争に対する著者の意識の強さである。先に引用した四首目の「生きながらへて」の背後には、先の戦争での死者への思いが貼りついているのかもしれない。

少年期の記憶に戦重(かさ)なりしわがすぎゆきよ昏くはあらず
枯葦が風にさやげりおほきなる戦(いくさ)に突入したる日はるか
もう久しく敵機のあらはれざる空が夾竹桃の背にひろがれる

 一首目の「昏くはあらず」には快い驚きがある。志垣は昭和九年生れなので戦中派ではなく、むしろアプレ・ゲールに近い。貴重な証言として受けとめた。


危機の予感の歌集

真中朋久歌集
『エフライムの岸』
書評 堂園 昌彦


 

 『エフライムの岸』は真中朋久の第四歌集。危機の予感に満ちた歌集である。
 タイトルは、旧約聖書の「士師記」の故事に基づくという。
 「『ではシイボレトと言ってみよ』と言い、その人が正しく発音できず、『シボレト』と言うと、直ちに捕らえ、そのヨルダンの渡し場で亡き者にした。そのときエフライム人四万二千人が倒された。」(「士師記」第十二章五節)この聖書の記述にあるように、エフライムの岸辺において「発語の訛をもって、人を選別し殺戮」したという陰惨なエピソードである。真中はそれを「それが絶後でなかったということをしばしば思うのである。」とあとがきで述べている。

黙秘せよと強く言はれて目覚めたり何をせし夢か腕のしびれて
ふたわかれしてゆく水の一方は砂礫のなかに消えてゆきたり

 こうした歌たちにも、危機意識は強く現れている。一首目では、夢の中で誰かに「黙秘せよ」と言われる。目が覚めたときには、腕のしびれ、身体の感覚だけが残っている。恐ろしい歌だ。二首目も、水の動きがまるでいま人々が立たされている岐路のように感じられる。どちらか一方は、砂礫のなかに消えてしまう運命なのだろう。真中は、日常に潜んでいる危機の感覚を鋭く捉えている。
 こうした予感の歌は、実はとても難しいものだ。短歌はその短さゆえに、事物や自然から、ある意味では簡単に象徴的な意味を読み取ってしまう。これは短歌の優れた機能のひとつだが、あまり恣意的に行いすぎると、まるで、日常が危機に奉仕してしまっているかのように見えてしまう。「現実」や「社会」は扱うのがとても難しい。だが「仕事」はどうだろうか。

猫の手も借りたいといひ安価なれば外国人でもよいと言ひかへる
復旧費見ればおほかたは読み取れる鋼柱を深く打ちし地すべり

 真中の仕事の歌は、どれも骨太でぶっきらぼうと言ってもいい文体で、しかも実感に満ちている。こうした歌があることは、歌集全体の象徴性に、重みとリアルな手触りを与えている。

恋にまだいとまある子か肘つきて不味さうに食ふ野菜炊きあはせ
小(ち)さき林檎ほどに椿の実は太り陽に輝りてをり陰に輝るもあり

 また、こうした穏やかな日常の歌も、この歌集の特徴のひとつだ。こうした歌たちは、歌集にうるおいを持たせているし、別の側面からは、日々の生活のなかに危機の予感が存在しているのだ、とも言える。穏やかな日常の歌と、ある種の思想詠ともいえる歌たちが混ざり合っていくのが、この歌集の真骨頂であるだろう。


真実の詩歌への扉

三枝昂之著
『夏は来ぬ』
書評 島内 景二


 

 詩歌のアンソロジーを「現代文学」の水準に高めるのは、鑑賞文の批評力である。なぜ、今、これらの詩歌なのか。選者には、読者を納得させるだけの文明観や人生観が要請される。
 人口に膾炙した作品に、新解釈を提示する大胆さ。知られざる名詩を発見し、称揚する新鮮さ。両者が噛み合えば、言語と思想の化学反応が起こり、そこから未来の詩歌が発生する。
 三枝昂之の『夏は来ぬ』は、四季折々の詩歌をちりばめる一方で、あえて「夏」に光を当てた点に、成功した最大の要因がある。『古今和歌集』以来の、春と秋を偏愛してきた日本の詩歌観が軌道修正されるのだ。

あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ

 巻頭に据えられたのは、小野茂樹の夏の歌。その鑑賞文は、「夏の光はふりかえるときまばゆく蘇る」という印象的な一行で始まる。「夏の光」は「詩歌の命」である。三枝は、河野裕子の「逆立ちしておまへがおれを眺めてた たつた一度きりのあの夏のこと」などの歌も、効果的に配列する。
 そして最後に置かれたのは、石川啄木の詩「飛行機」。

見よ、今日も、かの蒼空に/飛行機の高く飛べるを。

 「一九一一・六・二七」という日付を持つこの詩の「蒼空」は、夏の空だろう。啄木没して百年後の現代日本の空は、まだ蒼いか。そして、そこには、どんな飛行機が、詩歌の命と可能性を秘めて飛んでいるか。三枝ミ之の鑑賞文に導かれ、読者は自分にとっての「夏=詩歌」の意味を考え続ける。
 本書には、『万葉集』や『古今和歌集』などの古典和歌も、俳句も、茨木のり子・和合亮一などの現代詩も含まれる。マックス・ジャコブなどの外国の詩人も名を連ねる。それらが、未来の詩歌に必要なDNAのすべてである。「夏」への思いが、未来の詩歌を生み出す挑戦の母胎となる。
 忘れてならぬものに、血縁と地縁を愛する心がある。本書の基盤は、山梨生まれの三枝が静岡新聞に連載した文章である。京都中心の古典文学観や、東京中心の近代文学観が、気持ちよく塗り替えられてゆく。読者は、「自分の愛する郷土に視軸を据えた詩歌史を樹立したい」という野心を分け与えられる。
 そして、かつての御子左家、頓阿流、三条西家などと同じ「現代の歌の家」としての佐佐木家、永田家、三枝家などの血縁の絆が、本書の隠し味となっている。だが、「歌の家」に生まれなかった読者たちよ、絶望することなかれ。「詩歌の夏」を奪回する志を持ち、優れた詩歌の優れている理由を、自分の人生や現代日本と関連づけて説明できる鑑賞力を身につければ、誰もが「詩歌の神」の素顔を間近に見届けることができる。
 詩歌を愛する者は本書に導かれ、選択眼と批評力を涵養しよう。詩歌の夏は、何度でも誰にでも、訪れてくれるのだから。


「あっさり」という選択

橋本恵美歌集
『のらねこ地図(マップ)』
書評 田口 綾子


 

頭の中ののらねこ地図(マップ)おとうとに託して兄は巣立ちてゆけり
鬼は外 吾子が放ったドングリが十年経って二階へ届く
乳歯六本、揺らぐ歯一本持ちて子は中学入学試験受け行く
コリオリの力を子どもに話しつつ少し傾く我らと思う

 跋文で前田康子氏も指摘をなさっているが、歌集の中心にあるのは子育ての「喜び」であり、子育ての「つらさ」が前面に出てはこない。筆者の物事の捉え方ももちろんだが、あっさりとした文体にも読者にそう感じさせる理由があるように思う。表題歌でもある一首目は、詠み方によってはもっとドラマチックにもなり得る場面であろう。だが、兄弟間で交わされるものを「のらねこ地図(マップ)」という呼び名でかわいらしくもシンプルに括ることで、歌に暗いものが生じることを防いでいる。二首目の下の句も、「十年」という長い年月を扱っていながら、驚くほどにあっけらかんとしている。また、子の受験を扱った歌も、強い関心を向けながらもあっさりと明るい。三首目の「揺らぐ歯」を不安の象徴として読むこともできるが、受験を通して「子」が更なる成長を得ることの可能性も感じさせる。

旅立ちの朝は来たれり一筋の線路のむこうに子の春がある
ひとりずつ目覚まし時計をもつ暮らし一つの針音きょう遠くなる

 表題歌も含め、受験を経て大学に合格した「子」が家を離れる歌に印象深いものが多かった。それまでのあっさりとした文体が少し潤むときに、筆者の心のゆらぎが強く伝わってくる。その他にも、以下のような歌に惹かれた歌集であった。

花火待つ人らにラムネはよく売れてビー玉からころあちこちで鳴る
金木犀の空気満たせば自転車は花の車輪となりて走れり


葛藤と受容

澄田広枝歌集
『夢の緒』
書評 田口 綾子


 

 〈自身と両親〉〈自身と子どもたち〉という二世代の〈家族〉が、二本の太い柱をなしている。前者の核となるのは、両親と共に営む蜜柑栽培を中心とした農業、そしてその両親の老いである。

ゆるやかに老いる父母見て来しは蜜柑の木々とひとり子のわれ
この先に来年はもうとどかない父は伸びたる枝を落とせり
夕光に祈りのやうに膝つきて草を抜くなりちひさき母が

「ひとり子」という自己認識が、農業と老いの問題をより克明に描かせるのであろうか。「来年はもうとどかない」という生(なま)な口語も、祈りの姿を思わせる「ちひさき母」も胸を打つ。

しめ忘れ水浸しなる床を拭くをさなのやうに母を立たせて
ひげを剃り顔を拭ひて髪を梳く動けぬ父に子はわれひとり
這うてでも畑にゆくと言ふ母に麦わら帽子の大きを被す
獣よけの柵は続けり気のとほくなるほど父が打ちたりし杭

 心身の衰えの目立つ母、ある日突然半身不随となってしまった父。介護を経た後に訪れた、父の死。一・二首目のように父母の身辺の世話をする場面もやるせないが、農業の中で父母の「死」「老い」を意識せざるを得ない三・四首目がより重く響く。

東京の雪のことなど訊ねつつさびしいなどと言へず切りたり
真向かへば追ひつめてしまふ母われに電話を切りしのちの底冷え
われに似る目もとを少し暗ませて叶はぬ夢と言はず黙せり

 一方、離れて暮らす自身の子どもたちとの関わり方も独特だ。子の気持ちや夢を尊重するべきだ、母親の意見を押し付けてはいけないという理性と、本来持っている願望や理想との葛藤が苦しい。〈家族〉という問題に対して、「葛藤」「受容」両方の姿勢を示すことによって、誠実に向き合った一冊と思う。


定型の大きさと深さ

鈴木啓三歌集
『曼珠沙華』
書評 田口 綾子


 

 八十歳で「塔」に入会後、十二年を経た筆者による歌集である。「あとがき」によれば、収められているのはご定年後ほぼ二十年間分の作品であり、「T 身のまわりをうたう」「U 宇宙から深海まで」「V 大正から昭和、平成の代へ」「W 旅のうた」という四つのテーマに沿って分類されている。

疎水辺に曼珠沙華咲く季は来ぬ見すべき人のいまはいませず
幾度も出会いと別れありしかな八十路の峠も遠く越え来て
われの返事を国会答弁と妻はいう男とはかく無責任なものと
鶏、兎、鶉育てし日々もあり息子(こ)らそれぞれに離れゆきたり
わが友はバレテ峠で戦死せりと厚生省の記録によれば
遺伝子のさまを見ずして生命を説く哲学者なり君をかなしむ
恋人に逢うがごとくに街中の書店の棚のわが著書を見つ

 一首目は巻頭に置かれた歌。「曼珠沙華」という花に対する思い入れと共に、先立ってしまった人々への哀悼の思いが伝わる。筆者は立命館大学で名誉教授まで務められた大化学者でもあり、六首目のような学術的な炎を燃やすシーンも歌集中の随所に見られる。だが、七首目の比喩は何ともチャーミングだ。
 どの歌も一首に盛り込む内容を決して欲張ることなく、読みどころが無理なく伝わってくる。また、音数合わせのためにいい加減な助詞を加えたり除いたりするようなことも決してない。韻律として弱弱しいところがほとんどなく、五七五七七を深呼吸して吐き出すような堂々たる詠いぶりは、読者としてすがすがしささえ覚える。短歌という定型の大きさ・深さを、内容においても韻律においても熟知している筆者であるように感じた。


有機的につながる世界

鵜原咲子歌集
『ぶらんこのむかう』
書評 西之原 一貴


 

あさがほのその花の中に水をやる子らの水やり土に届かず
少年の臭ひの始まる足裏(あなうら)を見せて五歳児はおはなしを聞く
混沌としてゐるなかから中心が見えくる 子らの〈発達〉といふは

 公立幼稚園で定年まで勤め上げた作者。ずっと園児を見守りつづけてきた立場からの歌が多い。一首目・二首目の具体の面白さはいうまでもないが、三首目のような歌にも感嘆させられる。この作者でなければ見えてこない真理であるだろう。いっぽうで、

海近き幼稚園なれば夕焼けのぬくもりフェンスの間(あひ)より届く
市議選の選挙カー通れば園児らがボール蹴りつつ振り返るなり

といった歌などには、幼稚園という現場の向こう側にある、地元下関の風土やコミュニティへの意識も垣間見られる。

響灘の波は打ち寄せ土笛をつくりて吹きし弥生の人おもふ
ひらひらと豆の畑とぶもんしろてふ春のひとりのこどものやうに

 こうした風土のなかに、自身が生かされているという思いも強いようだ。

出家せし女の二人わが祖(おや)にありて墓石の文字薄れたり
うかららの話し癖ひとつ見つけては父祖につながるひとすぢ思ふ

といった祖先への関心も、そのような世界観の延長上にあるのだろう。地元を核として、祖先の過去・作者の現在・こどもたちの未来が有機的につながっている。そうした作者の幸福な身めぐりを共有することで、読む者も温かい気持ちになれるのである。


丁寧に接するということ

山添睦代歌集
『寧日』
書評 西之原 一貴


 

 標題歌、

紫と紺青(こんじやう)かさね彩をなす行き合ひの空寧日の艶(えん)

について、神谷佳子は跋文のなかで〈「寧日」は、安らかな日、無事な日という意味がある〉と指摘した上で、〈「行き合ひ行き合ふ」二つの季が、一つの方向を含み、結句の漢語表現が活きている〉と解説する。作者に与えられた日常・人生を、丁寧に定型のなかに切り取り、切り結ぶ。標題歌をはじめとして歌集全体から、そうした作者のたたずまいが目に浮かんでくる。

亡き姑は教職にわれは医家の主婦 励みて諍はざりきよ姑十三回忌
昏睡の母のつめたき肌にふれつつ命ある顔念入りに剃る
夫看取りそののちわが生終へたきよ病みてしみじみ生命(いのち)を思ふ

 「諍はざりき」とは、(作者がひとり堪えていたよりは)お互いに適正な距離をたもつ、あるいは、そういう気配りをするということだろう。それは決して冷たい態度なのではない。「命ある顔念入りに剃る」ということばを目にするとき、まことにこの作者が母の「命」に懇ろに接している姿が思いうかぶ。また自らも病を負いながら、夫との日々を丁寧に添い遂げようとするあり方に感銘をうける。そのような作者の人間性は、

職場なる狭き「受け付け」にいざ行かむ朝の鏡に背すぢを伸ばす
治療の間握りてゐしか患者より受取りし金にぬくみも頂く

などの、「医家の主婦」たる家業を詠んだ歌にも見られるようだ。

眼福とふ言葉おもひぬ六つの花ほーわ ほーわと春を戯る
強風の贈りものあり槻の葉を払ひつくして張る枝の線
彩終へし大欅三本に今日もらふからから走れる落葉五袋(ごたい)を

 自然への眼差しにもどこかやさしさがあり、ひきつけられる。


犬中心の生活と短歌

斎藤雅也歌集
『萩の散るころ』
書評 西之原 一貴


 

一歳の生まれ日なりき殻つきの蟹を食はせて歳祝ひしは

 こういう歌が無記名の歌会で出てきたら、驚くことだろう。「一歳」になったのは子や孫ではなく、愛犬のユナちゃんである。

息をあげ椅子に逃れる母犬を椅子にのぼれぬ子犬が見上ぐ
ひもすがら相手をされぬ犬たちが首を傾げて階下を見つむ
老い猫を寝かせし部屋のドアに手を擦りてユナは眼にわれを問ふ
「笑はぬ」は飼はざるひとのいふ言葉まなこ光らせ笑ふも犬は
足をあげケラチナミンを塗りをればユナが見てをりかかとのひびを
いくたびもユナと訪ねし丘の上にすずめおどしの音がこだます

まさに徹頭徹尾、こうした歌が並ぶ。犬(ときに猫)が人間に寄り添うのではなく、その逆といってもいいくらいである。作者の生活・歌作の基調をなすのは、こうした愛すべき同伴者たちへの喜怒哀楽であるようだ。
 犬中心の生活というベースがあって、そこに人生の節目節目の出来事が加えられていく。そういう趣きがある。歌集一冊を通して、作者の日々は一見淡々とつづられているようにも見える。けれども、歌集を最後まで読み通すと、案外と作者のあり方はリアルに、印象的に浮かび上がってくるようにも思う。
 たとえば、亡くなられた母親を思う歌、

雪ふかく埋もるる墓の雪をかく雪の冷たさ指痛むまで
亡き母のせしことおもひ軒下にひくく並べて干し柿を吊る

こういう歌が、ペットを中心とした作者の日々において詠まれたとき、そこに確かな実感がにじみ出ているようにも感じるのである。


「居心地わるく」生きる

岩井謙一歌集
『原子(アトム)の死』
書評 さいとう なおこ


 

妻の母妻の妹妻がいて祈りの繭がベッドを包む
日本の原発の死と時あわせ父とう原子(アトム)は死にゆかんとす
遠きゆえわれは苦しむ分たれぬ放射能という痛みを受けず

 「命」が中心にある一冊である。二〇一一年三月十一日、東日本大震災で福島第一原発の事故が起こった。その前日に妻の父、一年後の三月十二日に自身の父を亡くした著者に、原子力エネルギーの時代に生きてきた人間の一人として、「父」はまさに原子(アトム)であるという思いが鋭く胸をつらぬいたのである。
 死へ向かう一人を見守る三人の女性の声にならぬひたすらな思いが「祈りの繭」という美しい語を生んだ一首目。二首目は自分を育んだ父を「原子(アトム)」と呼ぶことで、日本の発展を支えてきた原発の事故と「父」の死は一体となった。巻末近くの三首目は、「遠きゆえ」「分たれぬ」「受けず」に、直接の被災者でないことに葛藤する心の痛みが表現されている。ただ、「怖いのか震災がれきの放射能魂までは汚染されぬに」「一日でも長く生きるは大切か生の深さこそ問われるはずに」等の性急な物言いの歌と並ぶと、繊細な痛みの粒子がふっと消えてしまいそうでこわい。立場が異なる場合の思いの危うさを考えてしまう。

山彦に口づけされて咲きたれば紅のいや濃き山ざくら花
くうくうと鳴ける山鳩そんなにもやさしく鳴けばいつか滅びん
飛び魚をふっと吐き出し太陽にいのちを見せる日向(ひむか)の海は

 自然界の命がこんなにもひたひたと迫ってくる歌をつくる著者ゆえに苦しんだ原発と人間の関係の試錬は、まだまだ続くにちがいない。真剣に考えることを要求する一冊でもある。

礼拝後お茶配られて熱ければ冷えるを待てり居心地わるく

 「居心地わるく」に、著者の横顔が見え、とてもほっとする。今の時代は、誰もが居心地悪く生きているからかもしれない。


やわらかく、シャープに

青井せつ子歌集
『春の靴』
書評 さいとう なおこ


 

夜の明けの街灯は虹の輪を持ちて人も車もいま音のなき
あわあわとビルの間に虹立つを窓に見ており呼ぶ人のなく

 「虹」の歌に惹かれた。美しいものをひっそり見ている著者の姿。端正なさびしい歌である。

高熱に喘ぎ逝きたる母の背の一時(とき)たちてなおぬくかりき
風にさえ躓くごとき姑と来て老木の桜ふぶくを見たり
さらに耳遠くなり夫退院すわたしの歎き聞こえぬが良し

 家族の秀歌が多く、選ぶのに迷う。母の「なおぬくかりき」、姑の「風にさえ躓くごとき」が切ない。「いま一度あかいきもの(・・・・・・)が縫いたいと御針上手の姑の歎きぬ」など、とくに姑への感情のやわらかさは特筆されるべきものがある。夫の歌は下句に吐息のようなこの世代の妻の本音が含まれていて共感した。さびしさを内部に抱えているからこそ、生まれる歌である。
 一冊には、一九八四年から二〇一一年までの長い時間が含まれている。夫だけでなく、三九五首をたどって読むと家族史を見ているようで興味深い。第一歌集とのことだが、初期の頃より大変抑制の効いた表現なのは、師である故田中榮氏の指導のたまものであろう。

棒棒(バンバン)さん荷を担ぎ急坂登りゆく天秤棒にその身しないて
組まれゆく駅ビルの上高だかと光のごとく降る若き声
年の瀬の渋滞の道細腰の少女のバイクするり抜けゆく

 白い瀟洒な一冊には、家族はもちろん旅や日常ですれ違った人たちも著者の目を通して生き生きと呼吸しているのが気持ちいい。「その身しないて」「光のごとく降る」「するり抜けゆく」。対象となる人物の様子や声の切り取り方がとてもシャープだ。さり気ない表現の良さは、「最近流行りの気分先行の歌ではなく、しっかりした写生・写実の歌である」との黒住嘉輝氏の跋文に尽きていよう。まだまだうたい続けてほしい。


「生きてゐるひと」を
うたう


木村輝子歌集
『鳥のやうに』
書評 さいとう なおこ


 

脚そろへ空のなかゆく鳥のやうに亡き夫のこと思ふ日のあり
霜月のガラスに透けるわが体に鶫入りきて草を啄む

 第四歌集の題となった一首目は、平明な言葉なのに考え込んでしまう何かがある。羽を広げたまま脚を揃えて青い空の奥へ飛んでゆく鳥のように亡き夫のもとへ心が吸い込まれる真空の瞬間があるのだろう。「なかゆく」がポイント。二首目は意表をつかれた。ガラスに映る自分の姿に、透けて重なる外の鳥の行動。よく見る光景だが、このように切り取るのはむずかしい。

体操服のなかに体を折りたたむ一年生の三角座り
教室のあつちにこつちに指折りて子どもは自分のなかへ降りゆく
だれが樹を伐つたんだらう保健室に水色の空が入つてしまふ

 先の二首は自身を描いていたが、こちらは小学校での子どもたちの様子を、同じく「なか」という言葉を入れ、独特のとらえ方をしている。体操服に埋もれて座る一年生、短歌のリズムに集中してゆく子ども。何かに没入する一心さを見ている著者の愛情が伝わってくる。三首目は、境界があいまいになったときの微妙な意識が、「入つてしまふ」に込められているように思う。出たり入ったりする心象、具象のひとつひとつを丁寧に考える作業が著者に短歌をつくらせているのだろう。生きることは、心と姿に影を纏わらせるのだと感じる三首をあげる。

賢さうなことは言はんでよろしいと横向きて始む茗荷の話
乳飲み子を抱きたる娘がつぶやきぬこんなにのどかで怖いのなにか
生きてゐるひとには小さな影が添ひしやがんで触れるどくだみの花


心の機微を掬う

上柳盈子歌集
『紫明通り』
書評 樋口 智子


 

 第一歌集から十数年あけての第二歌集であるという。平成十一年から年代順に編まれているこの歌集には、身めぐりの事象に寄せて詠う前半にはじまり、病気で亡くなったご主人との別れ、新たに曾孫という家族を得ていくところまで、長い時間が収められている。

咲く前をほのか色づきけぶらへる桜林のうるほひに入る
夕の道にあらはれ浮遊する雪虫のひそやかに我が思ひに入り来
夫を待つ夜半棕櫚の葉は風に鳴り時雨と紛ふ音をたてゐつ

 花霞をあらわす一首目は、ひらがなのやわらかさと「うるほひ」の一語が効いている。二首目は雪虫を目に留めただけでなく、そこから導き出された思いや記憶があるのだろう。喚起されたと言わず、雪虫のほうが入り込んできたという表現が面白い。三首目、風に鳴る葉擦れの音が雨音に聞こえるというそれだけなのだが、夫の不在は不安でもあり、雨なれば濡れはしないかと身を案じる。そのような心の機微を感じとった。

散り敷きて空の明るき欅の道腕支へ幾度歩みしものを
熱きおしぼり配られ拭ふ夫の指細く長きをしみじみ拭ふ
朝夕に病院に通ふ紫明通り大股に上見て歩けと末娘言ふ
揺り椅子に姿の無くて書庫に居るや部屋の空気のふはふはとして

 タイトルにある紫明通りは、ご主人と何度も歩いた思い出の道なのだそうだ。その思い出をたどったのが一首目である。だんだんとご主人の体調が厳しくなり、幾度目かの入院となった二首目、そして三首目。〈大股に上見て歩け〉には、涙がこぼれないようにという意味もあるだろう。家族にとっても特別な通りなのだとわかる。揺り椅子の歌には、いまでも、ご主人を感じたいと感覚を磨ぎ澄ます。それが、後半の作品を支えている。


暮らしとは土地と
一体になること


西垣田鶴子歌集
『雲海の郷』
書評 樋口 智子


 

 著者第二歌集である。退職後からご夫婦ともに農業を楽しんでおられるようだ。楽しむ、というと少し語弊があるかもしれない。もっと生活に密着した営みという印象を受けた。

川跨ぐ虹なり時雨るる前触れと小豆も(漢字・手偏に宛)ぐ手をせかしておりぬ
風花にあわてて仕舞う切り干しの莚の上に甘く匂うを
炉開きの藁灰焼きし日はるかなり七束ほどの新藁を干す
機械植えの田植え二時間早苗饗(さなぶり)の死語となりしを言いつつ夕餉

 気候の変化にも、自然を相手に生活している人ならば、より一層敏感になるだろう。一首目も二首目もそういう歌だが、〈小豆も(漢字・手偏に宛)ぐ手をせかしておりぬ〉という表現は面白い。手をせかすと言うことで、少し状況を俯瞰しているような感覚になる。三首目、炉開きの時から、ずいぶん時間が経過しているのだろうか。新藁という言葉に季節の訪れを感じ、おそらくそうした日々の営みの連続なのだろう。季節ごとの風習や言葉が、歌をいきいきとさせている。四首目は〈早苗饗(さなぶり)〉という言葉に引き出されて出来た歌。かつては何日もかかる田植えを終えた休息やお祝いのことを早苗饗と言ったようだが、いまや機械であっという間に終わってしまうので、その慣習もなくなってしまったということなのだろう。言葉もまた、生活に密着したものなのだと思わせられた。
 歌集中には、近しい家族との別れの歌も収められている。

遺影にとみずから選ぶ槍が岳その秀の前のひげの弟

 生前に遺影の写真を用意している姿を、家族はそっと見守らなければならないことに、胸が詰まる一首だ。


がっぷり四つの家族の歌

浜崎純江歌集
『真風(まじ)』
書評 樋口 智子


 

 第一歌集である。著者には介護の必要な息子さんが居て、夫と息子さんとの生活が、作品の土台となって立ちあがってくる。

洗ひつぷりが豪快と言はれる わが息子なれば力込め洗ふ
日に五回薬を飲む子三人で飲んだかどうかまた揉めるなり
缶コーヒーを一旦置いて言ひ合ひて缶の汗を拭ひ息子に飲ます

 どの歌も、作者や家族の顔がよく見える。自分よりも大きな子をお風呂に入れるというのは、かなりの重労働であろう。薬を飲んだかどうかという確認も、些細な言い合いも、遠慮のない家族だからこそであり、説得力のある情景だ。缶コーヒーの歌は、缶の汗を拭いてという細かな描写によって、その日の湿度やいさかいの長さ、そしてその収束を思わせ、親子の関係が立ちあがってくる。良い歌に出会えたと思う。

「すまんねえ」夫が言へば救はれる 夫も息子も守つてみせる
新聞紙に長い足つけた奴凧出てきて息子の泣きさうな顔

 家族三人が一体となっての介護生活であったが、やがてご主人が病に倒れる。「すまんねえ」の歌は、歌集前半に〈「すまんねえ」口癖に言ふ息子なり「うん、すまんよ」すかさず我言ふ〉という歌があり、病床でご主人が息子さんを真似て発した「すまんねえ」なのだとわかる。ちょっとおどけて言ってみたような、作者である妻を和ませるために発した「すまんねえ」。家族三人にだけまつわる思い出の言葉、思い出の奴凧であるが、読み手もぐっと引きこまれる。
 介護の歌だけでなく、からりとした作風が風通し良い一冊だ。

なづな鳴るなつかしさ振りつつそのうちに左右の聞こえを確かめてゐる


時分を捉える

田結荘ときゑ歌集
『傾ける壺』
書評 寺島 博子


 

蕗の薹七個摘みきぬ酒のともにふき味噌作らん雨水の今日は
産土の森は若葉の盛り上がり白く咲きたり椎の花群

 「蕗の薹七個」という具体が効いている。二句と四句に終止形を用いているが、滑らかに言葉を選び季節の風情をつややかに描き出す。二首目は体感的に捉えたおおらかな風景描写に味わいがある。「森」「盛り上がり」「咲きたり」とくり返し用いている「り」の音が響きあい、歌に生命力が吹きこまれた。

ベビーシューズが青のスポーツ靴となり空に向かって足高く上ぐ
我も胸に不思議な壺を抱きおり悲しい時は傾ける壺

 季節を敏感に感じとる感性の持ち主は、人生における時分を捉える視線をも備えている。日日成長を遂げていく力と若さにつきまとう憂愁をスポーツ靴の色が示している。的確な描写を通して、その背後にある複雑な心理が見えてくる。二首目は歌集名を含んだ作品である。下の句の抑制された感情表現が人生のさまざまな局面を髣髴させて印象深い。

サンシュユはしたたかに花粉を零しつつ匂いを送る無住の家に
止まるとき闇滴らせ烏揚羽うっとりさせて産卵を終う

 人の住まなくなった家の庭に花を咲かせている植物のさまを「したたかに」と表現する。一つの言葉が最も生きる用い方を常に心がけているのであろう。意思をもったもののように植物を描き、鋭い視線が輪郭のくっきりとした表現を生んだ。結句が現実の重さを語る。二首目は烏揚羽の生の営みに闇を見据え、感覚的表現の冴えを見せる。場面の切りとり方が巧みであり、読者の眼前にも情景が立ち上がってくる。対象を見る透徹した眼差しをもっていることが窺われる。


日常の景を慈しむ

辻豊子歌集
『白きタンポポ』
書評 寺島 博子


 

戦の日身を守らむと野に伏せばわが目の前に白きタンポポ

 「あとがき」には戦時中の体験が記され、「多感な年頃に死の恐怖のなかでそれを見たとき、タンポポは、まるで『大丈夫。しっかり生きよ』と言っているようでした」とある。歌集名は作歌の原点になっている戦時中に見た光景によるという。過酷な状況下にあって目にした白の清浄を心の奥深くに残しているのである。結句に向かうにつれて対象に凝縮されていき、人生の芯を占めることとなった記憶の鮮烈さを物語る。

いつの日か落ししボタン思はする野に見つけたる露草の色
これ買ひてあれ捨てむかとバーゲンの夫婦茶碗の青きを手にす
縫ふことに熱中しをればいつしかに母が横にて見てゐる 幻

 歳月の経過を背景に滲ませる作品は、厚みのある時空間を内包している。いつ落としてしまったのか定かではないボタンを、露草の色が思い出させた。「野」の広がりが抒情をかきたてる。二首目は「バーゲン」「夫婦茶碗」が活きている。ユーモアをもって日常の一齣を掬いとった。母は縫物をよくする人であったのだろう。一枡あけて「幻」としたことで、母への思いを深くする作者の心情が伝わってくる。

風花に対きてペダルをふみゆけりわが身に透れ冬のきびしさ
生き方を少し変へむか冷蔵庫半日かけて掃除してゐる

 自身の心と向き合い対話しているような含蓄のある作品である。一首目は動作を上の句に描き、下の句では己への戒めのごとく厳しい言葉を投げかける。二首目では三句以下に具体を描き、時を費やす姿を丁寧に綴っている。日常の景を歌う中に自身の生き方が示されていて、作品に奥行きを感じさせる。


思索と詩性

野澤正子歌集
『さくら風の歌』
書評 寺島 博子


 

生まれ出ではじめて開くみどり児の瞳のごとき早春のひかり
さくら風春を迎える歓びと痛み今年も歌いてやまず

 一首目は命の交感を思わせる柔らかな比喩を用いて結句まで一気に読ませ、美しい調べをもたらしている。「さくら風」は「桜が咲くころに吹く風、桜が運んでくる風」などを表わす作者の造語であると、「あとがき」に記す。「歓びと痛み」という明と暗を感じさせるものを詠み込んだことによって深みが生まれた。言語感覚のみずみずしさは生来のものであろう。

生きているおどろおどろを閉じ込めてガレのガラスにトンボとまりぬ
ニューヨーク 天を突き刺す摩天楼 人の心も突き刺している

 旅行詠にも思索をともなう作品が見受けられる。ガレのガラス作品を目にして生の「おどろおどろ」を感じとり、摩天楼には人間の心が突き刺されるような痛みを覚えている。対象を凝視してじっくりと思考を巡らし、生そのものを把握する。

身体から三つの管がぶら下がる 息することの並みでないつらさ
夏空の青のひかりに真向かえば今日あることの嬉しさ湧きくる

 一首目は病のときの歌であるが、健康なときには特に気にも留めていなかった息をすることの「並みでないつらさ」を述べる。そのつらさを経たうえで二首目の感慨がある。「青のひかり」は生への希求を表象するものであろう。
 ともすれば人が見過ごしてしまいがちな側面にも着目して、ものの本質を読みとって詩的表現を醸しだし、陰影のある作品をつくり上げている。


謎を秘めた物語

金近敦子歌集
『春夏秋冬』
書評 木畑 紀子


 

 金近さんは西洋の文化芸術を殊の外愛しておられる。その代表格がテディベアで、副題も「テディベアものがたり」とある。ただ謎はベアならぬ「君」がたびたび登場すること。「君」が唯一人を指すなら、作者と君を繋ぐ大切な物がテディベアで、愛熊家を名乗りつつ君への相聞を読み続けているように思われる。終り近くの「ふたりして温泉旅行の湯布院にちひさきベア店見つけし初冬」が、謎解きのキーになるかもしれない。しかし編年体ではないようだ。プロローグとエピローグの他に春夏秋冬の四部に別れていて制作時期は定かではない。広島県庄原在住の教師と判るが、年齢は不明で「君」の職業もはっきりしない。あえてそうした情報を入れないのは作者の文学的強い意志なのだろう。そこで読者も純粋に歌だけに向き合う。

みづうみに桜の杜は映りをり 薄紅ひといろ凍るごと見ゆ
一匹の黒猫を抱き微笑みて不安といふ名の丸薬を呑む
とめどなく流るるなみだ地に浸みてやがて小さき沼池(ぬまいけ)となる
恋しさを黒きベレーとショールにてそつと隠して今日の我あり

 絵画を愛するだけあって色彩感ある歌が優れている。二、四首目は謎を秘めた女性が自画像のようであり印象的だ。三首目は藤谷道夫氏の栞の鑑賞文が参考になる。ギリシャ神話に恋しい兄を想って泣き続け泉に化す女の話があるとのこと、つまり激しい相聞歌なのだ。金近さんは行動家でもあり、ドイツ、スペイン、イタリア、フランスへと一人旅にでる。登山、スキーも堪能なようだ。しかし日本に帰ればやはり「君」がいる。

ギーンゲンより雪の京都に戻り来て満行の君を眩しく見てをり

 「君」は作者を大らかに包み込む「僧形のひと」であろうか。


内省と光への希求

青木道枝歌集
『ひかりを抱きて』
書評 木畑 紀子


 

 『光のながれ』『森のひかり』に続く第三歌集。二〇〇四年から九年間の作品を収める。三歌集のタイトルに共通するのが「光」であるように、青木さんは常に光を希求していて、それゆえに作品はあかるく透明感のあるものが多い。

床屋へゆき鼻歌うたいイリノイへ学会に発つこの朝の夫
Rutgers(ラトガース)に研究職得て今し発つ悠樹よ赤いスニーカー履く
家族四人国を三つに隔たりて眠る夜といえ一つ星の上

 夫も息子も海外で活躍する研究者、作者も幼児の言葉の発達に関わる仕事を持つ。それぞれに忙しく自分の世界を持つ家族だが、三首目のような信頼感が全体を温いものにしている。具体的にはピアノを弾く楽しみが夫と作者を固く結びつけており、歌集の至るところから美しい音色が聞こえてくる。

今日ひと日の互いを知らず夜となり弾(ひ)くかたわらに来たりて歌う

 夫は研究室にピアノを置くほど音楽好き。夫の影響で子どものときやめたピアノを再び奏でるようになった作者は時に夫と連弾を楽しむ。羨ましい限りの夫婦だが、そこには常に作者の深い内省と「光」を希求する想いがあってのことなのである。「ダビデの讃歌」「麦の穂」「ひつじ雲」「詩篇」といった小題名から作者の敬虔な信仰心が垣間見える。

ことば持たぬ子らのこころを聞く思いこのドアめがけ駆けてくる音
悩みもつ人に答える今のわれ斯(か)く頷(うなず)くかおさなごは真似る
ハンドルを握るもまばゆき西の空暮れゆく町をひかりの方へ

 他者の悩みに向き合う仕事を天職と感じているようだ。ふるさと甲府を離れ福井に母を迎えて暮らす作者、光に導かれるようにしてこれからも歌い続けてゆかれることであろう。


生きぬく力

広瀬守歌集
『冬の臓器』
書評 木畑 紀子


 

あたらしきのれんを分けて客が来る開(あ)いてますかとこゑかけゐつつ
ときたまに風呂の帰りに客が寄りカウンターすみに置く洗面具

 広瀬さんは出版社の倒産を機に料理屋の店主に転身した。新しい出会いの歌である。店は下町の路地にあるらしく馴染み客もでき繁盛したようだ。開店は一九八二年とあるが、第一部は一九九九年から二〇〇七年の作品で、開店十六年目の歌がすぐに出てくる。しかし妻の病気、暴力団のいやがらせ、また自身の手術、阪神淡路大震災など相次いで災難がやってくる。

おにぎりを作りてせつせと避難所にくばれば店の米が尽きたり
わが癒えて四たび開店の日にそなへ君は木椅子の背をみがきゐる

 自身も被災しながら炊き出しに尽力する作者は本当に人間好きだ。そして妻も自分も病気を克服して四度目の開店、淡々とした叙述の中に何事にもめげない生き方が伝わってくる。第一部はついに閉店で終わるが、病臥の夢におせちを作る歌が嬉しい。二〇〇八年からの第二部は河野裕子氏に出会えた喜びに始まる「塔」入会後の作品。病気の歌が多くなるが、「退院を見すゑて気力ふるひ立て長廊下あゆみふたたび歌よむ」とその生きる姿勢は変わらない。困難なときにこそ歌が出来るというのはだれもが経験することだが、広瀬さんは強い意志をもって作歌にのぞんでいるのだ。

ドクターカーで行けどベッドの空はなくニトロをながされ真夜に帰さる

 現実の医療の厳しさを端的に詠んだこの一首、かつて新聞社にも勤めたという作者の、痛切な社会への発信である。


贈り物

西田泰枝歌集
『灯りをさがす』
書評 里見 佳保


 

父をぬらし母を濡らして夏深きふる里の野は日照雨してゐむ
人生のデザートと言はれ孫抱けば初孫抱きし日の母は顕つ
浜木綿の力あふれて咲ける径ゆきてなほ行く孫のふるさと
鈴鹿とふ音の清しさそのはるか向かうに吾子は子を育てゐる

 自分の暮らす町に対するのとは少しちがったほの明るい親しさが父母の住むふるさと、子が、孫が住む土地にはこみあげてくるものだ。その距離はそのまま大切な家族を思う深さになっている。

やさしさを取り戻すごと素手のばし白梅の光に入りゆくわれは
見届けたき御苑の花木(くわぼく)いま行くと夕ぐれ色のバスを待ちをり
浄瑠璃寺の池のほとりの花菖蒲濃きむらさきの時間がゆれる
飾りなき首筋涼し逢はむ約なければ木陰の風と歩めり
蕾ごとに螺旋をとける嵯峨菊はサガギクとしての宇宙を守る

 身の巡りの花や風はこんなにも色濃くていきいきとしたものだったのか。こんなにも人に語りかけてきていたのか。それを感じて言葉にする力が西田さんにはある。草も花も木も水も風もこの作者とは親しいのだ。作者は向き合う、どころか景の中に入り込み一体となって手を伸ばし、歩み、見つめる。
 そんな作者に花たちはとっておきの世界の扉を開いてみせてくれる。自然からたくさんの贈り物を与えられている人だと思った。読むとそのおすそわけをいただいたような気分になれる歌集。


たいせつ

関口ひろみ歌集
『ゆふさり』
書評 里見 佳保


 

「ひろちやん」とわれを呼ぶきみ あなたでもおまへでもなく呼び捨てでもなく
夫のお腹にタオルケットを掛けやればわんぱくざかりの吾子のごとしも
けふはめうにしんみり母と過ごしたり特別かたらふことなどなくて

 家族を詠った作品に映るもの。それは何気ないけれどかすかなぬくもりのある空気。後になって実は一番鮮やかによみがえり自分自身を支えるのはこんなぬくもりなのかもしれない。家族と過ごした時間空間はやさしい記憶となっていく。

能管の稽古に息も絶えだえになるとき確かな充足感あり
目を閉ぢてゆつくりゆくり「お調べ」を吹けばこころはしづまりゆくも
しみじみと笛の歌口見てあればまさしくわれはひと想ひたり

 笛の歌に作者のもう一つの世界を見た。笛は息、呼吸が大切な楽器。息を意識することでまた生きていることも実感できるのではないか。関口さんの歌を読んでいるとそんな気がする。

あと二年残すのみなる四十代たいせつに生きむ読む本も選(え)りて
胸うすく喜怒哀楽も淡くなりわが四十代果てむとすなり
日傘さして歩みつつ思ふ生きることすこうし楽になりたるかなや

 時の流れに対して誠実な人ならではのふりかえり。この年代をこれから迎える人にも、ただ中の人にも、もう過ぎた人にも誰の根っこにもあるものを掬い取った歌。日常を重ねるだけでなく、生きていくことそのもの、人生そのものを時折思う。そうするとまた毎日の暮らしを大切にできる。きっと。


時の襞

坂楓歌集
『ぽぷら』
書評 里見 佳保


 

 『ぽぷら』はB5横の和綴本。表紙の和紙の手触りはとても心地よくて長く手にしていたくなる。

庭隅にやや盛り上がるれんの墓平となして去る日近づく
花を終へし厚き広葉の萎ゆるさま育みし人は低く語りぬ
連翹の黄の明るさに顕つ人のなべてやさしき記憶とはなる

 一首目の「れん」とは愛犬のことらしい。盛り土がやがて平らになるまで、花が咲き終えて葉が萎えるまで、連翹と共に思う人が記憶に変わるまで。これらの歌の中には時の襞が折りたたまれている。人やものやことの変わっていく形は時間の蓄積の形なのだ。そこには始まりの形も終わりの形も愛おしみ見届ける作者がいる。

締め切り日近き夕べを清書するゆつたりと私がほどけてゆくよ
田を畑を埋めて白き雪の面にわが持つ清き言葉を探す
花のうた十首を覚えこぼすやうにくちずさみ行く降れ降れ花よ

 歌に関わる喜び、言葉と出会う喜びを歌にしたもの。歌を紡ぐことは確かに自分をほどいていくようなものでもあり、雪のような言葉を自分の中から深く汲みだすことでもある。いつの日も新鮮な気持ちで歌と向き合い、なおかつ長く歌作を続けてこられた坂さんの姿に同じ歌よみとして深く感じ入った。

整はぬ夫の寝息をわが裡の五線に譜とし書きて眠らな
嫌だつたこと懸命に探しをりどんどん夫から離れたくつて
白内障手術後の手をひいた秋あなたの分まで見たながい秋

 さまざまな喜怒哀楽を分かち合い、積み重ね二人で一つの暮らしになっていたのだろう。あとがきによると歌集名を『ぽぷら』としたのも夫君ゆかりのエピソードがあるそうだ。人生の長い時間を共にしてきた夫婦ならではの恋歌に心ひかれた。


待ちの姿勢と違和の
身体化


森川麗子句集
『白日』
書評 関 悦史


 

 森川麗子は高柳重信、永田耕衣、橋關ホに師事。齢八十を超えての第六句集『白日』は、あとがきに以下の言葉が記されている。「俳句との恩寵には殊の外幸福を頂き乍らそれに反して自身の俳句との深い乖離性に感慨の深いものでありました」。
 たしかに難物揃いの師匠たちに比べると、森川は句に対する立ち位置が一歩引いている感がある。腰が引けているということではない。静かに、何ともしれない違和のようなものに耐えながら、立ち上がってくる言葉と思念を見定めようとするとき、そこに己が暮らす家や風土が、誰も見たことのない姿を見せて介入する。この待ちの姿勢によって引き出された奇異な眺めを、五七五の定型に嵌めこむ。句を通した森川と世界との交渉は、おおよそこのようなものに見えるのである。いわば句が生成するときの森川は、言葉と外界によって開かれた傷口のようなものだ。実際〈肉体を押せば牡丹の芽を感ず〉〈地震の国古層に雛のつづれ在り〉〈金平糖にぶつかって死す虫あまた〉など、軋みを感じさせる句は少なくない。しかしそれら奇怪なイメージに富んだ佳句は自意識や神経症的なものとは関係がない。これらは他の何かを指し示す象徴表現であるかのように見えながら、その実、違和の反射によってその都度生成してしまう身体性以外の何ものをも指示していない。これらは森川が言葉を持つ身体としてこの世に在るという事件自体への居心地の悪さを誠実に形象化した結果、句に現れたイメージなのである。

花冷えの巨花となりたる都かな
穴あけて青空を出す傀儡たち
夏衣銀河創生へさし出しぬ
一月の地霊動けり味噌の味

 端然と大きな姿で捉えられた違和には、「傀儡」や「味噌の味」など、ときに図らざるユーモアの妙味も混じる。


密着即開放

阪ひとし句集
『帆掛舟』
書評 関 悦史


 

み熊野の緑をのぼる帆掛舟

 阪ひとし句集『帆掛舟』の魅力は、しっとりとした密着の感覚が、同時に自在感をもあわせ持つところにある。表題となったこの句において、それは音韻への注意深さという形であらわれる。「み熊野」「緑」の「み」(発音の際に唇が密着するm音である)の頭韻と、「の」の反復、そして「のぼる」と「〜舟」のb音の反復。作為や計算というほどのこともなく、言葉を組織する際の生理感覚的な快不快が自然にこういう形を取らせたのだろう。川面に密着しつつ、帆掛舟は自在に流れをさかのぼり、美しい熊野の深みを周囲に立ちのぼらせるのである。
 昭和八年生まれで平成八年(六十三歳)に俳句を始めたという晩学の阪ひとしにとってはこれが第一句集となるが、すでに自分のスタイルができていることが窺える。阪が師事した長谷川櫂の句でいえば、季語だけがぽつんとあって周りを瑞々しい虚空が満たす仮想現実じみた手触りの近作よりも、物へのきめ細かな感応が注意深く措辞に移されている初期の句の手触りに近く、一見絵葉書のように出来上がった構図の句であっても、どこかに身体感覚のざわめきが沈め込まれているのである。

なきがらの額に掌をあて大青田
よき穴とみえて三匹秋の蛇

 父の死を詠んだ一句目でも掌を当てるという密着が見られるが、それがただちに大青田の清冽な広がりに転じる。二句目は冬眠準備に入った秋の蛇三匹の密着だが、生々しい紋章のように絡まりあった蛇たちも、そのまま「よき穴」らしいという推測へと解放されている。語り手の覇気がむきだしになっている句も見られないわけではないが、「よき」という世界への判断を、密着即開放の合一性から来る、肉体化された虚空とでもいうべきものの官能へと組織し得た句には独特の滋味がある。


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