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「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 青磁社通信 Vol.20

〜巻頭七首〜


伊藤 一彦
 

もののくまあらはに見ゆる秋のあさ蛇現れて細道くだる

青おほふ秋の大空おほはれしもののあらざるゆたけさをもつ

月見れば高く手あぐる二歳の子肩車して田の畔に来つ

川べりに鋭目(とめ)の赤子を抱ける母こころ晴れぬか水さ見てゐる

収穫を待つからいもの畑の上ものの諭しのごとき月出づ

われとともに歩く月光ささやきてくるを聴きつつ足を運べり

椅子といふしんとしてゐる生きものは遊ぶことなし明(あか)き月夜を


〜エッセイ〜
馬の名前


今野 寿美
 

 競走馬の名前は九文字以内と決まっている。やたら長い名前が思い起こされたりするが、まず九文字である。 字数さえ守ればどんな命名でもいいらしく、珍馬名もよく話題になる。「オジサンオジサン」「エガオヲミセテ」「オレハマッテルゼ」など、かなり個性的だが、この三頭は同じ馬主で、そういう趣味の人らしい。「イヤダイヤダ」もそうで、ちゃんと意味(負けたくない)があるとのことだが、あまり勝ちそうな名には思えない。
 馬は走る姿がほれぼれさせるわけだが、もうひとつは名前が魅力である。馬の名を詠み入れた歌を並べてみても、そんな印象がある。

カブラヤオーと言ひたる馬のなほざりにされし生ひ立ちのことも読みたり
                        柴生田稔『星夜』
訳(わけ)もなく騎手落馬せり舵なくて名馬ノーリーズン馬場をさまよふ
                      北沢郁子『想ひの月』
千七百六十四年四月一日名馬日蝕(イクリプス)英吉利に生(あ)る
                      葛原妙子『をがたま』
競馬中継などといふさへねむたくてユメノタビビト・ハダシノメガミ
            永井陽子『小さなヴァイオリンがほしくて』

 柴生田稔が匂わせているように、恐がりに育って逃げ馬となったカブラヤオーは、牝馬テスコガビーへの「恋」など哀話に満ちた一生だったようだ。そんなふうに、馬には物語がまつわることが多いけれど、やはりカブラヤオーなんて勇んだ名前の響きが、どこか一首をおもしろく先導していることはたしかだろう。つづく三首でもそれぞれ馬の名が歌の趣旨に加えて読み手をひきつけるかたちになっている。永井陽子は、ふたつの風変わりな長い名前に快い眠りさえ誘われたものらしい。
 これほど個性的な名前が勢揃いしても、アナウンサーは見事に馬の順位 や位置を実況で伝える。そのなめらかさに、わたしはいつも感動してしまうのだ。同じ実況放送でも、お相撲の場合は何も感じない。馬の名と四股名の差なのか、走ると組み合うとの勝負の差なのか、そのあたりはわからない。
 連れ合いはかねて競走馬が大好きだった。中継をよく見ていたし、歌にも詠んで、往年の名馬のことをよく話題にした。そうなると、馬の名前だけでなく独特の用語もわたしには新鮮な刺激となった。ことに「末脚」だの「道悪」「稍重」など、漢語に見えてそれぞれ訓読みする語感が楽しい。そんなおもしろさが少しずつわたしの領域に入ってきたものの、品行を慎む意味だったのか、結婚してから連れ合いが競馬場に行ったことは、たぶん一度もなかったと思う。二十年以上もたって、妻に誘われるまでは。
 ことの発端は、産経新聞社の仕事で記者の太田文彦氏と席が隣り合わせになった六年ほど前である。ギャンブル好き、などと細身の風貌に似合わぬ ことを言い出した太田氏は、四月の初めに阪神競馬場でおこなわれる産経大阪杯に来ませんか、と挑発した。馬の走るところをナマで見てみたかったわたしがすぐその気になって、いそいそと出向き、それから毎年夫婦で行くようになってしまったのだった。ちょうど桜の時節。大川べりのお花見をして翌日仁川へというのがお決まりのコースである。
 昔の血が騒ぐのか、連れ合いはかなり真剣に予想をたてる。わたしもつきあうけれど、名前だけで選ぶのだから、大きく当てるなんてことはまずない。困るほどの損もしない。パドックで馬の姿をとっくり眺め、レースを堪能するほか、場内を歩き回って馬主夫人らしき大きな帽子姿を見ないようにして見ていたり、勝ち馬の馬主専用のエレベーターなんぞがあることにこの世界の凄さを知ったり。そして新幹線で帰ってくる。
 昨夏であったか、歌人の集まりで酒井佑子さんと話していたら、酒井さんがふとわたしの旧作「英雄はたちまち生まれ若夏を四歳馬あな影も踏ませず」(『若夏記』)をすらすらと諳んじて、あれはミホノブルボンでしょう?と嬉しそうに言った。一九九二年のダービーは一番人気のミホノブルボンが圧倒的な逃げ切り勝ちをした。歌はそのことを詠んだものだが、その年の皐月賞も勝っていたミホノブルボンは典型的な逃げ馬で、ほんとに影も踏ませない逃げ方だった。歌は六月号の「文藝春秋」に寄せたもので、酒井さんはそれを読んでくださったらしい。闘病中だったこともあって、見事な勝ちっぷりに力を得た様子でもあった。それより何より、馬がよほどお好きなのだと思えた。
 挙げた歌をみても、馬に惚れ込んでいる女性歌人はけっこう多いことがわかる。そこがまたいい。


寂けさの階音

竹田千寿歌集
『莢実』
書評  上村 典子

 

雪の森で拾い来たりぬさいかちの莢実のいろの深々と 秋
圧雪車の音ひびかいてうす闇のふりしずみいる山揺り起こす
雪催う空つなぎゆく送電線はるか向こうに街明るみて
つむつむと槐(えんじゅ)の莢実ひかりいる並木終日はだら陽をこぼす
小屋ひとつ小(お)山となりし雪はらにちいさきものらが道をもつなり

 第一歌集『自然光』に続く『莢実』の、実にナチュラルで美しい装幀の内側には、装幀に似つかわしい微かなものの息づかいが静かに蔵われている。その密やかな気配は、にぎにぎしく、時にけばけばしいばかりの現代の短歌作品になじんだ読者にとっては、「おやっ」と感じられるものである。読者のタイプによっては「淡い」「単調だ」と早々に結論を出す向きもあるかもしれない。しかし劇画的でも、居丈高でもない、竹田さんの世界にしばし呼吸を整えていると、今日の歌が失いかけている言葉のリリシズムや、光や影、風や雪のたたずまい、草木の声、といった寂けさの階音が充ちていることに気づく。耳の鋭い人であり、澄明でのびやかなまなざしがそこここに働いている。結果 として五首引用した作品に共通する、自然の彩りや彩りの差異の組み合わせ、射し込む光の明度や陰影などに結晶してゆくのである。さり気ないが言葉の定着は巧みである。「雪の森」を背景に「さいかちの莢実」一点に絞り込まれていく折の、実のつやと深み。「圧雪車」の響きに伴われた「山揺り起こす」への鋭敏な把握。「街明るみて」のはるかへのまなざし。だが「雪催う空つなぎゆく」と二句まで、いかにも竹田さんらしく薄明の空間の重なりである。「つむつむと」の擬態語の妙味、「ちいさきものら」の「道」への注目にも、懐かしくあたたかな感性が読みとれる。

唐突に子は“子”を脱ぎてゆくならむするりと湯剥きトマトのように
秋の色のマチエールもつ太毛糸ざっくりと編む 雑木林映ゆ
半顔は死者の顔して眠るらむ麻痺した瞼は指にて閉じる
酔芙蓉の枝払われて旧き家のアルミの扉に陽が射している

 前に引用した五首に比べ、一首の中で眼目となる言葉が佇ちあがってくる作品である。前五首は彩 りも響きも非常に微かな差異を重ねて楽しむ感覚であろうが、これら四首では趣が違っている。「湯剥きのトマト」「マチエール」「アルミの扉」、そして「麻痺した瞼は指にて閉じる」。どれも一首の中での焦点化に成功しているといってよいだろう。三首目の作品はヘルペスを患ってのもの。そうした背景を知っても知らなくても下句には、どきりとさせられる力技の表現がなされている。
 『莢実』の声は大きく強いものではないが、そこに充ちている寂けさの階音は読者の耳と目と心を洗ってくれるだろう。


古都のまなざし

坂田久枝歌集
『爽秋・自転』
書評 稲葉 峯子

 

 作者は京都の人である。いかにもそれらしい静かな時間の流れている集である。一九八八年より二〇〇五年までの一七年間、一五〇〇首程の中から選ばれた七二〇首を「爽秋」「自転」の二冊に分けて上梓された。分冊はともに「塔21世紀叢書第83篇」とされ「歌集爽秋」「歌集自転」と名付けられ、見掛けは二冊ながら「あとがき」は一つという体裁はあたかも上巻下巻のごとく見える。こうした形式をえらばれたにはそれだけの思いがこめられているのであろう。

そのかみの森に生いにしかやの木の佛のかたちとなりて時古る
みほとけとならんさだめのかやの木の森にありたるさやぎ思えり
莊厳(しょうごん)に充てるみ堂の千年の壁に残りて楽(がく)打(う)つ菩薩

 『爽秋』の始め「かやの木」にこのような歌がある。自ずから作者の歌世界が見えるように思われる。すでに初学の人ではない。歌詠みの熟練に加えて、人の世の甘酸も深く味わい、一首一首が魅了するものは、長い時間を生き抜いたしなやかさと、敬虔な魂の美しさにある。

夜勤あけの子を眠らせている家にまひるの猫はひっそりあゆむ
切りもどすみやこわすれの濃紫 うしろ背夫の目守りおらんか
叱るとき口出しするなと子は言えり子が子を叱る上手に叱る

 対象に対する信頼や慈しみが流れる。眠る子も、歩む猫も、包んでいるのは作者にほかならず、見つめられるしあわせを吐露する素直さ、子を受け入れ孫を受け入れるところにも、揺がぬ 信頼の授受をみるのは嬉しい。ゆとりがなければ、相手を受け入れることも、そこからの飛躍もできないのである。せっかちな時代の風潮とは一線を引く大きさであろうか。

老人になりしはなにしろはじめての経験にして経験を積む
木の梢(うれ)に在りつづけては柿一つ熟れてゆくなり星にはなれず
遠きまま別れの時のくるものか半透明の夏椿落つ

 あからさまではないが、すでに近づく死を見つめながら、心情の垂れ流しではなく、幾重にも節度の網をかけられ、晴れの場に相応しい姿である。京都の奥座敷の匂いと、纏綿とする西の文化の伝統が、三十一文字に畳まれる。

おくれおくれになりし歌集をようやくに編まん日頃に君の逝くなり

 末尾に近く清原日出夫氏の訃に詠まれたこの歌がこの集の時間軸を明らかにし、作者の存在証明として心に沁みる。


空はこんなに青い

小島美智子歌集
『草の絮』
書評 小畑 庸子


 

 『草の絮』は、小島美智子の第二歌集である。一九九八年から二〇〇五年までの作品が、おおよそ編年順に並べられている。目次には七十八に及ぶ小見出しがあり、読者を驚かせる。

職退きしわれ労りてひとひらのはがきは〈卒業〉と書かれていたり

 冒頭の作品である。退職した著者への労いのはがきに、「退職」したのではなく、「卒業」したと書かれている、と言う。このはがきの送り主の心優しさと、それを受けとめて一首とした作者の人柄が伝わってくる。同時に、『草の絮』が定年退職以後の作品集であることを知る。
 編年順となっている七年間の作品を、順に三章に大別して読むことにした。

チューリップの花弁ひとひら傾ぎいて内らに小さき蛙を宿す
ドラマーの椅子に腰かけ照明の調整なす間を居るのも役目
ふうわりと雨あとの彼岸より渡り来し草の絮ひとつ 父にはあらず

 花弁のひとひらを傾けて、小さい蛙を宿らせているチューリップの健気さに感動する著者だが、舞台芸術に関わる仕事をもつ女性としての凛凛しさも見せる。そしてこの時期にその父を失う。歌集『草の絮』はここから名付けられた。

目の前の黒い管ぐいぐい挿入すわが喉を経て胃の奥深く
痩身の目差心にかかりいしオサマ・ビンラディン透析の身と知る
足の上がらぬ証につま先疵ついた靴並ぶなりわが下駄箱に

 胃カメラをのまされる時の状態をリアルに詠んでいる。健康で生きるということは、人間としての義務の一つと言えるかもしれない。又、思想的な面 とは別のところで、人間ビンラディンの身を思う著者でもある。そしてある時、つま先の疵ついた靴によって、自らに忍び寄る老いをも認識する。

雨のあとの夏の日差しを喜びて豆の葉一面ぴらぴらそよぐ
黐の木に鵯むらがり啄めど啄めど赤い鳥にはならず
たんぽぽの原を慌てて飛び発ちぬ カワラヒワたんぽぽ色に染まりて

 景の叙する作品にも良質の感性を見せる。後の二首は、童謡「赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」からの発想。たんぽぽ色に染まり過ぎることを怖れるカワラヒワは、作者自身でもあろう。「慌てて」が効果 的である。

電車の通過にすすきの穂絮かぎりなく飛ぶなり空はこんなに青い

 最後の作品である。著者の行く手の空の青さと、限りなく飛ぶ薄の穂絮の、地への着生の様を書きつつ『草の絮』を閉じた。


奏楽で飛天を聴く

山崎滿子歌文集
『奏楽飛天』
書評 神谷 佳子


 

 山崎滿子歌文集『奏楽飛天』は手強い。しかし充足した内容の一巻である。歌も論もゆるぎなく、共に一冊に収録したことに何の違和感もなく読み得た。あとがきに次男が大学生になった昭和四十八年から三十年間大学で聴講を続け、後に宝塚造形芸術大学大学院に正式入学。本歌集の論文は修士論文としてまとめられたものだとある。主婦の仕事をこなしつつ勉学を続ける意志、それを結実された行動力。論は一貫して植物考として書き進められ、縄文時代の人と植物、古事記日本書紀萬葉集における植物、平安時代以降の文字と植物、「花を生ける」精神に触れ、身近に具体的に詳述される。草花を詠む歌人にとっては中々に有為な論文である。広い知識を持ちながら短歌作品は少しもペダンティックではない。学識は深く自然にインカネートされ、それが調べの格調と言葉の自在な駆使や想像力の裏打ちとして見事に活かされている。

来世には奏楽飛天にならむ夢まだ持ちてをりカレンダー換ふ
虚空には奏楽飛天舞ふべしと木々もゆらしも山の古刹に

 表題はこの二首よりとられたと思う。歳晩の思いと若葉萌ゆる頃の思いが、雲中に領巾(ひれ)靡かせ笛吹き舞う天女への憧憬となることに意表をつかれる。

危ふさは互みにいはず老と見る暖炉の上を匍ふ冬の蟻
空過ぐる雲のごとくに我も過ぐオランウータンの瞳の中を
柑橘の酸のごときか忘れたき悔いのひとつをなほ念ひゐる
わが裡の銀のホルダー探す夜を呼出音のかすかに響く
いつしかにわが谺とも思はれてひとの哀しみしみじみと聞く
地震(なゐ)ふりて落ちし鬼瓦秋の日にすすきの影をうつし鎮まる

 私達の胸を時折過る影。一首目火の側を匍う蟻を、老もわれも唯みている虚無感が漂う。次は雲のようにわれもオランウータンの瞳を過ぎるだけだという寂寥が滲む。三首目初句の比喩が自虐的に悔いを反芻する状態に相応しい。次はホルダーと呼出音、比喩の一首だが何か暗示的である。ひとの哀しみをわが谺と思う年齢の重さを表出し、五首目は鬼瓦が落ち鎮まった時、すすきの影を映している静かさをいい、ふとした負の部分を詠みとってこの世の真をたくまず表現している。

地に落ちて曙椿ほのぼのと残れる夢を匂ふがごとし
石仏の結跏趺座する掌(て)の中に風の供ふる白き萩散る
三百年の樹齢を保つハルニレの梢に憩ふ風も光も
細やかに花の命を尽しつつうす紫のあふち散りゆく
桐の花は浅き眠りの夢に似てむらさき淡く空に浮べり

 花を詠み木を詠みつつ、咲く迄の、散る迄の命の時間を彷彿とさせ眼差しは深い。「歌はその人の心の影」という。「植物は利用するのでなく共に自然の中に生き助け合うべきもの、この世界の真(まこと)を示す師」と結論する著者を映して本歌集は豊かな一巻である。


平穏な暮らしの中に咲く
花のいろ


古林保子歌集
『ローカル線辺り』
書評 神 信子


 

 『ローカル線辺り』は神戸市北区にお住まいの古林保子さんの第一歌集で、平成四年から平成十八年までの作品三百七十首余が収められている。歌集題名由縁の歌、

ローカル線車窓に短冊さまざまに貼りて七夕電車は走る

の「ローカル線」は、「あとがき」によれば、高さ九百メートル余りの神戸六甲山の裏、山裾に沿って有馬温泉へ向かう電車ということで、「移り行く自然に彩 られながら、今時でも時折りガタンゴトンと大きく揺れたりして、山間に広がる風景の中を走り続けております。その沿線に住み続けて、四人の子供達も巣立って行きました。翔ぶこともなく、時にはガタンゴトンと、ゆっくり走ってきている私の生活もさながら『ローカル線』です。」とも、書き添えられている。

葛の花匂える崖の眼下を電車ひびきて夕早まれり

 宵闇の迫る初秋の山峡を他界にでも行くかのようにゆっくりと走る電車。険しい崖に咲いた葛の花の紫赤色がいかにもものさびしく、異界へと誘うようだ。
 帯文に「日々折々に詠まれた歌が、淡彩の絵のようにさりげなく、懐かしいのは、木や草花の歌の多さのためであろうか……」と河野裕子さんが書かれているとおり、本集には実に多くの花の歌が収められている。〈作者の行くところ、もの思うところ、四季折々の花あり〉の感が深い。

母逝きて見上ぐる空に早咲きの薄き紅(くれない)梅の香れり
生田川川面に揺るるひと枝に桜の初花ほころび光る
花山の駅舎も朧にかすむ程土手の桜の大きくなりぬ
村の川都会の川に変りゆく置き去りの菜の花岸に群れ咲く
見上ぐれば白木蓮に雨降りてゆらりと過去の灯りともれる
戻り来てまた振り返る野晒しの棚に咲き初む夕べ白藤
山帽子の一重の花が輪を描く夏めく庭の緑の中に
道端の矢車草を見て通るドイツに行きしも遠き日となり

 作者の温和な性格を反映してか、作品に登場する木も草も静かなたたずまいで、花の色も淡彩 である。真っ赤とか、まっ黄とか、激情の色で咲く花の歌は一首も見当らない。
 御夫君は、

幾度も修繕しては使い来し夫のカバンの黒光りする

篤実な学者でいらっしゃる上に、音楽の趣味も深く、

朝よりのフルートの習い止まずして夫の発表会日も近づきぬ
リハビリのためにピアノを弾いている夫が夕べの庭より見える

 情操豊かな幸せな家庭環境を背景として詠まれた、古林保子さんの作品だが、いわゆる短歌的抒情への思い入れか、或は、慎ましい感情に起因するのか、一巻からは、そこはかとなく寂しい、家庭婦人の表情を見ることができる。


いのちのせせらぎ

井澤淑子歌集
『白き屹立』
書評 藤井 幸子


 

 著者は「林間」同人、第一歌集『珊瑚珠』以後十四年を経て上梓された第二歌集である。歌集名と、白地銀文字の装丁の清冽さがよく合っているが、亡き父上をイメージしての書名と、あとがきで知った。

壮年の亡父のまぼろし 冬空に銀杏一樹の白き屹立

 第一歌集の題は母上に因んだと、やはりあとがきにあり、著者の作歌の基底は即ちその生命の基底なのだと納得させられる。

老人と跛の犬をお坂町に見かけず久し 花散りてゆく
若き日の亡母の着物のふきの色墓の廻りに野すみれの咲く
暮れ方の町を一瞬かがやかせ音やはらかき春のいかづち

 一集を通じて見られる五感の鋭さ、感性の柔軟な若さだが、一章においては殊に、視線の細やかさを伴い鮮やかである。

蛇いちごあたま熟れゐる行き止り人思(も)ふ心捨てて帰りぬ
人工レンズ眼に入れ宇宙の明るさよ豌豆畑にしじみ蝶舞ふ
夾竹桃重たく靡くかなたより火の匂ひして冥(くら)き八月

 人事と自然をさりげなく結びつけ、そのあわいに人間や社会の機微を語る。二章で特に感じる、巧みともなき巧みさ。

夏雲と秋雲まじる碧き空鴉一羽がながく見てゐる
かなかなの声の乱れよたれかれの訃を耳にする雨の長月
極月の風鳴る日暮を骨拾ふ体温ほどの温みもつ骨

 はらからへの挽歌を含む三章において、こうした表現の巧みさは、それだけに無常を詠う痛切なしらべとなる。

雪解道踏み締め踏み締め坂下る言はねばならぬ言葉つぶやき
寒の水うすきコップに揺らがせてわが死に際を思ひてゐたり
時計の螺子巻きて聞きをりとほき日に亡母の命を刻みたる音

 冒頭の、父君を詠んだ書題歌を含む第四章は、第三章の無常感を曳く寂然の抒情の中に、作者自身の生死の覚悟のようなものを漂わせ、何か毅然たるところを見せている。

満員のシースルーエレベーターのぼりゆく人間パック上昇のごと
渇きたる心を濡らすほどもなし髪しめられて日照雨過ぎゆく
十六階のベランダの柵に背伸びをし月の匂ひを嗅ぎてゐる犬

 終章から。京都の女人らしく、せせらぎのようなやわらかく静かなしらべながら、批評性やアイロニーの鋭さは随所に見受けられる。家族を詠み、きびしい介護の日々を詠む歌は、あつい愛情が滲みつつけして湿ってはいない。「白き屹立」とは、むしろ著者自身の毅然たるいのちの形容ではあるまいか。


空に投げ打つ

酒井万奈歌集
『水辺』
書評 岡部 史


 

 歌集『水辺』を読了後、戦中・戦後を生きた一人の女性の人生が、一冊の歌集に凝縮されていることを感じた。その重さは、内容から受ける印象ばかりではない。
 作者は戦後まもなく作歌を志しながら、数年後には中止。そして四十年近く時を経てから、再開されている。こうした紆余曲折もまた、この歌集を劇的なものにしているように思われる。詠われなかった時間は作者の内側に鉱脈のように育ち続け、掘り当てられる日を待っていたのではなかったか。そんな気持ちにさせられるのである。
 作品内容は、病気の夫を看護する日々を詠った家族詠、また戦時中の軍の暴挙を告発する「毒ガス島」の社会詠など多岐に渡り、いずれも現代短歌が今後追求していくべき重要なテーマが扱われていることも興味深い。
 だが私が一番注目したのは冒頭近くに置かれた「西オーストラリア」と題された連作だった。これらは1と2に分けられ合計で七十首近く、まさに質量 共に目を引く一連となっている。おそらく作者が短歌を再会し、その後も続行していこうと決意される、重要なきっかけとなった作品群なのではないかと思われるのである。
 結婚した娘さんが住まう、ただそれだけの理由で訪れた彼の地で、作者は思いがけず、日本という狭く湿潤な風土から解き放たれる。オーストラリアの広大な土地、壮大な自然、様々な民族の混住、人知を拒む砂漠などを前に、ひとたびは声をなくすほどの衝撃を受ける。想像もしていなかった世界の広がりに、瞠目する様子が作品群から透けて見えるのである。
 そしてたぶん、これまで作者が目にし、また自分自身も関わってきたアララギ的生活短歌では表現しきれないものがあると感じられたに違いない。ここで表現手段として短歌を選びなおそうとされたのではなかったろうか。

身にまとう薄きブラウス我が齢わがすぎゆきを空に投げ打つ

 だからこそかくも強く過去を否定する歌が生まれたのだろう。

風走る樹々に名知らぬ花の咲き日々我が尺度鞣されてゆく
北空から明るみてくる朝明けに白き十字架森の上に見ゆ
まだ読まぬ物語はじまりゆく感じドア開けて走る郊外列車

 異国の事物に鼓舞され感覚が研ぎ澄ませれて、新しい表現を求めて進んでいく様子が、たのもしい。
 かくして触発された好奇心が新たな素材を求め、その結果、後の社会詠や旅行詠の収穫を得たのだろう。次の歌などには日本の戦後社会が抱えていた呪縛的なものから解放され、あたらしい自分を楽しんでさえいる作者の姿が垣間見えるのである。

青味泥(あおみどろ)氷河期の泥顔に塗り何持つべしや外は夜の闇


読後にのこる清韻

野中十四惠歌集
『きつね橋』
書評 松岡 裕子


 

 著者は「夢殿」所属、今年八十二歳という。一家の主婦としての務めを終えたのち、亡き夫の会社の経営を引き継ぎ、地域の社会福祉事業にも携わり、活動されているとのこと。そうした手堅い人生を確と歩いて来られた方の長年の熟成を思わせる実り豊かな歌集である。
 とは言え、作品の上で、そのような経歴や日常生活のこまごまを語っている作品はほとんど見られない。歌に対するきっぱりした姿勢は、「あとがき」にある先師河野繁子氏の「日常茶飯を廃して日々の修練を積む」や、現在の師髭野登喜子氏の「もろもろの人の世のかなしみを越え喜びを見出しつつ、自己の浄化につとめる」などの教えに負うところが大きいのであろう。
 作品をあげてみよう。

そこごもるかなしみはあれ紀の国の冬木の中に桜咲くなり
境内を流るる川の底澄みて流れに動く椎やどんぐり
谷かとも思えるほどの内陣のやみの深きを照らす法灯
魂のかえり来しとや廟の庭もみじは終のかがやきに照る
立ち寄りて鎮守の森の大楠の地を縫うごとく根下ろし瘤
いくつかの教えはいまも生きてあり山茶花咲きて姑の忌近し
かえるでの若葉にそそぐ雨明るし大往生遂げし母十七回忌

 どの作品も姿が整い、調べが澄んで美しい。歌はこうあるべきだという著者の信念がとおっているようだ。
 紀の国和歌山は、まさに木の国である。枯木もまじる森の中にひっそりと春を告げるさくらの一木。境内の澄んだ川の底を流れに乗ってちろちろ動いてゆく椎やどんぐり。いずれも叙景でありながら、そこに作者の心が寄り添い、味わい深い。
 次の三首は、寺や神社での作である。作者は心を空しくして対象の中に没入している感がある。「谷かとも思えるほどの内陣のやみ」はすごい。そこに仄かな法灯をみつめる作者。二首目の終極の炎を燃え立たす廟の紅葉。三首目の地を縫うさまに這う大楠の根がかかえる瘤。どれも対象をしっかり凝視し、力強い表現によく感動を伝えている。
 あとの二首は、姑と母の追慕の作品。著者のつつましい敬愛の情が明るく詠われていて清々しい。
 自然の景物によそえて思いを述べるというのが短歌の伝統である。いつまでも美しく、平和であってほしいめぐりの風景が近年荒々しく変貌してきた。

イラク戦争長びく恐れいだきつつ日本列島桜咲くなり
家跡に石臼、灯籠ころがりて盛土の上(え)に春の草萌ゆ
山ひらき道となりゆく断面に涙のごとき水脈の見ゆ

 叫びではない。しずかに湛えたかなしみが底流している。最後に巻末の一首をあげておく。改めて、清韻を聞く思いがする。

いつしかにつくばい覆う夏萩の花穂をゆらす鳥影のあり


上手くなるということ

井関古都路歌集
『青彦』
書評 都築 直子


 

 岡山県在住の井関古都路の第二歌集。龍短歌会叢書として出され、十三年間の四百五十五首を収める。作者は染色家であるらしい。等々は読後に知ったことで、まずは栞もあとがきも見ず、ソフトカバー装の美しさを愛でつつ読みはじめた。
 七十五ページ「金色の繭」から俄然よくなる。それまでは、古都路というロマンチックな名前にぴったりといいたくなる作品が続くが、やや肩に力が入り気味だった。例えば、こうのような二首。

藍気烈しく泡立つ若き春建ての藍なればわが「青彦」と呼ぶ
われを染めよと迫りて青く炎ゆる眼は鬼あり冬の工房に棲む

 素材は魅力的だが、一首の中に強い言葉がならびすぎる印象だ。
 それが一転して、さらりとした詠み口ながらイメージ鮮明な歌が、どんどん登場するようになる。

とりとめのなき語らひに夜を更かす酒とレモンと蓮見重彦
前の席におとがひ長き男ゐてほこほこと焼きたての芋を食ひをり
大いなる穴を掘りゐる男らを穴底に見つつ通り過ぎたり

 どれもいい具合に肩の力が抜けている。読んで楽しい。

若き男のごとくつつぱる粗き麻藍に浸せばくたくたとなる

 染色を素材にした作にも、ユーモアが顔を出す。美意識を前面 に押しださない作り方になる。
 また、染色の歌と共に集の柱を成している母の歌も変化する。七十五ページ以前は、言葉遣いがややかたかった。

これやこの最後の花見よといふ母につきあひて今年も今生の花見
いつか見ん母の死顔目の前の母に重ねて違和感のなく

 七十五ページ以降は、やわらかな言葉遣いになる。

長く土を踏まざるゆゑに豆腐のごとき脚となりたる母を洗ひぬ
父死して一度も夢に来ぬといふ母と見てゐる十六夜の月
みづの中を歩むごとくに庭を歩む母なり秋の光を浴びて

どの歌も一読ですっと心に入り、かつ深みがある。
 ある時点で、作者に何事かが起こったようだ。
 歌が上手くなったからといって、人間の価値が増すわけではない。では、上手くなる前と後で、一人の人間の何が変わるのか。ものの見方か、言語技量 の問題か、それとも? 歌集を読み進みながら、そんなことを考えてしまう。それほどあざやかな変貌なのだ。
 しかし、ここでやっかいな問題が浮上する。上手くなるのはいいことか、その先に何があるのか、という問題だ。

さつくりと林檎を割れば白き果肉が罪のやうなる密を溜めゐる
しじまの音闇に吸はせて降る雪の闇に重なる白さと思ふ

 集の最後の方に登場するこれらの作を見ると、「手だれ」という言葉が浮かぶ。読者はわがままなもので、下手な歌は読みたくないが、手だれふうの歌もつまらないと思う。
 井関古都路は難しい段階にきているらしい。そういう印象を持つ。


くるみ保育園
− 詠いたい一心−


山下れい子歌集
『水たまりは夏』
書評 八汐 阿津子


 

 山下さんは歌をはじめたきっかけについて、歌集『水たまりは夏』のあとがきにこう記している。「随分回り道をして保育の仕事についた私は、子ども達を詠いたいとの一心から短歌を始めました」。

おはよーと駆けてくる子を一人づつ両手で受けとめ今日の始まる

 この巻頭歌に山下さんの人となりがぱあーっとあらわれている。〈をさなごと目線の揃ふやはらかさ保ちてゐたし今日一日を〉とも詠む山下さんにとって保育の仕事は天職であったに違いない。

お泊りの子を順番に眠らせるとんとんとんとん魔法の手もて
「 ねむれん」と言ふ子の足の冷たきを手で温めやる寝息立つまで
みーちゃんは二度起きましたと真夜中の交代時に聞く「申し送り」

 病院附属の保育園にはお泊りがある。保育士として夜中に交代をして働く時、山下さんは一本の樹のようだ。親鳥から預かった雛をやさしく包んで眠らせる樹。「とんとんとんとん」は心地よい愛のリズムだ。

サ行音がタ行になる子が呼びに来る「テンテ アトボ」と歌ひながら
紙パンツはく二歳児がSee Youと手を振りて行く「英語教室」
「へたやねー」と三歳の子が吾に怒る塩からとんぼを取り逃がしたと

 話しことばを巧みに入れて、子ども達の愛らしさ、いじらしさをいきいきと写 しだしている。その目線はあくまでも低くやわらかい。
 一方、職場の環境が余儀なく変えられていく中でのシビアな歌もある。

発言の資料はB5一枚なり誰も知らないこの重たさは
この会議決して本音は語るまい執行部席に疲れて座る

 悩みながら奮闘する姿が率直に出て、〈厚労省に勝てるはづはなかつたと酔へば決まつて繰言に至る〉には働く人に共通 する哀感がにじむ。歌集後半には家族や旅の歌、自分自身の日常が多角的に詠まれて興味深い。そこにはナイーブな感性やユーモアもみせながら一人の女性の揺るぎない歩みが刻まれている。

紫木蓮の花びらの中にしまひおくわたしの秘密ひいふうみいよ
父の句の書かれし写真に喪のリボンきちんとかける姉とわたしは
電柱にも頭を下げて歩くことが候補者の妻の心得の一
糠床を分けて送りぬ永福町コーポラティブハウスに娘は住み始む

 〈「卑弥呼」の靴買ひたることでよしとしてシュレッダーに入れる不採用通 知〉〈晩年のハナの写真は見るほどにすまなさうな顔をしてをり〉何を詠んでもその作品から作者の大らかさ、あたたかさが伝わってくる。山下さんの「詠いたい一心」は歌歴とともに、より柔軟にその懐を深くしているようである。


溺れない船

白井友梨歌集
『組鐘(カリヨン)』
書評 木更津 啓


 

 『組鐘』と書いて「カリヨン」と読む本書は著者喜寿の年に出版された。九二年から〇六年までの作品を制作年ごとに編み、 各章には色の名前が冠される。

なま臭きこと多かりし一夏を巻き込むごとく簾をしまふ
さくら花盛るま昼のしづけさに隣の電話鳴りつづきをり

 十五年という歳月を収めつつ、恬淡とした佇まいを保った歌集である。著者が結社に所属せず、大半が市民教室に毎月二首ずつ出詠された作品からなるという事情だけでなく、それぞれの歌も持ち重りのしない姿に整えられている。「ほんたうは二つで足りる御座候列に並べば五つを求む」「吾が家には「猫がゐます」と言ひきかす迷子の鳩に餌与へつつ」奇を衒わないユーモアも顔を覗かせ、心憎い。

母と子の駱駝海向き海を見ずその目に赤き砂丘の夕日
暮れがての光はなさぬ雲ありて放牧の牛ゆるゆる帰る
抱擁のごとく潮の囲みゐる島には人のもう住まぬとふ

 ほぼ各章に国内外の旅行詠が入る。著者は見慣れぬ風物を楽しみながらも、非日常に呑まれてはいない。景としての駱駝の母子の、更にその目に映る光景に迫って「夕日」をとらえる一方、放牧地ではファインダーを一まわり大きく切る。「光りはなさぬ 雲」という把握は刻一刻とうつろう景色の美しさに向かう作者の心情とも重なる。三首目は、海に浮かぶ島についての伝聞を添えることで絶景に潜むものがなしさが映り込み、眺めを立体的にする。

風鈴の下に茶を汲み夫と並み死ぬ日なきごと風を褒めあふ

 歌集全体に夫君と過ごす穏やかな日々が詠われる。右もその内の一首だが、「死ぬ 日なきごと」に逆説的に込められた死への明確な意識の前に立ち止まる。それこそいつまでも続きそうな日常そのものの場面 の中で、著者の意識は一層の存在感を増し、読者の中にかすかな予感と共に残る。

清拭(せいしき)に夫の肩の辺窄(すぼ)みゐし雷鳴遠く町渡りたり
人等去り夕闇迫る厨辺にひそとささやく冷蔵庫白し

 夫君のご逝去前後からの二首。かような場面でも、著者は自らの悲しみに沈み込まない。夫の肩の窄み、遠い雷鳴、冷蔵庫の白といった具体を採取し、胸の内を代弁させる。
 あとがきに本書の出版を指して「これからも歌に心を遊ばせながら豊かな晩節をすごす船出としたい」とある。この著者が舵を握る船なら、数多の出来事や感情の大波小波が待つ海原でも溺れはしまい。


畏敬と情熱

杉浦登代子歌集
『黄砂』
書評 伊藤 京子


 

 歌集は作者を映しだす鏡である。第一歌集『黄砂』より、杉浦登代子という人物の生き方を鮮明にすることは、困難なことではなかった。人は過去の己と現在の己でもって、パーソナリティというものを生みだす。彼女の場合、その二本の柱は、短歌によって揺るぎないものであることを、われわれは目の当たりにする。すなわち、亡父への畏敬の念と、華道への並々ならぬ 情熱である。更に、その基盤を成しているのは、夫婦愛であることも、この歌集では見逃せないところであろう。

赤き旗立つと小舟に父一人大利根川をさからい進む
友よ見よ静かなるこの泳法の亡父より受けしかたみなるべし
皇軍の鉄の胄を胸にだく父の勇姿を切り抜きに見る
四度(よたび)まで戦地に戦う武勇伝郷土の誉れと記事に載りし父
「お父さん苦労したのね、ありがとう」墓前に拝す深く深く
大雁塔かこむ経堂の屏風絵に父と見紛う高僧の顔

 利根川といえば、日本の一級大河川。その川の流れに物怖じせず小舟でゆく父の姿は、まるで板東武者の勇ましさがあったことだろう。「友よ見よ」という呼びかけは、亡父の泳法を受け継いだ作者の誇りなのだ。更に父は、皇軍として万里の長城へ出兵する。四度の戦いはむろん激戦であっただろう。辛酸を口にしなかった父。その父の苦労を労うとき、胸が込み上げて声にならなかった。それが「深く深く」という破調の一音であったかと思われる。大雁塔の高層といえば、唐の玄奘三蔵であろうか。デフォルメではあれ、心の父は五十回忌を終えたとき、カリスマ的な存在として高められていく。

息ひとつ吹きかけてみる芍薬の位置定まりぬ新しき花器に
まんさくの花の香りと戦いぬ昇格試験の実技終りぬ
過ぎし日を輪切りにすれば何時も花にかかわりて来し吾れの事々
不揃いの髭なでながら壺に花直しなさいと叱咤激励

 芍薬の大輪に息を吹き掛けるとき、静物も作者と同じ鼓動を打つ。また、満作の花の香りを手名付けるとき、作者の納得のいく作品となる。道を極めた人の霊力に読者は惹きつけられてしまう。作者は草月会理事に昇格した腕前の人である。それでも機会の在る度毎に師匠にもっと教えて欲しいと渇望する。「叱咤激励」これは師と弟子の情の通 った関係を伺わせる。華道も短歌も杉浦の生き方には、青春性を輝かせている。

わが祝にワイン携え帰る夫やさしき心すなおに受ける
わが熱を計りし亡母の夢に覚む額に置かれし夫の掌やさし

 時折出てくる夫の存在。杉浦作品には、母胎のような夫婦愛のフィルターというものがある。それは、平穏な日々を歌によって最高の幸福感に抽出してくれるものとなっている。


歳月を奏でる生活詠

藪紅美子歌集
『キルシュの焼き菓子』
書評 古玉 從子


 

 『キルシュの焼き菓子』は藪紅美子氏の第一歌集である。
 好日叢書第二四〇篇として二〇〇七年一月末に刊行された。

手作りのキルシュの香る焼き菓子とロングブーツの子の訪問者

 歌集名由来のこの歌に出会ったとき、えも言われぬ安らぎを覚えた。さくらんぼのブランデー=キルシュワッサーの香りが子息とその友人を囲む一家の談笑の景を匂やかに包み、焼き菓子とロングブーツに投影した愛惜の情が生活の一時、一場面 を如実に浮上させていたからである。
 歌集は歳月とか人生とか呼び慣わしているスパンの集大成である。本歌集の年代順三部構成に、生活スパンへの思い入れを感じるので、構成にこだわって作品を抄出することにした。
 昭和五五年〜昭和六三年

挽肉を混ぜる手休め聞きやるも一年生の子の話はつきず
夏ごとに夫の描ける子の姿個性次第にきわだちてゆく
多摩川を越えてゆくこと戻ること一日のリズムの起点となりぬ

 「子の話」「夫の描ける子の姿」など、そこの在る具象は心象を映し宿して衒いの翳りの一つさえなく簡明に情意を伝える。
 「多摩川」は川の持つ独特の象徴性を踏まえ、家庭と職場の両立の決意を吐露する素材として見事に詠み込まれている。
 平成一年〜平成一一年

食材の納入日時をたがえしと夢より覚めて暫し動悸す
満面に笑み持ち巡る院長の目だけはいつも笑っていません
年始めに制作したる夫の絵のモデルのわれがゆっくり乾く
私の夢たりし青年協力隊子は大またぎにNGO研修に

 真摯な人柄が作品から滲み出て「歌は人、人は歌」を思わせる。一字一音の無駄 もない表現が一気に核心へと読者を誘う。
 平成一二年〜平成一八年

被写体は「もの」と「こと」の二局なると哲嗣の語るフォトの世界は

 子息哲嗣氏の言葉は誇らしく然りげなく引用され、作歌理念が語られる。変幻する時と場の中に「こと」(心象)は生じ、そこに存在する「もの」(具象)との相乗によって作品は生まれるのだと。四季はめぐり「こと」と「もの」は作者を過ぎる。

受診時ごと手指の感覚排尿感覚問われ続けて一年を経る
デイサービスにさそわれている母の弁「いまだ現役の主婦なる身にて」
病院を離るる朝ネームプレートの位置確めて白衣羽織りぬ
老母(おいはは)と赤子に少し領け与う 職退きて得る私の時間
学食に校内図書館・生協と 親子の世代の扉を叩く


はんなりと

西村松子歌集
『風蘭』
書評 小田 美慧子


 

 『風蘭』は西村松子氏の第一歌集に当る。「あとがき」その他によると、大阪船場生まれの「いとはん」で、京都上賀茂の社家に住まい、勤務医、開業医、校医などを五十余年もの間務められた西村医院の院長夫人である由。豊かな経歴と環境の中から生み出された一冊であると知る。集中には当然ながら医家の日常を描写 された作品が点在し、印象的であった。

目を見ずに話しかけるが秘訣にて医師と病児は打ち解け始む

 幼ない子を診るのは並大抵のご苦労ではなかったであろう。その現場の微笑ましい様子がリアルに表出されている。

触診の確かな診断なす父に勤務医の息子(こ)は頷きて聞く

 医家の親子のこのような好もしい関係は読む者の背筋を正させるものがある。

消え残り朝空高く照る月と医院を標す我が家の灯(あかり)

 医院の常として終夜を点し続けている灯りと、皓と照る明け方の月との静謐な有様が淡々と述べられて余韻を残す。

いつまでも今あるような錯覚に漂白しており夫の白衣を

 医院や病院で目にする医師、看護師の白衣清潔さは信頼感にもつながる。これからも医家であり続けるかのような錯覚。長年の心遣いがしのばれる。

デイケアに行き喉つめて身罷ると知れば悔しき癒え初めし患者(ひと)の

 咄々とした詠み口で訴える残念が共感を呼ぶ。

ふたりなり小雪舞う日をふたりなり急患ありしはこんな夕暮

 結句と「ふたりなり」のリフレインに万感がこもる。

タミフルの4錠わがため6錠は他人(ひと)への感染防ぐためとぞ

 タミフルの薬効については最近、マスコミでも取り上げられて広く知られるようになった。「防ぐためとぞ」と作者も頷いているが、これは読者にとっても関心事である。
 次にこの集に力を与えている佳吟を紙数の限り挙げておく。

鳩の群れ向き変え円を描くとき遅るる一羽ひたにつきゆく
こんなこと聞いてしまっていいのかと逸らす目の先サイネリアの花
関節を持たぬ草花総身を風に撓いて飛び立つ構え
萎れゆきティッシュのような胡蝶蘭飛べないことをつぶさに示す
勤務医の激務に耐えて離れ住む息子ありても我がものでなし
北野社の石の鳥居を三つくぐり楼門までの広やかな空

 生活に即した、企みの無い自然詠の心地よさ、はんなりとした関西人の情愛が立ちのぼって来る一冊であった。


小さきものへ

山本憲二郎歌集
『四季と人びと』
書評  足立 早苗


 

 大ぶりの菜の花の下で五人の子らと犬が手をつないでいる版画の装幀の「山本憲二郎歌集」を手にした時、思わず涙があふれ出た。シルエットになって子らが手をつないでいる様子。こんな時代が長く、長く続くことを祈りながら、おもむろに頁を開くと、

ねばならぬかくあるべしということももうなくなりてたんぽぽはとぶ

 平明なるなかに、全く的を射ていると思うのである。これを最初にしてまず、

細波の立つ池の上満月は一直線に光を伸ばす
彼岸まで生きながらえし法師ぜみ喜び鳴くや悲しみ鳴くや

 自然の摂理が惜しみなく詠まれ深くうなずかれる。これに続き春の部で

ビンの底にメダカの卵かたまりて黒き点々我を見つめる
掘り出され体伸ばしてへたばれる蛙の春はまだまだ眠い
冬を越し孵化(ふか)せし蝶はふわふわと春の日ざしの中を舞いゆく

 近頃私達が地球環境の衰退を憂いている根源に触れ重厚な作品に出逢った。読みすごしの出来ない作品と思う。同時に胸に熱いものを抱く。日常短歌を詠みながら思うのは地球環境(自然)のこと。自然が破壊されたら短歌など詠むことがむずかしいのではないかと思う。

大きなる石動かせしごとくなり卒業式の翌日は穴

 作者が教育現場での卒業式を終えたあとの安堵感からくる心境、立派に児童を卒業させた胸の内、容易なものではなかった筈のあとに味わった気持ちを「翌日の穴」の部分に実感がある。

誰よりも回りの人を困らせた児童卒業はるさめ静か

 前作の心境と同じものではないかと思うがさりげない表現に重厚さを感じる。

愛情を注げど気持ちの伝わらぬ荒れる子どもは何を求める
金次郎の背負う薪(たきぎ)は何本か子らと数える放課後の庭
子どもらに原爆のこと話す前に昭和のことをまず説明す

 教育現場に於ける全校の児童は教師より見れば全員が自らの子であるにひとしい。  子供の気持ちと通い合うことも又人間としてあるべき姿であることも、世のなかの営みもすべて教えの道である。それらをふまえての作者の気持ちが作品の上に反映している。

今日のこと誰にも言うなと口つむぎすました顔の夜のチューリップ
ククククと鳴き交す声高くなり二つの命結ばれし春

 この二首も明るさのあるほっとした気持ちで読める作品。真摯な人柄が作品を通 じて伺われ、衒いのなさに好感のもてる作品が数多く目についた歌集であった。


句会派・泥湖の
句会的句集


朝日彩湖句集
『いけず』
書評 塩見 恵介


 

はんなりといけずな言葉春日傘

 「はんなり」というやわらかな京言葉。「いけず」という、京女特有の素気ないあしらい。ジェラシーを駆り立てられる男の目。もちろん、春日傘を涼やかに傾け微笑をもって去るその女は、憧憬の対象。例えば、近松秋江の『黒髪』の中の、体臭すら感じさせない、謎めいた芸妓を、読者はそこに見るのかも。
 冒頭この句をもって、句集『いけず』は始まる。いかにも古都京都の伝承的イメージをもって始まるところから、読者をすでに欺きつつある句集である。
 朝日彩湖は一九四〇年生まれ、滋賀の人。二十代より独学で俳句を始め、爾来三旬を重ねる。俳句結社「船団の会」に所属してからは京都を拠点に活動、温厚にして朴訥な人柄は多くの俳友に慕われ、句会の世話役を預かること多々。現在、俳号は彩 湖改め泥湖。まさに琵琶湖の泥鰌よろしく、清濁併せ呑むかのような鷹揚な句柄である。
 その句風は、まさに句会派といってよく、変幻自在。剣術に例えてみれば、実戦的な、一撃必殺の示現流を思わせる。句会で、読み手から、アッと声が挙がりそうな、破顔一笑の句も多い。本書も、その資質を存分に見せる句が敷き詰められている。春夏秋冬の四章で、季題順に配された句集のスタイル。だが、伝統的な、都の移ろう四時を詠んだ俳句ではない。
 たとえば本書に出てくる女性像の断片を拾ってみよう。

行く春のおばさんを積む観覧車
大阪のおかんで通す鯵フライ
元サヨク今おばさんのなまこかな

などの句に見られる女性のパワーはどうだ。ため息をつきそうな観覧車に積み込まれたおばさんの群れ。無骨な衣をまとう鯵フライをばんばん揚げてゆくおばさんの健康さ。なまこと同化しながらしたたかに渡世を楽しむ元サヨクのおばさん。そうした異性に敬意を表しながらも、コンプレックスに苛まれる同世代の男の感慨。おばさんを否定するでなく、と言って手放しで肯定するわけでもなく、この世は、自分の理解を超えた、違和感の「いけず」だらけだ。そんなときは

ジューンドロップきっとなにかの勘違い

 などと、とぼけてやり過ごす泥湖だが、時に凄みのある句も。

黙りなさい花は今でも散っている
カサブランカ愛とは誓うものですか
正義とはひとつでしょうか義士祭

 静かで鷹揚、朗らかな句の中に、突然、侠客が匕首を突きつけるような、これらの句。作者も、ときどき読者に「いけず」ないたずらを仕掛けて揺さぶってくる。「句会の空気」を閉じこめた、実践的な句集だ。


混沌から清明へ

横山未来子歌集
『花の線画』
書評 福士 りか


 

 繊細で清新な抒情。横山未来子という歌人の名を聞いて思い浮かべるのは、そんなイメージであった。しかし、第三歌集『花の線画』においては内省的態度が強まり、世界への違和と親和のはざまに立って「見えぬ もの」をさぐろうとしている、そんな印象を強く受ける。

見えぬものを目指して人はゆくものを疲るれば置きどころなき脚
密吸ひては花のうへにて踏み替ふる蝶の脚ほそしわがまなかひに
言葉にてかたちづくられたる鳩を放てよといふ声は降(ふ)るなり

 人は生を重ねるほどにさまざまな労苦と出会い、時に人生の方位 を見失うことも、孤独にうちひしがれることもある。そんな時、作者は動植物の微視的世界を見つめ、同化し、あるいは目を閉じて声(音)を聞き分け、言葉によって世界を形作ろうとする。あくまでも美しい言葉で、卓越した比喩で。
 ところで、この歌集では個々の名前や事情が詠まれることはほとんどない。「個」を詠まず、安易な物語を持ち込まないことで、ものの「骨格」、すなわち本質を見定めようとするのだろう。それは信仰に基づく歌においても同様である。

いつか間近く逢はむとおもふ一人(いちにん)の瞳は深くひらかれてあり
唇を舐むればさらに唇の乾くやうなる苦を負ひしひと

 「一人」とは誰か。「ひと」とは誰か。一首目の歌の前には「一滴にてかをる香油の壺を割る記述を読めりくるめくごとく」という一首があり、「一人」は捕らわれる前に香油を注がれたイエスを想起させる。また、二首目はキリスト教と関わりのない一連の中で詠まれているが、十字架上で酸い葡萄酒を含ませられたイエスが「ひと」と二重写 しになっていく。イエスでさえ特別な誰かではないのだ。

麦の穂のひかりを捌きゆく風の速き歩みを見てゐたりけり

 この歌の前には「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこから来て、どこへ行くかは知らない。 ヨハネによる福音書三章八節」という詞書がある。神の意志ともいうべき光(影)に触れるとき、人は自らの弱さを受け入れ、「人の子」イエスの痛みを思うとき、かなしみをゆるやかな絆として世界と繋がるのだろう。
 最後に、印象に残った一首をあげる。

夜を押し分くるごとくに窓をあけ高き位置より落とすオレンジ

 この強く重い色彩。横山未来子は、たおやかさをそのままに、もっと深い世界を捉えようとしている。


隠逸の系譜

安藤直彦歌集
『鄙さかる』
書評 奥田 亡羊


 

 安藤直彦の第二歌集である。作者は都市圏で教職にあり、故郷では神職をつとめているらしい。亡くなった父母の歌があり、子どもの自立の歌もある。街の住人でもなければ田舎の住人でもなく、もはや子でもなければ親でもない。どちらにも属し、どちらにも属さない独りの時間を生きている、そんな作者像が浮かぶ。

耳のあたりはつか吹かるる気配してすでにし黒き蝶とすぎゆく
日の中に降りくるものは濡らすなり釣りゐるわれの竿の先まで
アユ釣れるわれのそびらの石原に日傘のひとを立たせこそすれ

 いずれも省略をきかせた表現が特徴だ。一首目は黒き蝶として過ぎ行くものが何であるのか明らかにされていない。二首目は雨という言葉が省略されている。三首目は日傘のひとを立たせこそすれ何なのか、言いさしのまま終わっている。読者にゆだねるというより独り言のつぶやきのようだ。

町方に激しく豚の啼きつるを若き女とゐていぶかしむ
汝が歯形われが歯形のこもごもに一つりんごと運ばれてゆく

 「町方に」の歌ではまさに社会から切り離された場所に二人の世界がある。次の歌は自分たちの存在を歯形として即物的に捉えたところがグロテスクだ。いずれも恋愛の歌でありながら、社会や他者との関係性がすでに失われつつあるように見える。孤独者の眼をもって自己や社会、他者との関係を見つめるところにこの作者の本領があるのだろう。

舗道(しきみち)に死にし仔猫をみてすぎぬ向かう向きさへあはれなるかな
烏骨鶏のみだらに生ふる脛の毛を見つつしそよぐ竹籠の外
滑(ぬめ)ぐさきものを裏戸に捨てにゆく白き素足も浮かべみるべし

 この歌集には何かを「見る」歌も非常に多い。「舗道に」の歌は仔猫が「向かう向き」に死んでいる光景に作者の眼が引き付けられ、そこに作者の思いも喚起される。「烏骨鶏の」の歌は鳥の脛毛を見ている自分もその脛毛のように風にそよいでいるという内容で、見ていた対象がいつのまにか自分自身にすりかわっているような錯覚を起こさせる。「滑ぐさき」は家人の日常を思う歌であろうか。いずれも「見る」という行為によって主体としての〈われ〉を再構築し、対象との関係を結び直そうとする作品と読んだ。
 歌集の解説で米口實氏が安藤直彦にオブローモフの面影を重ね、その作品を「隠者の歌」と評しているのは興味深い。見ることこそ隠者の本質であるからだ。現代短歌の流行とはおよそ無縁であるこの歌集に私が強く同時代性を感じるのも、作者が隠逸者の文学の伝統を受け継いでいるからかもしれない。

ボンネットに張り付きありしガムさへに怒る心のうすれゆき 冬
キセキレイ湧き水そそぐ光(かげ)に来て喉(のみど)ほそくもそを飲まむとす

 諦念をたたえた孤独な眼に捉えられる季節のめぐりや自然の美しさがひときわ印象的であった。


日々への哀惜

石飛誠一歌集
『水島臨海鉄道』
書評 沢田 英史


 

 著者の第一歌集『小さきケルン』に娘さんのスナップ写真を詠んだ印象的な歌があった。その先入観からではないが、カメラレンズを通 したような作品が目についた。

クランケの今わの際をてきぱきと働くナース無言のままに
夕暮の商店街にわが子見つ寂しきさまに声かけず過ぐ
列車にて吾に似る人見かけたり黙って前をよぎりて行けり

 危篤患者の医療現場、思いがけなく娘(?)の姿を見かけたたそがれの市場、まるで自分かと訝る男を発見した駅前。ふつうは平静な心境ではいられない、心騒がす情況であり場面 であろう。ところが、著者は冷静に見つめている。あたかもカメラのファインダーをのぞいているかのように。
 「無言のままに」「声かけず」「黙って」という音声を捨象する惜辞がいっそうレンズの冷徹さを強調している。こうしたものの見方は著者が医師であることと関わりがあるかもしれない。さらに趣味のバードウォッチングともつながっているのだろうか。ただし、バードウォッチング(探鳥)というのは双眼鏡をのぞくだけではないらしい。「おにぎりとペットボトルの茶を買いて五月の森に鳥聴きにゆく」とあるが、聡い耳も養うようだ。そして、事実その通 り、歌集の解説で池本一郎氏も指摘しているが、著者には耳で「聞く」よい作品が確かに多い。

子らの居ぬ夏祭りなり障子あけ妻と茶の間で遠花火聞く
弟の逝きたる夜に啼きおりし山鳩の声今も忘れず
正月に外泊出来ぬ患者らに夜勤ナースの声はやわらか
夜を通し鳴きいし虫の声も止み朝きたるらし我も眠らん

 タイトルの『水島臨海鉄道』は、バイク事故により三十四歳で他界したご子息への思いを込めたものだとあとがきにある。

この後は乘ることなからむ水島の臨海鉄道子の死にたれば
逝きし子の鞄にありし女文字の葉書一枚捨てかねている
逝きし子の竹馬の友の披露宴 来賓席に子の遺影あり
夏逝きし息子の写真仏壇に冬を過ごしぬ半袖のまま
スクリーンに笑顔でボートこぐ姿うつして始む子の三回忌

 ここにも写真やフィルム映像による記憶の保持という著者の過去の時間への愛惜の情が見てとれる。とともに、文字によって在りし日の子息の生活を偲ぼうとする胸懐が二首目からうかがえる。一首目やタイトルに託す所思の深さを知ると、日々の記録としての短歌を大切にする著者の心の傾きに触れる思いがし、カメラレンズのようなまなざしと、研ぎ澄まされた鋭敏な耳によって生み出される作品が、著者の生きる姿をくっきりととどめていることをいまさらのように思い知るのである。
 私のもっとも好きな歌を最後に挙げておこう。

忘れじと手帳に記しおきたるに手帳を見るを忘れてしまう


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