◆ 青磁社通信 Vol.12 ◆
ことさらに細き身ゆりて川沿ひは物につかざる夏の草伸ぶ 遠ゆくは橋こえてゆく物の音いづれ人ゆく車の響き つらぬきて地表地中を伸びてゆく草の戦ぎはなほ花咲かぬ 燕来て瞬時虚空にとどまるは南北ふとも忘れし鳥か 歩み来て道に左折の事あれば阿蘇白川の水匂ふなり 川の面に影を落さぬ石垣の斜角六〇水清きかな 白川と言ひも捨て得ぬ名を泣けど知らぬ顔して野の鳥が啼く
三三年が経ってしまった。阿部圭司と僕が第二次の「青磁社」を始めたのは、一九七二年の初頭であったと思う。初頭という季節の記憶は確かだったのだが、年はあれこれと年表のごときものを繰ってみてのことだ。 そのとき僕は上京したばかりで、阿部とのつながりは二人が当時所属していた「詩人会議」という組織であった。彼はそのとき、新しい総合雑誌を立ち上げるための、かなり大きなプロジェクトに参加するはずで退職していたが、どうやらうまく行かなかったようであった。 事務所は東京・神田橋の近くに、阿部の伝手で決まった。ある国際友好団体と同居させていただくことになっていた。木造モルタル二階建て、その一階の板張りの部屋で社名を決めた。他の候補も出たはずだが覚えていない。決め方は、名前の一字をとった音に漢字をあてはめ ることになった。大阪の友人の父が「青銅社」という彫刻家集団を運営していたので、その連想から「青磁」という提案をした。 社名を決めたとき、第一次「青磁社」のことは、少なくとも僕はまったく無知であった。後から、アララギ系の歌集を出していた版元があったことを河野裕子さんから教わった。その後の管見では一九五〇年まで活動の跡を辿ることができたが、その最初の社を担っていた方々のことは今も無知のままである。お許しを願うしかないとあらためて思う。 第二次の「青磁社」に僕がいたのは、ほぼ三年になるのだろうか。退社は石油ショックが原因である。事務所はJR神田駅近くの北乗物町のビルに移していた。阿部と二人で看板は「詩書」をかかげ、出版のお手伝いもしつつ、外郭団体の下請けやらゴーストライターやらをして資金をためた。自主企画のためであった。そうしてある程度の余裕と、取次業界とのつながりもできはじめたころに石油ショックがあった。資金のために、僕たちはささやかながら「元請」に手を染めていた。出していた見積りの額を本当に見る間に紙だけの値段が越えていく、そんなことが続き蓄えは激減していった。阿部は三つ上であったし、僕の方が身軽であった。 こんないきさつが「青磁社」にいたころである。 ◎ 印象に残っていることから二つあげる。 ひとつは、詩人会議の運営委員長だった壷井繁治さんから『回想の壷井榮』の制作依頼を受けたことだ。壷井榮という作家を知らぬ方はいないだろう。錚々たる方々が執筆されていた。その編集の過程で自分は何に向いているのか自問することがあった。中野重治の原稿であった。決して上手とは言えぬと思うが達筆な文字を阿部と二人、初見では読めなかった。解読を試みる途中で、ふとリズムを思い浮かべると解けた。自問とは詩作と仕事、であった。それまでも編集という作業は好きであったが、そのときこれが僕の仕事なのかとも思った。 もうひとつは『森のやうに獣のやうに』だ。河野裕子さんの処女歌集である。これをお手伝いすることになったのは、在阪の友人・河野里子さんからであった。お二人の河野さんが大学の同窓であることは、角川短歌賞を受賞されたこととともに、里子さんから聞いていた。僕たちは詩については少し詳しく知ってはいても、短歌は素人だから(裕子さんもそのあたりはご存じだったと思うが)どちらにも不安があったかも知れない。第一次「青磁社」があったことを教わったのはその折である。 今も後悔が残るのは、誤植と言えないまでも『森のやうに獣のやうに』で、一頁に複数掲載した中の一首の書き出しが一文字下がってしまったことである。いくら著者校をしていただいてはいても、編集という作業を受け持つ者のミスであった。謝るしかない僕に、裕子さんは 微笑んでくださった。 ◎ 第二次「青磁社」はその後阿部の手で続き、僕たちが属していた「詩人会議」の版元を引き受けるまでになったが、借財をかかえて閉じた。離れて四年後、僕の唯一の市販詩集を出している。赤字であったろう。そんな重なりがあったか、いきさつには詳しくないが、バブルに影響されていたのだろうか。いずれにしろひとつの事実となってしまった。 離れてからの僕は、ある版元に勤務し、そうして二〇年近くは多分経って、第二次「青磁社」が閉じられてからはどのくらい経っていたろうか。勤務先にか自宅にかは忘れているのだが、永田さんから電話をいただき飯田橋でお会いした。出版社を始めたい、ついては「青磁社」を名乗りたいのだが、いかがか、というお話であった。第二次を代表することはできないが、僕に異存のあろうはずがなかった。今回ご依頼を受けたこととあわせ、思う時間を持てたことに感謝し、紙幅を埋めさせていただく。 (二〇〇五・五・三一)