ふうせんかずらの花の米粒ふうせんとなりて緑がふうわりゆるる 垂れ下がる千の房々「ナイヤガラ」滝の雫のしたたるぶどう どの粒もみどり寄せ合うぶどうの粒窮屈そうに稔りの季は 逆方向へ泳ぐ喜びかいつぶり不意に引き返し親の後追う 宙吊りの吊橋渡れば異界ならむ橋のむこうもいつもけぶらう たそがれにすうっと寄りくる人さらい恐しかりき幼時幻想 息子に言う必要がなかった言葉両親が日本人とう言葉よ
近代短歌は現代短歌に比べるとユーモアに乏しいと言われる。確かにそうである。だが、ユーモアのある歌人がまるでいなかったわけではない。 酒戦たれか負けむとみちのくの大男どもい群れどよもす 『朝の歌』 名に高き秋田美人ぞこれ見よと居ならぶ見れば由々しかりけり 若山牧水の大正五年の歌である。この年、三十一歳の牧水は念願の東北地方を旅した。三月中旬からの約一ヵ月半である。右の一首目、「酒戦」の語がまず愉快である(と思うのは当方が酒飲みだからか。酒を嫌いな人には唾棄すべき言葉かも知れない)。日常的には酒合戦という。『日本国語大辞典』を引いてみると、「酒戦」の語は出ていない。ただし、酒合戦の語を引くと、酒戦とも言うと出ている。私には酒戦は陰々滅々とした感じがするが、「酒戦」は明るい感じである。そして下句の「大男」の「大」、「い群れ」の接頭語の「い」の大仰な感じが読者の笑いを誘う。牧水は笑いをねらったわけではあるまい。実感に即して言葉を選んだら、かくなる表現になったのであろう。おのずからのユーモアと思う。青森での作である。 二首目は秋田での作。宮城、岩手、青森と旅してきて、秋田に足を踏み入れたのである。そして噂に高い秋田美人の実物!に出会ってさすがと感動したのだ。「これ見よと居ならぶ見れば」もおかしいが、結句の「由々しかりけり」には思わず笑ってしまう。私は牧水と同じ宮崎の出身だが、小さい時に聞いた話がある。それは神武天皇が東征のため日向の美々津を船で出るとき、頭のよい男と美しい女は乗せてゆき、残った人々が宮崎県民の祖先になったという話である。県民からすればひどい話であるが、ともあれ牧水はこれまで日向その他で出会ったことのない美人にまみえたのであろう。「由々し」とは神がかっている。牧水は恐れ多くて、口も聞けずに早々に退散したに違いない。 黒岩のこごしき蔭に見出でつるこの海女が子を親しとは見つ 『渓谷集』 おもはぬに言葉はかけつ面染めてはぢらふ見れば悔いにけるかも 手くびさへ見つつし居ればこひしさのいま耐へがたしとらむその手を 岩かげにかくれてきけば海女が子のをとめどちして笑ふ高声 素はだかにいまはならなとおもへるごとその健かの顔はわらへり 口すこし大きしと思ふ然れどもいよよなまめく耐へがてぬかも 「海女」の連作から引いた。全部で二十一首ある。その中の六首。大正七年二月に伊豆土肥温泉に行き、一ヵ月近く滞在した折りに歌った。一々触れることはしないが、牧水の率直さがおのずからユーモアを生み出している。たとえば三首目の「こひしさのいま耐へがたしとらむその手を」。微笑ましいほど純情である。四首目は「岩かげにかくれてきけば」。岩陰に身を隠して海女たちの笑い声をひそかに聴いているさまは純情をとおりこして怪しげである。どちらも奇をてらうことなく、おのが思いを述べ、おのが姿を言い表わしているだけなのだが、読む者の頬の筋肉をゆるませる。牧水が構えていないからだ。五首目も面白い。海女たちが素裸になるのではないかとドキドキしながら期待している歌である。六首目の「口すこし大きしと思ふ」はわざわざ言わなくていいことのように思えるが、この上二句があるから「然れども」以下が読者には一層おかしい。 現代の短歌にも心をなごませるさまざまのユーモアの歌がもっとあっていい。若山牧水賞は、牧水の歌風を継承している歌集ではなく、最も充実した歌集に贈られるのだが、受賞歌集にはユーモアのある歌が多い。最近の受賞歌集から。 水鳥の水走る間の蹠のこそばゆからむ笑いたからむ 永田和宏『饗庭』 顔以外で笑えることを喜んでいるかのように犬が尾を振る 飛び出してゆきたる息子飛び出して行きたいわれが背後より怒鳴る 若鳥のさえずりに似て娘の友の名はあや、しおり、まい、あい、さゆり 小高賢『本所両国』 この「その」は何を指すのか受験期の娘にたださるるわれの時評は 月ひと夜ふた夜満ちつつ厨房にむりッむりッとたまねぎ芽吹く 小島ゆかり『希望』 思春期はものおもふ春 靴下の丈を上げたり下げたりしをり 二重瞼にあくがれわれを責めやまぬ娘らよ眼は見るためにある ユーモアのある歌は現代短歌の最前線の一つと思う。