「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。」 おお、懐かしいこの文章。かつて意味もわからず暗記した、かの『奥の細道』の冒頭部分である。意味のわからない頃にはやたらに暗記させられ、その意が心の奥底にまでしみわたるこのごろは、もう取り出して読むこともまれになったとは、考えてみれば不思議なことである。 ところが、つい最近、私はこの『奥の細道』で大いに笑った。俳聖芭蕉の名文『奥の細道』で笑うとはいかに。本当を言えば、笑ったのは、娘の中学校卒業文集の付録〈『奥の細道』風に綴る三年間〉。 クラス三八名のうち三六名が一ヶ月ずつ分担して三年間のできごとを綴り、残りの二名が前書きと後書きを書いて一巻となっている。そして『奥の細道』風であるから、これがすべて古文で書かれているのである。現代文であれば格別どうということもない内容が、古文であるために、いとをかし。 たとえば、一年八月にはこんなふうに書いてある。 葉月にて、学業にしばしいとまあり。あまたの友どち、部活動に、いとがんばりけり。 なんとそのすぐ前の、一年七月は、わが娘の筆。 文月といへば、海の家なり。小学校のときとはいささか異なる友どちとの生活。くらげにさされる者あり、全身くろくなりたる者あり、あまたの思ひ出を心に刻みける。夜は、遠泳の疲れにてみな深き眠りにつきたると思ひしが、消灯ののち、にはかに秘密の会議開かれにけり。これによりて友情いたく深まる。 なるほどなるほど。興味津々でだんだんやめられなくなる。が、よそのお子さんの文章を無断で引用するのも気がひけるので、以下、少々の抜粋をいくつか。 一年十月 本年二度目の地獄来るなり。すなはち中間考査なり。悪魔のごとく勉学にいそしむ者もあれば、ただぢつと時が過ぎるのを待つ者もあり。いたく静かにて目の下を黒くせし者こそ恐ろしけれ。 一年三月 来年度は二年生にならんとす。卯月には新入生が来るなり。ゆゑにわれら先輩は手本とならねばならぬが、少年老い易く学成り難し。春休みとて、さまざまなる遊びの誘惑に勝てず。古人も多く誘惑に死せるあり。 二年十月 神無月のはじめ、学芸発表会ありけり。みな準備に励みけり。ときとして涙を注ぎ、またときとして喧嘩もしけるが、かかる苦難を乗り越え、われらの団結いよよまさりける。 二年十二月 クリスマスとぞいふ外つ国の祭り近づくころ、白雪いと儚く降りたるに、われなにやらロマンチックなる気分起こりて、かねてより心に秘めし君へ、告白の文送りしが、君わが心を入れず。われ、外に出でて白雪とたはむる。 三年一月 新しき年は来たれり。みな、進学の試みに向けて学問に励むかと思ひきや、さほどにもあらぬ者どももありて、あやしき気配こそただよひにける。 三年三月 いよよ卒業の時は来たれり。さまざまなることありしかど、絶えずわひわひしきわが組なればこそ、別れに涙したり。 そして、後書き。 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。さればわれらもこの学び舎を過ぎ行く旅人なり。こののちは、功名を立つる者、悪名を馳する者、いろいろあらむを、わが三年A組の友情は不滅なり。 ざっとこんな感じ。きっと教科書に載っている『奥の細道』を頼りに、見よう見まねで書いたに違いないが、実にすばらしいではないか。この企画を考えた先生は偉い。よく考えれば、なにも古文古文と勉強にしてしまわないで、もっと日常に古文を用いたらいい。この文集から滲み出るそこはかとないユーモアこそ、現代にもっとも不足しているものである。 最近できたらしい「りそな銀行」(理想的な銀行の意という)も、そんな変てこな日本語を使わず、いっそのこと「諸行無常銀行」とでもしたらどうか。 諸行無常銀行に出で入る者ら、富裕なる者も貧なる者も、等しく「諸行無常」と書かれし通帳を携へにける、いとをかし。