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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)

第8回日本歌人クラブ評論賞受賞!!
大辻隆弘評論集『アララギの脊梁』定価2800円(税込)


第15回寺山修司短歌賞受賞!!

真中朋久歌集『重力』定価2800円(税込)

※「週刊時評」は2010年6月7日をもって、ひとまず終了いたします。
また、新たな企画を検討しております。(青磁社編集部)


批評用語の持つあやうさについて
text 川本千栄

 『短歌研究』6月号の座談会「批評の言葉について」(坂井修一・大辻隆弘・斉藤斎藤・花山周子)を読んだ。私の問題意識に触れてくるタイトルであり、特に最初の部分の、大辻隆弘の次の発言には頷くところがあった。

大辻 ゼロ世代の短歌の批評を考えていくと、穂村さんの批評用語の重要性が大きいよね。穂村さんの批評用語というのはよくも悪くも歌壇の動向をきちっと名づけてしまう。それはたしかに鋭いんだけど、名づけられた瞬間、みんなその言葉で思考停止になってしまうというか、何かわかったような気分になってしまう。そこがちょっと危うい。

 問題となっているのは穂村弘の「棒立ちの歌」「武装解除」といった用語についてである。穂村の作り出す批評用語が、従来の批評用語にない新鮮で奇抜な言葉の用い方をしている事と、いかにも、「うまい事を言ったな」的に、時代の空気を掬い取っている点が受けるのであろう。それに皆が感心して、その用語を使って短歌の批評をする、場合によっては自分も何かそうした用語を作り出そうとする、というのが最近の短歌批評の一つのパターンになっているように感じる。
 しかし、私は批評の用語についてはもっと慎重であるべきだと思っている。批評をする際には、自明のことと思われる批評用語でも、ある程度、語義を確認してから使い、理解の齟齬を避ける努力が必要だと考える。「うまい事を言った」ように見える新しい用語ならなお一層慎重に扱うべきで、語義を確認することなく安易に批評に使うのはあやういと思う。さらに、その風潮に乗っかって、自分も新しい「うまい」批評用語を作り出そうとする態度には危惧の念すら持つ。この時評でも過去に「ポストニューウェーブ世代」という語を批判したり、また他のところでも川野里子の「透明な瓦礫」という語を批判したように、そうした語には定義の曖昧さが常に付きまとい、評論の明晰さを曇らせる危険性があると思うからである。
 現にこの座談会でも大辻の発言の少し後に斉藤斎藤が

斉藤 …穂村さんの「棒立ちの歌」に取り上げられた歌には、無自覚に棒立ちな歌と、自覚的に棒立ちな歌がまざっているんですが、(…)上の世代には、アイロニーが意識的に消された歌と、最初から棒立ちな歌との区別 がつかなかったんだと思うんです。…

 と述べている。「棒立ちの歌」に二種類あって、その差が一読して分かり難いのであれば、「棒立ちの歌」という批評用語は、私には有効なものとはとても思えない。2000年12月の短歌研究臨時増刊号『うたう』の座談会(俵万智・穂村弘・加藤治郎・坂井修一)では、「無自覚に棒立ちな歌」は「棒立ちのポエジー」がある歌、「自覚的に棒立ちな歌」つまり、わざと修辞をはずした歌は「一周回った修辞のリアリティ」がある歌と呼ばれていたのだが、10年近い時間が過ぎて、現在斉藤斎藤は「棒立ちの歌」に二種類ある、と言っている。(さらにアイロニーの問題までこの語に含めて説明している。)このように、語義が曖昧だと表すものがずれていってしまう危険性があるのだ。
 また、坂井修一の歌集の後書きにある「もし世界が三人の勝ち組と九百九十七人の負け組に分かれたら」という喩えに関して話しているとき、坂井が自分はそうなったら歌を作れないと言った事を受けて、斉藤が

斉藤 まあわたしは九百九十七側なんですけど。でも九百九十七と三が本当に切れちゃったらまずいよというのがすごくある。だから、正直、密輸しているわけですよね。密輸というか、どれだけフラットになっても完全に真っ平らになることは生きている限りないと思って、(…)

 と発言している。私には「密輸」という言葉で斉藤が言おうとしていることが取り難かったのだが、坂井は少し後で「密輸なんて言葉、なかなか面 白い」と反応している。ここでもやはり、「うまい事言ったな」的な空気を感じとってしまうのは気にし過ぎだろうか。
 批評用語が時代や現象をどれほどうまく切り取っているように見えても、それで歌の価値が決まるわけではない。「棒立ちの歌」や「武装解除」と話題にされた歌に対して、大辻が言ったように「何かわかったような気分」になっていないかどうかをきちんと考えるべきだろう。

 2008年6月から担当してきた青磁社の週刊時評も今回で私の回は最後となった。始める前は「三週間に一度なんて書くことがあるだろうか」と漠然とした不安感を抱いていたのだが、いざ蓋を開けてみると、取り上げたい論題が無くて困ったことはほとんどなく、毎回自分の問題意識に触れることについて書いていくことが出来た。むしろ、今回で最終回ということになると、自分は果 たして、現状に対して問題だと思っている事を書き尽くせたのかどうか心配になるぐらいだ。
 二年間、この場を与えてくださった青磁社に、一緒に書き続けてきた広坂早苗さん、松村由利子さんに、何よりも読んで下さった皆様に、深く御礼申し上げます。ありがとうございました。


5/10の週刊時評「信仰と作品」(広坂早苗)に岩井謙一さんが掲示板にて反論されていますので、ご一読下さい。

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