信仰と作品
text 広坂早苗
青磁社掲示板に寄せられた、岩井謙一の「葛原妙子とキリスト教 松村由利子への反論」を読んだ。併せて、『短歌往来』1月号の岩井の特別
寄稿「川野里子『幻想の重量』への疑問」と松村由利子の先々週の週刊時評を読み返し、私が思ったことを記したい。
川野里子が『幻想の重量』の「神と人工(アート)」の章を、「葛原は信仰を拒み続けた」という一文で書き起こしたことについて、『往来』1月号で岩井は、「日本の歴史を見て一度たりともキリスト教が強制された時代はない」と言い、それゆえ葛原が「日本において非常な少数派であるキリスト教信仰を拒み続けたという、川野の認識は根本から間違っている」と断言する。無論岩井の言うとおり、日本にはキリスト教信仰が弾圧された歴史こそあれ、強制された歴史はない。しかし川野がそのような文脈で「拒み続けた」と記したのでないことは、後に続く記述を見ればすぐにわかる。川野は、カトリック信者である家族に囲まれながら葛原が信者にならないというスタンスをとるには、「信仰に匹敵するほどの熱い力」を要しただろうと書いている。また「葛原が血肉を分けた者と隔たりつつ入信を拒み続けたことは、彼女の強い意志と信念に基づくものであったと見るべきであろう」とも書いている。葛原の長女で児童文学者の猪熊葉子が著した『児童文学最終講義』によれば、猪熊もその夫も、猪熊の妹も双子の義妹も信者であり、猪熊の息子は「司祭になる道を歩んで」いたが、葛原自身は「カトリックっていうものの美的な部分には強い関心を持ち、それを限りなく愛して」はいるものの「宗教そのものについては断固受け入れ拒否を続けて」いたという。このような一家にあって、葛原が信者にならないでいたことを「信仰を拒む」と表現したのは、誇張でも間違いでもないと私は考える。むしろ岩井の方が誤読をしているように思える。
また、先々週の週刊時評で、松村が「川野の『無神論者』には(中略)戦後という時代に『原不安』を突きつめようとした葛原の孤高の生き方を称えるニュアンスがあるように感じる」と記したことに対し、岩井は掲示板で、「松村は、無神論者には多様な意味があるように書いているが初耳である。無神論とは『広辞苑』にあるように『神の存在を否定する思想』以外のなにものでもない」と反論している。一語の意味が、文脈によってある程度の幅を持って受け取られるのはごく普通
のことであり、松村は「無神論」という語に多様な意味があると言っているわけではない。しかし今はそのことは脇に置く。川野が葛原を「積極的な無神論者に近かっただろうと思う」と言っているのは、「葛原の散文からも歌からも信仰の対象として神を思う要素は見あたらない。葛原のキリスト教との関わりは長かったが、それは、文学作品を読むように聖書を読み、同様に神やイエスのことをつくづくと眺めた、と言った方が正しいだろう」という考えに基づいている。遠藤周作は、キリスト教的な地盤や伝統の中で育った西欧の青年と、そうではない日本人の差について、「西欧の青年たちは、現在、基督者であろうとなかろうと、神について無関心ではいられません。彼らが無神論者であるという事は、『神を拒否した』ことを意味します。ところがわれわれが無神論者である事は、おおむね『神があろうが、なかろうが、どうでもいい』と言う事です」(『カトリック作家の問題』)と記している。川野が葛原を「積極的な無神論者」と表現したのは、葛原が西欧の青年と同様、神について無関心でいられない環境にあり、なおかつ信仰しなかったということを言うためであろうと私は考える。「孤高の生き方を称えるニュアンスがある」(松村)とまで言うのは言い過ぎだと思うが、一般
的な日本人の宗教的無関心とは異なるという指摘は、その通りだと思う。
「信仰を拒み続けた」「積極的な無神論者」という川野の表現に岩井が拘るのは、岩井自身がキリスト教の信仰者であり、葛原妙子をキリスト教の信仰者であったと考える立場に立つからである。岩井は『往来』1月号で、次のように言う。
聖水とパンと燃えゐるらふそくとわれのうちなる小さき聖壇 『飛行』
市に嘆くキリストなれば箒なす大き素足に祈りたまへり 『鷹の井戸』
川野は右の二首をどのように読むのであろうか。一首目は自らの心の中のイエスに捧げる聖壇があるという、あきらかに信仰告白の歌である。二首目はキリストに対して祈ると明確に詠んでいる。しかも素足へ祈るという低い位
置からの祈りなのである。
『飛行』の一首については、確かに信仰告白の歌と読めるだろう。しかし『飛行』には
「マリヤの胸にくれなゐの乳頭を点じたるかなしみふかき絵を去りかねつ」「寒き日の畳の辺(へり)歩み泣ける子よ素足のキリストなどはゐざるなり」などの歌もある。マリヤを聖母としてではなく、ひとりの人間の女として見る視線、素足のキリストの存在否定などから、「信仰に遠い視角から眺めている」(稲葉京子『鑑賞・現代短歌ニ 葛原妙子』)という見方ができるのではないか。同様に、川野は「風媒のたまものとしてマリヤは蛹のごとき嬰児を抱(いだ)きぬ
」(『原牛』)を挙げて「繭を素通しして蛹を見、その蛹の乾いた姿に神の子を重ねるこの歌は決して神の子の誕生を素直に祝ってはいない」と言うが、納得できる解釈だと思う。そして葛原の歌には、このような「信仰に遠い視角」を感じる作品の方が、信仰者のまなざしを感じるものよりも圧倒的に多いと私も思うのである。
岩井が挙げた『鷹の井戸』の一首は、どのように読むのだろうか。「市に嘆く」と題された一連七首の最後の歌だが、他の六首とは直接関連がなさそうである。岩井はこの歌を、葛原がキリストに対して低い位
置から祈る歌だと解釈しているようだが、「たまへり」なのだから、「大き素足」のキリスト自身が祈っておられる、という解釈になるだろう。これを葛原の信仰の歌と断言することは難しい。
葛原は最晩年に洗礼を受けているのだから、心の内に長く信仰を持ち続けていたという解釈もできるだろう。しかし、第七歌集『朱霊』の後記には、「私はキリストやカトリックの世界に少からぬ
関心をもつてゐるにもかかはらず、いまもつてそれへの帰依はないのである」と自身で記している。受洗の15年ほど前のことである。最晩年に歌を離れるまで、葛原が信仰者であったと考えるのは難しいと私は思う。
岩井は信仰者として、川野のキリスト教理解の十分でない点をいくつも指摘している。とても参考になる指摘であった。信仰者ゆえ、キリスト教に関心の深かった葛原作品について、より深く理解できるところもあるのだろう。
しかし、岩井が葛原を信仰者と断定し、「キリスト教信仰は、残念ながら信仰者にしか入ることのできない領域がある。無神論者には決して入ることの出来ない領域が厳然と存在する。そこは理論では理解不能な世界である」(掲示板)と、あたかも信仰者でなければ葛原の作品を読み解けないような言い方をしているのは気になった。無論キリスト教や聖書について知らなければ読めないのは確かだが、葛原の作品は信仰者だけが理解できるというものではないと思う。仮に葛原が信仰者であったとしても、優れた日本のキリスト教文学の(例えば遠藤周作や三浦綾子の)読者は、人口の1%に満たないキリスト教信仰者のみではない。読者は「無神論者」のほうがずっと多いのである。キリスト教文学は、信仰者だけのものではない。
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