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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)



スリリングな事実の発見
text 広坂早苗

 三枝昂之著『啄木―ふるさとの空遠みかも』(2009.9本阿弥書店)が話題になっている。明治41年4月25日、満22歳の啄木が、「モ一度東京へ行つて、自分の文学的運命を極度まで試験せねばならぬ 」という切迫した思いで東京へ旅立った日から、満26歳で息を引き取るまでの4年間を、詳細に描いた評伝であり、作者論であり、作品論である。短歌ばかりでなく、小説・詩・日記・手紙その他膨大な資料を用い、啄木を巡る多くの人物との交流の中に啄木の性格や生き方を描き、啄木の人生と共にその歌の魅力や短歌史的価値を読み解き見直そうとする労作で、たいそう面 白かった。
 啄木の評伝としては、斎藤三郎の『文献石川啄木』(1942)、岩城之徳の『啄木評伝』(1976)、『石川啄木伝』(1985)等が既にあり、私も学生時代に参考文献として読んだ記憶があるが、こうした先行研究を鵜呑みにせず、自ら当たった資料を基に、新たな見解を提示している点にも信頼が置ける。例えば、『一握の砂』が、刊行当時どのような反響を得ていたのかという問題。斎藤・岩城は、歌集という特殊な出版物だったこと、啄木がまだ一流の歌人でなかったこと、この二点が原因で、当時の反響ははかばかしくなかったという見解を示しているが、三枝は当時の新聞・雑誌に載ったコメントや批評を多数検討して、

 生前の啄木は歌人としてあまり評価されずに不遇だったという印象が私たちにもあるが、歌集刊行当時に戻ると、必ずしもそうとは言えない。

 後の時代における啄木への国民的な共感からみれば、たしかにささやかではあるが、『一握の砂』刊行当時にも啄木は歌壇を代表する新鋭歌人として十分に注目を集めていた。

という見解を導き出している。既知のものとしていた啄木像が、資料に基づいて修正されていくのを読み、新鮮な気持ちになると共に、研究に対する誠実な姿勢を教えられた気がした。
 本書の中で特に興味をそそられたのは、第1章5〜7「歌漬けの日々1〜3」の部分と、第3章27「平熱の自我の詩−短歌史の中の啄木2」の部分である。盛岡中学時代、他の明治30年代の文学青年と同様に、与謝野晶子の影響を強く受けた啄木が、明治41年6月23日深夜から26日までの丸3日間で281首を作り、憑かれたように詠い続ける中で、「明星」風の歌(誇張・オーバーアクション・虚言癖が目立つ)を脱し、啄木らしい自然体の歌、自分を見つめる歌を作るようになっていったという事実の発見は、実にスリリングである。作り始めた23日深夜に「石一つ落して聞きぬ おもしろし轟と山を把る谷のとどろき」「人みなが怖れて覗く鉄門に我平然と馬駆りて入る」と誇張の目立つ歌を作り始めた啄木が、夜明けまでの間に「頬につたふ涙のごはず一握の砂を示しし人を忘れず。」の有名な一首を作り、24日午前には、『一握の砂』巻頭歌とほぼ同じ「東海の小島の磯の白砂に我泣きぬ れて蟹と戯る」を、25日には「たはむれに母を背負ひてその余り軽きに泣きて三歩あるかず」(のちに鉄幹が結句を「あゆまず」と添削)を作っている。
 三枝は、「明星」初掲載の明治35年の啄木の歌「血に染めし歌をわが世のなごりにてさすらひここに野にさけぶ秋」と、この「歌漬けの日々」に作った「飄然と家を出でては飄然と帰りたること既に五度」の二首を比較して、

 前者にはひたすら外へ向ける眼差しがあるが、後者は自身を見つめている。
 そうした対比的な特徴をまとめれば、前者は体温四十二度ほどの高熱の歌、後者は三十六度の平熱の歌である。この変化は、時間を忘れたような歌漬けの中からもたらされた。

とまとめる。啄木はこの3日を転機として、「平熱の歌」へ歩みを進めていくのだが、それを後押ししたのが「季節の発見」であるという三枝の指摘も重要である。歌漬けの3日か ら2ヶ月半ほどたって、啄木は金田一京介と共に近所へ引っ越し、一時下宿代取り立てからの解放感を味わう。眺望のよい高台に移った啄木は、『一握の砂』の一章「秋風のこころ よさに」の代表歌「ふるさとの空遠みかも/高き屋にひとりのぼりて/愁ひて下る」「あめつちに/わが悲しみと月光と/あまねき秋の夜となれりけり」などを作る。季節の訪れの 中に自分を解放し、季節に沿ってあるがままの自分を表白していくことが、「平熱の歌」へ のさらなる一歩になったと三枝は言う。「自我の詩」が、自分らしい体温の歌となるために 自然に沿うことが大切だったという指摘は、現代の歌にも通じる気がする。都会化し自然 が乏しくなったと言われる現代に生きても、雑草の花に、空の色に、吹く風の感触になぐ さめられて、鎧わぬ心が詠えることはよくあるからだ。
 さらに第3章で三枝は、晶子が詠った「パワフルなスーパーウーマンの自我の詩」を「非力な万人に近しい自我の詩」「平熱の自我の詩」へ転換することが、明治40年代の和歌革 新運動第二期の課題であったこと、それを実作の面でもっともよく担ったのが啄木であっ たことを実証する。「明星」から自然主義へと動いていく文学の流れの中で、啄木の果 たした役割を「平熱の自我の詩への変換」と定義し、その変換が啄木にもたらされた劇的な3日間を詳細に追い、資料の読み込みから啄木の歌の変化を解き明かしたことは、本書の見事な成果 といえるだろう。
 巻末に近い部分では、綿矢りさ『蹴りたい背中』、金原ひとみ『蛇にピアス』に描かれる若者像と啄木に共通 する「居場所のなさ」を指摘し、「居場所を求めて漂流する現代の若者たちの先駆者としての啄木」という観点から、啄木の新しさを説く。こうした視点の広さも本書の魅力の一つだと入ってよい。是非多くの人に読まれてほしいと思う一冊である。


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