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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)

第43回迢空賞受賞!!
第20回齋藤茂吉短歌文学賞受賞!!




現在<いま>を詠うこと
text 松村由利子

 「短歌研究」六月号に、没後十五年になる大西民子の講演「現代短歌について」が再録されている。亡くなる十年ほど前、超結社組織である下野歌人会の集まりで行われたものである。素朴な語り口に心ひかれて読んだ。
 内容は、大西が短歌を作り始めるきっかけとなった前川佐美雄との出会い、本格的に入門した木俣修のこと、そして「現代短歌はいつ始まったのか」「前衛短歌の先駆たち」「描写 から表現へ」と展開する。
 印象的だったのは、大西が生涯、胸に刻んでいた木俣修の言葉だ。それは「歌はマラソンだ」ということである。

 マラソンを続けていくためには、物の見方を新しくしなければならない。人生観、世界観というようなものを確固として、自分のものとして勉強しなければならない。歌というのはたった三十一文字だけれども、その作った人間のすべてがその三十一文字に取りこまれてくる。一首の歌を見れば、その人がどんな生活をしてどんな教養を持ってどんな思想を持っているかわかる。そのために、背後の自分の人生観を豊かにするための勉強をしなければならない。

 実に素朴で人生論的なのだが、深呼吸するような気持ちにさせられる。
 同じ六月号には「現在<いま>を読むこと」という特集が組まれており、小高賢が「現代に向き合う困難さ」と題する文章を書いている。激しく変容する社会のなかで歌をつくることについて、小高は「現代という時代に、自分の全体を傾けて、一点にコミットするのは、ひどく困難だし、苦しいのである」という。
 かつて、吉川宏志、大辻隆弘と社会詠について論争した小高には、現代短歌は「現代<いま>」を切り取らなければならない、という切迫した思いが常にあるようだ。ソマリア沖海賊掃討のための自衛艦出航や非正規労働者の問題に対する歌人の関心がやや薄いことを嘆く言葉は苦さに満ちている。

 現在とどう向き合うか。詠むことを控えるというのではなく、短歌という詩型だから歌えるという側面 と、一過性になり、たんなる感情の捌け口に陥る両面を、つねに反芻するというところから出発しなければならない所以だ。

 楽観的にすぎるかもしれないが、私は大西民子の言葉に「現在とどう向き合うか」についての一つの手がかりがあるような気がする。
 大西は言う。「誰の作品でもいい。ともかく、古典に限らず、現代に限らず、日本のものでなくても外国のものも読み込んで、体系的なものの考え方ができるようにならなければ、歌は深くならない。そして、世の中の現象をよく見定めて暮らすのでなければ、歌は新しくならない」
 谷崎潤一郎が好きだった大西は、谷崎が最も影響を受けたオスカー・ワイルドの小説を多く読み、さらにワイルドが影響を受けたアンドレ・ジイドの小説や日記、紀行文など翻訳されたものはすべて読んだという。「そういう人たちの作品を読んでいくうちに自分の中にもひとつの人生観というか、そういうものが湧き上がってくるのを覚えるようになりました」と振り返っている。
 いま新しい作品が次々に発表され、それを論評した文章がネット上、総合誌、結社誌、そして同人誌にあふれる。言葉の微細な部分に着目し、修辞を高度に分析する評論は、繊細で巧緻である。しかし、そればかり読んでいるとどうしても、ある種の疲れを感じてしまう。「現代<いま>」を捉えようとするあまりに、急流に流されてしまっているような気がする。
 大西民子の講演記録にひかれたのは、時代に流されない姿勢である。しかし、それは決して一か所に立ち止まるものではない。真に新しいものを見出し、現代を詠うには、「体系的なものの考え方」、そして「自分の人生観を豊かにするための勉強」が不可欠である。
 複雑化した現代社会において、さまざまな事象をつかむのは容易ではない。しかし、歌をつくる側に備えがなければ、何もできない。迂遠なようだが、一人ひとりが思いを深め言葉を探るところからしか、時代を捉えるまなざしは生まれてこないのではないかと思う。  


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