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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)




社会状況と短歌
text 川本千栄

 中沢直人の評論「グローバリゼーションの時代の短歌」(「短歌往来」10月号)が面 白い。最近書かれた幾つかの論の問題提起を多く引き継いでいるし、さらにこの評論自体も幾つかの問題提起をしている。
 基調は、政治や経済など社会のグローバル化、文化の単一化の中でどのように詠っていくか、である。短歌を政治的社会的文脈の中に位 置付ける議論を警戒しながら、現在の若者の歌の特徴とその課題について述べ、中沢の考える方策を提示している。
 この論の長所の一つは、最初に挙げたように、先行する多くの論を踏まえている点である。例えば、論の初めに、高島裕「ひとりの天地」(「文机」08年夏)を引いているが、それは斉藤斎藤の「生きるは人生と違う」(「短歌ヴァーサス」11号07年秋)に対する反論として書かれたものである。その斉藤の論は元々、松村正直の「もうニューウェーブはいらない」(角川「短歌」02年12月号)に対する反論として書かれている。さらに次の章では若者の歌に意義付けをする穂村弘の「棒立ちの歌」(「みぎわ」04年8月号)も踏まえている。またグローバル化に対する論考は、岡井隆の「語る短歌史」(聞き手・小高賢)(角川「短歌」08年8月号)をきっかけとしているが、岡井隆と坂井修一の対談「グローバリゼーションと歌の未来」(「短歌往来」07年7月号)ももちろん念頭にあるだろう。その他幾つかの論を踏まえながら、社会状況と現在の短歌の置かれている問題点をうまく浮かび上がらせた評論となっている。
 岡井隆と坂井修一の対談においては

岡井 第一の開国が、キリシタンの時代、第二の開国は明治維新、第三の開国が敗戦後と、一応考えられます。開国ということは、つまりグローバリゼーションってことですよね。もうひとつ今、ITの情報がここまで共有される時代が、第四の開国なのかどうか、(…)
坂井 今グローバリゼーションと言っているものの背景には、社会主義の崩壊というのがものすごく大きくて、もうイデオロギーでは戦わないという人がほとんどになった。(…)そこで何が残るかというと、平べったい巨大な情報のデータベース、データの山みたいなものとして世界が見えるというのが、今のグローバリゼーションの大きな特徴で、(…)

のように、グローバリゼーションの定義づけを行なっており、今読み返してみて改めて示唆に富んでいると思った。この対談から一年余が過ぎているのだが、掲載当時に読んだ時より一層の現実感を感じる。一年間で状況がさらに進行したというのもあるだろう。グローバリゼーションで最も危機に曝されるのはその土地に根付いた文化、何よりその土地の「言語」であろう。この対談を読み返してみた後で、中沢の論を再確認すると、

 三十一音の器を手に、文語をも駆使しながら日常生活の細部や社会の動きを切り取る試みは、現在では、言語明瞭・意味不明瞭な日本語の繁茂に対するささやかな抵抗とも考えることができる。自らの輪郭を明らかにし、モノカルチャーの進行にあらがうこの位 置に意識的でありたい。

といった、短歌の位置付けについての意見が述べられている。しかし、日本の言語におけるモノカルチャーの位 置付けは、中沢の論の中でははっきりしていない。文脈的には、数量 の上で圧倒的な口語、特に乱れた口語を指しており、それに対して、言語芸術である短歌が「ささやかな抵抗」だと言っているようだ。もしそうだとしたら、若干素朴に過ぎる結論であるように思う。このあたりについては、もっと詳しく意見を聞きたいと思った。さらに結社に対しても

 お互いに作者であり、読者であり、顔の見える継続的な関係がある。(…)それぞれの作者の個性や「うたいたいこと」も、集いの中で育まれる面 が大きいだろう。

と信頼を表明している。この週刊時評でも先週、先々週と続いて、広坂早苗・松村由利子両氏が結社への信頼について言及している。結社が短歌に対して、欠点はあるにしても、何らかの有効な働きをしていることは私も認める。私自身も結社に属する人間である。しかし、結社とその守ろうとする短歌が、日本語に対して影響を与える位 置を占めているとは私には思えない。さらに現在、地球規模で英語が他言語を凌駕している状況がある。そうした時代の日本語に対して、結社や短歌が何らかの有効な働きをしていく、というような楽観もなかなかできそうにない。
 そうは言っても、グローバル化が進むことによって、あるいは他の要因も重なって、日本語の文構造の根幹がゆらいでいく可能性はもちろんある。日本語や短歌が侵食されるとしたらどのような形でか。また従来の短歌観や結社への信頼でグローバル化時代の言語侵食を切り抜けていけるのか。岡井や坂井の持っている危機感を自分にとっても切迫したものとして捉えながら、見つめていきたいと思っている。

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