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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)




結社と「読み」
text 松村由利子

 先週、広坂早苗さんが取り上げた「塔」八月号の特集「結社とのつきあい方」は、私も面 白く読んだ。座談会における江戸雪の「批評をする/されるという場が結社」という言葉は、私には、短歌をつくる人にとっては「読む」ことと「詠む」ことの両方が大切であり、結社はその力を育てる場なのだ、というふうに伝わってきた。
 「読む」というのは、鑑賞であり、批評である。一首を余すところなく味わい、その時代性や出来上がり具合について検討することは、なかなか一人でやれるものではない。結社の歌会には、その作者をよく知る人、また長く歌を作り続けてきた人たちが忌憚なく批評する面 白みがある。作者の個人的な背景に依りすぎた解釈はよくないが、「この歌は脱皮しようとして失敗している」「これは以前の○○さんにはなかった意欲作」などと批評できるのは、日頃の作風やスランプも知る仲間しかいないだろう。
 私も結社の歌会で学びを重ねてきた。馬場あき子から「もうねぇ、子どもを『小動物』というのは使えないのよ、森岡(貞香)さんの歌があるから」と言われたり、源氏物語を踏まえて詠んだ坂井修一の「顔伏せてほほゑむものよ柏木よしばしなるらむ孔雀の瑠璃も」が解釈できなかったり、と身の縮むような思いをしたことは数限りない。
 こうした「読み」の訓練を受けてきて思うのは、歌がずっと続いてきたものだということである。
 実は、前回「アイデアと文体」で紹介した米川千嘉子の話は、「私は、和歌からつながる、ひと続きのものとして短歌をとらえている」という言葉から始まっていた。そのことに、私はかなり大きな衝撃を受けた。そして、文体の深みを共有する豊かさを考えたときに、同時代の作品だけを読んでいたのでは見えてこないものがあるのではないかと考えた。
 このことを書かなかったので、「アイデアと文体」の文章を「粘り強い文体の創出、そして近代短歌の鑑賞と検証が、私たちの担う大切な課題だと思う」と締めくくったことは、もしかすると唐突に思われたかもしれない。文体の問題を超えて私に迫ってきたのは、近代、いや近代以前にまでさかのぼる長い年月、連綿と続いてきた短歌の歴史である。このちいさな詩型が内包する途方もない時間は、一人ではとうてい太刀打ちできない。だからこそ、結社という場で「読み」の鍛錬を重ねることが有効なのではないだろうか。仲間の一首を読み込むことは、作者個人や現代を知るだけでなく、必ず過去の作品へとつながってゆく。
 『現代短歌の鑑賞101』(小高賢編著、新書館)の巻末には、「現代歌人系図」が掲載されている。「アララギ系」「白秋系」「空穂系」と分かれ、現存のさまざまな結社に至る系図を見ていると、何だか自分の知らない大おじいさんや大おばあさんの肖像画を眺めている気分になる。祖先を知らずに「私は私」と自由に歌をつくるのもいい。でも、今の私は、大おばあさんってどんな人だったんだろう、と近代あたりの歌を面 白く思うようになった。それは、結社から受け取った大きな贈りものだと感じている。  

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