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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)




大正歌壇
text 松村由利子

 大正時代は、近代短歌が円熟期を迎えた豊かな実りの時期だと思っていた。赤彦、茂吉、白秋、牧水、空穂、迢空……しかし、ある時期には停滞した歌壇のムードに危機感をもつ歌人たちもいたことを、「心の花」の創刊一一〇年記念号を読んで知った。
 記念号は三四六ページにもなる分厚いものであり、結社の歴史の重みを感じさせる。記念エッセイや「心の花歌人論」、会員自選三首など読み応えたっぷりだが、中でも注目したのが、矢部雅之の「転換期の群像(「心の花」歌人論1)である。
 矢部は大正八年から十年の「心の花」を丹念に読み込み、佐佐木信綱をはじめとする十一人の歌人たちを論じる。川田順、木下利玄、柳原白蓮、九条武子、五島茂ら錚々たる顔ぶれだが、彼らがそれぞれ何を志向し、どう創作していたかをたどりつつ、当時の「心の花」全体、ひいては歌壇の雰囲気を立体的にとらえているのが見事である。
 大正八(一九一九)年の二百五十号で、信綱は創刊から二十年あまり和歌革新運動と共に歩んできた歴史を回顧する。

 明治二十七八年の頃、わが国が国家的大戦役に携はつた当時は、国民が自覚の第一歩に入つた時であつた。その頃は、自分等歌人の胸にも、歌に就いて旧来の歌に対する不満足の念とともに歌といふものに対する新たな覚醒が生じた。所謂新派の運動と称せられるものは、我人ともにこの覚醒に基づいたのであつた。

 この文章から矢部は、「和歌革新という文学運動が、日清戦争によるナショナリズム昂揚という時代精神と深く繋がって居た事」を読み取っている。それは、逆に言えば、第一次世界大戦が終わったこの時期の歌壇がやや停滞していたことを思わせる。
 矢部は、川田順と新井洸の論争からも、そのことを引き出す。鋭い批評で知られた川田が、歌壇の新人たちに対して「悪く言へば野暮で、くすぶつて、低調なものばかり」などと批判したのに対し、新井は「野暮」といっても仮構されていなければ田園的なものにも価値があると反論し、論争が繰り広げられたのだが、矢部は川田の苛立ちの根底にあるものを丁寧に読み解いている。恐らく川田には、和歌革新期に身を置いた青春期の自身に比べ、理想と情熱の少ない歌壇の新人への苛立ちがあったに違いない。それは「心の花」内部だけでなく、和歌革新の理想から乖離しはじめた当時の歌壇もそうだったのだと、矢部は指摘する。
 今年四月に出版された来嶋靖生の『大正歌壇私稿』(ゆまに書房)の「大正九年」の項を見てみると、総合誌「短歌雑誌」が「歌壇の現状に対する諸家の意見」と題した特集を出したことについて、来嶋は「歌壇が沈滞しているという認識が編集のほうにある」と指摘している。「大正十一年」には、萩原朔太郎が同誌に「現歌壇への公開状」と題して、「歌壇は時世に遅れている」「徹底自然主義・平凡な日常生活や退屈な疲弊した生活、老人趣味の技巧」などと批判したことも書かれている。やはり、この時期の歌壇には一種の停滞感が漂っていたようだ。
 こうしたムードをいち早く感じ取った川田による論争だったのだと、矢部は鋭く捉える。この論争の後「心の花」の誌面 には、五島茂や前川佐美雄といった若い書き手による率直な批評も登場し、活気がみなぎってゆく。川田のように「議論をもつと盛んにする事」を自分たちもまた実践してみる必要があるのではないか、と評論は結ばれている。
 この週刊時評でも、誠意をこめて批判し、新しい動きのきっかけとなる議論が生まれればよいな、と思う。

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