〈新人〉へのメッセージ
text 吉川宏志
2年間続けてきたこの週刊時評も、私の回はついに終わりである。連載の最後に、インターネットを通
して短歌の世界に入ってくる〈新人〉に向けて、メッセージを書いておきたい。
私ももう二十年短歌を作り続けているので、〈旧人〉の仲間入りをしているのだろう。もちろん自分では、つねに一歩でも新しい表現を試みていきたいと思っている。けれども、自分より若い世代もだんだん増えてきたし、その世代の歌が「理解できない」と感じることもしばしばある。もちろん彼ら・彼女らも、私の書いていることが理解できないことも多いのだろう。
しかし、それでいいのだと思う。無理に理解したつもりになる必要はないし、逆に「どうせ理解してもらえない」と諦めてもいけない。インターネットの世界では、すぐに反応が返ってくることがあるが、それを〈理解〉と考えてはならない。自分の存在を賭けた問いに対して、すぐに答えが返ってくるなんてことは、あり得ないのである。
生き方や価値観が人それぞれになっているためなのだろうが、自分の思いがなかなか伝わらない、というもどかしさを、現在、誰もが痛切に味わっているのではないか。そんな言葉が通
じない状況の中で、諦めずに試行を繰り返しながら伝わるのを待つこと。私はそれがとても大切であるように思うのである。
待つのは苦しいことのようだが、なぜ伝わらないのかを考え、何度も表現を改良していくのは楽しく、おもしろい作業でもあるはずだ。自分の思いがすぐに通
じるのであれば、表現を工夫する必要もない。他者に言葉が簡単に通
じないからこそ、新しい表現を生み出す喜びも生まれてくるのである。
だから、自分が歌いたいこと、伝えたいことを、必死に貫こうとする強さを持つことも、たいへん重要である。
念のために書いておくが、ここで言う「歌いたいこと、伝えたいこと」というのは、言葉で説明できるような明確なものではない。もっと混沌としていて、作品にならなければ、作者も何を言いたいのかわからないようなものである。いや、作品になってからも、何が言いたいのかはわからないのかもしれない。
しかし、「書かねばならない」、「言葉にしなければならない」という切迫感だけは伝わってくる〈何か〉が、歌から滲み出していること。そのような歌は、たとえ拙い表現であっても、他者に通
じていく可能性が開けてくるだろう。
たとえば、今年の現代歌人協会賞を受賞した奥田亡羊の『亡羊』に、
身のほどを知れと言われて大いなる机かついで帰り来たりぬ
という一首がある。仕事上で叱られた場面だろうか。どこかマンガのような味もある歌で、私はまだうまく読むことができないでいる。けれども、この歌からはたしかに「歌いたい」という気迫のようなものを感じることができる。その強さがあるから、この歌は、影が濃いような、くっきりした印象を残す。
他者の表現を丁寧に読んでいく楽しみも、容易に他者の言葉は読み取れないものであるからこそ生じてくるのだ。だから、「読めた」と感じたときの嬉しさは格別
なのである。
* *
短歌における〈新人〉とは、考えてみれば不思議な存在である。
自分がつくっている歌が新しいのかどうかは、自分では判断できない。なぜなら、短歌には長い歴史があるので、自分では新しいと思っていても、すでに誰かがやっていて、すでに古くなっているかもしれないからだ。
しかし、短歌史を学んでから歌を作るなんて、悠長なことをするには、人生は短すぎる。だから、歌を作りつつ、短歌の歴史を学ぶという両輪を回していくことが必要になってくる。そして、自分の歌の新しさがどこにあるのかを的確に批評してくれる師や先人の存在が大切になるのである。
もちろん私も短歌史に詳しいわけではなく、知らないことばかりであることを告白しておこう。原稿を書くたびに、にわか勉強をしてピンチをやり過ごしているのが現状だ。
ただ、たとえ今は無知であったとしても、歴史を学ぼうとする姿勢をもつこと、師や先人という他者の視点を自分の中に受け入れようとすることは、おそらく非常に重要なことなのである(この場合の「師や先人」というのはこの世にいない歌人であってもいい。たとえば斎藤茂吉などを徹底的に読み込むことによっても、「他者の視点」は内面
化できるはずである)。
それは自分を絶対化するのではなく、つねに相対化することで、自己を時間のなかで柔軟に拡大していくという試みなのだ。言葉を換えて言えば、自分の考えや感覚だけが大事、という状態では、自分の可能性は狭いままに終わってしまうということだ。それよりももっと豊かな広がりのある自己を追究してみたいと思わないだろうか。
スケールの大きな〈新人〉の到来を願って、この時評は終わる。2年間読んでくださり、誠にありがとうございました。
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