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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)



論争の終わりに
text 大辻隆弘

 辺見じゅんが主宰する結社誌「弦」(弦短歌会)の第2号が出た。
 創刊号もそうだったが、総合文芸誌と見まがうばかりの豪華な執筆陣である。今回も馬場あき子、小島ゆかり、高田宏らがエッセイや作品をよせている。
 そのなかに万葉学者・中西進のエッセイがある。「日本語の身体性」と題されたこのエッセイは、実に含蓄深い。
 彼はこのなかで「いたし」という古代語について述べている。そして、『万葉集』において「村肝の心を痛み」といった形でに登場する「痛し」という形容詞と、「風を疾(いた)み立ちは上らず」といった形で登場する「疾し」は、実は、同じ語であったということを指摘しているのである。
 その上で、中西は、前者の「痛し」を「辛い」と訳し、後者の「疾し」を「激しい」と訳して分った気になっている現代の私たちの理解を次のように戒める。

通常は、何の疑問もなく風やしぐれの時ははげしい意味で、心の場合はつらい意味だと決めてかかるが、無関係なことばがたまたま一致したわけではない。むしろ逆に、これらは「いたし」という一語で風もしぐれも、心に苦痛を感じる程にはげしい風やしぐれだったというのに過ぎない。つまり古代語の「いたし」は身に苦痛を感じさせる激しさのことだと理解すべきだろう。(中西進「日本語の身体性」原文・改行あり)

 中西はこのように述べたあと、この「いたし」の語幹は「いと」(副詞)、「いたぶる」(動詞)と共通 のものであり、それは現在「野菜をいためる」の「いためる」にまで繋がっていると説く。それらの言葉に常に付随しているのは「身に苦痛を感じさせる激しさ」であり、「痛し」「迅し」「いと」「いたぶる」「いためる」という語の根底には、分かちがたくその身の痛みという「身体性」が付随しているのだ、と中西はいうのである。
 さすがに万葉研究の第一人者だけのことはある。私は、この短いエッセイのなかからいくつかのことを学んだ。彼の言葉への接近法は、私たちにいろいろなことを教えてくれる。
 教えてもらったことの一つは、古代語に向う際の心構えのようなものだ。
 中西は、「痛し」と「疾し」は別の言葉であるという私たち現代人の固定観念を白紙に戻して言葉に向う。私たちは、「痛し」は私の心情であり「疾し」は自然の様態だ、という「心」と「自然」の二元論的な枠組のなかで言葉を捉えてしまう。中西は、そのような現代人の考え方の枠組そのものをカッコに括って言葉に臨むのだ。その結果 、彼が発見したのは、両者はもともと別のものではなく「身に苦痛を感じさせる激しさ」という一義的な現象を指す、という事実だった。
 また中西は、言葉の「身体性」を言葉を内在的に分析する手法のみによって析出してくる。私は、その手法の徹底性にも驚かされた。
 彼は「いたし」「いと」「いたぶる」といったいくつかの言葉の根底に「いた」という語幹を見いだし、そのなかに「苦痛を感じさせる激しさ」という生々としたものを見いだしてくる。彼は、日本語という言語に付随する「身体性」を語幹から演繹的に説き明かそうとしている、といってよい。私は、彼が日本語の「生々とした身体性」を、外部から論理を援用せずに論じ切っているところに感心させられたのだった。
 過去の言葉に向おうとするとき、私たちは、まずもって、自分たちが自明のものとしている自分の発想の枠組そのものをカッコに括らなければならない。言葉の「身体性」を語るとき、私たちは、言葉の根底に身を潜めて内在的にその生々しさを語らねばならない‥‥。
 中西のエッセイは、そのふたつのことを私に教えてくれた。そのことは、今回の私と吉川氏(以下敬称略)との論争にある示唆を与えてくれるように思う。

 三回にわたった吉川との論争は、私にたくさんのことを教えてくれたと思う。
 吉川の『風景と実感』は、きめこまやかな資料探索や、粘り強い思考法など、私に強い刺激を与えてくれた書物だった。それは、お世辞でも何でもなく、ずっと私が語ってきたとおりだ。
 が、吉川のこの書は、たとえば、中西進のエッセイのようには、私の胸に落ちてこなかったのである。それは、おそらく言葉というものへの吉川のアプローチの仕方が、私が理想とするアプローチの仕方と、微妙に異なっていたからなのだろう。
 もはや論争は終息に向っているようなので、新たな波紋を起すことはしたくない。が、たとえば、吉川が田安宗武の「いぶかしなやゝ春立(たち)しに女郎花(をみなへし)さきぬ とおもふは菜の花ぞそれ」の歌を論じているところ(67〜68頁)の、以下のような記述が、どうしても私には、いまだにピンとこないのだ。

だが宗武は、菜の花畑の風景を目で見たとおりに描写しようとはしなかった。秋の七草の一つである女郎花に見立てることにより、間接的に歌う方法を選んだのである。現在この歌を読むと、菜の花を女郎花と見紛うというのは、かなり強引な設定のように感じられる。たしかにどちらも黄色の花だが、咲いた感じは全然違う。そんな無理をしてまで、なぜこうした表現を選んだのであろうか。(吉川宏志「風景とそのリアリティ」)

 この部分で吉川は、宗武の作家態度を「菜の花畑の風景を目で見たとおりに描写 しようとはしなかった」と決めつけている。ここで吉川は、宗武の目にも現在の私たちとまったく同じように菜の花畑が見えていたはずだ、と考えているのである。その上で、宗武の歌の「女郎花(をみなへし)さきぬ とおもふは」という表現は単なる「見立て」であり、宗武は「間接的に歌う方法を選んだ」のだ‥‥。そう吉川は断定する。
 しかしながら、吉川はなぜ、宗武の目にも私たちと同じような形で菜の花が見えていたのだ、と安易に決めつけることができるのか。私にはよく分らない。なぜなら、この書の別 なところ(143頁)で「言葉」による世界の「分節化」について、吉川は、次のように述べているからである。

「姫桔梗」という名前を知ることで、それまで〈単なる草花〉としか見えていなかったものが、固有な姿を持つ花として現れてくる。これも世界の分節化の一つである。
                      (吉川宏志「風景の中の〈境界〉」)

 もちろん、ここで吉川がいう「言語による世界の分節化」というテーゼそのものは、ソシュール以来、言語学の常識となった考え方だろう。私たちはすでに言語によって分節化された世界のなかで生きている。それは、もはや常識だといってよい。
 私たちは21世紀の日本語の体系によって分節化された世界を見ている。私たちが見ている菜の花畑の風景は、すでに21世紀の言葉によって分節されている。私たちが自分の目で見ているものは、歴史的にも、文化的にも、相対的なものに過ぎない‥‥。この「言語による世界の分節化」の発見は、そういうことを私たちに教えてくれたのである。吉川は、ちゃんとそのような言語学的常識を理解しているのだ。
 このような吉川の考え方にしたがえば、田安宗武は、彼が生きた18世紀の日本語の言語体系によって分節化された世界を見ていたことになる。彼が目にしていた菜の花畑の風景も、18世紀の言語体系によって分節化された風景であった、ということになろう。それは、私たちが今見ている風景とは別 なものだ。
 吉川は「いぶかしなやゝ春立(たち)しに女郎花(をみなへし)さきぬ とおもふは菜の花ぞそれ」という歌を「目で見たとおりに描写していない」と否定する。が、このように考えてくると、そう決め付ける根拠は実は吉川にはない。なぜなら、宗武は、彼の時代の言語体系によって分節化された世界を「目でみたとおり」に描写 していたのかもしれないからだ。少なくとも、その可能性を完全に否定することは、吉川には、理論的にできないだろう。
 このような考え方は、あまりにも堅苦しく、理論的な整合性のみを追及した考え方かもしれない。また、吉川がこの書で指摘したかったのは、まさしく「風景というものは相対的なものだ」ということに尽きるのだろう。
 が、私たちが、過去の言葉に向うとき、私たちには、慎重な上にも慎重な配慮が必要なのだ。私たちは、私たちの世界の分節の仕方をいったんカッコに括った上で、言葉に向わねばならない。言葉の背後に、私たちが今見ている「実在的な自然」を、無批判に措定することは慎まなければならない。ちょうど、中西進が「痛し」「疾し」の現代の私たちの二分法を、一端カッコに括って言葉の根源そのものに真向かったように‥‥。私はそのように思うのだ。が、そのような理論的配慮は『風景と実感』には、あまり見られないように思った。
 また、前回私は、揚げ足を取るように、メルロ・ポンティの身体論に対する吉川の「誤読」を責めた。
 私があそこでやろうとしたのは、吉川の知識の多寡をあげつらうことではない。むしろ、私が言いたかったのは、逆に、言葉の「生々しさ」を解明するためには、他分野の身体論や絵画論を援用する必要は全くない、ということだったのである。
 何度も指摘しているように、吉川は『風景と実感』において、言葉そのものから「生々しさ」を析出している箇所は多々あるのである。菱川善夫の「を」に注目した「『実感』と『思想』」(49頁〜)がその好例であり、森岡貞香の歌を論じた172ページの記述がそうであり、小池光の「雨の中をおみこし来り四階(よんかい)の窓をひらけばわれは見ている」という歌の「ば」という助詞の機能に着目した部分(186頁)がそうである。ここで吉川が行っているのは、ちょうど中西進が「いた」という語幹から「日本語の身体性」を内在的に取り出したのと同じように、言葉そのものが持つ「生々とした身体性」をキチンと内在的に析出している。
 にもかかわらず、なぜ、吉川このような思考法で『風景と実感』全編を貫くことができなかったのか。理論を徹底化できなかったのか。実に惜しいではないか‥‥。
 私は吉川に対して、そんな風に「ないものねだり」をしたのかもしれない。

 今回私は、中西進の古語接近法と、吉川のそれを対比することによって、私の思うところを述べた。
 前回の吉川の反論を読むと、論争のネタはお互い尽きてしまったような感じがした。お互い自分の立場をかなり明らかにできたようなので、論争はもうこのあたりで終わりにしたい。
 まあ、いつでもどんな場合でも、他人が汗水ながして苦労してやったことに、横から文句をつけるのは、たやすいことだ。じゃ、お前、自分でやってみろ、と言われると、私は実に辛い。身が引き締まる思いがする。
 今回、吉川に対して述べた批判は、そのままそっくりすべて私自身の批評活動に跳ね返ってくる。

@過去の言葉に向おうとするとき、私たちは、まずもって、自分たちが自明のものとしている自分の発想の枠組そのものをカッコに括らなければならない。

A言葉の「身体性」を語るとき、私たちは、言葉の根底に身を潜めて内在的にその生々しさを語らねばならない。

 私は今回、吉川に対してこのようなテーゼを示した。このテーゼは、私が歌に関する評論を書く時には、そのままそっくり、私自身がみずからに課さねばならないテーゼになってくるだろう。言うは易し行うは難し。それは私にも身に染みて分る。
 私自身も吉川に負けないよう、このような原則を徹頭徹尾貫きとおすような評論を書きたいと思う。すこしでもこの理想に近づけるような評論を書きたいと思っている。
 最後になるが、長らく議論に加わってくれた吉川氏に心から感謝の意を申しあげる。ありがとうございました。

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