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「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)



上空飛行的ということ
text 大辻隆弘

 吉川氏の反論を読んだ。吉川氏はかなり感情的になっているのではないか。
 彼の文章には、「お手軽さ」とか、「針小棒大」とか、「他者の文章を強引に自分のフレーズに言い換えてしまう」とか、私の立場からすれば不当としか言いようのない言辞が頻出する。少しく品性に欠けると思う。
 が、私はここでは、あえてそれには反論しない。問題の本質を見失いたくないからである。以下、私の思うところを虚心坦懐に述べる。吉川氏への敬称は、省略させていただく。

 この論争の発端となった私の時評「『自然』の両義性」(3月10日)のなかで、私は「〈風景〉を論じた第2章の文章が、私自身しっくりこなかった」という読後の印象を記した。今回はもう一度、そこに立ち返って、なぜ吉川の風景論が私にとってしっくりこなかったか、を考えてみたい。
 この書の第2章を読んだとき、私が「吉川は分かっていないな」と感じたのは、たとえば、彼がメルロ・ポンティの身体論を引用している箇所(164頁)を読んだときであった。
 吉川はここでメルロ・ポンティの最晩年のエッセイ『見えるものと見えないもの』から次の箇所を引用している。

(‥‥)われわれを物そのものに到達させうるのは、身体であり、また身体だけであるが、それは身体が二つの次元をもった存在だからである。物それ自体は、平板な存在ではなく、奥行きをもった、上空飛行的主観には到達不可能な存在であり、もし可能ならば、同じ世界の中で共存している主観にのみ開かれている存在なのだ。(『見えるものと見えないもの』)

 この『見えるものと見えないもの』は、メルロ・ポンティの本格的な理論書ではない。自分の哲学的な到達点を分かりやすくエッセイとして書き記したものだ。
 しかしながら、ここで彼が使っている「物そのもの」「物それ自体」「上空飛行的主観」「世界」といった言葉が、単なる日常レベルの言葉として使われていないことは、メルロ・ポンティの身体論や現象学一般 に少しでも触れたことのあるものなら即座に分かるはずである。それらは、メルロ・ポンティの現象学において、最も基本になる用語であり、彼の問題意識を端的に表現している術語だからである。
 メルロ・ポンティは、フッサールが創始した現象学を推し進め、豊かな可能性を切り開きながら、若くして逝った20世紀の哲学者である。彼の根本には、フッサールを源流とする現象学の根本理念が息づいている。それは一言で言うなら、認識論批判・二元論に対する批判である。
 近代哲学の主流となったのは、認識論である。デカルトの物心二元論に端を発する認識論は、外界に実在するモノ(「物それ自体」)を、精神的実体である主観(心)がどのように認識するのか、という問題図式のなかで動いてゆく。
 が、認識論は、それが始まるやいなや、すぐにデッドロックに乗り上げてしまう。認識論の枠組からすれば、外界にある事物を、私たちは主観のスクリーンに映して認識していることになる。が、もしそうだとすれば、私たちが知り得るのは、せいぜい私たちの主観に映った事物の像だけである、ということになる。その像の本体である「物それ自体」を私たちどうやって知り得るのか、知り得ないのではないか。もし知り得るのだとしたら、それはそのような条件のもとで可能なのだろうか‥‥。ロックからヒュームに至る経験論にせよ、あるいは、カントからヘーゲルに至る観念論にせよ、ごく大雑把にいえば、西洋哲学における認識論の歴史は「主観は物それ自体をどのようにして認識できるのか」という問題をめぐる歴史である。近代の哲学者は皆、この問題を二元論的な図式のなかで、手を変え、品を変え、考えて来たのである。
 20世紀初頭にフッサールが提唱した現象学は、このような近代の認識論の二元論的図式を根本的に疑うところから開始された思想運動である。フッサールは問題の根源である二元論的図式を一端、カッコにくくり、エポケー(判断中止)し、もう一度、ナマナマと私たちの目の前に立ち現れている「現象」に立ち返るところから、哲学を再構築しようとした。そのフッサールの思想を批判的に継承したのが、メルロ・ポンティだと言ってよい。
 したがって、ポンティが『見えることと見られること』のなかで言っていることも、そういった思想の文脈を捉えないと大きく読み誤ってしまうことになる。メルロ・ポンティがこの箇所で使っている「物それ自体」や「上空飛行的主観」という言葉は、根本的にはそのような二元論批判の文脈のなかで使われているのである。

 では、ここでメルロ・ポンティの言っている「上空飛行的主観」とは何なのか。それは、近代の認識論の二元論的な図式のなかで、精神的実体として想定された主観のことである。
 認識論の図式のなかでは「物それ自体」は「延長」をその本質とする実体として、主観は「思うこと」をその本質とする実体として、最初からおたがいに峻別 されてしまっている。したがって、認識論の二元論的図式のなかでは、主観は原理的に「物それ自体」と出会うことはできない‥‥。メルロ・ポンティはそう考えた。
 そこでポンティは、そのような地に足のついていない主観のあり方を、いささかの揶揄をこめて「上空飛行的主観」と言ったのである。また、そのような二元論的な図式の枠組にがんじがらめになり、硬直化してしまった二元論的思考を、これまた揶揄をこめて「上空飛行的思考」(pensee du survol)と呼んだのだった。「上空飛行的」(survol)とはポンティの主著『知覚の現象学』以来、彼の二元論批判のキータームとなった概念なのである。
 彼の身体論も、このような文脈のなかから生み出されてきたものだ。 ポンティは、物心二元論を一端カッコに括った上で「現象」そのものに真向かおうとする。その「現象」が立ち現れてくる地平としてクローズアップされたのが「身体」という問題地平だったのである。「身体」とは、ポンティにとって、二元論的図式の克服という課題のなかで主題化されてきた問題領域なのだ。
 振り返ってみればすぐ分かるように「身体」は「物」でもなければ「心」でもない。物心二元論の枠組のなかで捉えようとすると、何ともあいまいな存在である。二元論的図式に従う限り「身体」は、物質として「モノ」であると同時に、痛みや感覚を持っているという点で「心」でもあるという両義性を持っているからである。
 メルロ・ポンティはこの「身体」という問題領域に注目することによって、従来の認識論がそこに定位 していた物心二元論がいかにいかがわしいものであるか、ということを暴露してゆく。彼は「身体」を「世界に肉づけされた身体」「世界に受肉された身体」という。ここで彼が言っている「世界」とは、モノの集合体ではなく、フッサールのいう「生活世界」(Lebenswelt)と同じものであり、物と自分、他者と自分が、そこで出会うことが可能になる場(意味の地平)といったような意味あいの術語であるのだが、ポンティはそのような「世界」と「身体」とは分かちがたい形で結びついている、と考えるのである。
 私たちは、常に既に「世界」に肉づけされている身体的存在であり、その「身体」を通 じてのみ、私たちはモノや他者とナマナマとした形で出会うことができる‥‥。ごく大雑把にいえば、メルロ・ポンティはそのような形で「身体」を主題化している、といってよい。
 したがって、吉川が引用した『見えるものと見えないもの』の一節も、そのような文脈において読まれるべきものだと思う。私たちは、「世界」に肉づけされている「身体」としてのみ、同じ「世界」の中で共存している「物それ自体」や「他者」と出会い得る。二元論的図式のなかで「物それ自体」とは峻別 されている「上空飛行的主観」は、そもそも「物それ自体」に出会うことさえ不可能なのだ。「われわれを物そのものに到達させうるのは、身体であり、また身体だけである」いう、引用箇所のポンティの言葉は、彼のその思想を端的に表現している言葉なのである。
 はたして吉川は、このことに気づいたのだろうか。みずからが引用した『見えるものと見えないもの』の一節のなかに、このようなメルロ・ポンティの生涯を貫く二元論図式への批判が込められていることに、吉川は気づいていたのだろうか。

 私には、どうもそうは思えないのである。吉川は、ポンティが批判しようとしているその当のものである二元論的図式に則って、この箇所を実に素朴に解釈してしまっているような気がする。
 『風景と実感』の163頁において吉川は、正岡子規の「地図的観念と絵画的観念」(明27)について論じている。そのなかで彼は、明治二十年代を「高い所からの俯瞰が流行した時代」と位 置づけている。吉川によれば、正岡子規は、上空から「対象を俯瞰する見方」を忌避し「地上に立っている人間の目で見るべきだ」と主張した。それは子規が「日常ではありえない視点ではなく、生活に密着した視点の回復を訴えた」からである、と吉川はいう。
 そういう文脈のなかで、吉川は先のポンティの言葉を引用するのだ。吉川はまず、引用に先立って次のように前置きをする。

これは偶然だが、メルロ・ポンティが人間の認識について、つぎのように述べているところ連想させる。(吉川・163頁)

 正直にいえば、私は、すでにこの前置きの部分から違和を感じた。メルロ・ポンティは、ものを見るという行為を「人間の認識」として捉えている訳ではない。「物それ自体」を上空飛行的な主観が「認識」をする、という先入見に満ちた二元論的図式自体をポンティは疑ってかかっているからだ。
 が、吉川は、それに気づかない。気づかないまま、先のポンティの言葉を引用する。そして、引用を終えたあとで、次のようにコメントしている。

どちらも(大辻注・子規とポンティ)上空から見下ろすような観念では、物をリアルにとらえることはできないと主張しているのである。(吉川164頁)

 ここで吉川は、メルロ・ポンティのいう「上空飛行的主観」という言葉を、明らかに「上空から見下ろすような観念」として捉えている。吉川はポンティの「上空飛行的」という言葉を、きわめて日常的な素朴な意味で「上空から俯瞰するように見ること」という意味で解釈してしまっている。
 あきらかに誤読だろう。ポンティは、上から見る視点を否定するためにここで「上空飛行的主観」という言葉を使っている訳ではない。また、地に足をつけて「物をリアル」に捉えるために、人間の体が必要だ、といった意味で「身体」という言葉を使っている訳でもない。ここで、ポンティが言っているのは、そういう日常的な事態ではなく、もっと深い存在論的な事態だ。ここでポンティが述べているのは「私たちはそもそも世界に肉づけられた身体的存在でしかありえないのであり、そうであるからこそ、物それ自体と出会うことができるのだ」という彼の現象学の根本テーゼであるはずだ。「上空から物を見るのではなく、体を通 して物の奥行きを捉えねばならない」といったことでは断じてない。
 この部分はあきらかに吉川の「誤読」だと思う。もし吉川が、誤読でないと言い張るのなら、吉川は、自分の思考の枠組の間尺に合うように、ポンティの思想を矮小化・通 俗化していることになる。

 このような私の指摘を、吉川は、またぞろ「針小棒大」だ、と批判するのかもしれない。
 たしかに、ここまで私が言ってきたことは、短歌の話とはほとんど関係がないように思われるかもしれない。単なる好事家のスコラ的議論だ、と思われるかもしれない。
 が、なぜ私がことさらにこのような細かい議論をふっかけたかというと、吉川がこのような「誤読」をしてしまったこと、あるいは、「誤読」をせざるを得なかったことの背後に、彼の風景論・実感論の根本的な限界があるような気がしたからである。
 私は、この論争において、その当初から吉川は素朴な二元論図式に立っている、と主張してきた。前回の時評において、吉川はそれに異議を唱えているが、私の考えは変わらない。吉川の思想的立場はやはり素朴な実在論であり、きわめて単純な二元論だと思う。それは、前回の時評で、吉川自身が弁明のために書いている以下の部分を読んでも、改めてよく分かる。

つまり〈外界〉は、ただ物理的に存在しているだけでは、〈私〉に何の感動も与えない。それを意識することによって、〈風景〉が立ち上がり、そこに〈私〉は美しさ(場合によっては醜さ)を感じ取るのである。そして〈私〉は、その〈風景〉によって変化してゆく。もし、その木の花に特別 に心を引かれたら、近づいていって触ったり、折り取ったりするだろう。物を見るということは、間接的な身体行為なのだが、その先には、触れるという直接的な行為が待っている。そして、愛情をもって枝に触れたりしているうちに、その木は〈私の木〉と感じられるようになるだろう。じつに不思議なことだが、木のなかに〈私〉が生じるのである。つまり〈私〉とは、〈風景〉と触れ合いながら、豊かに広がっていくものなのである。身体感覚は〈私〉と〈風景〉とを、臍の緒のようにつないでいるものなのではなかろうか。 (吉川宏志「二元論を超えるもの」・傍線大辻)

 この文章でも明確に分かるように、吉川は、誰が見ても同じように存在している物理的〈外界〉がまずもって存在し、それとは別 の(それこそ上空飛行的な!)「主観」である〈私〉がそれを見るという、原則に立ち続けている。そのような図式のなかで考える限り、〈風景〉とは、物理的外界を〈私〉が、私ひとりだけの心のスクリーンに映しだした像にすぎないことになろう。また、そのような図式のなかで考える限り、〈実感〉とは、実在する外界から刺激を受けた〈私〉だけに訪れる刹那的な感覚という意味しか持ち得ないことになろう。
 つまるところ、吉川の二元論的図式に従う限り、〈風景〉や〈実感〉はあくまでも〈客観的〉な〈外界〉の個人的な感覚像にすぎないことになる。それはあくまでも私個人のものであり、他人と共有することはできない。そこには、その個人的感覚を普遍化し、理論化する経路は初めから断たれてしまうのだ。
 また、このような発想のなかでは「身体」の持つ問題性も著しく矮小化されてしまうことになる。
 吉川は「身体感覚」を〈私〉と〈風景〉を「臍のように繋いでいるもの」だというが、なぜそのようなことが可能なのかは原理的に不明である。そこには吉川自身の先走った先入観があるだけだ。なぜなら、先に述べたように、物心二元論の枠組のなかで考える限り、「物」であり同時に「心=私」である「身体」という存在は、永遠にヌエ的なものに留まるしかないからである。
 吉川は、なぜポンティの身体論のなかに提示されている問題地平に気づかなかったのか、あるいは、気づいていても無視したのか。それは、おそらく、吉川が自らの二元論的図式を疑うことなしに先入見として前提してしまったからである。〈風景〉という現象をありのままに捉えようとするためには、そのような日常的な先入見を、まずもってカッコに括るところから始めなければならなかったのだろう、と私は思う。
 吉川は『風景と実感』のなかで、歌人の身体に立ち現れてくる「なまなまとしたもの」に何度も言及している。メルロ・ポンティの思考の枠組を借りるなら、まさにその「なまなまとしたもの」こそが、世界に肉づけされている身体という場に立ち現れる「現象」なのだ。吉川自身がいうように、彼は、実は、メルロ・ポンティが彼の身体論のなかで捉えた問題と、同じ問題に気づいているのである。
 しかしながら、残念なことに、吉川はその現象を、素朴な二元論的な図式のなかで捉え理論化しようとした。そのために、結局は「風景」(=感覚像)や「実感」(=感覚)という個人的・個別 的な事象のなかにしか、論理化の根拠を見いだせなかったのだ。そこに『風景と実感』の最大の理論的欠陥があると私は思う。
 現象学的にいうなら、「読む」ということは、世界に肉づけされた身体に言語という現象が立ち現れてくる、ということに他ならない。それを記述し、その現象の「なまなましさ」を「なまなましさ」のまま捉えようとするならば、まずもって、先行する先入見を一切取り去って、言語という現象そのものに向わなければならない。吉川が踏み忘れたのはその手順なのである。
 吉川は『風景と実感』のなかで、何を語ろうとしたのか。この書のなかで何を明らかにしようとしたのか。
 それは、まさか、秀歌をどう読むかとか、実作者としてどう歌を作るのか、といった実践的な問題ではあるまい。彼は『風景と実感』と自ら名づけたこの「理論書」のなかで「読む」という行為のなかに立ち現れる「なまなましさ」の根源を、原理的に、納得いくまで説き明かそうとしたのではなかったのか。
 だとしたら、吉川は次のような安易な実作者としての決意表明に逃げてはいけない。

けれども、「ことば」そのものが「なまなましい身体性」を獲得することは可能であり、私たちはその不思議な力を信じて作歌をしていくほかはない。 (吉川宏志「二元論を超えるもの」)

 私がこの論争で出会いたかったのは「私たちはその不思議な力を信じて作歌をしてゆくほかない」というような安っぽい信仰表明ではない。なぜ「ことば」そのものが「なまなましい身体性」を帯びるのか。その「なまなましい身体性」は「歌を読む」という行為のなかにどのように立ち現れてくるのか。それを捉えるには、どのような可能性の条件が必要なのか‥‥。私が出会いたかったのは、どこまでもその問題を冷静に問い詰めて行く理論家としての吉川宏志なのだ。
 長くなってしまった。もし許されるのなら、吉川の反論を待って、稿を継ぎたい。

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