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「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)



二元論的図式について
text 大辻隆弘

 前々週に私がこの欄に書いた「『自然』の両義性」について、吉川宏志が批判を寄せてくれている。今回はそれについて、私の意見を述べておきたい。

 私があの文章において語ろうとしているのは、題名のとおり近代短歌のなかにおける「自然」というものの両義性であり、捉えがたさである。吉川は「私は、大辻のように素朴に『ネイチャー』と『おのずから』とが分離できるとは信じないのである」と言っているが、私自身、その両者が豁然と区別 できるとは、もちろん、思っていない。むしろ、認識の対象であると同時におのずから生起するものであるという両義的な「自然」こそが、近代短歌の「自然」概念であり、それは曖昧模糊としたものではないか、ということを言いたかったのだ。
 また、吉川は私が小池の「おのずからとネイチャー」という文章を「無批判に受容しているようだ」といっているが、もちろん、これもそうではない。
 私はたしかにあの文章で「おのずから」と「ネイチャー」という二元論的な用語を使っているが、私自身はその二分法を盲信してはいない。私は、小池が論旨を明確にするための方法的概念として使った「おのずから/ネイチャー」という二元論的を使って考えてみただけである。そうすることによって、近代短歌における「自然」の概念が、二元論的概念では裁断できないものであることが分かってくるからだ。
 そのことは、私の文章の以下のパラグラフからも明らかだろう。改めて引用しておく。

確かに、斎藤茂吉の作品をその筆頭として、近代短歌の自然詠のなかで、「ネイチャー」としての「自然」が立ち現れてくる作品は少ない。自然詠には、かならず「おのずから」推移するものとして自分の身めぐりのものを受け入れようとする意識が働いている。短歌における「自然」の曖昧さは、実はこのように「ネイチャー」と「おのずから」が渾然一体となってしまっているところから生起するのかもしれない。
                       (大辻隆弘「『自然』の両義性」)

 おそらく、吉川は、私が話を分かりやすくするために採用した「おのずから/ネイチャー」という二元論的図式を、そのまま私自身の自然観であると受け取ったのだろう。もし吉川がそのように考えているのなら、それは吉川の誤解である。重ねていうが、私の文章の主旨は、あくまで、近代短歌における「自然」という概念のあいまいさ・両義性に対する指摘であった。その私の考えは、「自然」というものが「曖昧な概念」であるとしてその用語を排除した吉川の風景論と、結論的には、同じ基盤に立っているといってよいのだろう。
 以上、弁明をさせていただいた上で、以下、吉川の批判に対する私の考えを述べておきたい。

 吉川の批判の中心は、吉川の『実感と風景』の主旨を私が取り違えているところに向けられている。
 彼は、前回の時評のなかで、私の時評のなかの以下の部分を引用している。

吉川がいう〈風景〉とは、そもそも、西欧近代の「自然対自我」という認識論的な布置が成立したことによって生起してきたものだからである。
                       (大辻隆弘「『自然』の両義性」)

 この部分を引用した上で、吉川はこの私の「断定」に「唖然」とした、と言い、次のように述べている。

私が『風景と実感』で一貫して論じているのは、身体と外界がつながり合うことで、広がりのある自己が生まれてくる現象だからである(p.153「風景と〈わたし〉」、p.158「風景と身体」などを参照)。風景は「自然対自我」などという単純な図式によって成立するのではない、ということを幾度も書いてきたつもりである。たとえ私の考え方に反対であったとしても、まるっきり無視して論を進めるのは、いかがなものかと思う。間違っていたら申し訳ないが、大辻は斜め読みまたは飛ばし読みで書いているのではないか、という疑いさえも浮かんでくる。
                  (吉川宏志「『自然』をどのように語るか」)

 もちろん、私は「斜め読み」「飛ばし読み」をしたつもりはない。私なりの興味を持って精読したつもりなのである。
 が、正直にいえば、この著書の読後感は、数編の評論を除いて、私にはやや茫漠としたものであった、と言わざるをえない。吉川が主張しているように、この書物が「身体と外界がつながり合うことで、広がりのある自己が生まれてくる現象」を「一貫して論じている」とは気づかなかった。それが、私の読解力の不足によるものだとしたら、素直に吉川に謝りたいと思う。
 が、私がなぜこの著作の風景論の意図を「誤読」したのか、というと、それなりに理由があったのではないかという気もするのである。私は、吉川の〈風景〉という術語の内実を私自身がはっきりと理解できなかったのだ。
 吉川はこの著作の第二章でカギカッコつきの〈風景〉という語を、次のような形で用いている。

風景とは不思議なものだ。毎日歩いている通勤路の様子などは、ほとんど印象に残らない。しかし、その道に紅葉している木があったりして、心が動かされると、とたんに見なれた外界が、〈風景〉として目に見えてくる。〈風景〉とは初めから存在するものではない。外界が見る人に感情を与え、その人が感情を持って再び外界を見直すときに、〈風景〉は初めて浮び上ってくる。
                     (64ページ・傍線部大辻、以下同じ)

 この部分において、吉川は、〈風景〉という術語を「外界が見る人に感情を与え、その人が感情をもって再び外界を見直すときに」浮びあがってくるものと規定している。つまり、吉川は認識論的には〈風景〉の成立以前に、「外界」と「私」がすでに独立して存在している、と考えている。そもそも、「外界」と「人」がそれぞれ二元論的に存在し、「私」が「感情」をもって「外界」を見つめるときに〈風景〉が立ち上がってくる、と考えている、といってよい。
 また、吉川は別なところで若山牧水の「大河よ無限に走れ秋の日の照る国ばらを海避(よ)けて行け」の歌について、次のように述べる。

(前略)河に対して海を避けて走れと呼びかけた表現がじつに斬新である。海で終らずにいつまでも流れ続ける河という強烈な想像力は、現在の私たちにも衝撃を与える。身近な風景であっても、自由な視点から見ることによって、全く別 の世界観をつくりだすことができるのだ。風景とは、初めから形が決まっているものではない。見る人が風景をつくりだすのである。
                                (114ページ)

 この文章では「風景」という語が、明らかに二つの意味で使われている。
 「イ」の「風景」という語で吉川が言おうとしているのは、「見る人」個々によって異なる「世界観」のなかに立ち現れてくる像のようなものだろう。それは先の64ページの箇所でいえば「人が感情を持って再び外界を見直す」ときに立ち現れてくるカッコつきの〈風景〉と同じものだと考えることができる。
 が、「ア」の「風景」は、あきらかに「イ」とは異なった意味で用いられているだろう。この場合の風景は、先の引用箇所の用語を借りれば、「人」の周りに素朴に実在している「外界」というほどの意味をもっている。すべての人の前には同じ「外界」が存在しているのだが、それは見る人によって見え方が変わってくる、と吉川は言いたいに違いない。すなわち「ア」の「風景」は、「イ」の主観的な映像の基盤となる、客観的実在の基盤として用いられている、といってよい。
 吉川の用いる「風景」「〈風景〉」という術語は、かにかくにあいまいで、私を昏迷のなかに突き落とす。私の「誤読」は、このような「風景」と言う語の多義性によって、惹起された部分もなきにしもあらずなのである。
 が、そのような細部の矛盾を棚に置けば、吉川が基本的にどのような枠組みで風景を論じようとしているかは分かってくる。吉川は、それ自体は無味乾燥な「外界」が、「私」というフィルターを通 して感受されるとき、そこに各々異なった「風景」が立ち現れてくる、と考えているのだろう。そのような発想の背景にあるのは、「外界」と「私」という二つの実体がまず存在して、その二つの間に何かしらの触れ合いが生まれ「風景」が立ち現れる、という素朴な二元論的構図である、といえる。
 吉川が自分の風景論の前提にしてしまっているものは、実は、このような「外界/私」「客観/主観」「世界/自我」「モノ/こころ」という近代主義的な二元論的発想ではないのだろうか。吉川は、先週の週刊時評のなかで「風景は『自然対自我』などという単純な図式によって成立するのではない」といっている。が、果 たしてそういえるのか。吉川は「自然対自我」の二元論的図式を排除しようとしながら、彼の「風景」論の背後には、その当二元論的図式を無批判的に、素朴に、前提してしまっているのではないか。
 このような二元論的図式に立つ限り、「外界」と「私」という異質なものが、どのようにして繋がりあうのか、という問題は、原理的なアポリアに逢着することになる。なぜ「外界」を見て「私」が感動するのか、そもそも「外界」をどのようにして私たちは感知することができるのか。デカルト以来、西洋の哲学者を悩ませたそういう認識論的アポリアから、吉川の風景論が逃れることは困難だといってよい。
 おそらく、そのアポリアを回避するために、吉川は「身体」という問題領域を持ち出してくるのであろう。長くなるので詳説は他日を期したいが、結論からいうと、その吉川のくわだてはあまり成功しているとは思えなかった。外部から「身体」という概念を移入したところで、歌そのものの「なまなましさ」を論じることにはならないのではないか、という疑惑が先に立ってしまったからである。
 彼が「実感」の理論的基盤としたメルロ・ポンティの身体論も、失礼を承知で言えば、いかにも付け焼刃的なものにしか感じられなかったのである。

 吉川の『風景と実感』は、まぎれもなく労作だと思う。一首一首の読みの鋭さや、文献の検索の努力には感服する。それは前回に述べた通 りだ。私は、決してこの著作の内実を否定している訳ではない。
 吉川は、「自然対自我」という二元論的な図式を回避して、生き生きとした私を歌のなかに回復したいと願っているのだろう。が、それを理論化するためには、少なくとも、もう少し慎重な理論構築が必要なのではなかったのか。
 なぜ、私たちは「自然対自我」という二元的な図式のなかに嵌りこみがちなのか。また、それを回避するためには何が必要か。それを考えるためには、その図式を成立させている「ことば」そのものへの問いかけが不可欠なのだ。
 私はもう10年以上も前に「『私』というパラダイム」(『子規への溯行』所収)を初めとした明治初期の短歌の言説に対する幾つかの論文を書いたことがある。私がそのなかで問おうとしたのは、「外界」対「私」という近代短歌の二元論的図式が成立する根拠であった。そのなかで私が示したのは、明治初期に起こった短歌の言説の枠組の変革が、「外界対私」という二元論的図式に繋がったという仮説である。拙いものであることは重々承知しているが、そこで私がやろうとしたのは、短歌の「ことば」そのものから「私」と「自然」の成立を演繹的に導きだすことであった。
 吉川が考えている「風景」という概念は、おそらく、明治初期の言語改革の後に生起したものである。「吉川がいう〈風景〉とは、そもそも、西欧近代の『自然対自我』という認識論的な布置が成立したことによって生起してきたもの」という私の発言は、そのような歴史的背景を意識したものだった、ということを理解していただくとありがたい。確かに、前々回の時評では言葉足らずではあったが‥‥。
 吉川の『風景と実感』の表紙には、内田樹の印象的な一言が印刷されている。

ことばはどのようにしてなまなましい身体性を獲得するのか。それは私自身にとっても久しい問いである。それが「なまもの」を叙することによってではなく、ことばそのものが「なまもの」に到成することによってであるということ、そこまでは私にも分かった。

 「ことばそのものが『なまもの』に到成すること」という言葉は印象的だ。たしかに、この著書のなかには、「なまもの」としての言葉に注目をしている箇所はいくつかある。
 たとえば、菱川善夫の「辞の断絶」を論じた「『実感』と『思想』」や、森岡貞香の歌を論じた173ページに触れられている部分などがそうだ。そこには、明らかに「実感」や「身体」といった外在的な思考の枠組みを必要としない、「ことば」自体の「なまもの」性に対する理論構築の萌芽がほの見えている、と思う。私はむしろ、その部分にこそ吉川の理論の今後の発展の可能性を見てとったことを付言しておく。
 以上、雑駁ながら私の思うところを書いた。吉川の再反論を期待している。

 
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