複製されるモチーフ
text 吉川宏志
寺山修司未発表歌集『月蝕書簡』(岩波書店)が刊行された。一九七一年以降、寺山修司は、短歌の発表をやめてしまう。ところがその後も短歌を断続的に作り続けていたらしく、ノート等にさまざまな形で書きつけられていたのだそうだ。それを寺山修司の秘書であった田中未知が編集し、死後二十五年経って一冊の歌集となったのである。
解説の佐佐木幸綱が指摘しているとおり、すでに発表された歌の焼き直しといった趣の作も少なくない。改作(?)のしかたでおもしろかったのは、
大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ
『田園に死す』(1965年)
月見草今日もカタログ読みあかす通信販売の母はなきかと
『月蝕書簡』
というもの。『昭和家庭史年表』によると、1972年に西武流通グループがカタログ販売を開始したという。『田園に死す』のころにはまだ一般
的でなかった通信販売が普及しはじめ、寺山は「母を買う」というモチーフを新しい消費社会の状況に合わせて、リメイクしたのだと考えられる。
一夜にて老いし書物の少女かな月光に刺す影のコンパス
『月蝕書簡』
一夜にて老いし書物の少女追う最後の頁に地平をすかし
同
一夜にて老いし少女をてのひらで書物にかくす昼の月蝕
同
このように似たような歌が並んでいる箇所もある。夜を徹して本を読んでいると、登場人物の少女が朝になるころには老女になってしまうということがある。小説の時間と現実の時間がずれる不思議な感じを歌おうとしているのだと思うが、そのモチーフが最も鮮明に伝わるように、さまざまに場面
を変化させている様子がよくわかる。
あるいは、
みずからを預けんと来し駅前の遺失物預り所の窓の雪
同
という一首は、谷川俊太郎の「かなしみ」(透明な過去の駅で/遺失物係の前に立つたら/僕は余計に悲しくなつてしまつた)という詩をアレンジしているのではなかろうか。このような一種の〈本歌取り〉は、寺山短歌の大きな特質である。
「母を買う」「書物の中の少女が一夜で老いる」「遺失物預り所に自分を預ける」といった奇妙な〈物語の原型〉を、さまざまな表現で繰り返して見せるのが、寺山の方法であったのかもしれない。「鶴の恩返し」と少しずつ違っている話が全国に伝わっているように、〈原型〉がさまざまに複製されていくのである。
それは大塚英志が『物語消費論』で論じている問題を先取りしていたのだともいえる。大塚は『キャプテン翼』(高橋陽一の漫画)の世界を借りて、無数のアマチュア作家が別
のストーリーをいくつも生み出していったケースを取り上げ、何が〈オリジナル〉で誰が〈作者〉かを問うことは、〈物語〉を消費している現在の状況では無意味になっていると述べる。この大塚の考え方には賛否両論があるだろうが、寺山修司がセルフ・コピーや他の作者からの引用を繰り返すことによって、〈作者=私〉という図式を解体しようとした方法は、それと非常に似ているのではないか。
『月蝕書簡』には、生前の寺山修司と佐佐木幸綱の対談が付録として挟み込まれている。佐佐木はそのような寺山の〈私〉の捉え方に対して、
「寺山修司の契機というものは、どこまでいっても日本であって、どこまでいっても東北の何かを引きずってるみたいな、一つの錘(おもり)を、寺山さんは持ってるでしょう。」
という形で疑義を呈する。現在の〈私〉を解体したとしても、風土や過去の時間に繋がる〈私〉は残るのではないか、と問いつめていくのである。この対決は非常にスリリングで、今の時代にこそ注目すべき問題提起がいくつも含まれているように思われた。
もちろん『月蝕書簡』は、身構えずに読んでもイメージの豊かさを楽しめる歌集である。私は特に次のような歌が印象に残った。寺山修司の感性は古びていないのである。
地平線描きわすれたる絵画にて鳥はどこまで墜ちゆかんかな
壜詰の蟻をながしてやる夜の海は沖まで占領下なり
親指の親にはじかれそら豆がとび出す青き関東平野
満月に墓石をはこぶ男来て肩の肉より消えてゆくなり
母と寝ててのひらで月かくしみる父亡きあとの初の月蝕
|