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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)


【告知】
 2008年2月10日に行いますシンポジウム「恋の歌、愛の歌」に先立ちまして、今回から4回にわたりパネリストの方々に相聞歌について語っていただきます。来週(12月25日)は大辻隆弘さん、大晦日は休載で、1月7日に米川千嘉子さん、1月15日に岡崎裕美子さんの順番で回ります。どんな話が出るのか、お楽しみにお待ち下さい。シンポジウムにも是非多数お越し下さいますようお待ちしております。(編集部)


新たな<作者>のために
text 岡崎裕美子

 歌をはじめたきっかけが、優れた相聞歌を読み感銘を受けたから、という人は多い。かくいう私もその一人で、先に執筆された3氏の歌などは、大学生の頃に胸を熱くさせながら読んだものである。

風を浴びきりきり舞いの曼珠沙華 抱きたさはときに逢いたさを超ゆ
                       吉川宏志『青蝉』
指からめあふとき風の谿(たに)は見ゆ ひざのちからを抜いてごらんよ
                       大辻隆弘『水廊』
白藤のせつなきまでに重き房かかる力に人恋へといふ
                       米川千嘉子『夏空の櫂』

 どれも恋をしている作者の切ない心情が歌われている。こうして書いていても、当時の自分の恋愛体験を思い出したりして心がひりひりとする。これらの歌を読んだ時に感じたことが、そのまま蘇ってくるようだ。吉川氏の歌はストレートに若い男性の衝動を歌っていながらも上句の情景の激しい美しさと呼応して、そこに浮かび上がってくる像は不思議と清新さを持つ。「ひざの力を抜いてごらんよ」と、女性に(おそらく性体験のない少女に)語りかける大辻氏の歌も同様に、性愛の場面 を詠んでいながらもじっとりしたものがなく爽やかな印象だ。米川氏の歌を読むと藤棚から垂れ下がる「白藤」が眼前に現れて、ああ、これは紫色の藤ではだめで、恋愛中の心を映し出すのは「白藤」が正解だろうと思った。「曼珠沙華」「風の谿」「白藤」、自然にあるものに、自らの思いを託す方法も、こういった歌から学んでいったのである。

廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て
                       東直子『春原さんのリコーダー』
傾くとわたしの海があふれ出す いとこのようなやさしさはいや
                       田中槐『ギャザー』

 抱かれたり、好きになって欲しかったり、いつまでも待っていたり……。女性の恋愛は受身のものが多い。歌も同様かも知れない。そうした中で、東作品は桃の皮が新聞の活字に触れる瞬間に相手を欲し「来て」と呼びかけ、田中作品は「いとこのようなやさしさはいや」と相手に激しく訴える。「わたしの海」は子宮の、言い換えれば女性そのものを指すのだろう。短歌結社に入り、こうした歌に出会ったことで、もっと自由に恋愛や性愛を詠みたいと思う気持ちが強くなっていったのである。

したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ
                       『発芽』

 は、「未来」に入ってすぐのころに作った歌だ。1999年の初夏のことである。 吉川氏は先の時評で「最近の若い歌人の歌集を読んでいると(一部の例外を除いて)切実で美しい恋の歌はほとんど見られない。」とし、それでも「次のようなみずみずしい純粋性をもつ歌を評価していくこと、愛誦していくことが大切なのだろうと思う。」と4人の若い歌人たちの歌を挙げた。大辻氏は「相聞歌の絶唱」を敬遠する若者たちに対して「『思い』と一体化していた『うた』の本源的な力が、どこかで信じられなくなっている」と危機感を募らせる。米川氏は「自分にとって相聞歌は、ほかのどんな主題よりも、この時代に生きる一人の私をもっとも大切な感情において書き留めたいという意志と、そうした時代や個を越えた普遍へ即くこと(中略)二つのものをかき立てるもの」「ひたすらな一人の思いを述べようとしながら(中略)自分のなかに最初の他者を獲得するような感覚も、恋の歌をうたうことから得ていたのではないか。」と自らの過程を振り返る。また、三十代の若い女性の歌に対し「万葉以来の『相聞』と呼ぼうとすると重なりきれない」としながらも、それらの歌を「どの歌も息づまるように悲しい。」「一人が一人の他者と関わることの真摯で純粋な痛みが『恋』を通 してうたわれている」と現代の相聞歌と位置づけ分析する。
 人を恋うことと、その相手と日々を過ごすこと。米川氏が挙げた3首について思うのは、どれも作中に「君」が登場するが、立ち上ってくるのは孤独を抱えた「われ」の姿だけなのである。それがいっそう悲しい。そしてその「われ」はどこか病的でもあり、その姿は現代の若者と重なるのだ。
 コミュニケーションのツールはこの10年で目覚しい発達を遂げた。携帯電話、インターネット、Eメール、ケータイメール、SNS、ブログ……。人と繋がることは容易になったのに、繋がれば繋がるほど寂しさを感じる私たちがいる。  昨年10月に出版された『短歌ヴァーサス 11号』では「わかものうたの行方」と題した特集を展開し、若手歌人の書き下ろし作品を掲載している。「相聞歌が少ない」と言われる通 り、平均年齢32.9歳の23人の中で、相聞歌を作っている人はほとんどいない。若手歌人たちは相聞歌をそれこを「絶唱はカッコ悪い」と見放してしまったのだろうか。
 しかし、どきどきするような相聞歌が少ないながらもあった。

腕枕の腕を抜いて天井を見る 15号棟に風が吹いてる
                       斉藤斎藤
めざめるところ見られるたびに欧米のようにいちいち言うありがとう
                       同

 一首目はまさに風が吹くような、軽やかな相聞歌だ。恋人と添い寝をし、腕枕をして、相手の寝息を感じたらすっと抜く。古風ではあるが素直な歌だ。二首目は、恋人が先に起きた場合。「めざめるところ」を見られるのは恥ずかしいものだが、作者は「ありがとう」と笑顔を向ける。  現代の相聞歌の読者の中から、新たに短歌を作り出す人は、果 たして生まれるのだろうか。否、そのような歌を作り出したいと今、強く思うのである。

 
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