自費出版書籍写真
トップページ
新刊案内

週刊時評

大辻隆弘ブログ

吉川宏志ブログ

好評既刊一覧

既刊書籍一覧

短歌キーワード検索
青磁社通信
バックナンバー

自費出版のご案内

短歌界リンク

掲示板


◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


ご注文の書籍は送料無料にてお送りいたします。
お電話・メールにてご連絡ください。



ご注文・お問い合わせは


〒603-8045
京都市北区上賀茂豊田町40-1

TEL.075-705-2838 FAX075-705-2839

E-mail
seijisya@osk3.3web.ne.jp


◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)


ライバルの役割
text 大辻隆弘

 岡井隆の『歌集『ともしび』とその背景』が面白い。「後期斎藤茂吉の出発」という副題どおり、『あらたま』以降、長い沈黙のなかにあった茂吉が、大正13年11月の帰朝以後、いかにして歌人としての自己を再興していったか。それを詳細に追跡した好著だと思う。
 そのなかでも、特に印象的だったのは、この時期の茂吉の島木赤彦に対する強いライバル意識である。岡井は、茂吉の書簡や「赤彦臨終記」等の散文を細かく読むことによって、その当時の赤彦に対する茂吉の対抗意識を洗い出してゆく。
 例えば、この書の「ミレー評価をめぐる赤彦・茂吉書簡」という章は、その好例であろう。ここで岡井は、茂吉・赤彦の書簡を詳細に追いながら、ふたりの間にあった葛藤を追跡している。
 留学中の茂吉は、赤彦宛の書簡のなかでルーブル美術館で見たレンブラントの絵を絶賛し、その後に、つけたしのように「君の好きなミレーも幾枚も見た」と書き記す。赤彦は、茂吉のその言葉のなかに西洋絵画の真髄を見た茂吉の、自分に対するかすかな優越感を見て取る。「君はミレーあたりにまだ立ち止まつてゐるのか。オレはレンブラントだよ」(岡井)といいたげな茂吉の表情を見てしまうのである。この茂吉の書簡に対して赤彦はすぐさま「小生はミレーの素質を尊んでゐるが一番好んでゐる訳ではない」という返事を茂吉に書き送る。そこには、赤彦の茂吉に対するかすかな反発があったはずだ、と岡井はいう。
 赤彦の死後、茂吉は赤彦の追悼文を書くのだが、そのなかで引用したのが、このミレーの絵に対するふたりのやりとりであった。茂吉は、この追悼文のなかに「赤彦は近ごろ親分株になつて名を惜しみ出したな」と思った、という感想をことさら書き記したという。そこにあったのは、西洋文化の真髄に触れている茂吉の優越感であり、アララギの総帥として歌壇を制覇した赤彦に対する嫉妬心であろう。岡井は、ふたりの書簡のなかにあった微細な言葉を手がかりにして、当時の赤彦に対する茂吉の対抗意識を実に見事に掬いだしているといってよい。
 私たちは、往々にして、一人の歌人の歩みというものを単線的なものとして考えがちである。青年期の清新さから、人間的成長を経て、円熟に向ってゆく‥‥。そのような自己形成の典型に当てはめて歌人の歩みを考える。えてして、そういう図式のなかに歌人の「生」をはめ込んでしまう。
 が、実は、歌人は、自分ひとりで歩いている訳ではない。どんな師に就いたか、どんな風に歌友と交わったか、同時代の好敵手とどのようにぶつかりあったか。そういう生身の人間関係のなかで、歌人はみずからの歌の方向性を見いだしてゆくのである。歌人としての復活を遂げた茂吉の『ともしび』の静謐な歌境の背後には、赤彦の晩年の澄み切った歌境に対する茂吉の対抗意識があった。それと同様に、同時代の人間関係・ライバル関係が、歌人の歩みに大きな影響を与えてしまう。岡井のこの書は、あらためて私たちにそのことを気づかせてくれる。
 その当の岡井もまた、その成長の過程で常に同時代のライバルに対して激しい葛藤を感じてきたらしい。小高賢を聞き手にして続けられている対談「語る短歌史」(角川短歌)のなかで、彼は、1970年の彼の「西行」の背後に塚本邦雄に対するジェラシーがあったことを吐露している。60年代後半以降、塚本は若い歌人たちの絶大な支持を集めて行く。それを横目で見た岡井は塚本に対し、嫉妬を感じ、「じゃあ、俺はもうちょっと引け時かな」と思ったという(11月号)。私たちはここにも、歌人の運命を決定する要因として同時代のライバルに対する強い意識があったことを思い知らされるのである。
 このような事実の詮索は、スキャンダラスな興味に突き動かさた愚行なのかもしれない。が、文学というものが人間の生身の「生」に関わる以上、そのような生臭さは常に文学に付着するものなのだ。その意味で、このような人間の交流に対する掘り下げは、1人の歌人の全体像を捉える上で重要な契機となりうるだろう。
 永田和宏が、角川「短歌年鑑」のなかで「〈人物交流史〉への期待」という文章を書いている。そのなかで永田は、今年の短歌界のなかで「交流史的な企画」がいくつか始まったことに注目し、その背後の事情を次のように分析している。

交流史的な企画が始まったのは、作品の背後に、人間としてのぶ厚い作者の手触り、あるいは生活者としての作者の具体を感じられなくなっているような、現在の歌壇状況に対する無意識の模索のあらわれなのかもしれない。

 たしかに、永田の言うとおり「作品の背後に人間のぶ厚い作者の手触り」を感じようとする傾向は、今年出版された多くの優れた評伝のなかにも窺える気がする。それは、作者と作品の結びつきを絶対視する近代へノスタルジーなのか。あるいは、テキスト論を経過した上で、テクストとその背後にあるコンテクストを新たな形で結びつけようとする試みなのか。現時点では、まだどちらとも言いがたい。しかし、私自身としては、自分のなかにそのような人間の交流に魅了される自分がいることに、気づかない訳にはいかないのである。

Copyright(C)2001 Seijisya.All Rights Reserved Warning Unauthorised Duplication Is Violation Of Applicable Laws.