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◆ 社名の歴史 ◆
「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)

引き裂かれた故郷
text 大辻隆弘

 今日、10月1日、郵政民営化がスタートする。
 私が住んでいるのは伊勢平野の農村部なのだが、ここでも直近の郵便局が郵便の集配を取りやめた。以前は、顔見知りの集配員が歌集などを玄関口まで届けてくれたのだが、最近は、郵便受けに強引に郵便物を押し込んで去ってゆく。以前より広汎な地域を担当するのだから、作業が雑になるのは仕方ない。
 また、私が勤務している県立学校では高校の統廃合が進んでいる。「学校選択の自由」という名のもとに、以前あった学区制がなくなり、中学生は基本的に県下どこの学校へも行くことができるようになった。その結果 、生徒たちは人気のある町中の高校に集中する。いきおい、郡部の高校は定数割れを起こし、廃校に追い込まれてゆく。
 民営化や自由化のもとで、経済効率が悪いものはどんどん切り捨てられてゆく。地方はその影響をまともに受ける。住んでいる村から、郵便局がなくなり、学校がなくなる。中心を失った地方の地域社会は、人口流出が進み、やがて「限界集落」となる。
 これが、この10年、この国が歩んできた道の必然的な帰結なのだろう。この背後に、国家の枠を超えたグローバリゼーションがあることはいうまでもない。グローバリゼーションという全世界的な市場絶対主義が、今、私たちの「故郷」を切り崩しつつある。たとえ政権がどうなろうと、この流れは資本主義が自壊するまで止まらない。
 高島裕の『薄明薄暮集』が出た。故郷である富山に帰郷した後の4年間の歌をまとめた第4歌集である。
 第1歌集『旧制度』以来高島は常に、米国中心のグローバリゼーションに対する苛立ちと伝統に対する偏愛を歌にしてきた。東京という都市のなかで底辺から「失われた90年代」の世相を凝視してきた彼のまなざしは、故郷に帰っても曇ることはない。彼の眼に映っているのはグローバリゼーションのなかで、引き裂かれつつある故郷の姿なのだ。

帝国に帝(みかど)いまさずふるさとの田中の闇にイオン煌々
夕霧にほのか濡れつつローソンの青き光をくぐる獅子舞

 一首めの歌では、故郷の田園のなかに昼夜をわかず煌々と光をともす巨大ショッピングセンターが描かれている。それは、市場絶対主義のなかで自己増殖をとげてゆく資本の象徴だろう。その背後には、精神的な支柱をもたない市場絶対主義の「帝国」(ネグリの用語)が蠢く。二首めの歌では、村の伝統行事である獅子舞を舞い終えた男たちが、コンビニに入ってゆく姿が描かれる。さりげない筆致ではあるが、それは失われてゆく故郷の伝統とそれを浸潤してゆく市場主義の関係に触れているだろう。
 このような視線の背後に、高島特有の怨念のこもった世界認識があることは間違いない。

六本木ヒルズに向きて遥拝す ちるどれん、ちるどれん
   取引停止
東証の折れ線絶えしときのまを古代の夜のごとく清しむ

 日本の国を米国に売り渡した宰相と、その宰相の「ちるどれん」に対する呪詛。市場を支配するコンピューターが停止した瞬間に感じた「古代の夜」のような安らかさ……。これらの歌には、市場主義に対する怨嗟の情が迸っている。その心情の危うさが、高島の最大の魅力なのだと思う。
 このような呪詛の言葉を吐く一方で、高島には、無条件に惑溺してゆくものがある。

昨夜(よべ)の雪あはく冠(かぶ)れる葦辺より水叩(う)ちて立つ鴨のひとむら
国を問ふ切なき声よ朝露の助詞助動詞を日本と呼べり
われといふ瓶(かめ)をしづかに盈たしたる素水(さみず)と思ふ、九月のきみを

 早春の富山平野の風土(一首め)、助詞助動詞に支えられた和語(二首め)、そして恋人(三首め)。風土・伝統・女性といったそれらのものは高島にとって「母なるもの」だ、といってよいのだろう。これらの歌には、「母なるもの」に溺れることによって自己を回復しようとする高島の切ない願いが表れていよう。
 グローバリゼーションに対する怨嗟と「母なるもの」への惑溺。ファナティックとも感じられる高島の極端に引き裂かれた志向は、たしかに危うい。が、その危うさにこそ、引き裂かれた「故郷」に生きる人間の精神の実相が表れ出ていると思う。
 『薄明薄暮集』は一見、退嬰的で耽美的な歌集に見える。が、それらの歌々には、たしかに現代の地方に生きる人間の痛みに満ちた心情が蠢いている。その危うい心情に私は胸打たれた。

 
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