グローバリゼーションと風土
text 大辻隆弘
このたび機会があって、伊藤一彦の全9歌集を読み直した。通
読して感じたのは、初期から一貫する伊藤の「風土」に対する深いこだわりであった。
月光の訛(なま)りて降るとわれいへど誰も誰も信じてはくれぬ
『青の風土記』
伊藤42歳の頃の作品である。みずからが住む南国宮崎は月光さえも訛って降ってくる。が、その声はそこに住む自分の耳にしか届かない。遍在する月光さえも偏差を持って届くような自分の故郷を伊藤は歌う。
憎むほど愛してゐたる東京とつひに言ふべしや雪の尾鈴よ 『日の鬼の棲む』
伊藤53歳ごろの作品である。故郷の尾鈴山を見つめながら、伊藤はかつて憎み続けてきた東京を、自分が愛していたことに気づく。故郷の風土に立脚することによって、「東京」の本質が見えてくる。「東京」に象徴されるものの本質が見えてくる。そのような認識の変化を歌った歌だといってよい。
倭建(やまとたける)に刺殺されしをよろこべる熊襲をどりよ熊襲はわれら 『新月の蜜』
伊藤58歳ごろの作品である。この歌において伊藤は、みずからを大和民族に制圧された「熊襲」の末裔として捉えようしている。その背後にはこの歌が作られた時点の世界情勢があるような気がする。
この歌が作られたのは2001年であり、9・11テロがあった年である。したがって、この歌の背後には、アメリカの単一行動主義によって殺されてゆくイスラムの人々への視線が隠されている。大和民族に制圧された熊襲であるという自覚のなかで、伊藤はイスラムの人々の思いを想像しようとしている、といってよい。伊藤の「風土」への視線が、この歌では、世界情勢にまで敷衍されているのだ。
もちろん、伊藤がこだわる「日向」や「熊襲」といった概念は、現代においては伝説としかいいようのない幻想なのであろう。そのことは伊藤自身も自覚している。彼は「地方なるフィクションに拠らむあやふさを忘るるまでのこの荒磯海」(『海号の歌』)と歌ってもいるのである。
が、なぜ、伊藤はそれがフィクションであることを知りながら、「風土」にこだわってきたのか。その答えは、ここに挙げた3首の歌のなかに示されているだろう。伊藤は「風土」という幻想に拠ることによって、「東京」に象徴されるものの本質を問い直し、民族の文化を圧殺するものの本質を問い直してゆく。「風土」という幻想は、彼の世界認識の定点であったのだ。
彼は『青の風土記』(89)の「あとがき」のなかで、次のようにいう。
情報化されないもの、数字化されないものの集積こそが、すくなくとも私にとっての風土記のイメージである。
伊藤の全歌集を読み直して、伊藤はここでいう「情報化」「数字化」というものの本質を問うために「風土」にこだわったのだ、ということが私には、改めて見えてきたのであった。
伊藤が危惧した「情報化・数字化」は、今や「グローバリゼーション」の名のもとに、全世界を席巻してしまっている。短歌も例外ではない。商業主義・市場主義という形で、グローバリゼーションは、短歌の世界のなかにも否応なく押し寄せてきている、といってよい。
「短歌往来」7月号の岡井隆との対談「グローバリゼーションと歌の未来」のなかで坂井修一は、危機感に苛まれながら、短歌がグローバリゼーションのなかで機能し得るかどうかを問うている。坂井は、グローバリゼーションを拒否するあまり短歌が偏狭な民族主義に陥る危険性を指摘しながら、そのような民族主義に陥ることなしに、短歌がどういう形でグローバリゼーションに対応できるか、という事を考えているのである。その姿勢はきわめて現実的で、真摯だと思う。
その坂井の問いに対する答えは、今のところ、私には全く見えてこない。が、「風土」という特殊性に執拗にこだわり続けた伊藤一彦の姿勢が、その問いを解くためのひとつの手がかりになるのではないか、という気もする。
グローバリゼーションを相対化するための「風土」。伊藤の作品の読み直しは、私にそのようなかすかな可能性に気づかせてくれた作業であった。
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