創造的なくり返しの手
text 吉川宏志
音楽評論家の吉田秀和の文章がとても好きで、白水社刊の全集を何冊かずつ買って読んでいる。「ある種の掃除」というエッセイは特に印象深い一篇である。吉田は相撲をテレビで見るのが好きなのだそうで、土俵の砂を掃き清める姿も美しいと感じる、というところから話を進めてゆく。そして、竜安寺の庭を見た記憶などを書く。そして、末尾近くになり、次のようなことを語りはじめる。
「土俵をはききよめたり、寺の庭を掃除すること、それ自体を芸術と呼んだら、大袈裟なものの言い方にすぎまい。だが、逆に、芸術というものは、どんなに完成されきった作品の形をとってしまったあとも、いつも、こうやって誰かが掃除をして、ある軌跡をはききよめ、洗い出しているべきものなのである。そういう意味で、芸術は、たえず創造的なくり返しの手をもった精神で支えられている。というより、そういう手を求めており、その手がないと死んでしまう。(中略)
バッハやベートーヴェンといった人びとの作品が、生まれてから百年、二百年とたった今でも、毎日地球上のどこかで、誰かの手でひかれているというのも、この土俵や庭の掃除をしているようなものではあるまいか。そのあとをみるごとに、私たちはその美しさにうたれる。」
中略した部分もとてもいいのだが、引用が長くなるので割愛する。私はこの一節は、短歌においても同じことなのではないかと思っている。
よく、近代短歌は斎藤茂吉などの歌人によって完成されたという言い方がなされる。また前衛短歌は塚本邦雄らによって完成されたと言われる。そして、それ以降の歌人は、そうした過去の業績を超える歌を作らなければならないといった論が出てくる。平凡な日常詠を繰り返し歌っていてもしかたがないのではないか、という声が聞こえてきたりもする。私は、そうした言説が必ずしも誤っているとは思わない。けれども、それだけが正しいとは限らないのではないか、とも考える。
短歌以外でもそうなのだろうが、たいていのことは過去の作者によって、すでに表現されている。いま生きている作者は、過去の作品をなぞるようにして、現在を表現していかなければならない。だから、似たような歌がいくつもいくつも作られることになる。たとえば、病んでいるときに花を見るというパターンの歌は、子規以後だけでも、何万首も詠まれてきただろう。
しかし、そうした繰り返しにも価値があるのではないか、という視点も、私たちは持っていていいだろう。過去の歌をなぞって歌うことにより、過去の歌は生きてくる。茂吉や塚本の歌に影響を受けて歌を作ることは、彼らの歌を現在に生き生きと蘇らせることにつながっているのである。「芸術は、たえず創造的なくり返しの手をもった精神で支えられている」とは、おそらくそういうことを指しているのだ。
そして、先人と同じようなことを詠んでいても、個性や境遇が異なるために、微妙な違いが生まれてくる。歌の美しさやおもしろさは、そういうところにも現われるのであり、それを丁寧に味わう読者が必要とされるのである。バッハやベートーヴェンの曲の楽譜は(ほぼ)同じであるが、演奏する人によってさまざまな差異が生まれてくる。そのこまやかな差異を聞き分ける聴衆がいなければ、クラシックというジャンルは成り立たない。短歌でもまったく同じことが言えるのである。
* *
岩井謙一の第二歌集『揮発』が出た。
アラビアの戦争の死者見えざれど十姉妹の死吾子の手にあり
十姉妹かまぼこ板を墓にしてわが家の庭に浅く埋めたり
死を教へくれし十姉妹庭に埋め冷たき水に手を洗ふ吾子
子が飼っていたペットが死ぬという素材も、短歌では何度も何度も歌われてきたに違いない。しかし、これらの歌からは、やはりリアルな現代の家族の姿が浮かんでくる気がする。よくありそうだけれど、しっかりとした個性を持った家族の風景なのである。十姉妹の死によって初めて子は死を体験する、平和な日本の日常。三首目の「冷たき水に手を洗ふ吾子」という終わり方からは、その日常へのかすかな不安も感じられる。
八分の信号停車雨の日は雨を見るなり晴れの日は山
よく停まる単線ゆゑに竹林を走る白猫その尾を見つむ
菜の花は線路が好きか列車ゆく北へ南へ黄は走るなり
岩井はよく停まる単線列車で通勤しているらしく、車窓から見た風景を描いた魅力的な歌が多い。これらの歌も決して珍しい素材を歌っているのではない。しかし、三首目の「菜の花は線路が好きか」といったフレーズは、はっとさせられるほど新鮮である。「雨の日は雨を見るなり晴れの日は山」。繰り返される日常を、親しみをもって眺めることにより、豊かな世界は開けてくるのである。
|