信じることと信じられること
text :吉川宏志
四月十五日に行われた、第五回ニューウエーブ短歌コミュニケーションというシンポジウムでの穂村弘の発言が話題を集めているという。
「面白く記憶に残ったのは、穂村氏の発言で「歌壇が新人に何を求めるか」ということ。すなわち下記のとおり。
1:あなたはどれだけ他人の短歌を読んでいますか?
2:あなたは短歌の歴史につながる意識がありますか?
3:あなたは短歌にかかわる文章を書けますか?
4:あなたは啓蒙活動(選歌や結社活動)をやる気がありますか?
ということで、これらをきちんとクリアしないと、歌壇に認知してはもらえない。」
(藤原龍一郎「電脳日記」による)
なるほど、穂村らしい明晰かつシニカルな分析で、私もおもしろいと思った。これを私なりに言い換えれば、〈いい歌を詠む作者〉であること以上に、〈短歌史を視野に入れている優れた読者〉であることを歌壇は要求しているのだ、ということになるだろう。結社活動もやはりそうで、たとえば歌会の司会であっても、歌の良し悪しがよくわかっていなければ、活性化させることはできないのである。
穂村がどのような意図でこうした発言をしたのかはわからないけれど、この四つの要求を〈歌壇の閉鎖性〉の表れとして否定的に捉えてしまうのは、賛成できない。以前、俵万智は「短歌を詠む」ことと「短歌を読む」ことは一体のものであると述べていたが、歌人は自己の表現に熱中するだけではだめで、他者の表現をできるかぎり最善のかたちで受け止める力が、非常に重視されるのである。インターネットなどで誰でもたやすく自己表現できるようになった現在、そうした短歌の原理が改めて注目されるようになってきたのだと考えたい。
この原理を比喩を使って説明してみよう。鏡のない世界では、自分の顔について知りたいならば、嘘をつかない他者に教えてもらうしかない。しかし、信頼できる他者を得るためには、自分自身も他者の顔について誠実に教える姿勢を持たなければならないのである。
短歌でも同じことで、〈私〉という自分ではよくわからないものを表現しようとするなら、信頼できる読者に、それを誠実に読んでもらうしかないのだ。短歌の中の〈私〉とは、作者と読者のあいだに、立体画像のように浮かび上がってくるものなのである。そして、信頼できる読者を得るためには、自分自身が信頼できる読者になるしかない。「歌壇に認知される」とは結局、歌壇から信頼されるということなのではないか。
先週の週刊時評で、大辻隆弘は、黒瀬珂瀾の「一筋の糸と私」という文章を取り上げ、以下のように書いている。
「私がこの文章に胸を打たれたのは、この文章のなかに、もはや何者も信じることのできない黒瀬のひりひりした痛みのようなものを感じたからである。
暗喩やレトリックを駆使することで時代の暗部を抉り、世界像を反転させようとした前衛短歌時代の絶対的な「私」。かつては憧れたであろう、そのような「私」の強度を黒瀬は信じることができない。かといって、日常世界べったりの瑣末主義では、自分が抱いている時代への焦燥は表明しえない。」
しかし、「何者も信じることのできない」ということは、誰からも信じられないのと同義なのである。それではなおさら〈私〉というものは見えなくなってしまう。そこから抜け出すには、前衛短歌であれ日常詠であれ、読者として誠実に向かい合っていくしかないのではないか。それらを「絶対的な私」「瑣末主義」として割り切って読んでいくところからは、新しい〈私〉も生まれてこないだろう。
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『築地正子全歌集』が出て、少しずつ読んでいる。佐佐木幸綱が「孤高の歌人」という題で解説を書いており、画家になる夢を断念したこと、移住した熊本になじめなかったこと、婚をあきらめたことなどが、潔癖で孤高な雰囲気をもつ歌を生み出したのではないか、と指摘している。歌壇とは厳しく距離を置いていた歌人でもあった。
しかし、築地正子の不思議なところは、孤であるにもかかわらず、一定の読者が存在していて、それが死後の全歌集の発刊へと結びついたということである(最近では、死後に全歌集が出ることはあまり多くない)。それだけ読者に信頼されていた歌人であったのだろう。短歌における読者の力の大きさを、改めて感じるのである。
吾は地上を土竜は地中を歩みゐるのどけき昼のゆきどまりまで
『花綵列島』
てのひらに竜胆の種子蒐むれば冬の光もあつまりて来し
光降るごとき小雨に濡れながら野の鳥ひとつ苔蹴りてゐる
こうした歌に見られる、身辺の生き物に寄せる眼差しの柔らかさ。自然に対する深い信頼感と言ってもいいだろう。築地正子の歌が読者に信じられてきた理由はあるいはそこにあったのかもしれない。信じることと信じられることは、メビウスの輪のようにつながり合っているのである。
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