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「青磁社」という名の出版社は私たちで3代目となります。 第一次青磁社は昭和初期に歌集出版などを手掛けていました。 第二次青磁社は昭和40年代頃に詩集出版をメインに、やはり歌集も出版していました。 歌集出版にゆかりある社名を引き継いだ使命を、今後十二分に果たしていく所存です。


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◆ 週刊時評 ◆
川本千栄・広坂早苗・松村由利子の三人がお送りする週刊時評(毎週月曜日更新)

作者と作品の関係をどう読むか
text : 吉川宏志

 松村正直が、角川書店「短歌」二月号で、岡野弘彦の『バグダッド燃ゆ』を正面 から批判していて注目した。

  食ひ飽きて 心はむなし。老いも若きも食あげつらひ ほほけゐる国
  専制の国といへども 若きらは 神のいくさにいさぎよく死す

 「アメリカ軍によるイラクの空爆を見て、戦時下の空襲を思い起こしたり、あるいは反米の思いを一気に募らせたりすることは、今回、新聞投稿歌等にも多く見られた現象である。むしろありふれた内容と言ってもいいだろう。岡野作品だけに何か特別 な点があるとも思われない。〔……〕「ほほけゐる国」にしろ、〔……〕「いさぎよく死す」にしろ、あまりにも事態を単純化し、短絡的な結論を導いている印象が拭えないのだ。」

 『バグダッド燃ゆ』は、一冊全体の力で迫ってくる作品なので、このように一首ずつをあげつらっても、歌の魅力には届かないところがある。ただ、「岡野弘彦」という作者名を切り離して読んだとき、この歌集は力を持たないのではないか、というのが、松村の問題意識であるだろう。
 さて、短歌誌「華」第66号では、『バグダッド燃ゆ』特集が組まれている。岩田正・伊藤一彦・森山良太・岩井謙一・川涯利雄らが論じており、読みごたえがあった。興味深かったのは、執筆者のほとんどが、「戦争」や「神」の問題について論じるために、岡野の過去の歌や文章および伝記的事実を取り上げたり、さらには師である折口信夫の著作を引用したりしている点である。つまり、歌集そのものを読むのではなく、「岡野弘彦」の人生や思想を読もうとする姿勢が明らかに見られるのである。
 『サラダ記念日』以降と言ってもいいと思うが、〈我〉というものを意識的に解体しようとする作者が多くなり、読者の側も、作者と作品を性急に結びつけずに、自由に読もうとする欲求が強まっていった。ロラン・バルトの言う「作者の死」が短歌の世界でも受け入れられ、作品(テクスト)は作者の意図にかかわりなくどのように読んでもいいのだという考え方が力を持っていったのである。
 だが現在、そうした傾向がかなり長く続き、飽和状態になっていたのだと思う。そうであるから、戦時中からずっと変化しない〈我〉、ひたすらに国や時代を憂う〈我〉が明確にあらわれた『バグダッド燃ゆ』が大きなインパクトを持ったのである。テクストだけを読むのではなく、「人生」を読みたいという欲求が再び強くなっているのかもしれない。
 しかし、作者と作品を安易につなげて読むことの危険性は、塚本邦雄以降、何度も繰り返し論じられてきたはずである。短歌の批評が、なしくずし的に、作者の人生と作品を混同するものになってはならないだろう。尾崎まゆみは『玲瓏』66号で、「岡野弘彦の歌を読み解くためには、まず、折口信夫の著作を読まなければならない。」「岡野弘彦は、折口信夫の歌の理想を体現するためあらかじめ選ばれた人物として、折口の前に現れたのではないだろうかという思いは、その歌を読むたびに強くなる。」と書いている。しかし、ここまで作者に寄りかかる読み方には、かなり違和感を抱く。これでは贔屓の引き倒しになってしまうのではないか。
 もちろんテクスト論的な読みは力を失いつつあるのだが、私たちは単純に過去に回帰するのではなく、新しい読みのあり方を模索すべきであろう。中庸的な言い方になるが、作品に即して読みつつ、しかも作者の生き方に思いを深く寄せてゆく態度が重要なのだと思う。

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